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第5章 ブラッディ・ローズ覚醒
秘宝の目覚め
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――――我に汝の名を刻め。
この声を覚えている。
澱みのない水のように透明で、けれど低く。
――――我に汝の名を刻め。
果てしない闇を照らす月光のように儚く、静かに。
――――血の契約は成された。
恐ろしげに響き、寂しげに残る。
この声を覚えている。
指輪の石に垣間見えた、見た事のない男の姿を――覚えている。
どこまでも、落ちていく。
深く暗い闇へ、ゆっくりゆっくり落ちていく。
遠くに見える僅かな光を求め、重くだるい腕を伸ばしてみる。あの光に触れれば、この冷たい体も少しは熱を取り戻すかもしれない。何より、あの光の中へ戻りたいと思った。
『ユリシスだ。もう忘れるなよ』
かすかに笑ってそう言った彼を、一瞬だけ懐かしいと思った。
『俺の事が知りたいなら教えてやる』
謎だらけの私生活を、彼の事を、もっと知りたいと思った。
『今のうちに慣れておけ。窮屈なドレスも……俺も』
首筋に落された唇の熱さを、今でもはっきりと覚えている。
『お前は常に、俺の側にいろ』
覚えている。全部、痛いくらいに覚えている。
無愛想な表情も、眉間に寄せる不機嫌な皺も、時折ひどく優しく見つめてくる眼差しも、危険な時にいつも差し伸べられた力強い手も、すべて。
『レフィスっ!』
己の無力さに絶望しながら叫んだ、あの悲痛な叫び声もすべて覚えている。
そして、その声を聞く事も、眼差しを受ける事も、……触れ合う事も二度とないのだと、理解する。
小さくなっていく光に手を伸ばしたまま、瞬きを忘れたレフィスの瞳から涙が一粒零れ落ちた。
「何故、我を呼ばぬ」
声は、不意に届いた。
光は砂粒のように小さく遠ざかり、レフィスの体は今も深淵へと落下している。
誰もいない。在るのはレフィスの意識と、それを引きずり込む果てしない闇だけ。
なのに、声はレフィスの内側から響いてくる。
「お前は何故、我を呼ばぬ」
「……誰?」
「我は常にお前と共に在った。なのに、お前は我を呼ばぬ。死ぬ間際であってもなお、我を呼ばぬ」
レフィスの中から、何かがずるりと抜け出したような気がした。それは気配だけを人の形に留めた様にして、ゆっくりと落ちていくレフィスの上に覆い被さる。背後に出来る影が、前に現われ出たかのようだった。
「人は我を呼ぶ。何かを滅する時、何かを守る時。力を欲する時に、人は我を呼ぶ。なのに、お前は我を呼ばぬ。必要でないならば、何故我と契約をした」
「契約? 何の事?」
「よもや血の契約すら忘れているとは滑稽な。我を必要とせぬ人間など、初めてだ」
「……血の、契約?」
口にして、その記憶が一気に甦る。
初めてユリシスと出会ったあの時、廃墟の中で魔族に襲われ、死ぬかもしれないと思った。ユーリに会うと言う目的も果たせぬまま死ぬ訳には行かないと、そう思った時に――声が聞こえたのだ。今と同じ響きを持つ、不思議な声が。
――我を求めるか。小さき者よ。
「……あの時の……」
「我は、お前の命の雫によって目覚めた。我の力はお前の力になる」
「私の、力?」
「そうだ。しかし、お前は我を使わず、愚かにも死を選ぼうとしている」
「……死……」
言葉にして、更にレフィスの体から熱が消えていく。指先は凍り付き、青ざめた唇も音をまともに紡ぐ事が出来ない。呼吸は浅く、かすかに見えていた光は完全に消えてしまっていた。
「残された時間はない」
目の前の気配が僅かに揺らいだ。その向こうに、真紅の人影を見たような気がした。それは意識の果てで、最後に見たユリシスの姿と重なり合う。
自身を傷つけてまで、必死になって魔法陣を壊そうとしたユリシス。己の鮮血によって染め上げられた体を、何度も名を呼び伸ばしてくれたその手を、強く握り返したいと思った。
「我を求めるか。小さき者よ」
再び問われた言葉に、もう迷う事はなかった。
「私に、力を貸して。皆に会いたい。……ユリシスを助けたいの」
「次は死ぬ前に我を呼べ。愚か者」
光を求めて伸ばされたままのレフィスの右手、その薬指に、いつの間にか赤い石のついた指輪が嵌っていた。
