上 下
1 / 2

孫悟空は前科何犯? 前編

しおりを挟む



 逆神さかがみ三郎さぶろう──東王大学民族学部に在籍する准教授じゅんきょうじゅ

 またの名を『地上最強の民俗学者』。

 師と仰ぐ大金おおがねたけし(同じく東亜大学の民俗学部教授)も破天荒な人物として知られるが、その弟子たる逆神三郎もまた各地で様々な伝説を残す男だった。

 曰く──南の海で全長8mを超えるホオジロザメを素手で仕留めた。
 曰く──土砂崩れで滅びかけた村から村人全員を無事救出した。
 曰く──北海道でフィールドワーク中に伝説の巨大羆と渡り合った。
 曰く──過疎村を調査したら大麻栽培所だったので1人で壊滅させた。
 曰く──変死者の絶えない沼を調べていたら一夜で埋めてしまった。

「……各地の伝承を調査して考察するのがお仕事の民俗学者が、英雄も裸足で逃げ出すような伝説を残しまくってどうするんですか?」

 そんな後輩のツッコミを、逆神は「成り行きだ」の一言で済ませる男だった。

 これは、逆神准教授の比較的穏やかな日常を切り取ったものである。

   ~~~~~~~~~~~~

「孫悟空──だそうだ」

 逆神は誰に言うでもなく呟いた。

 ここは大学から与えられた逆神の研究室。書棚には文献的にも貴重な書籍がギチギチに詰め込まれており、来客用のテーブルやソファはおろか、逆神のデスクにも研究資料やファイルが塔のように積み重ねられている。

 そういった資料をテキパキと整理する信乃しのが振り返った。

「孫悟空……ですか?」

 それはどちらの孫悟空だろう? と彼女の顔に書いてある。

 女性としては身長は高い方。男物っぽい黒のスーツを着込んでいるが、服の上からでも隠せないほど女性的な肢体は男女問わず目を惹くだろう。

 黒く艶やかなロングヘアがよく似合う、純和風な美人の面立ち。

 だが、どこか中性的というか……垣間見せる男性的な仕種が、スーツ姿と相俟あいまって彼女にユニセックスな雰囲気をまとわせていた。

 豊かな乳房や大きなお尻、女性らしさを醸し出しているにも関わらずだ。

 彼女は源田げんだ信乃しの――逆神の助手である。

 半月ほど前、奴隷の如くコキ使っていた女々しい後輩(逆神の伝手つてで非常勤講師の仕事をくれてやったのだから文句は言わせない)に──。

『おまえだけでは手が足らん。助手になりそうな奴を見繕みつくろってこい』

 そう命じたところ、遠縁の親戚だという彼女がやってきた。

 ……最初、思わず張り倒しそうになった。

 その女々しい後輩が胸にバレーボールを詰め込み、尻にも座布団を仕込んで、ちんけな女装で誤魔化しているのかと思ったのだ。

 それくらい──源田信乃は女々しい後輩と瓜二つだった。

 話してみたところそこはかとない怪しさはあったものの、彼女は完全な女性であるとわかったし、女々しくとも男に間違いない後輩とは別人とも判明した。

 何より、後輩と似たり寄ったりな知識量を備えていた。

 後輩も駆け出しとはいえ民俗学者、まだボンクラだから鍛えてやらねばなるまいが、その後輩に勝るとも劣らない勉強振りは評価できる。

 だからこうして、助手として雇い入れることになったのだ。

「孫悟空……それはどちらのですか?」

 顔に書いているまんまの言葉を信乃は繰り返した。

「大人気アニメの方だそうだ」

 俺がその孫悟空に似てるんだとよ、と逆神はぶっきらぼうに言った。
 信乃は「あ~……」と納得の半笑いを浮かべている。

「先ぱ……先生は調査の度に逸話を引っ提げてお戻りになられますからね。その逸話いつわもとんでもないものばかりですし、人間離れした強さとかをあの孫悟空に例えたいっていう学生さんたちの気持ちはわからないでもないですね」

 ふざけんなよ違うだろ、と逆神は異を唱える。

「あっちの孫悟空が100倍カッコいいだろうが」
「……なんでそこは謙虚なんですか」

 納得いかないと言いたげに信乃は不満を口にする。

「先ぱ……先生なら『俺の方が100倍カッコいい』っていうと思ったのに」
「君こそ俺のことをなんだと思っているんだ?」

 確かに逆神には人並み以上のガタイの良さ(身長195㎝で筋肉質、体脂肪率は学生時代から一桁を切っている)と、十人並みより上の外見(個人的には伝説の超サイヤ人であるブ○リーのが似ていると思う)だという自負はある。

「しかし、そこまで傲岸ごうがん不遜ふそんじゃない」

 敢えて逆神は訂正させてもらった。

「俺だってあのアニメを見て育った口だぞ。孫悟空と言えば憧れのヒーローの1人。彼に憧れて色んな修行や練習をしたものさ」

「もしかして……かめはめ波とか一生懸命やったりしたんですか?」

 冷やかす口振りの信乃だが、逆神は素直に答える。

「やったな。20m先の鉄板に大穴を開けるのが精一杯だった」
「なに成功してんですか!? え、気功波きこうは出せるんですかマジで!?」
舞空術ぶくうじゅつは原理がわからなかったが、元気玉なら少しできる」
「そっちの方が技としては上級じゃないですか!?」

 そんなことはどうでもいい、と逆神はファイルのひとつを手に取った。

「孫悟空といえばアニメや漫画の題材として引っ張りダコ、時代を超えて活躍する大人気キャラクター。その原典ともいえる西遊記の名前を知らぬ者はいないし、如意棒を担いで觔斗雲きんとうんに乗るお猿の孫悟空は誰もが知るところだ」

 では聞こう、と逆神は信乃に問い掛けてくる。



「孫悟空は何故──五行山ごぎょうざんに封じられたんだ?」

   ~~~~~~~~~~~~

