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23.ラウェルと真実の刃 ①
しおりを挟む僕は大樹の幹から手を離した。大樹からは何も伝わっては来ない。それなのに。
ミツドリたちの嘆きと叫びが僕の耳に張り付いて離れない。
どうして?
⋯⋯どうして?
たくさんの痛みと悲しみが僕の心に流れ込んでくる。
あんなに光り輝いていたものは、もうどこにもない。僕とオリーに優しく触れた羽の温もりは消えてしまった。
オリーが背中から僕の体をそっと抱きしめた。懸命に支えようとしてくれているのがわかる。それでも、心は何も反応することが出来なかった。まるで感情の全てが凍りついてしまったかのようだった。
僕は一体どこに立っているのだろう。自分の立っている場所がゆらゆらと揺れ、今にも全てが崩れてしまいそうだ。
人が発する負の感情は、ミツドリを殺す。でも、それだけじゃない。
⋯⋯ミツドリは、悲しみで己の命を止めることができる。
ミツドリが命の最後の選択を自分で行えるのは、大いなる精霊の慈悲だと大樹が告げる。でも、大樹が見せてくれた物語は、とても慈悲だとは思えない。たくさんのミツドリが絶望の中で自分の心臓を止めた。幼鳥を庇って倒れた一羽の成鳥の姿が瞼の奥に浮かぶ。
侵入者たちが現れる半日前、オリーに抱きしめられた僕に、彼女は優しく微笑んだ。
『おいで、可愛い雛よ。あなたに名を与えましょう。どこにいても幸せに生きてほしい。私たちの希望、ラウェルナード』
群れの中の最年長のミツドリは、生まれた雛に名を授ける。彼らの最後の贈り物は名付けなのだ。僕に希望と名をくれたミツドリも、もういない。
名は宿命を刻む。
僕は一体何の、誰の希望になれると言うのだろう。群れのミツドリたちは、もう、どこにもいないのに。
「ラウェル」
「⋯⋯呼ばないで」
自分の口から出た言葉に自分で驚く。それでも、どうしようもなかった。僕は誰の希望にもなれない。自分の名が嫌だ。何もできなかったのに、誰も救えないのに、何が希望だ。
耳の奥で、ぱきり、と目に見えない音がする。ああ、これは僕の心臓が凍りつく音だ。
「ここに来たら、ラウェルはミツドリたちの過去を知ることになる。きっと辛い思いをするだろうとわかっていた。だから、ずっと迷っていたんだ。でも、ラウェルに話をするためには、どうしても来ないわけにはいかなかった」
柔らかな日差しが降り注ぎ、穏やかな風が吹き抜けても、生の気配がない場所。この地はどれほどの悲しみを抱いてきたのだろう。悲しみは長命な大樹の命すら、削り取っていったのだ。
僕は大樹の幹にそっと口づけた。
ありがとう、と思う気持ちを乗せれば、小さな言葉が返ってきた。
──会えてよかった。⋯⋯私のミツドリ。最後の希望。
大樹の中に残されたきらめきが消える。
僕に自分の記憶を伝えきった大いなる存在は、ゆっくりと眠りにつこうとしていた。
「大樹⋯⋯、希望なんかじゃない。僕は、何の役にも立たなかった。誰の希望にもなれない」
「ラウェル、それは違う」
力の入らない僕の体をオリーが振り向かせた。両肩を掴まれ、蒼空の瞳が真剣に僕を見る。
「オリー?」
「ラウェルがいたから、俺は今日まで生きてきたんだ。ラウェルがいなかったら、俺に生きる価値はなかった」
大げさだ、と言おうと思ったのに、言葉の代わりに涙が頬を伝う。肩に触れるオリーの手が温かくて、いつの間にか冷えた体に少しずつ体温が戻る。オリーの手が、僕の頬を優しく撫でた。指の背でそっと涙を拭われると、目の奥が熱くなって、もっと涙が零れてくる。
少し目を上げれば、優しい瞳があった。いつだって、ずっと僕の側にいてくれた。
「ラウェルは俺の希望だ。側にいてくれるだけでいい。他に望むものなんて一つもない」
僕を見つめるオリーは、息を飲むほど綺麗だった。顔立ちだけじゃない、そこには溢れるほどの真摯な気持ちがあった。オリーの想いが、真っ直ぐに自分に向かってくる。オリーが身を屈めて、僕に顔を近づけた。目の前に蒼空が広がり、互いの鼻先が触れそうになる。
「希望は、お前ひとりのものだとでも言う気か」
静かな声が響き、僕の体はふわりと宙に浮いた。
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