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都会編
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明彦が元の職場に戻って半年が過ぎた。春が過ぎてもう夏も終盤にかかった頃だ。春先に戻って来た明彦を上司である笠原は手厚く迎えてくれたのだが…
「お前、なんでそんなに前と変わらないんだよ」
笠原が頭を抱えながら机に顔を伏せた。手元には明彦が作成した資料。笠原は資料を見た後渋い顔をしていた。
「変わってないんならいいんじゃないんですか」
「何気に自分を褒めんなよ、俺は呆れてんの。…だいたいお前向こうにいた時にすごい評価良かったんだぞ。なのに何でこっち戻って来た途端、やる気なくしてんの」
この資料だって間違いはないけど、内容的には新人レベルだぞ、と笠原は明彦を見た。
「はあ…」
笠原はまだお小言を続けようとするも、昼休憩のチャイムでとりあえず明彦は逃げることが出来た。
『お前をこっちに呼ぶ時に出向先から評判も良いし良い仕事をするから、そちらに返したくないって言われたんだ。どれくらいお前が成長したのかと思って楽しみにしてたのに、変わってねえじゃねえか』
もう何回言われたか覚えていないほど、何度も聞いた言葉だ。勝手に帰ってこいと言われ、勝手に期待されて。
憮然としている明彦に、隣の席の松浦が話しかけて来た。松浦は明彦と同期でずっと同じ課に勤めている。
「東條、また言われてたなー。笠原さん、たまーに面倒臭いとこあるよねえ…」
まあメシ行こうぜと松浦。今日は定食屋が安い日だ。オフィス街のランチタイムは戦争だ。
この街はサラリーマンを狙った定食屋が多いとはいえ、絶対数が少ないので気を抜くと争いに負けてしまう。明彦と松浦は何とか争奪戦に勝利して椅子に座る。今日は塩さば定食だ。
「しかし、会社もひどいよな。突然出向させて軌道に乗ったら戻ってこいだなんて」
鯖をつつきながら松浦が言う。春先に戻って来た時、松浦は何かを察してくれたのか二人で飲みに行ったことがある。その時、かなり泥酔してしまった明彦は荒れに荒れたのだ。
「まあ、もういいけどね。元に戻っただけだし」
味噌汁をすすりながらそう言う明彦にふうん、と松浦が何かを言おうとした時、携帯が鳴った。
「あ、ちょっと出てくる」
松浦は携帯を持ち慌てて外に出て行く。そう言えば自分がいない間に、恋人ができたんだと言っていたがその彼女だろうか。ふと定食屋の窓から外を覗く。ビルの間に植えられている樹木の緑が眩しい。
(春が来て何よりですな)
味噌汁がほんの少しだけ、しょっぱく感じた。
会社帰りに近所の地方都市アンテナショップに寄るのが明彦の楽しみだった。そこには、赴任していた街の名産物が置いてある。中には生産者の顔写真が貼ってあり稀に知っている顔があるのだ。
今日、見つけたのは山野夫妻だった。
(こう言えば漬物やってたな)
商品を手に取り、ふと明彦は微笑む。半年しか経っていないのに、とても懐かしく思える。
「何、知り合いの人?」
隣から松浦が覗き込む。松浦は以前、明彦の家で家飲みした際に使った、この地方都市の卓上醤油が忘れられないらしく、それを購入したこの店に一緒に来たのだ。
「ああ。神楽の団長さんだよ」
「カグラって、東條がはまってたやつ?こないだ検索して動画見たけどすげーな」
このショップにも神楽関連の商品やポスターが貼ってある。
「DVDとかもあるんだなあ、東條買わねぇの」
「別に、離れたしね。買うほどじゃないし」
「ふうん…」
そんなものかね、と松浦が呟く。
実際、ネットで動画を見たところであの本物に叶うわけもない。画面の中の神楽は明彦にとってどうでも良かった。こっちに戻る前、春になったら公演が増えると山野が言っていた。正直、新幹線を使って観に行けない距離ではない。
ただ、もう観に行けない理由がある。
酷いことを言って置き去りにした大和が演じる神楽を平気な顔して観に行けるほど図太い神経はしていない。
結局、明彦は神楽を、大和を忘れられないのだ。
「これで美味しい冷奴が食べられるよ!」
レジを済ませて松浦が嬉しそうに醤油の入った袋を頬ずりする。
「それで彼女に手料理とか作ってもらうんだろ?彼女、バスガイドさんらしいじゃん」
「え、えええ???何で…」
明彦がそう言うと、松浦は顔を真っ赤にして慌てていた。店のドアを後ろ手に開けながら明彦は笑う。
「何でもバスの営業所に嬉しそうに行くお前、目撃されてたらしいよ」
「あ、東條、前に人がいるよ」
松浦の言葉に、慌てて明彦は前を向くがトン、とぶつかってしまった。
「すみませ…」
ぶつかったパーカーからほんのりと香るのは懐かしいタバコの香り。
顔を上げてぶつかってしまった人を見て、明彦は愕然とした。
「…大和?!」
「お、お前…!!明彦!」
何で、と言う前に明彦はダッシュで走る。
