夢遊病者の夢十夜

文(あや)

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第一夜

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無機質な廊下。冷たいグレーの床の上をふたり並んで歩いていた。彼は胸ポケットから小さい銀の包みを取り出し、わたしに差し出した。銀色の紙の中で二層に重なった板チョコレートが溶けかけていた。薄い茶色と濃い茶色。「いいよ、食べて」そう言われてひと口かじる。重なり合った甘いチョコレートと苦いチョコレート。「これ、甘くて美味しい。半分いりますか?」思わず立ち止まって彼を振り返った。
振り返ったつもりが彼の姿はない。前を向き直ると自動ドアに突き当たった。曲がり角。左に曲がった彼はすでにわたしの前を歩いていた。急ぎ足で追いついてまた話し始める。追いつくまでの間、立ち止まって待ってくれていたのか歩くスピードを調整してくれたのかは、起きたら忘れてしまっていた。これが現実だったなら、想像してみたけれど、もし現実ならきっと角を曲がる前に声をかけてくれる。その場合「いやいや、こっちでしょう。」そう言って穏やかに微笑むのか「そっち、行き止まり。」と堪えきれないみたいに、にやにや笑いを浮かべるのか、そんな些細なことがわたしにとってはとても重要な情報になるんだろう。
おっちょこちょいが少し気恥ずかしくなったわたしは言い訳するみたいに「曲がり角が苦手なんです」と話した。「さっきまで歩いてた道を覚えてられなくて。だからどこで曲がればいいのかもわからないし、さっき曲がった道をもう忘れてる」曲がり角が苦手か得意かなんて実際に考えたことはなかったが、理由にあげたことはいずれもほんとうだ。彼は理解できないようだったが優しい目で見つめてくれた。そうして目が覚めるまでの間チョコレートは手の中で溶け続けた。
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