鍛冶屋の時次郎、捕物帳

ぬまちゃん

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八丁堀の旦那

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 おヒサ姉さんに散々もてあそばれて、身も心もボロボロになったオレは、その日の夜はあっという間に寝てしまった。

 気がつくと、もう朝になっていた……。取り敢えず、顔を洗うための水を汲みに外に出て井戸の所まで行くと、おヒサ姉さんが既に水を汲んでいる所だった。

「あ、おヒサ姉さん、おはようございます。今日はよろしくお願いします」

 オレは、昨日の件でチョット卑屈になりながら、おヒサ姉さんに挨拶した。

「おはよう、時ちゃん。もう腹は括ってくれたかい? 今日一日は誰がなんと言おうと、アンタはアタシの亭主だからね!」

 髪の毛をくるりと後ろで結んで、まだスッピンなのに綺麗に見える。こんな美人の旦那になれるのかオレは?

「ハイハイ、分かりました。もう何も申しません。オレも姉さんと同じ船に乗りますよ」

 これから乗る船が泥舟じゃあないと思い込む。

「ところで、時ちゃん。アタシとアンタは年がそんなに離れてないと思うから、姉さんはやめてよね。なんか、アタシが思いっきり年増な感じじゃない。おヒサ、で良いから、そう呼んでね」

 お姉さん、乱れた髪の毛をチョイと直しながら、オレにウインクの仕草をする。

「え!? そうなんですか。オレはテッキリ、大先輩かと思ってました」

 チョット驚くオレ。

「何言ってんの、そりゃあ長屋に住んでるのは長いけど、アタシだってまだ二十歳そこそこだからね!」

 少し意地を張りつつ、賢明に若さを強調するお姉さん。

「えー、ホントですか? オレは今年22ですけど、おヒサさんは?」

 つい、年齢の話をしちまう。女性に年齢は聞くなって師匠の言いつけをすっかり忘れてしまった。

「何言ってんの、アタシも同じだよ、ホントは23だけど。でも姉さん女房は金のわらじを履いても探せと言うじゃない。大体いい感じの年齢でしょう。今日だけと言わず、このまま亭主になる気はない?」

