Bloody Rose

紫月音湖(旧HN/月音)

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第3章 異端の子

深閑の森

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 穏やかな時間と優しい静寂に包まれていたはずの深閑の森は、夜の闇にすら侵食されない濃い赤に染まっていた。
 薬のおかげでだいぶ回復したセルリアの案内で、深閑の森を目指したライリを除く三人は、目の当たりにした赤い森の姿に一瞬言葉を失った。前もって毒に対する抗体の薬を飲んできたものの、実際におどろおどろしい赤の瘴気を見ると、大丈夫だと分かっていても体が小さく震えた。

「こんな風に大気にまで毒の瘴気が充満していて、エルフたちは大丈夫なの?」

「瘴気が少量ならば、結界も有効です。私達が住んでいる森の方は、ここよりはまだ瘴気が少ないので……」

 イーヴィに答えるセルリアの表情は、やはりどこか影を帯びていた。それは病み上がりのせいだけではないと全員が分かっていたが、それをあえて口にする愚かな真似もしない。少し痛んだ胸に唇を噛んで、レフィスは気をしっかり保つ為に深く息を吸い込んだ。

「私たちの村はこの先です」

 瘴気の赤でろくに見えない前方を指差して、セルリアが歩幅を少し早めて先を急ぐ。血の海を彷徨う感覚に嫌気が差していたレフィスは、その言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろした。

「良かった。正直、これ以上は耐えられなかったかも……」

 ぽつりと独り言を呟いて、レフィスがセルリアの後に続く。赤い森から解放されたくて、誰よりも早く村に足を踏み入れたレフィスを出迎えたのは、人の気配のまるでない不気味な暗い村だった。

「何で誰もいないの?」

 不安そうに周囲を見回すレフィスの背後で、セルリアたち三人が瞬時に緊張を走らせ、いつでも動けるよう身構える。

「レフィス、戻れ!」

 言うが早いか、ユリシスがレフィスの腕を掴んで自分の方へ引き寄せた。それとほぼ同時に、レフィスがそれまで立っていた場所に、どこからともなく一本の矢が突き刺さった。矢尻を震動させた音が消える間もなく、再び数本の矢が、今度は威嚇するようにユリシスたちの足元に突き刺さる。

「やめて! この人たちは敵ではないわ! 私たちを助ける為に来てくれたのよ!」

 村を囲む森を見やって、セルリアが大声で叫んだ。そのセルリアの足元にも、一本の矢が鋭く突き刺さる。

「誰が応援を頼んだ? あの悪魔の子に縋るとは、愚かにも程があるぞ、セルリア」

 静かな怒りを孕んだ声がしたかと思うと、森の中から一人の若いエルフが姿を現した。手にした矢を、背負った矢筒に戻しながら滑るように歩いてくるエルフの後ろを、数人のエルフが影のようについてくる。近付く若い青年のエルフを凝視したまま、セルリアが唇をきゅっと噛み締めた。

「……レグレス」

「もっとも、あの悪魔は君の話など聞こうともしなかっただろう? 私たちなど滅んで当然だと」

 本当の事を言われ、セルリアが悔しそうに俯いた。そのセルリアの頬に手を当てたレグレスが、強引にセルリアの顔を自分の方へ向けさせる。セルリアの瞳に、さっと嫌悪の色が走った。

「だから言ったのだ。あいつに心などないと。穢れた血に染まった悪魔だとな」

「……そうさせたのは、私たちだわ」

「当たり前だ。穢れた血を引く奴を、私たちエルフの中に置いておく事は出来ない。いつ悪魔の血が目覚めるか分からないからな。……あの時のように」

 頬に添えられた手を弾いて退いたセルリアに軽く肩を竦めたレグレスが、今度はその冷たい目をレフィスたち三人に向けた。まるで値踏みでもするかのような眼差しにむっとしたレフィスが口を開くより先に、レグレスが嫌味たっぷりに鼻で笑った。

