サンキゼロの涙

たね ありけ

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第二章 流しの冒険者

第三十話 希望を託して

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 北の都ノヘの教会の歴史は古い。数百年前にこの街が作られた当初から存在するとされ、この北の地域の信仰の中心的役割を果たしていた。各地の小さな村へ牧師を派遣したり、聖職者による怪我や病気の治療を施すことにより、その存在意義を知らしめていた。

 当初は木造の小屋だった教会は、街の人々からの寄進により今や重厚な石造りの建屋となり、街のシンボルともなっている。そこには聖堂を始め、鐘を鳴らすための塔、懺悔室、宿舎や治療院があり、知らぬものが見れば、さながら領主などの城にも見える。

 その治療院に夕方に運ばれて来た者がいた。水の都キョウの商人の馭者を勤めるギヨームという男だ。連れ添いの女主人は、その男を惑わすような風変わりな格好に似合わず、無事に助けて欲しいと治癒を担当する聖職者に懇願した。その熱意に気圧されながらも、聖職者たちは応急処置をされた男の治療に取り掛かったのだった。




「こいつが報酬だ。やるじゃねぇか、立て続けに三件とはよ」
「うん、何とかなった」
「でも、まだまだ。危なくないようにやりたいんだ」
「悪賢ウォルフも十分に危ねぇんだがよ。青の欅の実力、ランクEだぜ」
「え?」
「だから、今回のでEに昇格だ」
「そうなんだ・・・」

 あまり嬉しさは感じなかった。図らずも予想外に早く昇格したことが、自分たちの実力を過剰に評価されているのではと不安になったからだ。『得体の知れない』Fランクから『仕事はこなす技量がある』Eランクへ。実力主義とは言え、ある程度の回数を重ねないと人間的な信用は見てもらえない。ランクDに至ると、ギルド的にも信頼に足ると扱われる。そういった意味では一歩前進したのだろう。

「まだまだ依頼が来てるからな、もし希望するなら少し手強いのもやってもらうぜ」
「ううん、怪我しないようにする」
「! ははは、嬢ちゃん面白ぇな。そうだ、過信しねぇ方が信頼できる奴になるんだぜ」
「クロエの受け売りだよ」
「ほう、赤毛の。いい先輩を持ったじゃねぇか。独りでハンターこなすアイツのやり方なら、万に一つも失敗することはねぇ」
「クロエ、そんなに優れてる?」
「ああ、お墨付きだぜ。弓の腕も立つが、面倒見も良いし人間的にも信頼できる。『赤毛のハンター』なんて渾名も、俺たちにとっちゃ敬称だぜ」

 なるほど、面倒見が良いのは頷ける。現時点で彼らが目標として挙げる冒険者はクロエ以外にはいない。

「ところでよ、こいつは依頼じゃなく俺からの頼みごとなんだが。そのクロエが最近、顔を見せてねぇんだ。ちょうど、お前さん達が仕事を再開してからだから、そろそろひと月か。仲が良いんだろう? 何かあったのかも知れねぇ、見てきてくれねぇか」
「え、クロエが?」
「場所、教えて」

 有無を言わずカウンターに乗り出した二人は先輩の居所を教えてもらう。面食らったギルドマスターを急かし、地図を受け取ると、足早にギルドを後にした。夕方に帰還していたので疲れはあったが、そんなものは気にならない。大怪我をした男を少しでも早く、と急いだ先の道程よりも、二人の歩調は早かった。




 南地区の端に長屋が並んでいる。この街に住む、あまり裕福ではない人達が住む街区だ。冒険者ギルドの周辺も、所謂スラムと呼ばれる街区だが、そこはギルドを頼って人が集まった結果、形成されたものである。この南地区の端は、街の歴史的に昔からそういった人々が集まる地域だった。

 荒屋とも呼んで良いくらいに隙間風が忍ぶ屋内で、壊れかけたベッドに寝ている女がいた。質素な毛布にくるまって寝ている姿は、まるで野宿をしているかのようだ。

「アデル、アデル。起きろ、飯だぞ」
「もう少し寝かせて・・」
「ダメだ。また夜中に起きちまうだろ」
「けほっ・・うん、起きるよ」

 赤毛のハンターことクロエが声をかけると、彼女と同じ赤毛の女は気怠そうに起き上がった。

「・・ごめんね。なかなか起きられなくて」
「温かいもん食っとけよ。身体を温っためた方が元気になるぜ」
「あ、もしかして干節の雑炊? 嬉しいな」
「美味いよな、これ。ゆっくり食べな」
「うん、ありがと。お姉ちゃん」

 雑炊を木椀に盛り、アデルへ渡す。ベッドに腰掛けると、彼女は匙を口に運んだ。

「熱・・。美味しいね」
「この間、買ったばかりだからな。まだ香りも良いぜ」

 クロエも隣に腰掛けて食べ始めた。クロエが食べ終わる頃に、アデルの腕は半分くらいになっていた。

「お姉ちゃん、ゆっくり食べなよ」
「うーん、癖だよな、早食いは。街の外じゃ、ゆっくりしてると危ねぇからな」
「ふふ、ここはおうちだよ」
「ははは、そうだな」

 自分の後片付けを始めた時だった。ドアをノックする音が聞こえた。

「誰だ?」
(クロエ、いる?)

