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第五十一話 誘惑

51-2.負けそう

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 巽が戻ってきて対戦を再開する。心ここにあらずで眺めていると、見透かすように兄が見つめてくる。
(負けそう)
 思っていたら、村上達彦の顔が浮かんでくる。ふっと笑いが漏れる。
 やっぱりお見通しのように巽がかすかに眉を顰めた。




 イブには恒例のロータスでのパーティだ。夕方には常連客が集まってくる。池崎正人が着いたとき、ちょうど店から美登利が出てきた。
「いらっしゃい。お料理できてるよ。食べててね」
「先輩は?」
「買物。スパイスのストックがなかったって」
「俺も行く」

 川向こうの輸入食材の店まで歩く。美登利は暖かそうなベンチコートを着ているが、手が冷たそうだ。両手を握り合わせているのを見て、正人は上着のポケットに突っ込んであった手袋を差し出した。
「使う?」
「……」
 アーガイル柄の入った黒い手袋。少し見つめて、美登利は首を横に振った。
「貰ったの?」
「うん」
「良かったね」
 それから足早に食材店に向かった。

 帰りにも無言のままの彼女の気配を窺って、正人は思う。彼女なら察したはずだ。手袋の送り主が小暮綾香だと。なのに何も言わない。前回の旅行のときのように拗ねて見せてくれない。
 自分のそんな考えを自覚して正人は恥ずかしくなる。そうだ。わざと美登利に手袋を見せた。そんなことを自分がするとは思わなかった。

「ただいま」
「おう。チキンが焼けたぞ。角のばあさんの分だ」
 店に戻るなり琢磨に袋を渡されて、美登利は苦笑いしながらサンタ帽を被る。
「ちょっと配達してくるね」
 言い置いて今度はひとりで店を出ていった。

「池崎くん。こっちおいでよ」
 船岡和美に呼ばれて、正人はカウンターに座った。
「飲むか?」
「いえ」
 琢磨に答えながら上着を脱ぐ。ポケットから手袋がのぞいた。それを見て和美が笑う。
「それもう渡されたんだ。嬉しいでしょ?」
 にやにや笑う和美に、正人はきょとんとなる。

「美登利さん、あれこれ悩んでたんだよー。池崎くんの好みはまだよくわからないからって。へんな気使っちゃってさ、そういうとこ意外と乙女なんだよねー」
 すうっと、血の気が引いていくのがわかった。
「気、使って……?」
「うんうん。変な人だよねえ。ほんと美登利さんておもしろ……」

 皆まで聞かずに正人が飛び出していってしまう。和美が驚いて見送っていると、しばらくして村上達彦が入ってきた。
「池崎がものすごい勢いで角に行ったけど」
「はあ、なんでしょう……」
 そう言う達彦は、今年は花束を持っていない。
「どういう心境の変化だ?」
 勝手にカウンターに水割りを出しながら琢磨がにやりとする。
「辞め時がわからないだけだって言っただろ」
 ネクタイを緩めながら達彦はグラスを引き寄せる。
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