飛べない天使

紫月音湖(旧HN/月音)

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第2章 夢のかけら

海賊船ブルーファング・2

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 透き通った藍色の石の結晶に彩られて、そこは明かりもいらないほど淡い光に包まれていた。ごつごつした岩の壁や天井には、まるで水を張ったかのように藍色の透明な石が隙間なくびっしりと張り付いている。

 自然に出来た藍色の光を放つ、藍晶石らんしょうせきの洞窟。天然で洞窟を作るほど巨大な藍晶石の結晶は、世界でも珍しく他に類を見ない。

 海を思わせる色と輝きを放つ美しい鉱石。しかしその巨大な結晶の中には多くの人間が埋め込まれていた。美しい藍色の空間に似合わない、恐怖に歪んだ顔。それらは皆、藍晶石を求め逆に石に吸い込まれた者たちの亡骸だった。

「人を喰う石ってのは、ただの噂じゃなかったんだな」

 壁に、床に、天井に埋め込まれた人間をぐるりと見回して、その異様な光景にロヴァルは息を飲んだ。

「セレスティアのお守りが効いてるってわけか?」

 胸元で揺れる金色の三日月の首飾りは洞窟内に入ってからずっと淡く光を放ち、ロヴァルを藍晶石の魔力から守ってくれていた。首飾りを手に持って、ロヴァルはそれを受け取った時に事を思い出してかすかに笑った。

「お前のおかげで藍晶石のかけらを手に入れる事が出来たぜ」

 呟きながら、ロヴァルはさっき手に入れたばかりの小さな藍晶石のかけらを取り出した。手のひらに乗る小さなかけらでも、今まで誰ひとりとして持ち出す事の出来なかったそれは、十分に値打ちのあるものである。

 まだ誰も埋め込まれていない汚れなき藍晶石のかけらを手に入れる為に、ロヴァルはひたすら洞窟の奥へと進んで行った。そして最後に辿り着いた最深部で純粋な藍晶石を見つけると同時に、その空間を守っていた守護獣とも出くわしてしまった。守護獣の攻撃をかわしながら、何とか小さなかけらを掴む事が出来たロヴァルは傷付いた体を引きずりながら、やっとの思いで入口まで戻ってきたのだった。
 ずきずきと痛む体に歯を食いしばりながら、ロヴァルは手に持った藍晶石のかけらをなくさないようにしまいこむ。

「しかし、あのバカでかいのは何だったんだ? 藍晶石を守っていたようにも思えなかったけど」

 魔物と言うには穢れた気が一切なかった守護獣は、藍晶石を持ち出して逃げたロヴァルの後を追って来る事はなかった。藍晶石よりも、あの空間を守っていたようにも思える。

「ま、俺には関係ねーか。こうやってかけらも手に入れた事だし、あとはセレスティアを迎えに行くだけだ。――待ってろ」

 希望に満ちた顔を上げ、その喜びのあまり守護獣から受けた傷の痛みも忘れて、ロヴァルは軽い足取りで洞窟の外へと出て行った。





 暗い洞窟の入口はすべてを飲み込んでしまうかのように、ぽっかりと大きな口を開けていた。その奥には想像も出来ないほど美しい光景が広がっていると言うのに、決して簡単に足を踏み込んではいけない場所であり、人々の中に神聖な聖地として語り継がれている。

 聖地に咲く藍晶石の結晶は「天使の涙」と呼ばれていたが、現在では聖地に足を踏み入れた者が誰ひとりとして帰って来なかった為「人喰い石」としても恐れられていた。

 小船くらいなら楽に通る入口へ目を向けた灰青の髪をした青年が、三時間くらい前にたったひとりで洞窟へ入って行った仲間を思い小さく溜息ををついた。

(やはり、一緒について行くべきだったか)

 仲間に怪我をさせたくないと、そう言って彼が向かった先は汚れなき聖地。彼を信じないわけではないが、胸に渦巻く不安はそう簡単に消えるものではない。
 元気よく手を振って行ったロヴァルを思い浮かべて再び洞窟へ顔を向けた男の瞳が、奥からゆっくりと進んでくる見慣れた小船を発見した。その船に、傷付きながらも出発した時と同様、元気に手を振る主の姿を見つけて、男はほっと淡い微笑みを浮かべる。満足げなロヴァルの笑顔に、男は彼が目的を果たした事を知った。

「ロヴァルが戻ったよ!」



 小船から海賊船ブルーファングへ乗り移ったロヴァルの帰還に、仲間たちは声をあげて喜び合う。聖地から無事に出てきた人間はロヴァルが初めてであり、同時にそれは彼が目的を成し得た事を意味するものでもあった。

「お帰り、ロヴァル。藍晶石は無事、手に入れたんだろうね?」

 自分の事のように喜ぶ仲間たちの声に紛れて届いた澄んだ声音に、ロヴァルがにっと笑みを零した。視線の先に、灰青の髪をした青年が映る。

「当たり前だろ、ディラン」

 がっしりとした逞しい体躯をした男たちに紛れて、一見女性かと思わせるほど儚い容姿をした長身の男がロヴァルの言葉に頷きながら姿を現した。そのディランに向かって得意げに藍晶石を差し出して見せたロヴァルの視界が、突然ぐらりと大きく揺れて一回転した。

「うわっ!」

 他の仲間たちに比べて数段華奢に見えるディランだったが、時に誰もが驚くほどの怪力を見せる事がある。今も軽々とロヴァルを肩に担ぎ上げ、軽やかな足取りで船内へと歩き始めていた。半ば強引に、まるで子供のように持ち上げられたロヴァルはわけが分からないまま手足をばたつかせ、ディランはそれを慣れた手つきで押さえ込む。

「おい、ディラン! 何なんだよ?」

「僕を甘く見ないでくれ。立っているだけで辛いんだろう?」

 洞窟の奥にいた守護獣から受けた傷の深さを一目見ただけで悟ったディランに、ロヴァルは敵わないと言うように小さな笑い声を零した。

「やっぱ、船医には分かるもんだな」

「僕の職業を舐めてるとしか思えない発言だね。乱暴な治療をお望みならそうするけど、気絶だけはしないでくれよ? 話す事があるんだから」

「話? 何だ?」

「きっと驚くよ。この僕でさえ一瞬目を疑ったほどだからね。どちらが真実か分からない」

 謎めいた言葉に眉をひそめたロヴァルは静かに微笑むディランに担がれたまま、彼の船室へと運ばれて行った。
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