1F原発復旧3号機カバー酔夢譚 【11】~【20】

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1F原発復旧3号機カバー酔夢譚 【11】~【20】

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【11】役所の指導通知には勝てない
【12】「命を削って仕事するのですか?」
【13】彼女はあんたのなんなのさ?
【14】無骨伝1
【15】カタコル遮蔽スーツを脱ぐときは月面歩行
【16】唐獅子も神妙な顔つき、一日で一番長い1.5分
【17】無骨伝2
【18】「203高地」
【19】「203高地のウルトラマン作業」
【20】靴から汗100CCドバっと流水落下

【11】役所の指導通知には勝てない
原発構内の作業のうち一日1mSVを超える場合、元請事業者は厚労省へ作業届を出すことになっている。原発の厚労省の窓口は富岡労働基準監督署で、本来は原発自体は電力会社が事業者だが、復旧作業は労働安全衛生法では作業を受ける事業者が労働者の被ばく線量管理をすることになる。法規は労働安全衛生法下の電離放射線規則、通称は電離測という。
その場合作業の被ばく線量予想が1日1mSvを超えるような企業に絞って、元請け企業毎に労基署へ作業届を出すことになる。
3号機建屋復旧作業の通称3号機瓦礫撤去JVでは最初は鹿山社員の安全長が説明に行ったが話が通じないので放射線管理者である瓢タンが届を作成することになった。届出内容は作業員の被ばく線量合計と個人ごとの数値計画だ。
最初の一か月は工事予定もどこまで進むかわからない状態だったので当月15日に被ばく線量集計して残り15日を比例計算して当月予想の届をだした。
計画を出したら実績との比較で1.5倍以内に入っていない場合、理由書を提出しなければいけにというルールになっているから、実績を見てから出せば差異がすくない。
すると監督署の担当役人が言った。
「3号機JVさんは何を考えてるんですか。届と言うのは予定ですから、前月に翌月の計画を出すんですよ。あなたは当月の終わるころに当月の計画をだしているじゃないですか。それは計画じゃなくて実績でしょう。」
企業にも言い訳がある。
「そうは言ってもですね、高線量瓦礫が散乱している状況で来月の計画なんてはっきりしないんですよ。明日なにをするか前の日の実績によって決まるんですから。」
そもそも事故後の瓦礫はその場に行ってみないとどれくらいの線量率かわからない。石ころ一つが100mSv/hなんてざらにある。オペフロ瓦礫に至っては、降ろしてきて初めてその線量率が測定できる。そんなわけで現場ではあちこちで警報オーバーが鳴り響く毎日だったが、実際に作業員の被ばく管理は年間最大50mSvという法令基準を守っている。
黙々と作業して一か月で鹿山建設上限の年度限度40mSvに到達し、故郷に帰った作業員もいた。一か月限度40mSv=年度限度となっているので一年続けるためには作業員自ら「きょうはこれで上限です」と宣言して仕事終いをしなければいけない。
一年経過して3月末を過ぎて4月になれば年度変わりで被ばく線量の年度限度は0にリセットされる。
作業員の多くは北海道や沖縄から来ており長く現場で働きたい作業員は年間40mSv、月3.3mSv、一日平均0.15mSv以内に自己管理している。空間線量率1mSv/hのエリアで作業しても実質一日平均10分弱くらいしか作業ができない。そこで14㎏の遮蔽スーツは必須になる。空間線量率で1mSv/hのところが被ばく線量は0.6mSv/hになるからだ。

「とにかく厚労省本庁からの通達です。もしそれが守れないのならオタクの社長宛に指導通知を出しますよ。」
 
来月予想を前月末に出す。ルールがそうなっているから守るしかない。不慣れな状況だったが3か月目はこれまでの2か月の実績を元に鉛筆なめなめで1.5倍を超えないように計画立てることにした。
計画は作業員の実績平均被ばく線量を一日平均0.15mSv、月の作業日を25日に計算して計画すれば作業ストップもあるので概ね計画値以下に落ち着く。
要は作業員が年間被ばく線量のぎりぎりまで最前線で働くことを想定して計算するだけの事だった。作業工程とか言っても、所詮は被ばく限度までしか作業できないのだから、監督はぎりぎりまで作業工程を進めようとする。
逆に言えば、放射線被ばく集計で作業工程の進み具合もわかる。被ばくと作業進捗は比例するのだった。

【12】「命を削って仕事するのですか?」
8月末に9月の計画を練ってみると作業員の最大の被ばく予定は最大月20mSvを超えていた。2mSv/hの場所で1時間作業すれば一日2mSvで、20日間継続して40mSvになる。
法令年間限度50mSvに対して鹿山基準年間40mSv以内なので法順守ではある。もっとも40mSv達した時点でその作業員は次の日からその年度終わりまで作業ができない。年度変わりの4月1日にはチャラになってまた新年度0スタートできる。
1日2mSvで作業をする場合、一日の計画線量が3mSv設定、APD警報を計画線量×0.7=約2mSvとして計画線量3mSvを超えないように管理するというのが電力会社原発のルールだ。そのためには最大警報を2mSvに設定しておいて警報が鳴ったら作業を止めて速やかにAPDを返却して計画線量3mSvにならないようにする。
実際には作業員も継続的な日当と特別手当がほしいから5年間で80mSVを5で割って年間16mSVを守れるように自分なりの被ばく管理をしてそれ以上の作業をしたがらない。年間16mSvを月にすれば1.3mSv、一日では0.05mSvとなって守るのはほぼ絶望的な数値である。
日当にプラスされる特別手当は原発構内の汚染度エリアの線量率と装備によって3種類に区分され、それぞれ2万円(高汚染:全面マスク、タイベックスーツ)、1万円(中汚染:半面マスク、タイベックスーツ)、5千円(汚染無し一般作業服)となっている。被ばく線量が予定より進んだ場合は、汚染度の低いエリアに配属を依頼する。