 この質問に信乃は長い睫毛まつげをパチクリさせて困惑する。

「あれ? 孫悟空って……大きな岩の下に封印されたんじゃありませんか?」
「その大岩こそが五行山という巨大な岩山だよ」

 なんだい君もか、と逆神は落胆気味にファイルで顔を仰いだ。

 そのファイルとヒョイと投げれば、心得たもので信乃はハッシと受け止める。
 こういうところは、女々しい後輩ぐらい反応が良かった。

「…………『孫悟空が犯した罪を述べよ』?」

「さっきの講義で学生たちが『俺が孫悟空に似てる』とか陰口を叩いてくれたんでな。それじゃあおまえらは孫悟空の何を知ってんだよ? という話になって、ちょっと小テストみたいなことをやらせてみた。無論、ネットに頼るのは禁止だ」

 スマホ、PC、タブレット、これらを取り上げた上でやらせたものだ。

 信乃はファイルを取り出し、学生たちの回答を読み上げる。

「天界で大暴れをした、大切な桃を盗んだ、大切な薬を盗んだ、お釈迦様に逆らった、大切な仕事を投げ出した……う~ん、随分バラついてますね。しかもアバウトなものばかりで具体性に欠けています」

「西遊記を題材にした作品は星の数ほどある。西遊記そのものもドラマ、映画、アニメ、マンガ、小説……様々な媒体でリバイバルされている。その中に原作たる西遊記をリスペクトしたものも少なくないが……」

