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本編
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しおりを挟む「山田くん、ペア組んでもらっていい?」
「ぇひァッ!! お、おお、っ俺ぇっ?! いやあの……よ、よろこんで……」
「ありがとう」
誰かに話しかける時はなるべく穏やかに見えるように少し微笑む。へらへらと愛嬌を振り撒くのではなく、あくまで相手を萎縮させないための笑顔だ。
「若宮くん! 体育のとき山田と組んでたよね?」
「珍しいね~……佐倉以外と組むの。な、なんかあったのかな~……なんて」
「どうして? ペアの指定は特になかったけど」
「あっ、やっ、そうだよね! あはは……」
「変なこと聞いてごめんねっ」
詮索めいたことを尋ねる人には顔にも声にも表情はいらない。無感情に真っ直ぐ見つめれば、相手の方が勝手に慌てて離れてゆく。
「わ、若宮くん。小林先生が呼んでたよ」
「わかった。ありがとう」
何か用事があって話しかけてくる人には笑いかけはしないが、きつい印象にもならないようにほんの少し表情を緩める。
挨拶だけしてくる人には挨拶だけ返す。遠巻きに騒ぎ立てる人には反応をしない。度胸試しのようにふざけて話しかけてくる人にははっきり不愉快を示す。誰にでもいい顔をするわけでもなく、反対に冷たくするわけでもなく、相手に合わせて必要な対応を変える。そして──
「若宮くんが好きです! 付き合ってください……!」
「ごめんなさい。僕、当分恋愛するつもりがないのでお付き合いはできません。でも勇気を出して伝えてくれたのは嬉しい。ありがとうございました」
告白してきてくれる人には面倒臭がらず真摯に話を聞いたうえでお断りをする。その人が春乃のために振り絞ってくれた勇気に敬意を払いたいから。
『佐倉、恋人のフリもうやめたい』
ほんの数日前、突然そう告げた春乃に佐倉は心底驚いているようだった。しきりに理由を問われたけれど、「佐倉を好きになってしまったから」なんて答えられるはずがない。もう助けてもらわなくても大丈夫、自分で何とかする、そう言い張ってどうにかその場は押し切ることができた。
とはいえ、実際に平穏な学校生活を送れなければ、佐倉はきっと春乃を助けようとしてしまうだろう。それでは意味がない。
春乃は必死だった。一人でもなんとかできる姿を佐倉に示さなければならないからだ。必死に相手の表情を読んだ。必死に対応を考えた。動揺することも困惑することも当然たくさんあったが、そんな不必要な感情をすまし顔の下に全て押し込むのには幸い慣れていた。
佐倉とは家へ招かれた翌日から距離を置いた。話しかけられても会話を短く切り上げるようにしたし、昼に誘われても断って一人で過ごした。授業の時にも佐倉に頼らず他の人に話しかけるようにした。その様子から破局の噂が校内に流れたのか、知らない人に話しかけられたり告白されたりする機会が格段に増えた。
学校にいる間は一瞬たりとも気が抜けないけれど、必死の努力のおかげで今のところは上手くやれていると思う。しかし佐倉にはそうは見えていないようで、たびたび視線を感じるうえ、日に何度かは助けられてしまう場面がある。
さらに困ったことに佐倉は彼ぴのフリをやめることに納得していないようなのだ。「もう一度きちんと話し合いたい」と言われるのだが、春乃としては佐倉に本音を言えるはずもないので了承せずに逃げ回るしかない。
幸い、あと一週間ほどで冬休みに入る。顔を合わせる機会が無くなれば、きっと佐倉も強情な春乃のことなんて気にしなくなるだろう。休み明けには席替えがあるし、進級したらクラスも離れるかもしれない。そうすれば、また一人に戻れてすべて元通りである。佐倉と一緒にいた思い出の他には、たまに遠くから姿を見られれば春乃はもう充分なのだ。
しくしくと頻りに痛む胸にも、いつかは慣れてゆくだろう。
「あっ、若宮くんだ」
昼休みの終盤、保健室での昼食を終えたあと教室のすぐ手前を歩いていたところを誰かに呼び止められた。一日の内でこのタイミングが一番話しかけられやすいのでもう驚きもしない。俯けていた視線を上げると目の前に短い髪を茶色に染めた男子生徒がいた。上履きの色から察するに三年生である。
「はい」
