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第21話 こころの里に戻りましょう
しおりを挟むエルレアはふたつの轟音を薄い意識の中できいた。抱き寄せられ、あたたかい腕に包まれる。不気味な叫び声。不吉で不快な、ものごとが崩れてゆく音。レリアンがなにかいったと思ったが、聴きとれなかった。
静寂。
じゃり、と近づく足音に、エルレアはようやく目をひらいた。
レリアンの蒼い瞳が彼女に向けられている。覆い被さるような姿勢で、彼は動きを停めていた。二人の横ではユシアが防御の構えをとっているが、やはり凍りついたようになっている。
黒い霧、影のようなものが周囲の構造物を溶かすように拡がっている。しかし、動きはない。飛び散った破片、土埃すら、中空で静止していた。
風景全体がどこか霞んでいるように見えた。
ユトラスが彼女のそばにたっている。エルレアは飛び退ろうとしたが、身体がいうことをきかない。だが、攻撃は仕掛けてこなかった。
もはやひとの形状を留めていない顔の奥で、赫い目だけが昏くひかっている。それは彼女に向けられていない。彼らの横、執務棟のほうを向いていた。薄くひらいたくちから声を出す。耳障りな、砂利を引き潰すような音だった。
「……な、ぜ、とめた」
エルレアはみじろぎし、凍りついたレリアンの腕から溢れるように落ちた。うめく。地に手をつき、なんとか身を起こした。ユトラスと同じ方向に首を振り向ける。
執務棟の門口。ジェクリルはどこか哀しげな表情をして、立っていた。
「……約束と違うからです。わたしのところに連れてくる筈では」
ユトラスが、びゅっ、と奇妙な音を漏らした。それが嘲笑いであることはエルレアには理解できていない。その爛れた肉体は、だが、少しずつもとの形状を取り戻しつつある。
「むだ、だ……このものたちは、ちから、で、従わせる、ほかない」
「ウィズスさまも、わたしも、そのように考えていません」
ジェクリルはそのまま、ユトラスの前にたった。エルレアにとって見慣れたはずの巻いた赤毛が、いまはどこか燻んでいるように見えていた。ユトラスはゆうらと揺れて、首をふった。かおの肉が戻り、冷笑が帰ってきた。
「そこの、女は、聖女だったぞ。<楽園>のな。ゼディアがじかにウィズスさまの前に立ったということだ。この意味が、わかるか」
「……われらは初めから、まつろわぬもの。こちらが踏み出した以上、裁きを行うものたちもまた、同様でしょう」
「さばき!」
ユトラスが甲高い声をあげた。
「古きものが去ってあたらしい世界がくる。裁きとはそれを妨げるものにつかうべきことばだ。違うか」
「わたしには、わかりません。わたしはただ、ウィズスさまのお考えを実現するためにここにいる。その先のことはあなたたちで決めればよい」
「……所詮は、神にもひとにも、精霊にもなりえぬ半端者か。君も、この娘も」
「なんとでも言われるがよい。わたしは、わたしの仕事を全うします」
レリアンはそういい、エルレアのそばに膝を落とした。その表情は、すこし微笑っているようにみえた。
「……久しいな。立てるか」
エルレアは応えることができず、視線を落とした。が、くっと唇を噛み、すぐに真っ直ぐ見つめ返す。
「……王宮のことは、あなたが仕掛けたのか」
ジェクリルはひと呼吸おき、頷いた。
「時期がきたのだ。わたしは、そのように指示されていた」
エルレアは胸に収めている<証>、ゼディアの瞳の所在と、体内をめぐる神式の状態を確認した。ひとりでやれるか。いま、ジェクリルと決戦が可能か。
が、そのこたえは、ジェクリル自身から告げられた。こんどははっきり、微笑しながら、彼は柔らかな声を出した。
「やめておいたほうがいい。君ひとりで、わたしを倒すことはできない。それに……」
そういって立ち上がり、エルレアのほうへ腕を伸ばす。
「一緒にきてほしい。見てほしいのだ、自分自身で」
エルレアは躊躇い、いまだ凍りついているレリアンとユシアを見遣った。彼らは、周囲の世界は変わらず静止している。彼女はしばらく俯いてから、ジェクリルの目を見上げ、頷いた。
エルレアが立ちあがろうとした、そのとき。
「……勝手なふるまいは感心せんな」
ユトラスが手のひらをあげ、エルレアに向けた。集約された膨大な熱量が瞬時に射出される。エルレアは腕をあげて対応する。が、間に合わない。
ジェクリルが振り下ろした手刀がそれを跳ね除け、霧散させた。そのままユトラスの斬撃がジェクリルに伸びる。表情すら変えずに躱したジェクリルは、ユトラスの顎に手を当て、腰を蹴り上げる。回転して地に臥すユトラス。その顔面にジェクリルの左のてのひらが差し向けられる。
ウィズスの瞳。赫く、くらい呪いの目が、ユトラスに向けられている。その表情からふたたび、冷笑が消えた。