 どれも完全ではない、と逆神は赤点と見做みなした。

「特に序盤、孫悟空は釈迦しゃか牟尼むに尊者そんじゃに封じられるまでの下りは端折はしょられがちだ」
「お釈迦様とのやり取りはインパクトありますからね」

 釈迦如来は孫悟空に勝負を持ち掛ける。

『おまえがどれほどの力の持ち主か試してみよう』

 そういって釈迦如来に右手を差し出した。

『果たしておまえは、私の右の掌から飛び出すことができるかな?』

 作品によって異なるも、釈迦如来は『それができたらおまえの望みを叶えてやろう』的な約束を交わすのだが、原典の西遊記ではこうなっている。

「釈迦如来は──『天宮を譲り渡しても良い』と約束しているんだ」
「天宮……天界の宮殿ですか?」

 そんなところさ、と逆神はこの時点ではサラリと流した。

 この勝負の結果を知る者は多いはずだ。

 悟空は觔斗雲に乗ってひとっ飛び。あっという間に世界の果てへ辿り着く。

『世界の果てまで来たのはいいものの、このまま帰って嘘つき呼ばわりされるのもしゃくだ……なんぞ此処まで来たあかしでも残していくか』

 そこで悟空は5本の柱の一本に『斉天大聖至此一游(意訳:孫悟空がここまで来たぞ!)』と一筆したため、釈迦如来の元へ戻っていった。

『世界の果てまで行って帰ってきたぞ! さあ天宮を寄越しやがれ!』
『……おまえはどこへ行ってきたというのだ?』

 帰ってみれば釈迦如来の右手の中指に自分の書いた一筆があり、悟空は自分が彼の右手から逃れられなかったことを思い知らされる。

 愕然としていると釈迦如来の手が大きくなって悟空を押し潰し、気付けばそれは巨大な岩山となっていた。

 こうして孫悟空は五行山に500年の長きに渡り、幽閉されることとなる。

 いつか三蔵法師が訪れるまで――。

「何故、孫悟空は釈迦牟尼尊者とこのような取引をしたのか? 五行山に封印されるまでにどのような罪を犯したのか? その過程は西遊記の序盤においてドラマチックかつ痛快に描かれているのだが、残念なことに再現した作品は少ない」

 逆神はついつい悔しげな口調になってしまう。

 文字通り、孫悟空が天界、地上、冥界、果ては海の底までという全世界を巻き込んで“上を下への大騒ぎ”する話が、逆神は堪らなく好きなのだ。

「そりゃあ西遊記ですからね」

 しかし、信乃にその熱意は伝わらずドライに返された。

 孫悟空は三蔵法師によって助けられ、猪八戒や沙悟浄と出会い、ありがたいお経を授かるため、遙か彼方にある天竺を目指して長い旅に出る。

 タイトル的にも、こちらにメインの比重が置かれるのは仕方あるまい。

「最近に限ったことではないですけど、小説やマンガならページ数が限られているし、ドラマやアニメなら何十分番組で何クールと決まってますから。その枠内で収めようとすると、原作の大胆カットもやむを得ないかと……」

「う~む、現代っ子らしい模範解答だな」

 もっと夢を見ようぜぇ? と逆神はだらしない声であおる。

「ま、せせこましい世間のルールなんざどうでもいいか……しかし、民俗学を学ぶ者がだ、概要とはいえ孫悟空が五行山に封じられた罪状を知らぬのは頂けないな」

「かく言う私もよく知りません」

 信乃はちょっと悪びれるように会釈した。
 そこはかとない申し訳なさは伝わってくるが、反省の色は薄い。

 こういう態度を取られると、学者として啓蒙けいもうしたくなるものだ。

「では、ちょいと講釈を垂れようか。そうだな、講義内容は……」



 ──孫悟空は前科何犯か?