提出した鹿山建設の3号瓦礫撤去の放射線作業届を見て担当官は言った。この担当官は霞が関から短期出張で派遣された厚労省の役人だ。
「一か月で上限40mSvは行き過ぎではないですか。その作業員は1か月で作業終わりですか。」霞が関から来た担当官は質問する。
「それは最大値ですので実際にはもっと軽減しますが、これは計画というか予定なので最大限にしました。」と瓢タンが答える。
提出した予定を1.5倍を超えると経緯と対策レポートを出さねばならない。それがまたややこしい、煩わしい。
「実際にはそうはならないと言ってもねえ、被ばく予定をもっと下げられませんかね。作業員さんたちはそれで良いといってるんですか?」
「うちの工事は3号機周辺の線量率が高いので、月限度40mSvは作業契約に盛り込み済みです」
企業側の瓢タンは答える。
すると霞が関から派遣された役人は言った。
「そうなんですか、じゃあ・・・作業員は命を切り売りしてるんですねえ。」
「・・・・?」瓢タン
作業員の被ばくは法令上年間最大50mSv以下という数値で管理されており、その数値は目の前の厚労省が決めたものだ。その数値を守っていれば安全なはずではないのか?瓢タンは行き場のない憤慨を覚えた。それとも目の前の厚労省の公務員は無知なのか。すくなくとも厚労省の基準を守っているのに、当の役人がそれに対して「命を削って仕事してる」なんて、おかしい物言いではないか。
しかし憤慨とは逆に、これが役人か、実際には現場労働をしない人たちか、という諦めの境地で瓢タンは言った。
「法令基準は守ってやっているんですけどね」
瓢タンは皮肉には皮肉で応酬したつもりだったが、通じてはいないようだった。
一か月で40mSv被ばくしたらその年度は作業できない。次の4年間で40mSv、5年間合計で80mSv以内で管理することになる。法令上は5年間で実効線量100mSv。生涯で1000mSv=1Svが放射線作業従事者の許容範囲だ。
宇宙飛行士の生涯被ばく限度は放射線作業従事者よりさらに厳しい。初回飛行が30歳までは0.8Sv、40歳以上の場合1.2vとなり、年齢に依る。30歳以下で一回の宇宙飛行を経験した場合300mSv だと3回は行けない。鹿山建設も基本的には30歳までは1Fの高線量現場に行かせない。
電力会社が作業員に教える放射線AB教育では放射線の確率的影響(将来の致死性癌など)についてはLNT仮説(すぐに発生する吐き気や致死量の7Svなど確定的影響には閾値はあるが、致死性癌など将来発生する確定的影響には閾値がなく1Svで5%、100mSvで0.5%、10mSvで0.05%、1mSvで0.005%と直線的に確率は存在する。)を採用している。
100mSvでは放射線作業従事者の将来致死性癌確率が0.5%だが、放射線の影響がなくても将来というか生涯の致死性癌確率~26%であって、そこへ0.5%の追加は許容できる範囲とみなしている。つまり閾値は無いが許容値があるということになる。
20歳で放射線作業従事して年間20mSvで50年間作業して70歳で1Svとなった場合、70歳以上で致死性癌確率はもともと26%なので、それに対して追加される5%を許容してもらえるだろうと考えている。しかし平均年齢が100歳になったらもっと厳しくなるだろう。
一方作業者は日当と特別手当を稼ぐために仕事を継続したい。作業解雇されると地元など帰ってもすぐには仕事が無いから困る。自分と家族の生活を守るために一か月で2mSv、年間16mSVくらいに収まるように仕事を終わらせる。年間通じて働くことができて5年でなんとか80mSvにしようとして毎日APDの数値を計算しながら作業するのだった。
法令では放射線作業従事者の上限は年間最大50mSv、5年100mSv、年平均20mSv、であって一か月の法令基準というのはない。
基準を守っているのにそれを命の切り売りと言う人と何を基準に話せばいいのだろうか。瓢タンは届出の受付印をもらって割り切れない気分で富岡労基の事務所をあとにした。
帰りながら霞が関から来た役人に言い忘れたと思った。
・・・「月40mSvが命を削る被ばくならば、厚労省はなぜそれを許容しているのか?なぜ規制をかけないのか?法で許して置いてそれを守っている現場を批判するのか?」・・・
その真意を聞き忘れたと瓢タンは後悔しながらハンドルを切った。

