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第14話 さよならは泣かずに言いましょう

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 <ゼディアの瞳>を手のひらに載せたとき、あの光景、そしてそこで思いだしたことが、同じ密度でもういちどわたしを襲った。

 赫く燃える、巨大な瞳。恨みと怒りと絶望をこめてわたしを見つめる、目。泣き叫ぶわたし。狂おしくさけぶ、母。そうしてすべてが閉ざされて。

 「……君は、見たんだろう? <ウィズスの瞳>を。あの城で」

 わたしの耳元に囁きかけるようにソアがそう言い、わたしは我にかえった。頷く。ようやく呼吸が落ち着いてくる。ソアが鎮静の神式をつかってくれていた。

 「……あるとき、革命軍の指導者ジェクリルのこころを覗いたのです。そこで、わたしを呪う、大きな目に囚われました。そのときに、わたしが何をしたのか、母が……なにをしたのかを、思いだしたのです。思い出させられました」

 わたしは胸に手をあてた。激しく、痛んだ。

 「でも……どうしてジェクリルがそれに……母、ウィズスに関わっているのかはわかりません。でも、彼を支配していたのは、間違いなくあの目でした」

 「ジェクリルはね、死人の長だよ」

 こともなげに言うソア。レリアンもわたしも驚いて見つめる。

 「彼のこともずっと見ていた。幼い頃からね。術師団に入って、あんなことがあって、いまのようになるまで、ずっと見てた。でもどうしようもなかった。ママも僕も、干渉できる事象じゃなかった」

 「……ジェクリルという革命軍の指導者が術師団にいたという噂は聞いたことがあります。ですが、俺の知る限り、そんな名前のものは在籍しておりません。きこえてくる風貌も、まったく見たことがないものです。根も葉もない噂かと」

 レリアンが反駁すると、ソアは首を振った。

 「君も知っているはず。だけど、名前も顔も違うからね。彼は一度、死んでる」

 「……死んで、いる?」

 「そのことはいつか、ゆっくり説明するよ。とにかく彼は、かつて妻と共に、怒りと恨みのなかで生命を失った。妻を救えなかった悔恨とともに。そこに、ウィズスはつけこんだんだね」

 「……」

 「ジェクリルとして甦らされて、妻の生命を戻すことと引き換えに、協力させられている。彼の生命を支えているのが、冥界の女神の象徴、<ウィズスの瞳>だよ。そこにある<ゼディアの瞳>と等しい……いや、それを上回るちからを持つ」

 「……では、今回の一件はその、ジェクリルが企てた、と」

 「さっきエルレアが言ったろう? すべては、ウィズス、冥界を統べるものの意思だよ。ゼディアが支えるこの地上、ひとの世を壊して、あらたにウィズスのちからで満たそうとしている。神々の世とひとの世は、つながっている。地上を支配したものは、神々の世にも影響を持つんだ」

 「……」

 「ウィズスはジェクリルを通じて地上に現した<ウィズスの瞳>、冥界のちからをもって、<ゼディアの瞳>を砕こうとしている。もうひとつの条件、ウィズスの眷属がやっと地上に降りた、この機会に」

 レリアンがわたしの方を見る。見返すことができない。わたしを見る目にどんな色が浮かんでいるのか、昨日までと同じように見てくれているのか、わたしには恐ろしくて確認することができない。

 こんなときなのに、術師団のエーレとして模擬格闘を行ったときの光景を思い出していた。革命軍のエルレアとして、交渉の場で彼の前に立ったときのことを思い出していた。

 どちらも無愛想で、そっけなくて。深い蒼の瞳は、どちらのときにもなんの迷いもなく、まっすぐわたしを見つめていた。わたしは、どの状況でも、どんな場合でも、彼に見られることが、嬉しかった。

 と、ソアがぱん、と手を叩く。ぴくっと身体を動かすレリアンとわたし。

 「さて! ここからどうするかだね。因果の起点と継承は成った。では結果を、だれが、どうやって、導いていくのかな?」

 「……ソアさまのお手で、<証>を護り通される、のでは」

 「これを壊す方法のひとつめ、契約者の破棄の意思って覚えてる? 僕も万能じゃない。ウィズスの手で操られる可能性もあるんだ。ママ……ゼディアはさすがにウィズスの影響は受けないけど、万全を期すなら僕の手元には置きたくない。だから、あの日、君にそれを預けたんだよ。来るって、わかってたから」

 「では、あなたさまに代わり……」

 「もちろん誰かにずっと守ってもらえればいいけど、そうはいかないでしょ。相手は手強いよ。諦めないよ。なんせ、長い長い間、ずうっと待ってたんだからね」

 「……それでは」

 「ふたつの<瞳>のうち、どちらかが破壊されれば、この因果の輪は閉じる。そして壊す方法は、どちらも同じ」

 ソアがそう言い、わたしを見た。

 あるじ、<主人>ソアは、わたしがそれを言うのを、待っていた。

 わたしは、なにもいえなかった。

 ずっと、迷っていた。
 
 いちど決め、またくつがえし、逡巡し、ふたたび決めては後に戻り、諦められなくてもがいて、それでも何度目かにようやく、こころを固めた。

 顔を上げた。

 レリアンの目が、わたしをじっと見ている。

 昨日までと、いままでと、少しも変わらない色。大好きな色。

 わたしは喉元まで別のことばが上がってきたのを、必死に抑えて、言った。

 「……レリアン。いままで、ごめんなさい」

 「……なんだ」

 「わたしは<証>に、<主人>に接するために術師団に入った。男性術師のエーレとして。それは、あなたを利用することでもあった。騙すことでもあった。本当にごめんなさい」