   ~~~~~~~~~~~~

「西遊記は明代後期に完成したとされる神怪小説のひとつだ」

 神仙や妖怪が入り乱れる物語――それが神怪小説である。

「その雛形となったのは、実在した僧侶である三蔵法師・玄奘げんじょう。彼が中国から天竺までの長い道のりを踏破して、その尊称となる三蔵のお経を持ち帰るまでの16年間を綴った旅の記録『大唐西域記』に由来する」

 これが原本となり、様々な経緯を経て、西遊記となっていく。

「作者は呉承恩という文人とされているが、編集者という側面が強いだろう」
「そういえば……執筆ではなく完成と仰いましたよね?」

 実は西遊記はいくつものバージョンがある。

 唐の時代に記された大唐西域記を元にして、玄奘の偉業を讃えるお話がいくつも書かれている。それが時代を経て、様々な脚色をされていった。

「最初は玄奘のみをクローズアップしていたが、やがてお供に猴行者そんぎょうじゃという孫悟空のモデルらしき人物が加わり、玄奘の旅を助ける深沙神しんしゃしんという神も現れる」

「深沙神って聞いたことあります。沙悟浄のモデルですよね?」

 その通り、と逆神は助手となった信乃の記憶力を認めた。

「日本だと流沙河りゅうさがって川に棲んでいて三蔵法師を待っていたので、河童とされがちな沙悟浄だが、物語としての出自を辿れば立派な神格なんだよ」

 むしろ、猪八戒のルーツが謎めいている。

「一説によれば摩利支天まりしてんという神が起源だという。摩利支天は猪あるいは豚の背に乗った菩薩だ。猪八戒らしきキャラクターが西遊記で描かれはじめるのは元の時代、摩利支天はモンゴル人が信仰していたチベット仏教で人気だった神……」

「先ぱ……先生、ほとんど正解してませんか?」

 呆れ顔な助手に、逆神は「馬鹿を言え」と訂正を求める。

「こんなもん単なる思いつきに過ぎない。もっと確証がいるんだよ」

 三蔵のお供――そのルーツはさておいて。

「玄奘の旅を語る物語は登場人物を少しずつ増やしていき、比例するかのように人気を博していった。多くの物語や演劇の題材として語られるようになり、西遊記という名前が定着した頃には、無数の写本や刊本が作られていたんだ」

 この頃にはもう――誰もが知る西遊記の原型はできていた。

「だから、西遊記は時代を経て語り継がれ、幾度も編纂されてきた神話の如き物語だ。呉承恩はその1人に過ぎない。近頃では原作者説も否定されがちだしな」

 今回取り上げるのは――もっとも定番とされる西遊記。

「異説や諸説はいくらでも引っ張ってこれるが、今の世に出回っている西遊記関連の本を開けば『大体合ってる』って感じの、基本中の基本だな」

「では、始まり始まり~」

 信乃は茶化すようにパチパチと拍手を送ってきた。

 これを気に一休みするつもりなのか、お茶やお菓子を用意して来客用のソファに腰を下ろした。逆神の分も忘れなかったことは褒めてやろう。

「物語は東勝とうしょう神州しんしゅうの海の東にある国──傲来国ごうらいこくから始まる」

 ここに花果山かかざんという高い山があり、その山の天辺には金剛石ダイヤモンドでできた卵形の仙石せんせきがあった。これが天地開闢かいびゃく以来、天地の霊気と日月の精気を浴び続け、仙石の胎内にひとつの命を宿すまでにいたった。

 これが──孫悟空である。

「よくマンガなんかで『岩から生まれた石猿だから硬い』って設定を見ますけど、ダイヤモンドの卵から生まれていたんですね」

 硬くて当然だわ、と信乃は変なところを納得した。

「あの有名なマンガの孫悟空は宇宙人という設定で、赤ん坊の状態で丸い小型宇宙船で地球に来ているが……ビジュアル的に近いところがあるな」

 あの小型宇宙船──見ようによっては石の卵に見えなくもない。

「金剛石の卵から生まれた直後、悟空は東西南北から天上界にまで届く眼光を発して世界を驚かせたが、やがて普通の猿のように水を飲んで果実を食べ、花果山に住む猿の群れに溶け込んでいった」

 ある日、猿の群れは川を辿って滝壺に辿り着く。

 孫悟空はこの滝壺の裏にある『花果山かかざん福地ふくち水廉洞すいれんどう洞天どうてん』という石造りの広大な宮殿を発見。ここは猿たちの楽園となり、その功績で悟空は猿たちの王となる。

「そこで数百年、孫悟空たちは幸せに暮らす」
「エルフ並みの長寿設定で人生設計長過ぎませんかね!?」

 実際、西遊記にはそう記されている。

「話の流れとして考えれば、常識はずれな生まれ方をした悟空は長命で数百年も生きていたが、他の猿たちは世代交代してるかも知れないな」

 そうとは思えない描写も多々あるが……。
(※孫悟空の助言者となる知恵者の老猿たちは最初から一貫して登場する)

 その数百年を経て、悟空は嫌なことを悟ってしまう。

『このままだと老いて血気が衰えて、やがて死んでしまう。そうすればあの世で冥府の王たちの世話になる……そうなったら天上界の列にも加われない』

 そいつは嫌だなぁ、と悟空は憂鬱になる。

 これを聞いた家臣の猿たちは──

『それは道心どうしんの芽生えです。王様は仙人になる道を志すべきでしょう』

 仙人になれば不老不死になれる、そう聞いた悟空はすぐに動き出した。

 海を渡って別の島へ、山を越えてまた海を渡り別の国へ──。

 そうして旅を続けた果てに、須菩提すぼだい祖師そしという仙人と巡り会うことになる。

「彼はこの仙人の弟子となり、孫悟空という名前を授けられるんだ」

 悟空は兄弟子たちを追い抜く勢いでメキメキと仙術を上達させ、あっという間に師の秘伝を授かると、一人前の仙人になった。

 しかし、軽率に仙術を使ったことで破門されてしまう。

「孫悟空のお師匠様って厳しい方だったんですね」

「そこは師匠で仙人だよ。孫悟空がその軽率さから、いずれ大事件を起こすとわかっていたんだ。破門する際『決して須菩提尊師から教わったと他言するでないぞ。もし破れば絶対に復活できないようにしてやる』と脅しているくらいだ」

「Ooh……信用ゼロですね」

 信乃は須菩提祖師の徹底ぶりに青ざめていた。

 具体的には──『おまえの皮をキレイに引っ剥がして、骨という骨をへし折って粉々に砕いて、その魂を九泉きゅうせん(あの世、奈落の底)に放り捨てて、未来永劫そこから戻って来れなくしてやるからな』とのことである。

「須菩提祖師は見抜いてたんだろうな。孫悟空がどうなるかを」

 いずれ五行山に封じられる未来を──。

「さて、仙人として一人前になるも破門されてしまった孫悟空は、それでも師匠からの導きで『来たところに帰れば良かろう』と仲間たちの待っている花果山の水廉洞を思い出し、觔斗雲に乗って帰ることにした」

 行きは数年かかった道のりが、雲に乗れば2時間足らずの帰り道。

「帰ってみれば水廉洞は混世魔王こんせいまおうという妖怪に奪われ、仲間の猿たちも多くが捕虜の身となっていたが、悟空は仙術であっさり解決してしまう」

 混世魔王には大した歯応えもなく勝利、水廉洞も仲間の猿も無傷で取り戻す。

「物語的には、仙人パワーのお披露目タイムってですね」

「まだまだ、悟空の増長っぷりはここからだ」

 仙人の力を手に入れた孫悟空は──次第に暴走していくのだった。

   ~~~~~~~~~~~~