そのまま両者は動かない。やがてユトラスがゆっくり身を起こし、立ち上がった。崩壊しかけたその肉体はすでに回復し、最善のしろい髪すら戻っている。それを後ろに撫でつけ、ふっと息を吐く。
「……好きに、するがいい」
歩き出した。周囲の黒い影が少しずつ濃さを増し、彼にまとわりつく。やがて影はその姿を包み隠していった。消えるまぎわ、ユトラスは彼らを振り返った。
「だが、忘れるな。君たちは舞台の中央にいるが、主役ではない。思い違いをしないことだ」
「……」
ジェクリルは答えない。ユトラスはわずかに手をあげ、別れを告げるような仕草をして、闇の帷のむこうに消えた。
ふたたび訪れる静寂。周囲の風景はいまだ暗く霞んでいる。レリアンとユシアを含めたすべては、最前のまま、静止している。
「……歩けるか」
改めて差し出されたジェクリルの手。エルレアは、掴んだ。
瞬時、風が吹き抜ける。
昏く霞みがかっていた周囲の空間に光が満ちる。
執務棟、あたりの建物と倒れている人影がゆらぐ。ゆっくりと色を失う。いまやレリアンとユシアは古びた人形のように見えた。彼らをふくめたすべてが、白い背景に溶け込み、徐々に消失してゆく。
ジェクリルの赤い髪がなびく。エルレアの手を握ったまま見下ろす瞳は、けして獣のそれではなかった。
彼らのちかくに、扉が現れた。
周囲の光が結晶してつくられたとも思える、まったくしろい、しろい扉。
「……怖がることはない。罠ではない」
ジェクリルがエルレアの手を引いたまま囁き、扉に歩みよった。エルレアは迷い、一度は足をとめ、しかし、進んだ。ジェクリルは反対の手で扉の取っ手を掴み、ふたたびエルレアの方に振り返ってから、ゆっくりと引いた。
扉を、くぐる。
風。あたたかな風が、爽やかな草花の香気を運んできた。
扉は彼らの後ろで音もなく閉じた。
陽光がやわらかく降り注ぐ。
小鳥の声が聴こえて、エルレアは振り仰いだ。なにひとつ遮るものがない、ひろく完全な、蒼い空。ちいさく雲が浮かんでいる。
足元の草花は、彼らがたっている丘の上から、眼下のおおきな川のあたりまで続いていた。淡い緑のあいまに小さな白や黄色や、薄い赤の花。遠くには山嶺がたおやかな帯をひいたように悠然とそびえている。
エルレアは息を吸い込んだ。ふっ、と吐く。防御を展開する。なんらかの意識操作が行われていると考えた。
それを感じたのか、ジェクリルが声を出した。愉快そうな笑い声。
「警戒しなくていいっていっただろ」
その声は、エルレアが知っているジェクリルの声とは違った。ことばの調子も異なる。驚いて、彼のほうを振り返った。
ジェクリル……だった男は、無造作に刈り込んだ金髪を照れたように撫でた。面影はある。しかし、おなじ人物ではない。年も少し若い。純朴そうな、優しげな風貌。気がつけば、術師団の黒い制服を身につけていた。
エルレアは躊躇った。
「……ジェクリル、なの、か」
その質問には応えず、彼はエルレアの手を掴んだ。強引に引っ張る。丘を登りはじめた。引く腕には、悪意が少しも感じられない。エルレアは引かれるまま、草が生い茂る丘を登った。
登り切ると、先ほどと似た風景があった。ひろく続く草原、川が流れ、こんどは山々から続く森、果樹林のような木々も視界に入る。
それと、丘の中腹に、しろい人影。
彼らはそのままそちらに向かって歩いた。近づくにつれ、それが女性であることがわかる。黒く艶やかな髪が肩までで揃えられ、白いふわっとした服を纏っている。草の上に腰をおろし、川面を見つめていた。
二人は彼女のちかくで立ち止まった。ジェクリルが、しばらく、確かめるように息を止め、小さな声で、呼んだ。
「アルティエール」
女性はその声にゆっくりと振り返った。髪とおなじ黒い瞳。切れ長の目にかかる前髪を手で押さえ、彼女は微笑んだ。
「レクス。もうお仕事は終わったの?」
ジェクリル……レクスと呼ばれた、金髪の男は、しばらく声を出せずにいた。が、大きく笑って、ああ、と頷いた。
「アルティ。紹介するよ。エルレア。僕の友人だ」
アルティエールはエルレアのほうをみた。小首をかしげるような仕草をして、わらいかける。ほっとするような、穏やかで美しい笑顔だった。
「エルレアさん。素敵な方ね。アルティエールと申します。レクスの妻です」
エルレアの胸元に収めてあるはずの<証>が、揺れた。
◇
第二十一話となりました。
いつもエルレアをみていただき、ありがとうございます。
あなたのふるさと。うまれたところでなく、魂が戻るところ。すこし目を閉じて想い出してください。そこで、あのひとは、どんなかおをしていますか。
あなたをどんな表情で、迎えていますか。
今後ともエルレアを見守ってあげてください。
またすぐ、お会いしましょう。
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