 「……そ、そんなことはいまは……」

 「やるべきことがわかったいま、もうその必要も無くなった」

 「……」

 「わたしは、いかなきゃいけない。わたしにしかできないことをするために」

 「……」

 「ジェクリル……そして、母は、わたしを待っている。わたしがすべてを理解し、ジェクリルの手にある<瞳>を破壊しにゆくのを。<証>を携えて、そのちからをもつわたしがゆくのを。それを利用して、望みを叶えようと企んでいる」

 「……」

 「今度こそ、母を止めなければいけない」

 レリアンがこちらに向き直る。怒っているような、泣きそうな、みたことがない顔を作っている。そんな表情をすることもあるんだ、と場違いな感想を抱いて、それがなんだか嬉しかった。

 「た、倒しにゆくというのか。その、冥界の女神を……。なら……俺も……いや、術師団も王室も、体制を整えて……」

 「あなたを巻き込めない。国も、みんなも。戦争にすることがウィズスの狙い。人の世の混乱に乗じて<証>を破棄するよう導くつもりだと思う。絶対に、それはだめ」

 「……では、では、どうやって……」

 わたしは、笑顔をつくってみせた。涙が滲むが、落ちてはいない。

 「ソアさまが言ったじゃない。これを、わたしがぶつけるの。わたしが望んでそれを行えば、たぶん、向こうのちからの源は、壊せる。そうして、ぜんぶ持っていく」

 「……もっていく……なにを、どこへ」

 「呪いも恨みも、ジェクリルの魂も、わたしの魂も。ぜんぶ、あのひとのところへ」

 レリアンはなにかを言おうとして、言えずに、息をはいた。

 「……あるべきところに、返さなきゃ。わたしにはなんとなく、わかる。ぜんぶが終われば、わたしは帰る。帰らなきゃならない。故郷に」

 「現神のちからを持つ象徴どうしをぶつけたとき、なにが起こるかは僕にもわからない。でも、いまエルレアがいったとおり。おそらく、因果が巻き戻る。神のみわざを初期化するんだ。それを成したものも、無事ではすまないだろうね」

 ソアが空を見上げるようにして言う。

 「ただ、エルレアは、そういう因果の過程でひとの世に落ちた、まぼろしのようなものだ。あるべき場所に、帰ることを定められた存在。だから、ある意味で必然なのかも……」

 「馬鹿をいわんといてくださいっ!」

 突然の大声。レリアンが立ち上がっている。空気が震える。ソアもわたしも呆気にとられて見上げた。遠巻きにしていた聖女たちすら驚き、顔を上げる。真っ赤になったレリアンが怒鳴っていた。

 「なんでこいつがそんな目にあわんとならんのです! 俺にはさっぱりわかりません! 神さまのこととか、ひとの世がどうとか、そういうのもまったくわかりません! でもエルレアは、エーレは、生命をかけて<証>を護ったっ! 呪われるような奴じゃないっ! なんでそんな逆恨みのためにどっかに持ってかれなきゃならんのです!」

 「……レリアン、わかった、すわって」

 わたしが促すと、レリアンははっとした顔になり、がばっと座に戻った。

 「……と、とにかく、納得いきません。理屈に合いません。許せません」

 ソアはしばらく黙ってレリアンの顔を見ていた。わたしは、ふたりの様子を見守るしかない。ソアは顎に指をやり、やがて少し口の端を持ち上げた。

 「ふーん。じゃあ、どうするの」

 「……わかりません。わかりませんが、なんとかします。俺が」

 「なに言ってるのレリアン。これはふつうの戦闘じゃない。あなたががんばってどうこうできることじゃ」

 いいかけて、わたしは口をつぐんだ。レリアンの目が本気だったからだ。この男は、わたしの話を聞いていたのか。ソアがいう創世のひみつを、どう受け取ったのか。

 「……君が、ね」

 ソアはじっとレリアンの顔を見つめていたが、やがて、笑った。

 「……うん、よし。わかった! あ、君たちちょっと、いい?」

 ソアは立ち上がり、後ろに控えている聖女たちに声をかけた。すっと美しい所作で並び立つ聖女たち。

 「はい! 希望者は手を挙げて!」

 ソアがいう。希望者?

 と、もっとも裾にいたひとりの聖女が、わずかに前に出た。

 「ユシアか。いいのかい?」

 「……はい。かねて、エーレさまは存じ上げております」

 ユシアと呼ばれた聖女、居並ぶ聖女たちのなかでももっとも背が低いと思われる彼女は、小さな声で、深く被った純白のフードの奥からこたえた。

 「そうか。君はエーレの採用のときの」

 「はい」

 「それも因果か。じゃあ、決まり!」

 そういってソアがわたしたちの方に向きなおる。レリアンとわたしを交互に見下ろす。ふたりとも、思わず背筋を伸ばした。ソアの声が穏やかで、しかし威厳のあるものに変わった。

 「革命軍の軍師、エルレア……そして、術師エーレ。ひとの世の長として、<ウィズスの瞳>を滅する任に封ずる」

 「……はっ」

 「我が代理として、聖女ユシアをつける。聖女としての経験は浅いが、勁いちからを持っている。きっと、そなたの助けになるだろう」

 わたしは少し迷い、それでもゆっくりと頭を下げた。理屈を超えて、そうせざるを得ないちからが、ソアの言葉にはあった。

 「そして、術師レリアン」

 「はっ!」

 <楽園>守護の術師の顔に戻ったレリアン。深く、深くこうべを垂れた。

 ソアが急に子供の表情をした。にやっ、と笑う。

 「君、クビね」


 ◇

 第十四話、ここまでよくぞお付き合いいただきました。
 本当に、こころからお礼申し上げます。

 今後ともエルレアを見守ってあげてください。
 またすぐ、お会いしましょう。
 
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