いのち、果つるまで

壱単位

文字の大きさ
上 下
1 / 1

【短編】いのち、果つるまで

しおりを挟む
 おはよう。

 あなたの忘れ形見、あなたがゆいいつ置き忘れた、それ、にキスを落とす。

 どれくらい時間が経ったのか。もちろんバッテリーの容量はまだあるし、わたしの暮らしを支えている冷蔵庫がいかに高出力だったとしても、まだ数十年は十分に稼働するはずだった。だから、時計をうごかすことくらいわけはない。

 でも、わたしは時計を見ない。みたくない。

 あなたとわたしの間の時間は進まないから。

 わたしはゆっくりとベッドから身を起こし、鏡の前で乱れた髪をざっとまとめた。今日も雲ひとつない快晴だ。あの日から、気候はほとんど変化しない。気温はずっと二十五度で一定している。その理由はわからない。

 いつものようにシェルターの階段を四つ降りて、最下層の冷蔵庫にむかった。野菜はもう、何年か前に尽きてしまった。一度は地上にあがって、生野菜は無理としても冷凍のものくらいないものかと思って探したけど、わたしのシェルター以外に形を留めているものは、この地上には存在していなかった。

 しかたなく、でもちょっとした喜びとともに、朝食を取り出す。

 昨日できあがったばっかりの、ハム。わたしの腕よりずっとふとい素材をじっくりと何日も燻して、わずかにのこった香辛料をしっかりつかって。

 うすく、うすくスライスする。パンは圧縮された保存食が数万食分あったから、それを使う。チーズとバターは模造食品ではあったけど、栄養的には等価のものがあったから、それを使う。レタスがないのがほんとうに残念だ。

 右の手のひらにできあがったサンドイッチを載せ、左手には地層から抽出された湧水にビタミン剤を溶かしたものを淹れたカップをもって、窓際に向かう。

 いただきます。

 ああ。美味しい。

 あなたが最後に連れて行ってくれたカフェを想い出す。

 あのころは楽しかった。

 わたしのこころざしに、あなたは大きく頷いて、味方をしてくれた。敵も多かったけど、あなたさえいればどうってことはなかった。

 わたしはとても苦労しながら、難題をたくさんたくさん、乗り越えた。乗り越え続けて、気がついたらあんな場所にいた。

 女性としてはじめての世界大統領、そんな地位につけて、そうして膨大な数の敵を退け続けられたのは、あなたがいたから。

 あなたは就任式のあと、二人きりになったときに言ってくれた。

 君のいのちが果てるまで、僕が護る。僕が、支える。僕が君のいのちになる。

 地上にたくさんあった争いも、いさかいも、すべて解消した。余剰の兵器はすべてわたしが管理する財団に集約した。世界は平和を謳歌した。

 わたしは、幸せだった。あなたが横にいてくれたから。

 なのに。

 どうして、そんなことを言ったのかな。

 きっと、あなたは騙されていたんだ。わたしの敵に。わたしが、そんなことをするわけはないじゃない。戦争を終わらせるためにすべての兵を死なせたなんて、すべての首脳の家族をころして従わせたなんて、あなたとの世界をつくるために、あなただけの世界をつくるために悪魔に祈ったなんて。

 そんなわけ、ないじゃない。

 あなたにそのことを言われた夜に、わたしは、起動した。

 地上は、ぜんぶ焼けた。わたしが特につくらせた、地上すべてを焼き尽くす攻撃に耐えるシェルターを除いて。

 そのボタンを押したときのあなたの顔。わたしは、抱き寄せて、そうして、あなたのお腹に、それを突き立てた。

 お肉、美味しい。

 あなたの太腿が、脾臓が、右腕が、首の腱が、冷凍されたあなたのすべてが、わたしのいのちを支え続ける。

 わたしはもういちど、あなたの忘れ形見にキスをした。

 あなたの頭蓋骨は、いつものように、わたしに微笑んだ。

 


 
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...