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第五十五話 悪戯

55-1.かわいいね

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「へえ、かわいいね」
 生まれたばかりの甥っ子の画像を見せると、中川美登利は子猫を愛でるような口振りでそう言った。
 確かにかわいいと思う。生命の神秘を感じる。生後一か月にも満たない新生児は独特の動きを見せ、この子は今本能だけで生きているのだろうと感じさせた。だから動物を可愛がるような美登利の感想は正しいのかもしれない。

「もしかして子ども嫌い?」
「そんなことないよ。話が通じるようになれば好きかも」
 それは思い切り拒否しているのではないのか。池崎正人は不穏な気持ちになって携帯をひっこめる。
 美登利はうつ伏せで頬杖をついていた肘を外して枕のなかに顔をうずめた。
「眠い?」
「うん……」

 甥が誕生したこともあって春休みに一度は帰省したが、やっぱり居心地が悪くて正人は早々に実家を出てきてしまった。美登利は笑って一泊旅行を提案してくれた。
 また桃の花見に出かけて今度はワイナリーで試飲をして回った。ひとつ年を重ねたことがこんなに嬉しいことはない。
 美登利はずっとはしゃいでいたのに今は疲れたように目を閉じている。

 正人は掛布団を彼女の肩に引き上げる。布団の上からそっと腕を回すと少しだけ瞼を上げて正人を見た。
「就活始めるの?」
「そうだね」
「忙しくなるね」
「……うん」
「大事なことだからね」
 半分夢の中にいるような声でささやいたと思ったら、彼女は寝入ってしまった。

 枕と布団の間から少しだけ除く白い顔を見ながら正人は思う。
 こうやって、後を追うことしかできない。彼女と同じ年に生まれたかった。一ノ瀬誠と肩を並べたかった。そうしたところで問題は変わらなかっただろうけど。
 頬を寄せて彼女の寝息を感じながら正人も目を閉じた。




 課題の提出や試験が終わって今年度の授業はすべて終了し、校内は閑散としていた。付属図書館が開館している間に資料を集めておこうと美登利は学校に足を運んだ。

 持ち出し禁止図書の欲しいページのコピーを取る。書架とコピー室を行ったり来たりしていて気がついた。
 群書類従の自分の欲しい巻が抜けている。誰か使っているのだろうか。どうせなら学校に人もまばらな今日、全部揃えてしまいたかったのに。
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