 ここ暫くで聞き慣れた声。クロエはドアを開けた。目をかけている若者二人が立っていた。

「おう、どうしたんだお前ら。こんな遅くに」
「クロエ、久しぶり」
「マスターから聞いてさ。しばらくギルドに来てないって」
「そうか、マスターが。・・・ここじゃなんだ、中に入れよ」
「ありがとう、お邪魔します」

 中に通された二人は、その粗末な住居に少し面食らった。クロエほどの冒険者がこんな所に住んでいるなんて。台所と机が一つ、椅子が二つ。奥にベッドが二つ。どれも使い込まれて木が磨り減っている。壁の建付けも悪いのか、隙間風が入ってくるのがわかった。そしてベッドで腰掛けて食事をしている女性と目が合う。

「アデル、こいつらはあたしの後輩だ。ほら、この間まで教えてる奴がいるって話したろ。こっちがディアナで、そっちがジェロムだ」
「こんばんは。いきなりでごめんね」
「こちらこそ、こんな格好で・・・けほけほっ」
「おっと、さっきので冷えたか? 肩に掛けとけよ」

 アデルの肩に毛布をかけてやるクロエ。原因を作ってしまったことに少しの罪悪感を抱く。

「あたしの妹でアデルってんだ。しばらく前から病気しててな、面倒見てんだよ」
「それでギルドに来てないのか」
「ああ、ちょっと動けなくてな。あたししか、面倒見れる奴がいねぇんだよ」
「・・・お姉ちゃん」

 アデルは申し訳なさそうな表情で、そんなことを言わなくても、と訴える。クロエはそれを見ないように、食事の済んだ器を受け取り、ベッドへ寝かせた。

「ほら、しばらく寝てろ」
「・・・うん、ありがと」

 背中を支え、アデルを横たえる。自然な動作だが、彼女のその年齢からすると、介助されるほどに具合が悪いこともわかった。

「・・・お前ら、あたしの話を聞きに来たんだろ? ちょっと付き合えよ」
「え? うん、わかった」
「アデル、少し出てくるからな。すぐ帰るから大人しく寝てろよ」
「うん・・」

 細い返事を確認してから、クロエは二人を家の外に促した。先程のように戸を長い時間、開け放してしまわないよう、さっと外へ出た。雪は降っていないが、風が吹く度に肌を刺すような寒さが纏わりつく。クロエは黙ったままさっさと歩き、長屋の路地を出て井戸のあるところまで来た。その井戸も古ぼけた様子で、まだ使えているのか怪しい雰囲気が漂っていた。

「さて・・・ジェロム、ディアナ。さっき見たとおり、あたしの妹は病気なんだ。竜祖病って知ってるか?」
「ええと・・・身体が段々固くなって死んでしまう病気?」
「そうだ、そいつだ。どこで掛かったのかも分からねぇんだが、とにかく1年くらい前にかかっちまった。治すには太陽の雫って薬が必要なんだ」
「その薬、どこかで売ってるの?」
「ああ、西の都セイカイで作られてる希少な薬なんだ。水の都キョウでも売ってるらしいんだが、生憎、この街には無くてな。で、そいつがべらぼうに高い」
「幾らなの?」
「五十万サークくらいする」
「ご、五十万」
「ほんとうに?」
「向こうから来た冒険者に聞いたからな、間違いねえと思う。ずっとその金を貯めてたんだがよ、アデルが自分のことを出来ねぇようになって来たんだ。身体を起こすのも難しい」
「それで付きっきりに・・・」
「もうここを離れられねぇし、金もねえ。八方塞がりなんだ。どうして良いか分からねぇんだ。あいつと一緒だったから、ここまで生きて来られたのによ・・・」

 最後のあたりは蚊の飛ぶような細い声になるクロエ。気丈な女傑と思っていた二人に見せるその弱気な一面は、藁にもすがるような悲痛な叫びにも聞こえた。

「・・・クロエ。私たちが水の都キョウへ行って探してくる」
「行くったって、金はどうすんだよ」
「何とかする」

 ディアナが迷いもせず口にした。ふた月前に初めてあった頃の、怯えるような雰囲気はどこにもない。クロエはその前向きで揺るぎのない表情に一縷の希望を見出した。

「・・・すまねぇ、お前らに頼む。最初からギルドの奴らに頼れば良かったんだがよ」

 クロエがずっと独りで活動していたというのは何度か聞いていた。きっと頼らなかった理由があるのだろう。だが今はその話よりも彼女の妹、アデルを救うほうが先決なのだ。

「クロエ。水の都キョウまで行ってすぐ戻って来るとしても、ひと月半くらいかかる。薬を探すのも考えるとふた月だ」
「・・・アデルは春までは生きていられると思う。医者にはそう言われた」

 絞り出すような声に、無理やり言わせてしまった罪悪感と、絶対に手に入れて戻って来るという使命感が二人に覆い被さった。それはもうすぐ歴が変わる、乾いた夜のことであった。
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