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第三部 父と子
第6話 幻影水晶②
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「ご、ごめんね。シェン」
「なぜ謝る?」
「⋯⋯これ、高かったんでしょう?」
店主は小さな布袋に水晶を入れて、イルマに手渡した。イルマは石の入った袋をぎゅっと握りしめている。
シェンバーは、イルマに向かって微笑んだ。
「値段など問題じゃない。イルマが気に入ったものを贈ることができてよかった」
「ありがとう。⋯⋯なぜかわからないけど、この石を手にしてほっとしてる」
「石に安心するとは不思議だな」
にこっと笑うイルマに、シェンバーはいたく満足した。
──今日はもうこれで帰ろう。早く離宮に帰って、イルマを思う存分抱きしめたい。
「シェンに余計な買い物をさせちゃったし、ぼくも頑張るね!」
「え?」
「まだ、大事なことが終わってないから!!」
イルマはシェンバーの手を握りしめて、颯爽と歩き始めた。
それから正午までの間、シェンバーとイルマは市場を端から端まで歩き回った。
シェンバーたちが南の離宮に戻った時、主たちの帰宅を待っていたレイは目を丸くした。
「⋯⋯すごい食料の山ですね」
「セツが、留守番のお前に食べさせたいと買い込んだ」
シェンバーがさらりと言った言葉に誰もが驚いたが、レイは感激のあまり、キラキラした目でセツを見た。
「そ、そうなんですか!? セツ様、ありがとうございます!」
「へ? え、いや!?」
セツはレイに両手を取られて、うろたえるばかりだ。
何を言い出すのだとシェンバーを見ても、美貌の王子は素知らぬ顔をする。
「⋯⋯シェン。嘘はいけないよ」
「嘘も方便だ。円滑な人間関係の為には必要な時もある。レイは、セツのことになると根に持つからな」
──いつまでも、セツと共に市場に行きたかったと拗ねられても困る。
そう言うシェンバーの言葉に、イルマは、それもそうかと納得した。
市場を歩き回った甲斐があって、イルマとシェンバーは目ぼしいものを手に入れた。
イルマは自分の瞳とよく似た黄金色をした酒を2本、卓の上に並べる。
「以前、父が言ってたんだ。スターディアに留学していた時に、陛下とお忍びで城下や市場によく出かけたって。二人で酔いつぶれて宿屋に泊まって、大騒ぎになったこともあったらしいよ」
その時に二人が気に入った酒は、イルマの瞳の色と同じだったと言う。
ガッザークの商人の店で見かけた途端に、イルマは商人に酒のことをあれこれ尋ねた。
「まさか今も作っているなんて思わなくて、フィスタの父の分も買っちゃった。陛下も懐かしく思ってくださるかな」
シェンバーは、イルマから聞く父の姿が不思議だった。息子の自分は父の後姿しか知らないのに、イルマは全く違う姿を聞いている。
「シェンの贈り物、きっと喜んでくださるね」
イルマに言われて、シェンバーは手元の包みを見た。
「年寄り扱いするなと言われそうだ」
「ふふ。そんなことないんじゃないかな。きっと使ってくださるよ」
それは、手元のものを大きく見せる拡大鏡だ。透明度が高いものは珍しく貴重な一品だった。
──父の好みはわからないが、あったら便利だろう。
そう言って購入すると、イルマは隣で嬉しそうに笑った。
◆◇
どこまでも続く霧の中に、立っている。
誰もいない空間は、暖かくも寒くもない。
ここは、どこだろう。
ぼくは、夢を見ているのだろうか。
ふっと目の前の白い闇が途切れて、輝く黄金の髪が見えた。
ほっそりとした姿はどこかで見たことがある。
ああ、あれはシェンだ。
遠い昔、ぼくがまだ幼い子どもの頃に出会った。
懐かしさに駆け寄ろうとすれば、少年が突然喉を押さえ、体を折った。
体が小刻みに震え、口元から溢れているのは⋯⋯。
ああ、そうだ。あれは悪いものだ。
止めなければ。
早くしないと、間に合わない。
早く、早く。急がなければ──!
