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第8話 恨みをまっすぐ見つめましょう
しおりを挟むここは夢の中だ。
望みさえすればいつでも止められる。忘れられる。
わかっているのに、わたしは自ら進んで、その情景の中に足を踏み入れる。目を背けていたい記憶を呼び戻し、なんども、なんども、凝視する。自分のこころに刷り込むように。忘れることを、みずからに禁ずるように。
あの夜も酒が多く振る舞われた。革命軍の重要な戦略目標だったとある地域の制圧に成功したのだ。王室との間でなにかの取引があったとの噂も聞いたが、そういった政治的駆け引きを含めての、大事な勝利だった。
作戦に参加したわたしも、その日は久しぶりに浮かれていた。手ほどきをした術師たちの部隊が大きな勲功を挙げたからだ。彼らの肩を叩き、酒を注ぎ、笑い合い、それは楽しい宴だった。
ふと見上げると、バルコニーにジェクリルの姿があった。
その夜は月がきれいだった。
中庭での宴を見下ろすバルコニーでひとり静かに蒼いひかりを受けて立っている彼の姿は、わたしには月と一体となったひとつの作品に思えた。
革命の赤獅子、灼熱の闘士という二つ名の所以である猛々しい赤い髪が、いまは月明かりに染められ、まぼろしのように不確かに浮かんでいる。彼はなにかに祈るように、誰かを想うように、いつまでもじっと月を見つめていた。
やがて彼は踵を返し、静かに建物のなかに入った。わたしは、その姿を追った。一緒に祝いたかったし、酔ってもいたし、彼がなにを考えているのか、だれを想ったのか、知りたかったのかもしれない。そのときのわたしの気持ちを、いまはもう説明することができない。
建物を降りた彼は、中庭を離れ、城内を横切って別の庭に出た。わたしはなかばいたずらのつもりで、見つかったら謝ろうと考えながら、探知阻害と思考感応の神式を起動してあとを追った。
聖堂の前で彼は立ち止まり、あたりを見回してから、入った。声をかけようと思ったが、彼の沈んだ表情がそれをとどめた。
わたしは聖堂の入り口とは別の側面に背中をあずけ、月を見上げた。思考感応の感度をあげる。いったい自分はなにをやっているんだろう、と思いながら。
彼が目にしている情景が流れ込む。
わずかな光に浮かぶ現神たちの像。そのひとつの背後、現れた入り口を降りていく……これはなんの部屋だろう。置いてあるのは棺……? なかに誰か横たわっている……女性……?
そのとき、わたしの心臓が爆ぜた。
目の前に、巨大な眼が浮かんでいた。赫く、そして昏い、触れてはならない憎悪に溢れた瞳が、わたしを捉えていた。わたしは胸を押さえ、倒れた。呼吸ができなかった。背をのけぞらせ、空気を吸い込もうとした。
エルレア。
けっして、ゆるさない。
あの声が頭の中に響いた。もう忘れかけていたあの声。わざわいの声。どうして、いま。なぜジェクリルが、あの声と……。
思考感応を切ろうとする。できない。相手からこちらが掴まれていた。大量の思念が流れ込んでくる。どれかひとつでも触れれば発狂しかねない、この世にあるべきではない、怨念の具象そのものだった。
自分の中の神式はすべて無効化された。手足をつっぱり、痙攣しながら喘いだ。外観が男性に変化し、すぐに女性に戻り、また男性となり、それを異常な頻度で繰り返して、やがて形状を維持できなくなり、身体が崩壊しかけていることを感じた。
思考が流れ込む。ジェクリルのものではなかった。
なぜ、邪魔をした。なぜ止めた。どうして、拒んだ。すぐそこにあったものを。手が届くところにあったものを。もうすこしで、ひかりに……。
ちがう!
わたしは混濁する意識の中で叫んだ。
わたしは、行ってほしくなかっただけ。一緒にいてほしかっただけ。どうして、そんなことをしなければならないの。どうしてここにいてくれないの。どうして、このせかいではいけないの。
なぜわからない。なぜ、届かない。おまえは……わたしから、あのこを……。
わたしをみて、わたしたちをみて、そっちはだめ、いってはいけない。
おまえがとじたとびらは……あのこを……あのこを!
いけない。いっては、いけない……!
ああ。ああ、あああああああああああ!
遥かな昔を思い出しているような気がしていた。遠い未来を見ているような気がしていた。知っていたし、はじめて耳にする言葉。鮮やかで昏く、激しく輝いて闇に沈む、懐かしい、のろいの声。
閃光が走った。
轟音。遠ざかる巨大な瞳。
はっ、はっ、という浅い呼吸音。それはわたしが発しているものだった。
顔に涙と、吐瀉物とが感じられた。
夜空、月。
横たわって小刻みに震えているわたしを、ジェクリルが見下ろしていた。
「……気が付いたか」
わたしは、目だけでジェクリルを見た。他の部分は動かなかった。
「あの方は戻られた。君がなにを見ていたのかは知らない。君とあの方の関係もわからない。だが、あの方はこうおっしゃった。君を、ずっと見ていろと。なにを選び、なにを望み、どこへいくのかを」
「……」
「わたしと共にいたほうがいい。君は、失われるべきではない」
「……」
「この月は眩しすぎるな。わたしや君のような、人間の外にあるものにとっては」
ジェクリルは立ち去った。見送って、わたしは意識を失った。朝の礼拝にきた神官に発見されるまで聖堂の外に倒れていたらしい。目覚めたわたしは、数日、呼びかけに応えなかったという。
そのあいだ、ずっと考えていた。わたしがどこからきたのか、どこへゆくのか。なにを、護るべきなのか。
答えはすでに置いてあった。おそらく、あのひと、が置いていった。
わたしを試すために。わたしを、のろうために。
神とひとの盟約の<証>。あのひとが望むものは、その滅却の先にあった。
「……ちゃん、ねーちゃん」
薄く目を開けると、コンがわたしの肩を揺すっていた。
「だいじょうぶ……? 泣いてるの? すごく、うなされてたよ」
わたしは身体を起こした。窓からは、あの夜と似た、蒼い月明かり。目をこする。コンを引き寄せて抱きしめた。
「大丈夫。ごめんね、大丈夫」
護るべきものは、ひとつではなかった。
◇
第八話まで読んでいただき、そしていつもエルレアを見守っていただいて、本当にありがとうございます。
あなたのこころにも、エルレアが触れられますように。
またすぐ、お会いしましょう。
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