 姉さん、『勝った』って感じで胸を張る。イヤイヤ、そんな薄い着物で胸を張ったらダメでしょう。ただでさえ自己主張している姉さんの胸が、より強調されちまいますよ。

「え? おヒサさん、そんな事言ったら、オレ本気になっちゃいますよ」

 オレは姉さんの張りのある胸を見て、元気になってしまった息子を隠すように、少し前屈みになりながらも精一杯の口調で返事をする。

「まあ、冗談はこれぐらいにして。朝ご飯食べたら、八丁堀まで行ってもらうから、支度しておいてね!」

 イキナリきびすを返して、水桶を持って自分の部屋に戻って行こうとする。

「えー、朝から冗談キツイなあ、おヒサさんは! ハイハイ、じゃあ朝飯食ったら迎えに行きますよ」

 なんか、朝からおヒサ姉さんのペースに振り回されっぱなしだ。

「分かってないわねえ。女の化粧は時間がかかるんだから。まさか、アタシが着替えてる所を、ノゾこうなんて魂胆なの? アタシの裸は高くつくからね!」

 水桶を持ちながら、着物の隙間をチラリと見せる素振りをする。見せたいのか隠したいのか、女っていう生き物は本当に良く分からない。

「アタシの準備が出来たら、時ちゃんの所に行くわよ。それまで、自分の部屋でアタシの着替える所でも妄想しててね……」

 そう言っておヒサ姉さんは、自分の部屋にスタスタと戻っていってしまった。

「おヒサ姉さんには、いつも振り回されっぱなしなんだよなー。でも、美人だし、出てる所出てるし。人情味も溢れてるので、なんか全部許しちまうんだ」

 呆気に取られながらも、おヒサ姉さんからなんか元気をもらった気分になっている。

「じゃあ、姉さんの化粧が終わるまで、ゆっくり朝飯でも食ってるか」

 ……

「お待たせ! さあ、行くわよ」

 姉さんは、オレがゆっくり朝飯を食って、便所に行って、更に、仕事道具の手入れも終わりそうになった頃に現れた。姉さんの言った通り、女の化粧は時間がかかるんだなあ。

 オレとおヒサ姉さんは、二人で連れ立って八丁堀まで向かう。

「そう言えば、今日は弟子のおタマちゃんは休みかい?」

 ふと、凸凹コンビの相方を今朝は見ていなかった事に気付いて尋ねる。

「そうね、なんかお母さんの具合が悪いらしくて、今日はおヒマを下さいって、朝一番に来てね。あの子も大変なのよ……」

 何時も明るいおヒサ姉さんが、少し寂しそうに教えてくれる。

「母一人に娘一人の生活で、しかも母親が具合が悪いでしょ。お江戸では、女手一つで子供を育てるなんてとても出来やしないわよ」

 女が一人、江戸で生きていく辛さを知っている姉さんは、病弱な母を持つ弟子の女の子を気遣うように話を続ける。

「この時代、手に職がない女は、最後はカラダを売るしか無いんだものね。たまたま、アタシと出会わなかったら、おタマちゃんもどうなっていたか……」

 ***

「八丁堀も広いなぁ。おヒサさん、そのお目当てのお屋敷はどこだい?」

 八丁堀には仕事で来る事もあるが、今回は訳ありなので妙に緊張している。

「もうじきよ、時ちゃん。あ! あそこの角のお屋敷よ!」

 おヒサ姉さんが角の家を指し示す。典型的な同心の家だ。例の『同心30俵二人扶持ににんぶち』の門構えだな。

「裏口はコッチよ!」

 ああ、そうか、ワケありだから目立たない様に裏から入るって事か。いつもは、刀や十手の打ち直しを頼まれて来るので、堂々と表門から入ってるもんな。

「さすが、気配りのおヒサ姉さんだ」

「あらやだ。褒めても何も出ないわよ。コッチよ、コッチ」

 そう言いながら、裏から入って、勝手口から台所を抜ける。 台所の水桶で足を洗ってから家に上がる。そこからお屋敷の奥の部屋に回ると、既にお武家様と奥方様が上座に座って待っていた。
 オレとおヒサ姉さんは、廊下で一度止まる。お武家様から、こちらに来いと手招きされてから、部屋の下手側に座る。

「お前が、その髪結いおヒサの亭主か?」

 お武家様は、何かを確認する様に、ジロリとオレを見下す。ここでケンカを買ってもしょうがないが、少しカチンと来る。

「ヘイ、そうでございます、お武家様。して、私の様な町人にどんな用事があるんでございますか?」と、少しとぼけながら、下から睨み返してやった。

「マア、マア。そんな、二人とも睨み合わないで下さい」

 オレと同心の旦那の睨み合いの気配を察して、奥方様が割り込んでくる。

「貴方も、お客様を見下すのはおやめ下さいな。ワザワザ私が呼んで来てもらったのだから、私どもの客人なんですよ!」

 奥方様は凛として同心の旦那に意見する。

「もう、空威張りはやめて、お互い同じ場所に座りましょう!」

 奥方様の方が話が早い。男どもは見栄があるのだが、女は実用的だ。
 お武家様と奥方様は上手から降りて中段に、オレとおヒサ姉さんは下手から中段に座りなおした。

「ところで、貴公らは口は堅いのか? 今から話すことは、他言無用じゃ、もしもお主らから漏れたと分かったら、即刻、わしの刀の餌食にするからな」

 奥方様は、刀に手をかけていきんでいる旦那を抑えながら、こう言った。

「何を言っているの貴方。おヒサさんは、毎月うちに来てくれる馴染みの髪結いなのよ。そこの御主人なら大丈夫に決まっているじゃない。ほら、髪結いの亭主って言うじゃない」

 奥方様……それ、日本語の使い方間違ってます、たぶん……と言おうとしたが、そこはグッと飲み込みこう答えた。

「奥方様、オレは鍛冶屋の時次郎と申します。オレの嫁は髪結いで、亭主は鍛冶屋です」

 ヤバイ、おヒサ姉さんの事を「オレの嫁」って言っちまった。後で恐ろしい事が起こらなければ良いが……

「こう見えても、八丁堀の旦那や、岡っ引きの親分さんから十手や刀の打ち直しの依頼を受けて商売してます。ですから、こう見えても口は堅いです」

 こう言っておかないと、信頼してもらえそうに無いし、そうでもしないと、毎月おヒサ姉さんを人質にされてる様で気分が悪い。

「わかった、わかった。儂も悪かった。儂の物言いが悪かったなら、謝る。このとおりだ。すまぬ!」

 これは驚いた。あの気位の高いお武家様が、町人に向かって頭を下げるなんて前代未聞だ。

 たしかに、八丁堀の旦那衆は、お武家様の中で一番街中を飛び回っているから、考え方が柔軟だと思っていた。しかし、是は是、非は非、を本当に実行できるお武家様は少ないんだ。
 意外とオレは、このお武家さま、好きかもしれない。
 イヤ、男色家の好き、じゃなくて、気に入った方の好きだぜ。オレは、男より女が好きだもの。

「実はだな、話というのはこれの事なのだ」

 そういうと、お武家様は、懐から和紙に包まれた物を取り出して、目の前に置いた。

 お武家様が、包んであった和紙を丁寧に開くと、そこには大量の血痕にまみれた、武士の娘が自決用に持っている短刀が現れた。
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