【13】彼女があんたのなんなのさ?
9月末のまだ残暑がぶり返す時期だった。瓢タンは10月の放射線作業予定を届けに労基署へ行った。するとそこにはまた新顔の顔の大きな3頭身くらいの役人が座っていた。
3頭身の大きな顔の霞が関から来た役人の名前は三保(さんぽ)と名乗った。
霞が関から派遣された役人で名刺にはわけのわからないいろんな肩書がついていた。ひととおり来月の計画を説明するとその役人は扇子をひらひらさせながら言った。
「月の被ばく線量の限度が40mSvですって?」
「そうです。年間も40mSvで5年間では80mSvですから、法令基準内でやってますよ。」
すると3頭身の大きな顔は扇子を取り出してパタパタ扇ぎながら言った。
「あのさ、もう冷温停止なんだよね。復旧も安定期に入りつつある。」
冷温停止?瓢タンは3頭身の大きな顔の言うことが寝耳に水の驚きだった。3号機の原子炉建屋の屋上からは、夜になればライトに照らされた湯気が立っているのがわかる。昼間は見えないだけで、見えないところを報道放映している。
こんな状況で安定?冷温?たしかにオペフロの使用済み燃料のプールの水からは湯気は立たなくなったが・・・。
さらに3頭身の大きな顔は聞き手の表情を無視するように続けた。
「政府としても原発の安定を国民に宣言しなきゃならない。」
瓢タンは3頭身の大きな顔を見ながら思った、お前いったい何者?役人は政府なのか?・・・。3頭身の大きな顔は得意満面になって演説調で続けた。
「厚労省も労働者の作業環境を保証しなければいけない。月に40mSvの被ばくなんてのは混乱期の数値だ。いまは安定期に入りつつある。したがってそれなりの基準で作業管理してほしい。」
 3号原子炉建屋ではいまだに湯気が立ち上っている。夜間にははっきりライトに照らされる。そんな状態で安定期?どこを見てそんなこと言えるの?と瓢タンは思いながら受け答えをした。
「しかし3号機周辺の線量率が下がっているわけでもないし、オペフロからの高線量瓦礫が降ろされてきて、逆に線量率が上昇しているんですよ。被ばく制限をこれ以上低くしたら作業進捗の保証ができませんよ。」
すると3頭身の大きな顔は扇子をピタッと止めて瞬きを止めて瓢タンを睨みながら言った。
「小宮山も必死の攻防しているんだよ」
瓢タンは訝しげに思った、小宮山洋子?厚労省大臣?彼女があんたのなんなのさ・・・と。
おそらく国会答弁での与党野党の原発批判とのせめぎあいのことだろう。
それにしても目の前の大顔の役人と大臣の関係がわからん、と瓢タンは思いながら聞いた。
「はい、といいますと?」
瓢タンは厚労省の納得できない理由に対して、一応イエスバットの基本的な応答をした。
「だから月の被ばく制限を20mSvにしてもらわなければ困るんだよ」
 だったら法律をそのように変えればいいだろう、と思いながら、作業員の健康のためとか大儀を理由ならわかる。それならば法律規制の改正につなげていける。しかし国会論争の大臣の面子のためというのは納得できない。
瓢タンは応酬した。
「でもこれは申請~承認ではなく、届出ですね、ということは出してしまえばあなた方は受け取らざるを得ないわけで・・・」
すると3頭身の大きな顔は扇子をパタンと閉じてそれを机に叩いてから言った。
「わかった。それじゃあ、そこに置いて行け。俺は受け取らないわけではない、気づかずにそこに置いたままにする。来月になってもそこに置いたまま。だから届けたことにはならん。」
瓢タンは泣く子と役人には勝てないと思った。届けたとは言っても受け取ってもらえないのでは届けたことにはならない。

富岡労基の事務所を出てから瓢タンは声を出して三歩跳ねてみた。
「一歩、二歩、三歩」
 三歩超えても三保の要求が変わるわけでもない。
この問題を瓢タンは持ち帰ってJV現場代表に相談した結果、とにかく受け取ってもらうためには月の作業員の被ばくを20mSvにせざるを得ず、社内でもその制限の中でやってみようということになった。
そもそも作業員だって年間を通して現場に居たいからひと月40mSvなんて被ばくするのは初期の何もわからないときだけだった。ひと月ふた月する間にだんだん自分の身を守るようになっていった。
その結果、被ばく線量については全員の平均化になるように、一人に偏らないように、極端に被ばくする作業員をなくすように改善することになったので結果的には被ばく管理の改善ができた。
しかし小宮山大臣と3等身の顔の三保との忖度関係はよくわからなかった。