がらがらと激しい音を立てながら、遺跡が崩壊を始めた。結晶石の封印という役目を無理矢理にでも終わらせる形となったフィスラ遺跡は、最早存在する意味を失い端から崩れ落ちては塵となり空へ舞い上がっていく。
血に濡れた一室に辿り着いたイーヴィとライリは、その目に信じられない光景を映して言葉を失った。部屋の中央に、青ざめて動かないレフィス。そのレフィスの血塗れの体を腕に抱いたまま、同じように血に濡れたユリシスが彫刻のように微動だにせず蹲っている。その二人を呑み込むように、遺跡は崩壊を早めていった。
「ユリシス! 一体何があったのっ!」
「脱出するのが先だよ。それとも死にたいのっ?」
珍しく声を荒げる二人に目もくれず、ユリシスは腕に抱いたレフィスに向かって必死に呪文を唱え続けている。それが治癒魔法である事は二人にも分かったが、傷は塞いでも流れ出た血までは戻らない。青ざめたレフィスが目を開く事はなかった。
「ちっ!」
動こうとしないユリシスに舌打ちして二人の側へ駆け寄ったライリが、頭上から崩れ落ちる瓦礫を瞬時に塵へと変える。その横では同じよう駆け寄ったイーヴィが、崩壊から身を守る結界を自分たちの周りに張り巡らせた。とは言っても咄嗟に張った結界は脆く、瓦礫がぶつかる度に僅かな亀裂を走らせていく。
「結界を作り直す余裕はないわ。ライリ、無理矢理にでもユリシスを動かして! 結界が壊れる前に外へ出るわ」
「分かっ……」
ライリが言葉を言い終わらないうちに、床が大きな音を立てて亀裂を走らせた。はっと目を見開いたのは一瞬で、次にはあっという間に床が割れ、四人は成す術もなく瓦礫と共に階下へと落下した。
「レフィス、死ぬな。……死ぬなっ!」
何からも守ろうと強く抱きしめた腕の中で、小さく、けれど確かにレフィスの声がした。
「血の契約は成された」
途端、目の前が真紅に染まった。
時が止まったかのように崩壊が止まり、落下していたはずのユリシスたちの体すら空中に縫い止められている。何が起こったのかを理解するより先に、今度はレフィスの体が赤い光に包まれた。それは瞬時に形を留め、ユリシスたちの前に一人の男の姿で現われる。
赤い髪。赤い瞳。鮮血を思わせる色彩を纏った男は、その場に居合わせた三人を見やってから、ゆっくりと唇を動かした。
「命の雫により、我、真に目覚めたり」
この声を覚えている。
澱みのない水のように透明で、けれど低く。
――――我に汝の名を刻め。
果てしない闇を照らす月光のように儚く、静かに。
――――血の契約は成された。
恐ろしげに響き、寂しげに残る。
この声を覚えている。
指輪の石に垣間見えた、見た事のない男の姿を――覚えている。
どこまでも、落ちていく。
深く暗い闇へ、ゆっくりゆっくり落ちていく。
遠くに見える僅かな光を求め、重くだるい腕を伸ばしてみる。あの光に触れれば、この冷たい体も少しは熱を取り戻すかもしれない。何より、あの光の中へ戻りたいと思った。
『ユリシスだ。もう忘れるなよ』
かすかに笑ってそう言った彼を、一瞬だけ懐かしいと思った。
『俺の事が知りたいなら教えてやる』
謎だらけの私生活を、彼の事を、もっと知りたいと思った。
『今のうちに慣れておけ。窮屈なドレスも……俺も』
首筋に落された唇の熱さを、今でもはっきりと覚えている。
『お前は常に、俺の側にいろ』
覚えている。全部、痛いくらいに覚えている。
無愛想な表情も、眉間に寄せる不機嫌な皺も、時折ひどく優しく見つめてくる眼差しも、危険な時にいつも差し伸べられた力強い手も、すべて。
『レフィスっ!』
己の無力さに絶望しながら叫んだ、あの悲痛な叫び声もすべて覚えている。
そして、その声を聞く事も、眼差しを受ける事も、……触れ合う事も二度とないのだと、理解する。
小さくなっていく光に手を伸ばしたまま、瞬きを忘れたレフィスの瞳から涙が一粒零れ落ちた。
「何故、我を呼ばぬ」
声は、不意に届いた。
光は砂粒のように小さく遠ざかり、レフィスの体は今も深淵へと落下している。
誰もいない。在るのはレフィスの意識と、それを引きずり込む果てしない闇だけ。
なのに、声はレフィスの内側から響いてくる。
「お前は何故、我を呼ばぬ」
「……誰?」
「我は常にお前と共に在った。なのに、お前は我を呼ばぬ。死ぬ間際であってもなお、我を呼ばぬ」