◆◇
「⋯⋯マ! イルマ!!」
イルマが目を開けた時、眉を寄せて覗き込むシェンバーの顔が目の前にあった。
がばっと起き上がって、イルマは両手でシェンバーの肌理細かな頬を包む。
「イルマ?」
「シェン、大丈夫? すぐによくなるからね。待って⋯⋯」
そっと唇を重ねれば、イルマの後頭部に回ったシェンバーの手に力が入った。
「⋯⋯ん、ん?」
いつの間にか唇の間から舌がさしこまれ、ゆっくりと口の中をかき回されている。歯の裏側を一つ一つ舐られて、だんだん体が熱くなる。口づけはどんどん深くなり、頭がぼうっとしてくる。
イルマは混乱していた。
シェンバーの腕の中に抱き寄せられて、気がついたら力が抜けている。
「ちがーう!!!」
強引に体を離せば、お互いの口元から銀糸が伝う。シェンバーは長い指でそっと唇を拭った。その艶めいた動作に目を奪われていると、柳眉が少しだけ上がる。
「折角、イルマから口づけてくれたと思ったのに」
「え、えっと。ぼく、寝てたの?」
イルマはシェンバーの部屋の長椅子の上だった。羽枕に囲まれ、体には軽い上掛けがかけられている。隣に座る恋人が優しく髪を撫でてくれた。
「市場で歩き回ったから、疲れていたんだろう。椅子に座るとすぐに寝息をたてていた。急に苦しそうな声を上げるから、心配になって声をかけたんだ」
「⋯⋯そう、なんだ」
立ち上がろうとして椅子から足をおろせば、爪先に何かがこつんとぶつかった。
拾い上げた途端に、白い霧が脳裏に流れ込む。
「幻影水晶⋯⋯」
老婆から買った石が一瞬、光を放った。
「なぜ謝る?」
「⋯⋯これ、高かったんでしょう?」
店主は小さな布袋に水晶を入れて、イルマに手渡した。イルマは石の入った袋をぎゅっと握りしめている。
シェンバーは、イルマに向かって微笑んだ。
「値段など問題じゃない。イルマが気に入ったものを贈ることができてよかった」
「ありがとう。⋯⋯なぜかわからないけど、この石を手にしてほっとしてる」
「石に安心するとは不思議だな」
にこっと笑うイルマに、シェンバーはいたく満足した。
──今日はもうこれで帰ろう。早く離宮に帰って、イルマを思う存分抱きしめたい。
「シェンに余計な買い物をさせちゃったし、ぼくも頑張るね!」
「え?」
「まだ、大事なことが終わってないから!!」
イルマはシェンバーの手を握りしめて、颯爽と歩き始めた。
それから正午までの間、シェンバーとイルマは市場を端から端まで歩き回った。
シェンバーたちが南の離宮に戻った時、主たちの帰宅を待っていたレイは目を丸くした。
「⋯⋯すごい食料の山ですね」
「セツが、留守番のお前に食べさせたいと買い込んだ」
シェンバーがさらりと言った言葉に誰もが驚いたが、レイは感激のあまり、キラキラした目でセツを見た。
「そ、そうなんですか!? セツ様、ありがとうございます!」
「へ? え、いや!?」
セツはレイに両手を取られて、うろたえるばかりだ。
何を言い出すのだとシェンバーを見ても、美貌の王子は素知らぬ顔をする。
「⋯⋯シェン。嘘はいけないよ」
「嘘も方便だ。円滑な人間関係の為には必要な時もある。レイは、セツのことになると根に持つからな」
──いつまでも、セツと共に市場に行きたかったと拗ねられても困る。
そう言うシェンバーの言葉に、イルマは、それもそうかと納得した。
市場を歩き回った甲斐があって、イルマとシェンバーは目ぼしいものを手に入れた。
イルマは自分の瞳とよく似た黄金色をした酒を2本、卓の上に並べる。