【14】無骨伝その1
現場では事故後3か月間は土木グループがブルドーザで道路の瓦礫を片付けていた。ブルドーザと言っても一般の重機と異なって放射線遮蔽のために運転席は分厚い鉄板と鉛入りガラスのフロントウィンドウに包まれている。セシウム崩壊から出るガンマ線を100分の1まで減衰する代物である。つまり外が100mSv/hの高線量率でも、運転席は1mSv/hとなる。事故直後すぐに製造し電力会社に納入され現場で高汚染瓦礫撤去に欠かせない縦横無尽のフル稼働だった。
そして道路上の瓦礫が撤去されると、政府は冷温停止の発表をいつするか、躍起になっていた。その頃は3号機はまだ湯気を上げており、4号機も余震によっていつ崩れるかもわからない。また大きな津波が来ればそれまでの復旧作業は波とともに消えてゆく。そんな危うい状況ながらも現場には日増しに人数が増えて数千人の作業者が投入されていった。
事故後3か月過ぎて更に6月に3号建屋復旧JVが始まってから3ヶ月は地上の路上整備に明け暮れた。遮蔽ブルドーザで整備した道路に数十センチ厚さの砕石を敷き詰めて、その上を40mmの鉄板を強いてゆくことになった。
 鉄板と鉄板を溶接して並べてその上を大型クレーンや他の重機が走れるようにする。採石敷や鉄板を運ぶユニックや大型フォークなど重機が右往左往していた。そういう状況では、重機一台であっても路上に乗り捨てられると、全体の交通の妨げになる。
重機オペレータの被ばく線量には一日0.5mSvとか企業ごとに定めた上限がある。0.5mSvに達すると乗り捨てて逃げてしまうオペレータもいた。
 瓢タンは同じ安全部にいる3号機JVの佐木っつあんと現場を巡視していた。佐木っつあんは武道八四五段の猛者である。65歳になる彼は鹿山建設定年後の勤め先として本社から派遣された。たたき上げの彼はいわば現場では軍曹だ。いろんな免許を持っているが3号機JV社員が現場で実際の作業をすることは基本的にはない。作業監督するための勉強で免許を持っている。あるいは定年後に鹿山建設の下請けで現場作業に回されたときに役立つ。
 現場ではいろんな業者のトラックや重機が右往左往していたが3号前の南北道路に重機が止まっており、そのせいで南北に重機が停滞していた。
ちなみに復旧現場のルールでは車を離れるときはその車にはキーをつけておき、邪魔になるようなら他の工事件名であっても当該車を移動することができる。
瓢タンと佐木っつあんはちょうどそんなタイミングに現場を訪れた。すると佐木っつあんは大声で叫んだ。
「お~い、このクローラクレーン止めていったのはどこのどいつじゃ!後続の車が身動きとれないじゃないか。」
 そこには各業者の作業者たちが集まってきて同じように文句を言っている。1、2号機の復旧JVや4号機の竹山建設の社員たちもあつまってきた。ヘルメットに全面マスク、白いカバーオールという同じような恰好が集まっている。それらはみなゼネコンの社員である。作業員は指示された作業をするだけであり、見物している余裕はない。
「誰だよ、こんなところに止めたのは」
 口々に同じ言葉が出てきた。しかし現場のゼネコン職員は自分では作業ができないし、作業者はゼネコン社員の指示がなければ運転はできない。現場では当日の計画にない作業はしてはいけないルールがある。
 重機を動かす場合は前後の誘導員と監視員が必要だ。運転者を入れれば最低4人になる。それをするには人員手配と計画を立てなければならない。
 ということで誰も打つ手がなく見るだけ、ゼネコン社員が集まって文句言うだけの状況だった。ゼネコンというのは大企業だが下請け作業員がいなければ何もできないのである。東電はゼネコンなど元請けがいなければ何もできない。
結局現場の最先端の作業者がいなければ何もできない。ちょび髭のオイちゃんの時と同じように当該オペレータは被ばく限度に達して重機を置き去りにして休憩所に帰ってしまったのか?
ふとみると問題の重機が動き出した。誰が運転しているか、目ざとく見つけた3号JVの現場監督は言った。
「おおお~~~あれは佐木っつあんじゃないか。さすが~やるね~~。」
 3号JVの定年退職の佐木っつあんさんが運転していた。全面マスクにヘルメットを着けているが体の前面には名前のシールを貼っている。周囲に集まったゼネコン社員たちから拍手が沸き起こった。重機を脇へ移動したので現場の交通渋滞はあっという間に解決した。
帰ってくると事務所で総務部長が佐木っつあんに言った。
「武勇伝聞きましたよ。でも佐木っつあんさん、3号機JVの社員が現場で重機の実作業していいんですか?」
 すると佐木っつあんは言った。
「ばかもん!良いも悪いもないわい。交通整理をしただけじゃよ。」
 現場作業と事務職との違いは現場は現場主義であって実力主義で作業のできる者が上であり、さらに年寄りでも若者と同じ作業ができることは現場ではリスペクトの対象となる。
計画や設計を担うオフィス業務では担当、課長、部長、取締役という学閥や顧客との人脈によって序列に従うところが多い。
現場主義の世界では、65歳でも現場で若者に負けない作業のできる佐木っつあんにとって、格下の若者も、格上の部長も取締役も肩書に関係なく、同格だった。

