シャーロキアンの事件簿

書記係K君

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■第一部 R大学時代の友人「ワトスン君」の回想録より復刻

14.

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■14.恋心のねじれた男 -The Man with the Twisted Love-


   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇


 物語の”主人公”と行動を共にする”相棒役”や”親友役”を『サイドキック-sidekick-』と云う――
 時には超人的になり過ぎる”主人公”の代わりに、読者が感情移入しやすい性格に落とし込まれ、かつ”主人公”に質問を訪ねることで物語の解説を促したりもする。数多くの名作で採用されている人物造形手法の一つであり、その最たる代表例が――まさに”名探偵ホームズ”とその相棒”ワトソン博士”であろう。

 名探偵ホームズとワトソン博士の間柄は、時にコミカルに描かれる。
 代表例としては――”女性関連”――であろう。ホームズは女性嫌いな傾向があり、女性関連で何かあるとよく”ワトソン君、君の出番だ”と言って、押し付ける場面が見られる。また、ワトソン博士は”メアリー夫人”と初めて出会った時、その美しさを表現するために――”数多くの国と三つの大陸にまたがる女性経験の中で”――彼女ほど素晴らしい女性はいないと記述しており、これを読んだ読者は”ワトソン博士、どんだけ女好きなんだよ!”と思ったものである。もっともこれは”女性嫌い”なホームズとの比較でそう見えるだけで、ワトソン博士の”女好き”ぶりは極々一般的なものだ、と主張する者もおり、どちらを信じるは各個人にお任せするものとする。以上、余談である。


 さて、そんなワトソン博士は『四つの署名-The Sign of Four-』事件にて、メアリー・モースタン嬢と運命的に出逢い、物語の終幕にて求婚――彼女と結婚する事になる。
 この求婚に至るワトソン博士の葛藤も良い。
 謎の財産相続を提示されて困惑する相談者メアリーに対して恋をするも、ワトソン博士は”財産目当て”と思われたくないと沈黙を貫く――そして、その財宝が全て河底に沈んだと聞かされて、初めて恋心を告白する終幕――ホームズ作品でも希少なラブロマンス物語なのだ。

 ワトソン博士とメアリー夫人の夫婦仲は非常に良好だったと、あらゆる”愛好家”シャーロキアンがそう証言してくれるはずだ。
 先ほど問題となった短編『唇のねじれた男-The Man with the Twisted Lip-』においても、ワトソン博士は――”まるで鳥が灯台に向かうように、悲嘆に暮れた人間が、私の妻メアリーの元へ来るのは、いつものことだった”――と、誇らしげに語る記述がある。何とも羨ましい夫婦愛だ。だが、それゆえに…――


「世界中のシャーロキアンが、ワトソン博士とメアリー夫人は”理想の夫婦”と思っていた。
 それがゆえに――”メアリー夫人の「ジェイムズ-James-」発言問題”――に関して説明がつかないことに、世界中のシャーロキアンは頭を悩ませた。そして諸説ある中には……たしかに”メアリー夫人の昔の恋人名の失言説”や、”メアリー夫人の浮気相手の失言説”もあったらしい。それがまた論争を招き、当時は諸説紛糾したとかしないとか……」

 俺の話を聞いて、めぐみは「そうですよねぇ…」とうんうん頷いている。

「当初、世界中のシャーロキアン達が支持したのは――”メアリー夫人の失言説”と”著者ドイルの誤記説”だった。
 だが、”メアリー夫人の失言説”に関しては、メアリー夫人の交際経験などは語られておらず証明できなかった。
 次に、”著者ドイルの誤記説”だが……これはドイル氏がポーツマス在住の時にポーツマス文芸・科学協会に入会しており、そこでジェームズ・ワトソン医師と友人関係にあったとか。で、ドイル氏はホームズシリ-ズを執筆する際に、友人から”ワトソン”姓を拝借して登場人物に”ジョン・H・ワトソン”と名づけたが……『唇のねじれた男』のメアリー夫人の台詞にて、うっかりモデルの本名を呼ばせてしまったのではないか――という説だな」

「おおっ、わたし的に”メアリー夫人の失言説”はイヤですけど……”著者ドイルの誤記説”は説得力がありますねぇ……」
 俺の言葉を聞きながら、めぐみが感心した様に「ふむふむ」と頷き返す。
 ちなみにこの説は、ミステリー文学評論家の中島河太郎氏が主張されたものだな。

「だが一方で、こんな話もあるんだ――。
 何でも出版社側が『唇のねじれた男』の当該部分に関して、”誤植ではないか?”と著者のドイル氏に問い合わせたらしいんだが、ドイル氏は”これで問題ない”と訂正を拒否した、という逸話があるんだ」