「逃げんな!」
逃げる明彦を追う大和。
「…ええと…?」
後に残るは、松浦一人。事情は分からないけどとりあえず自分も追っかけてみようと呑気に二人を追いかけて行く。
「お前、なんでそんなに前と変わらないんだよ」
笠原が頭を抱えながら机に顔を伏せた。手元には明彦が作成した資料。笠原は資料を見た後渋い顔をしていた。
「変わってないんならいいんじゃないんですか」
「何気に自分を褒めんなよ、俺は呆れてんの。…だいたいお前向こうにいた時にすごい評価良かったんだぞ。なのに何でこっち戻って来た途端、やる気なくしてんの」
この資料だって間違いはないけど、内容的には新人レベルだぞ、と笠原は明彦を見た。
「はあ…」
笠原はまだお小言を続けようとするも、昼休憩のチャイムでとりあえず明彦は逃げることが出来た。
『お前をこっちに呼ぶ時に出向先から評判も良いし良い仕事をするから、そちらに返したくないって言われたんだ。どれくらいお前が成長したのかと思って楽しみにしてたのに、変わってねえじゃねえか』
もう何回言われたか覚えていないほど、何度も聞いた言葉だ。勝手に帰ってこいと言われ、勝手に期待されて。
憮然としている明彦に、隣の席の松浦が話しかけて来た。松浦は明彦と同期でずっと同じ課に勤めている。
「東條、また言われてたなー。笠原さん、たまーに面倒臭いとこあるよねえ…」
まあメシ行こうぜと松浦。今日は定食屋が安い日だ。オフィス街のランチタイムは戦争だ。
この街はサラリーマンを狙った定食屋が多いとはいえ、絶対数が少ないので気を抜くと争いに負けてしまう。明彦と松浦は何とか争奪戦に勝利して椅子に座る。今日は塩さば定食だ。
「しかし、会社もひどいよな。突然出向させて軌道に乗ったら戻ってこいだなんて」
鯖をつつきながら松浦が言う。春先に戻って来た時、松浦は何かを察してくれたのか二人で飲みに行ったことがある。その時、かなり泥酔してしまった明彦は荒れに荒れたのだ。
「まあ、もういいけどね。元に戻っただけだし」
味噌汁をすすりながらそう言う明彦にふうん、と松浦が何かを言おうとした時、携帯が鳴った。
「あ、ちょっと出てくる」
松浦は携帯を持ち慌てて外に出て行く。そう言えば自分がいない間に、恋人ができたんだと言っていたがその彼女だろうか。ふと定食屋の窓から外を覗く。ビルの間に植えられている樹木の緑が眩しい。
(春が来て何よりですな)
味噌汁がほんの少しだけ、しょっぱく感じた。
会社帰りに近所の地方都市アンテナショップに寄るのが明彦の楽しみだった。そこには、赴任していた街の名産物が置いてある。中には生産者の顔写真が貼ってあり稀に知っている顔があるのだ。
今日、見つけたのは山野夫妻だった。
(こう言えば漬物やってたな)
商品を手に取り、ふと明彦は微笑む。半年しか経っていないのに、とても懐かしく思える。
「何、知り合いの人?」
隣から松浦が覗き込む。松浦は以前、明彦の家で家飲みした際に使った、この地方都市の卓上醤油が忘れられないらしく、それを購入したこの店に一緒に来たのだ。
「ああ。神楽の団長さんだよ」
「カグラって、東條がはまってたやつ?こないだ検索して動画見たけどすげーな」
このショップにも神楽関連の商品やポスターが貼ってある。
「DVDとかもあるんだなあ、東條買わねぇの」
「別に、離れたしね。買うほどじゃないし」
「ふうん…」
そんなものかね、と松浦が呟く。
実際、ネットで動画を見たところであの本物に叶うわけもない。画面の中の神楽は明彦にとってどうでも良かった。こっちに戻る前、春になったら公演が増えると山野が言っていた。正直、新幹線を使って観に行けない距離ではない。
ただ、もう観に行けない理由がある。
酷いことを言って置き去りにした大和が演じる神楽を平気な顔して観に行けるほど図太い神経はしていない。
結局、明彦は神楽を、大和を忘れられないのだ。
「これで美味しい冷奴が食べられるよ!」
レジを済ませて松浦が嬉しそうに醤油の入った袋を頬ずりする。
「それで彼女に手料理とか作ってもらうんだろ?彼女、バスガイドさんらしいじゃん」
「え、えええ???何で…」
明彦がそう言うと、松浦は顔を真っ赤にして慌てていた。店のドアを後ろ手に開けながら明彦は笑う。
「何でもバスの営業所に嬉しそうに行くお前、目撃されてたらしいよ」
「あ、東條、前に人がいるよ」
松浦の言葉に、慌てて明彦は前を向くがトン、とぶつかってしまった。
「すみませ…」
ぶつかったパーカーからほんのりと香るのは懐かしいタバコの香り。
顔を上げてぶつかってしまった人を見て、明彦は愕然とした。
「…大和?!」
「お、お前…!!明彦!」
何で、と言う前に明彦はダッシュで走る。
「逃げんな!」
逃げる明彦を追う大和。
「…ええと…?」
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