【15】カタコル遮蔽スーツを脱ぐときは月面歩行
水素爆発により原子炉から飛散した放射性物質は当初は揮発性の性質があるヨウ素で、次にセシウムだった。ヨウ素の半減期は8日だから8日毎に半減するので3か月もすれば10半減期であり0.5を10回掛ければほとんどなくなる。0.5^10≒0.001つまり3か月で1000分の1になる。
逆に半減期が短いから時間がたつと測定が難しい。外部被ばくはセシウムとヨウ素の合計量を線量率計で測定できるが、内部被ばくを測定する場合は外部の線量率(BGバックグランド)を差し引かなければいけない。今回のような当初東日本一帯の線量率が高い状態、特に福島県では内部被ばくとBGの差を精度よく区別することも難しい。
 ただし、東電では復旧作業従事者に対して、原発に入る前にWBCといって精度の高い測定器で診断して体内被曝があるかどうか、セシウムかヨウ素か分別できる。そこで3か月経過して初めて原発入所する全国から来た作業者を診断しているので、そのデータにもしヨウ素が検出されていれば事故当時のヨウ素体内被ばくの地域的分布がわかる可能性がある。
子供の甲状腺癌の影響を調べるとしてもなるべく早いうちに測定しないといけない。原発再稼働するためには避難者全員の体内ヨウ素測定は必須の条件となろう。
また対策としてヨウ素を吸い込む前に前もってヨウ素剤という非放射性ヨウ素を十分体内に取り込み、後から来る放射性ヨウ素を吸い込んでも体内が吸収せず排泄してしまうようにすること。
 そのほかの放射性物質は主にセシウム134、137とストロンチューム90で、ウラン235、238はほ地上ではとんど観察されなかった。ストロンチューム90は飛散しにくいのでセシウムに比べると飛散するのは極僅かで、ALPS処理水といって原子炉デブリの冷却水の処理プラント濃縮水に多く存在する。
 水素爆発から3か月もするとヨウ素は減衰して残る問題はセシウム134、137だが、その崩壊で出るガンマ線のエネルギーは約0.7Mevであり透過性が強い。医療用のエックス線が0.1Mevだから約7倍である。
 現場では空間線量率が約2mSv/hもあり、そこに1時間立っていれば一日の限度線量に達してしまう。APD警報は3mSvだが、APDは5分割でプレアラーム音を発生し、作業現場ルールは3回で退避だから、5分割0.6の3倍=約2mSv、1時間で作業を終える。
ただし作業員もなるだけ長期間継続したいために、年間継続して作業したい場合は平均一日0.1~0.2mSvくらいで仕事終いして休憩所に戻るのがうまいやり方である。
 作業時間を増やすためには遮蔽スーツを身に着ける。遮蔽スーツの材料はタングステン布であり、素材はアメリカ製だ。アメリカは原発事故に関してはスリーマイル事故経験があり、スリーマイルで開発したところの、それなりの応急の資材がそろっている。遮蔽スーツを素材の別名でタングステンスーツと現場では呼んでいる。タングステンは鉛に近い遮蔽効果があり、タングステン糸は縫い込みやすい。
重さ14kgのもので遮蔽率が40%ある。セシウム134の半減期は2年なので時間と共に割合が減れば逆に遮蔽率は上がる、最終的にセシウム137では50遮蔽%、その散乱線場では60%遮蔽にも達する。
当初は遮蔽率40%、放射線が透過するのは60%なので2mSv/hの場所での1時間の被ばくは2×0.6=1.2mSvになり、2mSvまで2÷1.2=1.7時間作業できる。
当日予定の作業を終わらせるためには手放せない必須の逸材である。
 日当と特別手当を稼ぐために作業員は14kgでへこたれはしない。中には14kgを二枚重ねしている強者もいる。
しかしJV職員のとくに60歳以上の年配者にはきつい。そのせいか事務所では肩が凝るという言葉が流行った。14kgが肩にずっしり掛るからである。
 逆に40代前後の中堅どころでは肩こりが治るという者もいる。首都圏の現場でストレスなどもあり肩こり常習だった者が原発で遮蔽スーツを着てから肩こりが治ったというのだ。
 60歳前後の年配者の中ではタングステンスーツを脱いだ瞬間が最高に気持ちがいいらしい。
「いやー、重たかった。脱いだ瞬間はまるで月面歩行だ。」
 14kgを脱ぐと、それまでの筋肉の反動で一気に体が軽くなる。2~3歩で体の反応はまたすぐに元に戻るが、その2~3歩が軽く飛び跳ねるような月面歩行気分となる。
 しかし事務所に帰ってくる時には「カタコル、カタコル」と言うのが流行った。
 瓢タンは「カタコル」(肩凝る)が建築現場の専門用語だと思っていた。年寄りの常用語であることに、すぐには気づかなかった。

【16】唐獅子も神妙な顔つき、一日で一番長い1.5分間
原発の復旧作業では汚染防護の作業衣は電力会社が支給する。Jヴィレッジで下着上下とタイベックスーツ、綿手、ゴム手二重、軍足二重、安全靴で防護する。それらはみな汚染を防護するためのもので作業着とはみなさない。また放射性粉塵は防護できるが放射線を遮蔽するものでもない。α線は紙で防護できるがβ線やγ線は防護服では防護できない。
 セシウム134、137から出るガンマ線は鉄や鉛、コンクリートでなければ防護できない。放射線の強さを半分にする厚さは鉛で7mm、鉄で15mm、コンクリートで49mmと言われる。
タイベックスーツはデュポン社の製品で1着千円くらいだろう。
 Jヴィレッジから免震棟までに1回、免震棟から現場へでかけるときに1回。一日2回使い捨てする。3千人では、千円×2×3000=6000千円=6百万円を1日で使い捨てすることになる。10日で6千万円、一か月で1億8千万円となる。1年では18億の使い捨てである。
 さすがに予算が途方もない数値なので電力会社としてもノーブランドの中国製に切り替えることを考えていた。
 タイベックは0.5ミクロン以上の粉塵に対し99.2%の高い防護性を有しているために空気中に飛散する粉塵汚染の防護になる。空気中の粉塵のサイズは、通常5~10ミクロンと言われている。しかし同時に通気性があるために汗でぬれると外側の汚染を引っ張り込んでしまう。タイベック外側のセシウム粉塵微粒子は内側にしみ込んでしまい、それが下着や皮膚に付着する。下着を脱いだり、皮膚汚染の除染したりで混雑時にはスムーズな流れを乱すことになる。
現場から帰ってくると自動機のHFCMだけでは足りないので手サベの汚染検査に列をなして並ぶが、そこで汚染が検知されると支給下着を脱がされて汚染浸透度合いによっては自分のパンツを没収されたりする。下着の下の皮膚まで浸透していると皮膚を除菌ティッシュや除染用洗剤拭いて除染することになる。皮膚汚染は体内には入ることは普通はないが、表面汚染密度という法令基準があり、これがなかなかややこしい基準であって、それを超えれば除染をしなければいけない。
汚染したまま家庭に帰って家族が汚染するのも気味が悪い。衣服汚染でも基準以下なら持って帰れるが、宿舎に帰ると汚染していない作業員から風評被害を受ける。当該衣服を共用洗濯機で洗うと次の使用者に汚染が移るから、共用洗濯機を使うな、という風評被害である。
実際には原発から持ち出しできたということは一般生活でも問題ない。まして洗濯すればさらに密度や濃度は格段に低くなる。
 夏場の7月に汚染が急に広がり8月もそれは収まらない。原因は作業員のタイベックは汗でびしょ濡れ状態なので表面の汚染がタイベックスーツを通過して下着や身体に達するからである。
 この時期まで多次下請けのピンハネ問題もあった。暴力団が労務者をかき集めて4次下請け5次下請けとして原発に送り込んできている。それで全身入れ墨のやくざっぽい作業員も多いが、職人なのか反社的組織の派遣なのかはわかる。反社的組織から派遣されたタトーは目を合わせて正面から向き合わない。職人なら目を合わせて話をする。
中には体のタトーを消している作業員もいる。消していることがわかってしまうが。
話していても目を合わせないような作業員者は反社関係で多重下請けと思われるが、汚染検査のときだけは神妙になって一点を見つめている。汚染数値はAPDでは測ることができない。放管員にGMサーベイメータで測定してもらうしかないのである。APDは被ばく線量で単位はmSv実効線量、GMサーベイメータは表面汚染をCPM(カウントパーミニッツ)で測る。法令基準は被ばく線量と表面汚染と空気中濃度、水中濃度のそれぞれで数値が決められている。
汗だくの現場から免震棟に帰ってきて、その入り口で濡れたタイベックを脱衣して、下着姿で汚染検査に並ぶ。汚染は放管員による手サベで測ってみないとわからない、測定時間は基本3分間であり、一日で一番長い時間かもしれない。
誰もが神妙な顔つきで結果を待つ。手サベは基本3分だが、作業者一人を前後二人で測定すれば1,5分で終わる。しかしその沈黙の1.5分が長い。
 神妙な顔つきになるのはもう一つの理由がある。汚染発見されると、同じ検査部屋の隅に移動させられ、椅子に座らせられる。そしてどこで何をしていたか尋問される。さらに汚染を除染してもらう。その様子は、検査を終わった作業員全員に見られるので、知り合いの作業員にからかわれるのだった。
「おーい、Tさ~ん、なにやってんの~?」
「あれ、Tさ~~ん、どうしたの?」
 汚染状況の取り調べを受けている最中に知り合いの作業員がからかい半分に声をかけてくる。取り調べ中なのでTは下を向いたまま答えない。心の中ではこう思っている。
「うるさい!みんなはやく行って休憩しろよ。人の名前を気安く、他の社員のいる前で言うんじゃないよ。」と。