「えっ、それって……」
「そう、つまりドイル氏は……この”ジェイムズ-James-”は誤植ではない、と主張したわけだな」

 めぐみは「話が違うじゃないですか…」と言わんばかりに、隣に座る俺の顔にジト目を向けてくる。やめれ。ちゃんと説明するから。


「ところが事態は急変する。一八九一年に『唇のねじれた男』が発表されてから約五十年後……シャーロキアンでもあった推理作家ドロシー・L.・セイヤーズが研究論文「ドクター・ワトソンの洗礼名」を発表したんだ。その論文内でドロシー氏は――”ジョン・H・ワトソン”氏のミドルネーム『H』は『ヘイミッシュ-Hamish-』である――と主張した」

「へいみ…しゅ……?」
「スコットランド起源の英語の男性名だ。ゲール語の『シェイマス-Seamus-』が英語化したもので……これは英語の男性名『ジェイムズ-James-』に相当する。つまりワトソン博士のフルネームは――”ジョン・ヘイミッシュ・ワトソン”――という事になる」

「あ、えっ……それじゃあ、メアリー夫人は――」
 俺の説明を聞いて、めぐみが息を飲むように驚き、瞳を丸くする。

「ああ。昔の恋人や浮気相手の名前を失言したわけじゃない……大好きな夫の事を、ふたりにしか分からない”愛称”で呼び合っていた……という”説”だな」

 推理作家ドロシー・L.・セイヤーズ氏が発表したこの研究論文は、世界中のシャーロキアンから祝福をもって迎えられた。こういうのを待っていたと言わんばかりに。

 この説が多くのシャーロキアンから支持を得られた要因として、著者のドイル氏がスコットランド・エディンバラの生まれであり、この説の信憑性が高かった事もある。また、なぜメアリー夫人が「ジョン」と呼ばないかについて、彼女の父親の死に関係した「ジョン・ショルトー少佐 」と同じ名であるため、気遣ったのではないかという補足説明もあって、この説は多くの賛同を得るに至った。

 だがそれ以上に……世界中のシャーロキアンは期待してたのではないだろうか。
 世界中のシャーロキアン達が”理想の夫婦”だと思っている”ワトソン夫婦”を、心から祝福できる様な、そんな”仮説”が現れることを…――。

 シャーロキアン達は”終わりなき知的遊戯”を楽しむ集団である。
 ゆえに彼らは、諸問題に対して”解決済み”として”謎解き”を放棄する事はまずありえない――のだが。そんな彼らをして――”ジョン・H・ワトソン氏のミドルネーム問題”ならびに”メアリー夫人の失言問題”――これらに関しては――”謎は解けた”――と考える者も多い。
 シャーロキアン界隈を見渡しても、これほど世界中に知れ渡り、且つ、万人に受け入れられ、祝福されている”謎解き”を俺は知らない。



   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇



「はぁ~素敵なお話ですねぇ~…だんぜんっ私も”ヘイミッシュ説”を推しますよっ!」

 俺の話を聞き終えて、めぐみが感動に瞳を潤ませながら、両拳をグッと握り締めて高らかに宣言する。まあ喜んでくれたようで、何よりだな。


「……ちなみにですねぇワトスン先輩っ、実はわたしの名前も、ちょこっとモジれば――”メアリー・モースタン”――になるんですよ?」

 んっ?
 ――ああ。たしかに「めぐみ」は漢字で書けば「メアリー」と読めなくもないか。
 でも苗字の「門石」は……「もん+ストーン」で「モースタン」か?

「いや、ちょっとムリヤリな気がするなぁ……」
「……んもうっ、先輩はデリカシーが無いですねぇ!」

 俺が正直に感想を伝えると。
 めぐみがプイッと顔をそむけてしまった。なにを怒ってるんだ?

 へそを曲げてしまったゼミの後輩・門石かどいしめぐみを横目に見ながら、俺はこっそり溜め息をこぼす。
 とその時――スズカケの並木道にチャイムの音色が鳴り響く。

「さて、ゼミの時間だな。いつまでスネてんだ、先に行くぞ?」
「あっ、ちょっと待って下さいよぉ!」

 俺がのんびり歩き始めると、めぐみがその後ろをパタパタと駆け寄ってくる。
 本当に仔犬みたいだな……なんて思いながら、俺はくすりと微笑んでしまう。

 しかし、この時の俺は思いもしなかった。



 ――”ジェイムズ”――



 この名前が、あの”謎かけ”のキーワードになるという事を――。


   ◇◆ ◇◆◇ ◆◇

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