「あのライリを仲間にしているとは、随分と酔狂な者もいたものだ。せいぜい奴に殺されないよう、気をつけるんだな」

「あなたじゃあるまいし、ライリがそんな事するわけないじゃない!」

 先程からの物言いに既に怒りが爆発しそうになっていたレフィスが、ここぞとばかりに声を上げて思いっきりレグレスを睨み付けた。

「おや、君は何も知らないのか? ……ふん。悪魔でも、人恋しくなるのか。まぁ、それも一時の感情だと思うが」

「何の事よ。大体あなたさっきから何なの! ライリを悪魔呼ばわりしないで」

「悪魔を悪魔と呼んで何が悪い? 奴は数年前、この村に住むエルフの半分を惨殺したんだぞ」

「レグレス、やめて!」

 絶叫に近い声を上げたセルリアを見もせずに、レグレスが冷たい目を細めてレフィスをじっと見据えた。

「セルリアの両親も殺された。私の親もだ。当時の奴はまだ子供で、力の暴走ゆえの惨事だった。しかしその力こそが、穢れた血のもたらす呪い。――奴は異端児だ。村を脅かす存在を追い出して何が悪い。奴がいれば、またきっと誰かが死ぬ」

「そんな事っ」

「ないと言い切れるか? 奴の本性を知っても、まだ?」

 美しいエルフの顔に、歪んだ笑みが刻まれる。その微笑を見た瞬間、レフィスの背筋がぞくりと震えた。


「ライリは、卑しい魔族がエルフに孕ませて出来た子供だ」


 ぐらりと、大きく地面が揺れた。地の底から響く獣の咆哮と共に、村を囲む結界があっけなく崩れ落ちた。激しく揺れる地響きにバランスを崩して転んだレフィスの視界を、どこからか流れ込んだ赤い瘴気が一気に埋め尽くす。

「結界が! 見張りはどうした!」

 焦るレグレスが周囲を見やった先に、巨大な黒い影があった。山ひとつ分はあろうかと思われるほどの巨大な影は、ゆっくりと村に近付きながら、大きく開けた口から地響きに似た咆哮を吐き出した。その拍子に口から零れ落ちた小さな人影を目にして、レグレスが苦々しく舌打ちする。

「やられたか。おい! 急いで魔術の扱える者を集めろ! 結界を張るんだ!」

 レグレスの声に、エルフたちが慌しく駆けていく。その様子を見ていたレフィスも慌てて立ち上がり、近くにあった木の棒を掴んで地面に魔法陣を描き始めた。

「レフィス、何してる」

「防御結界の魔法陣。多分こうだったはず……」

 有効な攻撃法を持たないレフィスにとって、自身を守る結界魔法は命綱とも言える。冒険者になる前から防御結界についてはしつこく学んできたおかげで、レフィスの結界はかなりまともな力を秘めたものになった。その効果は、ユリシスも認めるところだ。
 時々線を書き直しながら行ったり来たりしているレフィスを横目で見ながら、ユリシスが腰に差した剣を抜きながらイーヴィへと声をかけた。

「何が出来る?」

「そうねぇ……動きを封じるくらいかしら」

「十分だ」

「あんな巨大な魔獣、流石のあなたでも一撃でなんて仕留められないわよ」

 剣を抜いたまま、近付いてくる魔獣を見据えていたユリシスへ、イーヴィがどこか余裕のある声音でそう言った。

「分かっている。俺に出来る事も限られているからな」

「何をするつもり?」

「奴の注意を引いて、ここから遠ざけるくらいか」

「十分ね」

 再度、地面が大きく揺れた。村を囲む森の木々が玩具のようになぎ倒され、飛び交う鳥たちが魔獣の大きな口に吸い込まれていく。いつの間にか、村はすっぽりと魔獣の影に覆い隠されていた。

「レフィス! もういい、戻れ!」

「待って、あと少し。……最後の文字を書き忘れたの!」

 そう言って少し離れた場所まで走っていくレフィスを目で追ったユリシスが、突然見て分かるほどぎくんと大きく体を震わせた。
 魔法陣の最後の文字を書いていたレフィスの背後に、魔獣の異様に長い舌が迫っていた。

「レフィスっ、戻れ!」

 張り上げたユリシスの声は、魔獣の低い咆哮に掻き消された。
 レフィスが最後の文字を書き上げた瞬間、彼女の体は魔獣の長い舌に巻きつかれたまま上空に跳ね上げられていた。

「きゃあっ!」

「レフィス!」

 レフィスの手から離れた木の棒が地面に落ちると同時に魔法陣が発動し、見開いたユリシスの目にはただ白い光の渦だけが映し出されるだけだった。
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