【17】無骨伝2
4号建屋復旧については当初依頼されたゼネコン鹿山建設社が、作業員にとって危険すぎるという理由で辞退したので、竹山建設社に決まった。
4号機建屋は若干曲がっているように見えるので建屋そのままでは余震によっていつ崩れるかわからない。そこでまず建屋を鉄筋で補強することになった。それからその鉄骨の上に使用済み燃料取り出しのクレーン設備を組み立てる。4号オペフロの使用済み燃料を移動することが急務となっている。
原子炉の中には燃料がなく、その使用済み燃料が原子炉上のオペフロ階の保管プールに収められている。そのプールが壊れなかったのは運が良かった。
もともと階下の原子炉には燃料がなかったので、且つ、使用済み燃料プールの水が遮蔽体となって放射線も防いでいるから従来通り、人がその場へ立つことができる。
屋根は水素爆発で吹っ飛んだので、オペフロに立つと隣の3号機が丸見えだ。そこで測定すると4号の放射線はほとんどが3号から発していることがわかる。そこでまず4号側から3号が見えないように遮蔽衝立が必要だった。
同時に、まず建屋内側から鉄骨を立てて補強をする。それから外側周囲を鉄骨で取り囲む。そうすれば余震が来ても持ちこたえられる。
「まず内側から鉄骨組んで支えないといけない。それをお願いします。」
電力会社がそういうと鹿山建設の現場監督が言った。
「とにかく現場調査からですね。」
そして現場監督は調査目的で建屋内に入ったが、その後の地震が大震災より小さいなんて保証もなく、建屋が出てきてから言った。
「こんな仕事やってられるか。おれは辞める」
そういって会社を辞表を叩きつけた。
そこで4号の建屋復旧~使用済み燃料取り出しクレーン設置までは竹山建設が請け負うことになった。
武勇伝とはなにかを成し遂げるものだが、危険を予知して撤退するのもまた武勇伝なのだろう。彼の現場でのポリシーは、「命を懸けてまで仕事をするな!」だった。
4号建屋内側から補強をするとは言えど、ひょっとすると補強中に巨大な地震で倒れてしまうかもしれない。確率はすくないかもしれないがいつ倒れるかわからない。倒れない確率が絶対ならば補強はいらない。
リスク0.000001つまり百万分の1なら安全だろう。しかし電力会社から確率数値が出てくることはなかった。万に一つは鉄骨組んでいるときに運悪く余震が発生して倒れるかもわからない。
命を懸けるな、という現場人のポリシーに徹して彼は自ら辞表を出してけじめをつけた。
人の世はすべて氷河の上を歩いているようなものだ。足元にクレバスがあるかもわからない。仕事に命を懸けてはいけない。命は自分だけの物ではない、待っている家族もいる。   
死亡や重症を伴う重災害を起こすたびに葬儀や犠牲者の家族に見舞いに行った代表者の言葉はみな同じだ。「家族のためにも事故は起こしてはならない。」
これ以上倒れるような地震は来ないと頭の中で想定すれば倒れない。
しかし原発過酷事故も、そのような地震を想定していなかった過酷事故になった。想定していれば対策はできた。結果を見せられればだれでも対策は打てる。
電力会社の依頼を請ける代わりに辞表をたたきつけることで、本人の信念を貫くという彼なりの武勇伝だった。
ただしその後、竹山建設が4号建屋復旧作業を作業員を道連れにして請け負うことになった。そして運よく鉄骨で囲んで4号機建屋復旧計画は終わった。
現場と言うのは、安全手順を守っていても運悪く事故で命を亡くすこともある。逆に安全無視のやりかたでも首尾よく無事に終わることも往々にしてある。