「以前、父が言ってたんだ。スターディアに留学していた時に、陛下とお忍びで城下や市場によく出かけたって。二人で酔いつぶれて宿屋に泊まって、大騒ぎになったこともあったらしいよ」
その時に二人が気に入った酒は、イルマの瞳の色と同じだったと言う。
ガッザークの商人の店で見かけた途端に、イルマは商人に酒のことをあれこれ尋ねた。
「まさか今も作っているなんて思わなくて、フィスタの父の分も買っちゃった。陛下も懐かしく思ってくださるかな」
シェンバーは、イルマから聞く父の姿が不思議だった。息子の自分は父の後姿しか知らないのに、イルマは全く違う姿を聞いている。
「シェンの贈り物、きっと喜んでくださるね」
イルマに言われて、シェンバーは手元の包みを見た。
「年寄り扱いするなと言われそうだ」
「ふふ。そんなことないんじゃないかな。きっと使ってくださるよ」
それは、手元のものを大きく見せる拡大鏡だ。透明度が高いものは珍しく貴重な一品だった。
──父の好みはわからないが、あったら便利だろう。
そう言って購入すると、イルマは隣で嬉しそうに笑った。
◆◇
どこまでも続く霧の中に、立っている。
誰もいない空間は、暖かくも寒くもない。
ここは、どこだろう。
ぼくは、夢を見ているのだろうか。
ふっと目の前の白い闇が途切れて、輝く黄金の髪が見えた。
ほっそりとした姿はどこかで見たことがある。
ああ、あれはシェンだ。
遠い昔、ぼくがまだ幼い子どもの頃に出会った。
懐かしさに駆け寄ろうとすれば、少年が突然喉を押さえ、体を折った。
体が小刻みに震え、口元から溢れているのは⋯⋯。
ああ、そうだ。あれは悪いものだ。
止めなければ。
早くしないと、間に合わない。
早く、早く。急がなければ──!
◆◇
「⋯⋯マ! イルマ!!」
イルマが目を開けた時、眉を寄せて覗き込むシェンバーの顔が目の前にあった。
がばっと起き上がって、イルマは両手でシェンバーの肌理細かな頬を包む。
「イルマ?」
「シェン、大丈夫? すぐによくなるからね。待って⋯⋯」
そっと唇を重ねれば、イルマの後頭部に回ったシェンバーの手に力が入った。
「⋯⋯ん、ん?」
いつの間にか唇の間から舌がさしこまれ、ゆっくりと口の中をかき回されている。歯の裏側を一つ一つ舐られて、だんだん体が熱くなる。口づけはどんどん深くなり、頭がぼうっとしてくる。
イルマは混乱していた。
シェンバーの腕の中に抱き寄せられて、気がついたら力が抜けている。
「ちがーう!!!」
強引に体を離せば、お互いの口元から銀糸が伝う。シェンバーは長い指でそっと唇を拭った。その艶めいた動作に目を奪われていると、柳眉が少しだけ上がる。
「折角、イルマから口づけてくれたと思ったのに」
「え、えっと。ぼく、寝てたの?」
イルマはシェンバーの部屋の長椅子の上だった。羽枕に囲まれ、体には軽い上掛けがかけられている。隣に座る恋人が優しく髪を撫でてくれた。
「市場で歩き回ったから、疲れていたんだろう。椅子に座るとすぐに寝息をたてていた。急に苦しそうな声を上げるから、心配になって声をかけたんだ」
「⋯⋯そう、なんだ」
立ち上がろうとして椅子から足をおろせば、爪先に何かがこつんとぶつかった。
拾い上げた途端に、白い霧が脳裏に流れ込む。
「幻影水晶⋯⋯」
老婆から買った石が一瞬、光を放った。
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