レフィスの中から、何かがずるりと抜け出したような気がした。それは気配だけを人の形に留めた様にして、ゆっくりと落ちていくレフィスの上に覆い被さる。背後に出来る影が、前に現われ出たかのようだった。
「人は我を呼ぶ。何かを滅する時、何かを守る時。力を欲する時に、人は我を呼ぶ。なのに、お前は我を呼ばぬ。必要でないならば、何故我と契約をした」
「契約? 何の事?」
「よもや血の契約すら忘れているとは滑稽な。我を必要とせぬ人間など、初めてだ」
「……血の、契約?」
口にして、その記憶が一気に甦る。
初めてユリシスと出会ったあの時、廃墟の中で魔族に襲われ、死ぬかもしれないと思った。ユーリに会うと言う目的も果たせぬまま死ぬ訳には行かないと、そう思った時に――声が聞こえたのだ。今と同じ響きを持つ、不思議な声が。
――我を求めるか。小さき者よ。
「……あの時の……」
「我は、お前の命の雫によって目覚めた。我の力はお前の力になる」
「私の、力?」
「そうだ。しかし、お前は我を使わず、愚かにも死を選ぼうとしている」
「……死……」
言葉にして、更にレフィスの体から熱が消えていく。指先は凍り付き、青ざめた唇も音をまともに紡ぐ事が出来ない。呼吸は浅く、かすかに見えていた光は完全に消えてしまっていた。
「残された時間はない」
目の前の気配が僅かに揺らいだ。その向こうに、真紅の人影を見たような気がした。それは意識の果てで、最後に見たユリシスの姿と重なり合う。
自身を傷つけてまで、必死になって魔法陣を壊そうとしたユリシス。己の鮮血によって染め上げられた体を、何度も名を呼び伸ばしてくれたその手を、強く握り返したいと思った。
「我を求めるか。小さき者よ」
再び問われた言葉に、もう迷う事はなかった。
「私に、力を貸して。皆に会いたい。……ユリシスを助けたいの」
「次は死ぬ前に我を呼べ。愚か者」
光を求めて伸ばされたままのレフィスの右手、その薬指に、いつの間にか赤い石のついた指輪が嵌っていた。
がらがらと激しい音を立てながら、遺跡が崩壊を始めた。結晶石の封印という役目を無理矢理にでも終わらせる形となったフィスラ遺跡は、最早存在する意味を失い端から崩れ落ちては塵となり空へ舞い上がっていく。
血に濡れた一室に辿り着いたイーヴィとライリは、その目に信じられない光景を映して言葉を失った。部屋の中央に、青ざめて動かないレフィス。そのレフィスの血塗れの体を腕に抱いたまま、同じように血に濡れたユリシスが彫刻のように微動だにせず蹲っている。その二人を呑み込むように、遺跡は崩壊を早めていった。
「ユリシス! 一体何があったのっ!」
「脱出するのが先だよ。それとも死にたいのっ?」
珍しく声を荒げる二人に目もくれず、ユリシスは腕に抱いたレフィスに向かって必死に呪文を唱え続けている。それが治癒魔法である事は二人にも分かったが、傷は塞いでも流れ出た血までは戻らない。青ざめたレフィスが目を開く事はなかった。
「ちっ!」
動こうとしないユリシスに舌打ちして二人の側へ駆け寄ったライリが、頭上から崩れ落ちる瓦礫を瞬時に塵へと変える。その横では同じよう駆け寄ったイーヴィが、崩壊から身を守る結界を自分たちの周りに張り巡らせた。とは言っても咄嗟に張った結界は脆く、瓦礫がぶつかる度に僅かな亀裂を走らせていく。
「結界を作り直す余裕はないわ。ライリ、無理矢理にでもユリシスを動かして! 結界が壊れる前に外へ出るわ」
「分かっ……」
ライリが言葉を言い終わらないうちに、床が大きな音を立てて亀裂を走らせた。はっと目を見開いたのは一瞬で、次にはあっという間に床が割れ、四人は成す術もなく瓦礫と共に階下へと落下した。
「レフィス、死ぬな。……死ぬなっ!」
何からも守ろうと強く抱きしめた腕の中で、小さく、けれど確かにレフィスの声がした。
「血の契約は成された」
途端、目の前が真紅に染まった。
時が止まったかのように崩壊が止まり、落下していたはずのユリシスたちの体すら空中に縫い止められている。何が起こったのかを理解するより先に、今度はレフィスの体が赤い光に包まれた。それは瞬時に形を留め、ユリシスたちの前に一人の男の姿で現われる。
赤い髪。赤い瞳。鮮血を思わせる色彩を纏った男は、その場に居合わせた三人を見やってから、ゆっくりと唇を動かした。
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