【18】「203高地」
3号では原子炉のオペフロ階は吹っ飛んで跡形もない。かろうじて屋根の鉄骨がぐにゃりと曲がりその竜骨を無残に晒している。水素爆発で真上に飛ばされた大きなコンクリート破片はほぼそのままオペフロに落下して積み上っている。
使用済み燃料を取り出すにはこの瓦礫の山を片付けなければならないが、線量率の単位がSv(=~1000mSv)で、人はその場所に立てない。大型クレーンを遠隔操作で操って遠く離れた免震棟隣接の事務棟に設営した遠隔監視室からぎこちなく掴み取らなければいけない。
使用済み燃料は原子炉から取り出した後、数年間冷却してから更に地上のプールに入れて冷却してから地上保管する。水素爆発時に諸外国からクレージーと指摘されたのはこの使用済み燃料が原子炉の上のプールに保管してあるからだった。プールの水が漏れれば使用済み燃料は溶融してしまう。使用済み燃料は原子炉から取り出したら別の建屋で保管するのが安全だ。
日本式にコンパクトに作り上げた原発だったが、過酷事故が起きた場合はクレージーな構造になっていた。建設段階では過酷事故は起きないと想定していたとしか思えない。
吹っ飛んで落下してきた大きな瓦礫を撤去した後はオペフロの床面コンクリート表面を掃除する。それにはスリーマイル原発事故の際に実績のある機械を輸入してそれを使ってみることになった。機種選定は電力会社で選定し購入した機械を3号JVが操作する。
他に実績のある機械など日本にはない。そこでその機械が届くまでの間の大型クレーンでのオペフロ瓦礫撤去以外にも同時並行で瓦礫を片づけなければいけない。原子炉建屋に隣接のタービン建屋の間の下屋と呼ばれる中間建屋の崩れかかった壁。それがいつ崩れるかもわからない。それでまずその壁を取り壊して撤去しなければいけない。
原子炉建屋はオペフロ階が張りぼての薄いコンクリート板で取り囲んだ作りだから爆発の圧力を逃がしてくれて原子炉建屋自体は生き残った。しかし隣のタービ建屋側や2号機側のRw/B(ラドウエストビル)は見るも無残に損壊していた。
遠隔操作で摘まんだ瓦礫は重機の先にバケットやグラブという先端機器を取り付けて、更に刻んだりした。刻んだ瓦礫はコンテナに入れて撤去する。
クレーンで当該場所のコンテナを地上に下ろして、それを今度は敷地の北の山の中に廃棄する。
人の作業が必要なのはブルドーザ重機の運転と、コンテナの玉掛け玉外しといってクレーンでつりさげるコンテナや機器をクレーンロープの先に取り付け取り外しすることだ。吊りあげる時の玉掛けは整備の終わった地上の鉄板路盤上で行う。揚重してきたコンテナや機器をタービン建屋下屋で待っている鳶職人が玉外しを行う。線量率の高い場所での揚重作業は荷が上がったり、着地するまで手待ち時間が多いので作業するときには放射線遮蔽の避難所を設置しなければならない。
避難所を目的の設置するためにもクレーンで釣りあげた避難所を定位置まで人間が介錯ロープをつかって誘導する。
タービン建屋下屋側は線量率が10mSv/h以上だから分で0.17mSvの被ばく。10分で1.7mSv、遮蔽スーツを着用して1.2mSv被ばく。15日続けると18mSvで労基署に届けた月限度に収まる。それを複数の人数で作業位置をローテーションで代えながら被ばくを平均化して計画が終わるまで現場作業ができるようにする。毎日の被ばく線量の集計は瓢タンが行って結果を鳶の親方に周知する。親方はそれを見てローテーションを考える。
作業を請け負う下請けは土方組だった。鳶職の親方の苗字だった。土方は新選組のイケメンの土方とは逆の鬼瓦のような赤ら顔で、東京から集めてきた手下の職人たちを睨んでこう言った。
「我々が作業するエリアは203高地だ。」と。
戦後生まれの親方はどこの映画やTVドラマを見てその言葉が気に入ったのか思いついたのか、203高地は1904 - 1905年の日露戦争でロシア海軍の基地のあった旅順港を巡る日露の争奪戦による激戦地となった場所で、それをパロディで名付けた。
鳶の親方はこの作業を請け負うときに鹿山建設と約束をしてきた。
「被ばく線量が多くて被ばく限度にすぐに達してしまうから短期間の仕事になる。そのときは福島第一現場を離れるが、東京での仕事を保証してください。」
 鹿山建設は月給制だが、職人は日当制で、当日の作業がストップすれば日当は支給されない。だから福島第一の被ばく作業するならば、先を読んで次の受注計画を鹿山建設に保証してもらう必要がある。
 鹿山建設はその約束に応えて次の仕事を保証する。そうしなければ福島第一の瓦礫撤去はできない。鹿山建設支配下のとび職が全国に無尽蔵にいるわけではない。
 幸い東京ではオリンピックの工事が予想されており、福島第一の次の仕事場として、とび職の仕事には困らなかった。
作業員の被ばく管理はAPDというポケット線量計で行うから、2mSvの警報が鳴ったら帰ってくる、単純に言えばそれだけのことだったが、重機作業ではその警報が聞こえない事もある。
そこで203高地のような場所で作業するときはストップウォッチを持った監視員を付ける。あらかじめ分単位の被ばく線量を計算して10分作業をしたら当該作業員に合図し、仕事終いをさせて休憩所に戻る。