 水廉洞に帰ってきた悟空は、猿たちの王に復帰する。

 須菩提祖師から授かったかばね“孫”は猿たち一門の名字となり、悟空は彼らにとっての王であり最長老になった。

 ここに──孫悟空が率いる猿の王国が誕生したのだ。

 その数は四万七千匹余りと記されている。

 悟空は猿たちのために武器や防具を用意してやった。

「ちなみに、これらの武具は近隣の人間諸国から仙術で盗んできたものだ」
「それもう第一の罪状なのでは!?」

 信乃の指摘に、逆神は「いやいや」と手で制した。

「こんなもの、後に犯す大罪と比べたら微罪にもならん」

 仙人となった悟空の威光は凄まじく、武装した猿たちによる国力増強も手伝って、すべての山々に棲む怪獣や妖怪たちは驚かざるを得なかった。

 そこで七十二の洞窟に住まう妖怪の王たちは、全員一致で悟空を首長に仰ぐことを決定し、以後は悟空を“大王”と敬うようになった。

「……不良や暴走族にヤンキーのトップ、って感じですかね」
「ニュアンス的には非常に近いな」

 規模的にはヤクザやマフィア、裏社会における連合組織のボスかも知れない。

「この頃になると、悟空はある悩みを抱えるようになった」

 自分に相応しい武器がない。

 仙人となった悟空には、普通の武器だと軽すぎるし弱すぎるのだ。

「そんな悩みをぼやいていると、いつぞや『王様に道心が芽生えた』と教えた知恵者の猿たちが、悟空にまた新しい知恵を授けてくれるんだ」

『東海の底におられる龍王様は大層な宝持ちとのこと。その龍王様にご相談すれば、大王様に見合った得物えものを得られるやも知れませぬ』

「ちなみに──この東海の底へ至る道だが」

 何故か花果山の水廉洞の中にある橋の下の川からいけるらしい。

「ご都合主義って知ってます?」
「いや、傲来国は東の海の果てにあると最初に断ってるしな」

 設定上なんら問題はない……はずだ。

「竜宮城を訪ねた悟空を東海龍王は丁重に出迎えた」

 生身で竜宮までやってこれる悟空を仙人と認めて、龍王は賓客ひんきゃくとして悟空を招き入れた。そして『武器を用立ててほしい』という要望も受け入れた。

「随分と物分かりがいいですね」
「単に『暴れられたら面倒だ』と思ったんだろ」

 下手に断って因縁をつけられるくらいなら、丁寧に応対して武器のひとつやふたつも与えれば穏便に済む……ぐらいの事なかれ主義が透けて見える。

 龍王はいくつかの武器を差し出すが、どれも悟空の手には馴染まなかった。

『これが一番重い武器? 全然軽すぎるなぁ……』

 さすがの龍王も困り果てていると、彼の奥方と姫君がやってきた。

 すると、姫君が父親にこんなことを進言する。

『数日前から宝物庫の奥に仕舞ってある神珍鉄しんちんてつがキラキラと目映まばゆいばかりの瑞気ずいきを立ち上らせているわ。あれは、神珍鉄がこの仙人様に出会って世に出たいとう合図ではないかしら?』

