鋭敏な俺と愚直な君

奈月沙耶

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第六話

男はみんな狼なのよ?(5)

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 茅子は顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を横に振る。
「俺がおんぶしようか」
 便乗して渉が口走ると、茅子は首を竦めるようにして更に顔を赤くした。
「どさくさに紛れて何言ってんだよ!」
「だってクルマあるし、送っていけるし」
「あの距離歩くならかやこのアパートに着くっつうの」
 高校生にやり込められて渉はぐうの音も出ない。

「あ、あの……」
 上目遣いに男性陣を見上げ、茅子は消え入りそうな声で言った。
「俊くん、お願い」
「まかせろ」
 どや顔で渉たちを見て、俊はかやこに背中を向けてしゃがんだ。
「ほら、靴もオレ持つから」
「うん。ごめんね」
 茅子を背中におぶって鞄と靴を器用に持って、俊は身軽に立ち上がった。

「清水さんも、高山さんも、ありがとうございます。すみませんでした」
 目線が高くなった位置で、恥ずかしそうに俯きがちにようやくのように茅子は挨拶した。
「お疲れ。また会社で」
「いや、俺は何も……俊くん、気をつけて」
「あ? 誰に言ってんだよ」
 最後にぎろっと睨まれて苦笑いしか浮かばない。少しは仲良くなれたような気がしたのだが。

 下りのエスカレーターに乗って遠ざかる姉弟を見送っていると、頬に視線を感じた。しげしげと清水が渉を見ている。
「なんすか?」
 ついぶっきらぼうになる渉の口調に清水は笑った。
「抜け駆けしたつもりはないよ。俺もカヤコチャンも、高山が来るもんだと思ってたんだ。遠藤の話はよくワカラナイから」
「……まあ、そうですよね」
「カヤコチャン、がっかりしてた」

 低く声がかすめたと思ったら、清水は既に下りエスカレーターに足を乗せていた。渉は急いで後に続く。
「もうすぐ五時だな。せっかくだから飲んでくか?」
「いや。俺、クルマなんで。軽トラ工場に戻さないと」
「そうか」
 駅構内の中央通路を夕暮れの風が吹き抜ける。まだまだ湿り気を帯びてはいるけど、日中の熱気を払うようにいくらか涼しく感じる風が、季節は晩夏に向かっていることを教えてくれる。

「高山」
 別れ際、名前を呼ばれた。
「俺はまだ負けてないから」
 言われた言葉の意味を考えるよりも、少しだけ寂しそうな清水の微笑みの方が気になった。




 一応報告をと、父親に修理箇所の仕上がりの画像を見せた。
「まあまあできたと思う」
「そうか」
 父親はすぐに視線を夕刊に戻す。
「油臭いって母さんに叱られるぞ、風呂入ってこい」
「え、ウソ」

 渉は肩を上げてTシャツの袖の匂いを嗅いでみる。そうか、こんな格好であんなに綺麗な茅子に触ろうとしたのだから、俊に怒鳴られたのも仕方ないかもしれない。

 頭からシャワーを浴びると、昨日からの物思いが泡と一緒に溶け出すように感じた。残ったのは顔を真っ赤にして俯いていた茅子と、なんだか寂しそうだった清水の微笑み。

 夕飯は天丼だった。さっぱりしたメニュー続きだったのに、いきなりのがっつり系登場にヘビーだよ、と心の中で突っ込む。やりとりから察するに、父親がそうめんにはもう飽きたと口を滑らせ母親がキレた結果、揚げ物投入となったようだ。自分だって揚げ物鍋の前で暑かっただろうに。

「お、やったね。がっつり食べたかったんだ」
 沈鬱な顔つきの父親に気づきもせず真美はぱくぱくと嬉しそうに天丼を食べていた。なんだかんだ渉もすぐに平らげ、早々に自分の部屋に引っ込んだ。

 ベッドに寝転んでスマートフォンを手に取る。不在着信の表示に心臓が跳ね上がる。一緒に体も跳ね上げて上半身を起こし、渉は画面に見入った。

 ほんの十分前に茅子から着信が入っていた。「増田茅子」という表示を食い入るように見つめる。箱根旅行に先立ってラインで連絡先を交換してはいたが、公私混同だと思われたくなくて「よろしく」のスタンプを送ったきりでやりとりはしていなかった。

 どどどどどうしよう、電話、折り返し電話をしなければ。画面をタップしようとした瞬間、指が触れる前に表示が通話画面に変わる。着信音が鳴り出すより先に、渉は受話器のアイコンを押していた。

「もしもし!」
『あ……』
 びっくりしたような声が漏れ聞こえる。
「高山です」
『あ、はい。増田です。何度もすみません。今、話してもいいですか』
「うん、大丈夫。足は平気?」
『ただの靴擦れですから。あの。それより、今日はすみませんでした。一生懸命修理してくれてたのに、わたしは遊びに行ったりして。恥ずかしいです』

 声の調子から、茅子がまた泣きそうな顔をしているのではないかと思った。
「なんか、行き違いがあったみたいだし。大体、遠藤のせいなんだよ。俺は気にしてないし」
『…………わたし、またやっちゃったなって。調子に乗って、気遣いが足りなかったなって』
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