【19】「203高地のウルトラマン作業」
タービン建屋側下屋では大型クレーンで吊り上げた物や、吊り降ろす物を人が立って作業しなければ玉掛け玉外しができない。玉掛け玉外しができなければ重機を使って瓦礫を撤去することができない。人が立つためにはその高線量率エリアに放射線を避ける退避所を設置しなければならない。
被ばく線量の限度は一日2mSv。線量率はエリアで平均しているわけではない。ホットポイントと言って1m離れれば倍の20mSvのポイントもある。
実際に事前測定するとタービン建屋下屋上は3分で最大2mSvを被ばくする。そこで現場に退避所を設置して一次的に休憩する。それはコンクリートの四角いボックスに鉄板を張ったものだ。理論的には十分の一にするにはコンクリート16センチ、半分にするには鉄で1.5センチ。それで0.1×0.5=0.05倍=1/20に減らすことができる。
線源は点ではなく360℃に散らばっているし、ボックスは閉じているわけではなく、入り口出口が解放されており、せいぜい十分の1にでも減らせれば退避所として使える。
玉外しというのは重量物が降りる頃に瞬間的に必要で、降りてくるタイミングを見計らうのにはボックス退避所でしばし待っていなければいけない。
朝、毎日その日の作業の説明をする。そのとき土方組鳶の組長の鬼瓦の土方は言った。
「きょうの作業は203高地のウルトラマン作業だ!みんな3分経ったら降りて来い!」
全面マスクに白装束のタイベック、その上に14kgの遮へいスーツ。そして現場につくまでに汗だくになって、クールベストの冷却材はぽかぽか湯たんぽになり、現場の梯子を上り、重機の音量激しい中、ストップウォッチ持った監視員の合図を見て3分で帰ってくる。それが203高地の3分間作業だった。
鳶職人たちは言った。
「インスタントラーメン作業じゃないんですか?」
「カップヌードル作業だろ」
すると親方は答えた。
「ばかも~ん、インスタントみたいに3分待ってるんじゃないんだよ、その間に作業するんだ。ウルトラマンになってみんなで地球を救うんだ。」
その場の笑いによって未知への恐怖と緊張が解ける。
しかし一回高線量エリアの作業を経験すると放射線にたいしての恐怖は免疫になる。逆にそれが被ばく線量を増やす理由にもなる。

【20】靴から汗がドバっと流れ落ちる
福島第一への起点として使っているJヴィレッジでは相変わらずごったがえすような混雑の中で着替えをしていた。着替えるだけで汗かく人もいる。タイベック防護服と綿手、ゴム手二重、軍足二重の出で立ちで全面マスクを抱えてバスに乗り込み、原発ちょっと手前で全面マスクを着ける。
原発構内へ入って免震棟でいったん休み、再度着替えて出て行くが、酷暑には全面マスク内に汗が溜まって息が出来ないので全面マスク顎のところを持ち上げて、ときどき中の汗を出すこともある。全面マスクと顎の間に隙間があるとそこからセシウム粉塵が入り込むので正式にはやってはいけない行為だが窒息してはいけない。
原発復旧の電力会社から支給される靴はつま先が安全保護された長くつと短靴がある。基本的には夏場は短靴、冬場は寒いので長靴がよい。ただし、瓦礫の多いところでは砂が舞い上がって短靴に入るので長靴を履く。
夏場では靴には100CC、200CCの汗が溜まる。タイベックから滴って落ちてくるのが溜まるのだった。
すでに熱中症も何人か発生している。
瓢タンが熱中症の怖さを直接体験者から聞いたのは、いわき平にある3号工事の事務所の守衛からだった。守衛の若者は体重100kgあるが、前年の2010年に熱中症体験者だった。
瓢タンが事務所内勤務で労基署への放射線作業届の計算をしていた。そして休憩で駐車場にでて、屋根の単管パイプにぶらさがって背を伸ばしていると、守衛がやってきた。
瓢タンのほうから話しかけた。
「構内で熱中症だってさ、もう何人目かな。」
すると彼は熱心に話に応じてきた。
「熱中症は怖いですよ。なったらほんと防げないんですから。」
「え?そうなの?」
「僕も去年なったんです。急に筋肉がつって、自分で自分の体が動かせなくなって、倒れたままだったよ。そのうち誰か通りかかってくれて事務所にひっぱってもらって助かったけど。」
「そういうものか、筋肉って水分が不足すると意志ではどうにもならないのか。」
「なんともならないんですよ。自分で自分の体を動かせないんだから」
 瓢タンはその話から熱中症の怖さを知った。おそらく筋肉を動かすのに必要なカリウムや塩分要素が不足して、筋肉を動かすことができなくなるのだろう。だから熱中症になってから水分補給してももう手遅れで、構内で倒れたり具合がわるくなると、救急班を呼んで救急室に運び、生理食塩水を直接体内に補給する。
一方この酷暑の時期に、現場では電力会社貸し出しの作業靴に汗が溜まる現象が発生していた。手には綿手の上にゴム手を二重。足は軍足二重。手首足首は粉塵や砂が入らないようにガムテープでタイベックスーツを密封している。全面マスク周囲もガムテープで密封しているから通気性はタイベックの素材の通気だけだ。そして14kgの遮へいスーツをその上から着ている。これだけの重装備なので汗は上から下の足首を通って靴に溜まる。
作業始めて間もなくクールベストの冷却剤が湯たんぽ状態だ。
作業が終わると「ほい、これ見てみ」と言って作業員が靴を逆さまにした。すると溜まった汗が靴に100ccほど溜まっており、靴からドバっと流れ落ちた。
 作業する前と後では体重差は平均2kg、最大4kgある。夏場の発汗量そのものである。休憩所に体重計があるので作業前と作業後を測って記録していた。
 瓢タンも記録してみたが差は0.5kgだった。
すると職人からからかわれた。
「あ、現場作業してないな。」
 現場で立っているだけで0.5kgは減量するが、作業していないことがわかる。
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