 しかし、龍王は困惑してしまう。

『あれは聖なる王“”が治水のために用いた、江海の底を突き固めるための(一説には川底を計るため)鉄の塊に過ぎない。使い物にならんぞ?』

『使えないんだったら、それはそれでいいじゃない。なんでもいいから仙人様に差し上げて、さっさと竜宮から出て行ってもらえば』

『……うん、それもそうだな。さすが我が娘!』

「いきなりフランクかつ無礼者になってませんか!?」
「俺の意訳でもあるが、大体こんなもんだぞ?」

 信乃のツッコミは後輩のツッコミに似て小気味良かった。

 東海龍王は宝物庫に悟空を連れていくと、見上げるほど高い天井まで突き上げる巨大な鉄柱を示して『これが神珍鉄です』と紹介した。

 その鉄柱は話にあった通り、キラキラと目映い瑞気を発していた。

『いやデカいな。本当にデカい。もっと使いやすくならんのか?』

 悟空が鉄柱に手を添えて呟くと、その意を介したかのように鉄柱はスルスルと小さく細くなり、武器としての棒に適した長さと太さに変化した。

 如意にょい金箍棒きんこぼう──重さ一万三千五百きん(約8t)。

 悟空の意のままに長さや太さを変え、重量も手に馴染む。

 これこそ我が得物に相応しいと悟空は大喜び。東海龍王も『これで帰ってくれる』と如意棒を差し上げて帰ってもらう……はずだったのだが。

『ついでに鎧とか兜とか靴とかも一式用意してくれないか? 立派なやつな』

 調子に乗った悟空は、あろうことか無茶振りしてきた。

 武器のコレクターではあるが防具系はイマイチな東海龍王は、なるべく悟空を刺激しないように断った。すると、悟空も穏やかに脅迫してくる。

『では仕方ない。貰ったばかりの如意棒で一暴れするしか……』
『ちょっとお待ちを! それがしの弟たち、3人の龍王に当たってみます!』

 こうして呼び出された、北海、南海、西海の龍王たち。

 龍王たちは『竜宮の全兵力で討ち取ろう』と悟空討伐を訴えるが、目の前で如意金箍棒を振り回す悟空を見ている東海龍王は良しとしない。

『あの神珍鉄を軽々と振り回すようなバケモノ仙人に敵うはずがない!』
『ええぇ……兄者がそこまでいうなら本物か?』
『勝てんのならどうするよ? このままだとこっちが滅ぼされかねんぞ?』

 そこで西海龍王がひとつの案を出した。

『この場は悟空やつの満足する鎧兜一式を与えて帰してやりましょう。後日、天界に上奏じょうそうして、あの不届き者を成敗してもらえばいい』

 ついでに──奪われた品々を取り返してもらおう。

 四大龍王はこの意見を採用、最高の防具を用意した。

「なんか……龍王たちって猿の孫悟空にヘコヘコして情けないですね」

 信乃の意見はもっともすぎてぐうの音も出ない。

 龍と言えば力の象徴みたいなところがある。
 その龍が孫悟空にやられっぱなしなのは違和感を覚えるようだ。

 しかし──。

「西遊記を初めとした中国の古典小説の世界において、龍はやられ役なんだよ」

 これにはいくつかの説がある。

 もっともらしいのは、龍王を頂点とした水の世界を管理する竜宮というシステムを実際の王朝に準えて、彼らの腐敗政治を揶揄やゆしているというものだ。

「また、中国文学の研究をされている中野美代子先生もこう仰っておられる」

 中国の龍はその超能力を──すべて孫悟空にあげてしまった。

「この一説は、このことを指しているんだろうな」

 東海龍王は──聖王の用いた如意金箍棒を。
 西海龍王は──黄金の鎖で編まれた帷子かたびらを。
 南海龍王は──鳳凰の羽で飾られた紫金の冠を。
 北海龍王は──蓮糸で編まれた歩雲履ほうんりを。