「あれ、一人なの? 圭人と一緒じゃないんだ?」
「見ての通りですけど……」
急に佐倉の下の名前を出されてわずかにうろたえてしまう。そんな春乃を見てその先輩は、はたと思い当ったように手を打った後にっこりと快活に笑った。
「俺、もう引退したけどバスケ部だったの。三年の大沼。よろしくね」
「はあ……」
「いやさ、圭人がテスト明けから元気ないみたいでさあ。もともとやる気一杯!って感じの奴ではないけど、それにしたって覇気がないっつーか……。若宮くん、なんか原因に心当たりない?」
あります、僕のせいです。
とは言えない。
「さあ……ちょっとわからないです」
「そっかあ、若宮くんでもわかんないかあ」
「お力になれず申し訳ないです。失礼します」
「あっ、よかったらなんだけど」
ボロを出す前にそそくさとその場を立ち去ろうとする春乃を大沼先輩が引き留める。
「圭人のこと、部のみんなも心配してて。何か気付いたことあったら教えてもらっていい?」
大沼先輩はそう言うと春乃の返事を待たずに手に持ったノートに何かを走り書いた。そしてビリッという軽い音ともにノートの切れ端を春乃の手に押し付け、また運動部らしい爽やかな笑顔を残して去っていった。
手の中の切れ端に目を落とすと、そこにはメッセージアプリのIDが少し荒っぽい筆跡で書きつけてある。
あの先輩の行動が純粋に佐倉を心配したものかは定かではないが、この連絡先にメッセージを送ることはない。とはいえそこそこ大事な個人情報でもある。家に帰ってからシュレッダーにかけてあげようとブレザーのポケットに押し込めた。
「春乃」
気を取り直して再び歩き出そうとしたところで、後ろから声を掛けられて心臓が跳ねた。学校で春乃を名前で呼ぶ人は一人しかいない。ぐっと表情筋に力を入れて振り返れば、案の定佐倉が腕組みをしてこちらを見下ろしていた。
「さっき大沼さんに話しかけられてた? 何の話ししたの?」
「……特に何も。連絡先を渡されただけ」
「へー、連絡先をね」
佐倉の心配うんぬんは本人に伝えることではないと思いそう答えた。佐倉はいつもの飄々とした雰囲気のままで何を考えているのかよくわからない。前までは気にならなかったのに、今はそれが少し怖く思える。
「大沼さんって結構遊んでる人だから気を付けてね。なにか困ることがあったら言ってよ。部活一緒だし直に抗議できるから」
「いや大丈夫。自分で何とかするから。ありがとう」
口早にそう言って立ち去ろうとしたが、すぐに手首を掴まれて引き留められた。
「なんで急にそんな頑ななの? 理由くらい教えてくれても良くない?」
「だから理由は……佐倉に助けてもらわなくてももう大丈夫だからだって」
「いやそれ建前でしょ。ほんとの理由言ってよ」
本当の理由なんて言えるわけない。答えに窮した春乃は佐倉から目を逸らして黙り込む。
「もしかしてさあ」
ぐっと声量を抑えて囁いたかと思うと、掴まれた手首をそっと引き寄せられた。驚いて顔を上げればすでに佐倉が耳元に顔を寄せているではないか。制止する間もなく、すぐ近くで息を吸う音が聞こえた。
「好きな奴でもできた?」
佐倉の吐息が耳朶をくすぐる。ぞわりとする感覚に身を竦めた一拍あと、言葉の意味を理解した瞬間に全身の血が沸騰したかと錯覚するほどに身体が熱くなった。
「……ッ!!」
「うわ、まじか」
耳を押さえて一、二歩後ずされば、佐倉は驚いたようにそう呟いた。
ばれた。瞬間的にそう思った。強張る佐倉の表情に絶望と羞恥と情けなさと──数多の感情が噴き出して泣きそうになった。ぎゅっと唇を噛みしめて、なけなしのプライドで佐倉を睨んでからぐるりと踵を返して駆けだした。掴まれていたはずの手首が何の抵抗もなく離されたことに気が付いたのは教室に駆け込んだあとだった。
大きな音を立てることを気にすることすらできないまま荒っぽく自分の席に着く。クラスメイトがちらちらとこちらを気にしているので、なんとか深呼吸をして激情を宥める。教室の外では佐倉が数人に取り囲まれて詰問されているふうだった。きっと先ほどの所業について抗議を受けているのだろう。いい気味だ、なんて思おうとしてみたが上手くいかなかったのですぐにやめてしまった。
その日を境に佐倉は春乃に話しかけて来なくなった。
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