 特に東海龍王以外は、自分の愛用していた品々なので断腸の思いである。



「これが孫悟空第1の罪──龍王たちへの脅迫と強盗だ」

   ~~~~~~~~~~~~

 妖怪と怪獣の群れを率いる大王──その身を飾るに相応しい武器と防具。

 これを手に入れた悟空の威光は三千世界に轟いた。

「思い通りの品が手には入って嬉しかったのか、これらを装備した悟空は変化の術でウルトラマンよりも巨大化してお披露目。あまつさえ全世界を震撼させる咆哮を轟かせて自分の力を世に知らしめた」

「このお猿……まるでなろう主人公みたい」

「自重しないで図に乗りまくるところは、人間臭くて好感持てるけどな」

 こうして──孫悟空は名実ともに大王となる。

 大王となった孫悟空は、その実力を認める6人の魔王と義兄弟の契りを結ぶ。

「牛魔王、蛟魔王こうまおう鵬魔王ほうまおう獅駝王しだおう獼猴王びこうおう𤟹狨王ぐうじゅうおう……」

 魔王たちの名前を指折り数える逆神に、信乃は待ったを掛けてきた。

「ちょっと待ってください先ぱ……先生! 今、牛魔王って言いました? 牛魔王って西遊記におけるラスボスポジションにいる大妖怪ですよね?」

「その認識、間違ってるぞ」

 牛魔王は天竺までの道程──その道半ばで出会す中ボスだ。

 しかし、かなり優遇されている。

 その強さや能力が凄まじいのもさることながら、第一婦人の羅刹女らせつにょやその間に生まれた息子の紅孩児こうがいじ、第二婦人の玉面ぎょくめん公主こうしゅなどといった家族にも恵まれており、家族総出で三蔵一行の障害となって立ちはだかる。

 牛魔王自身もかつての義兄弟である悟空と大立ち回りを繰り広げるだけではなく、天界の神将たちとも戦い、大いに手こずらせるのだ。

「どういうわけか日本では必ずといっていいほどラスボスだけどな」
「あの有名アニメではその娘と結婚して義父ですけどね」

 あれはあれで良いアレンジだと思う。

 何はともあれ──孫悟空は義兄弟と共にどんちゃん騒ぎの宴会を催した。

「そして酔い潰れた悟空は一寝入りして…………死んだ」

「西遊記始まる前に死ぬんですか!?」

 これは冥界のミスである。

 悟空と同姓同名の人物がいたらしく、誤って悟空を冥界に連行してしまったのだ。

「これには諸説あり、悟空の寿命が本当に尽きたので冥府に連行されたが、仙人になっていた悟空は冥界の束縛を受けず、自力で生き返ったという捉え方もできる」

 酔いから覚めた悟空は自分が死んだことに大激怒。

 如意棒を振り回して冥界で大暴れ、獄卒では手に負えず『冥界の裁判官たる十王を呼んでこい! さもないと冥府をブッ壊すぞ!』と怒鳴り散らす。

 間違って不老不死の仙人を連行し、その怒りを買ってしまった。

 冥府の十王は平身低頭で謝るも悟空の怒りは収まらない。

『生きとし生けるものの寿命を記した生死簿せいしぼがあるだろう』

 そいつを持ってこい! と悟空は命じる。

 そこに自分の名前と眷族たる猿たちの名前を見付けた悟空は、十王から筆を取り上げると全員の名前を塗り潰してしまった。

「これにより悟空とその眷族は生死簿から名前を除かれた。ゆえに寿命による死というものがなく、一種の不老不死に近い状態になったわけだ」

 当然、由々しき大問題である。

 人間に限らずあらゆる生物の寿命は、天命によって定められている。

 これを書き換えられる道教世界における最高神の天帝、あるいは一部の神仙ぐらいに許された、文字通り神の御業みわざである。仙人になって日の浅い悟空に許されるはずもない所業しょぎょうだった。

「冥府十王もまた、四大龍王のように天界へと上奏文を飛ばした」
 この上奏文を記したのは地蔵菩薩とされている。

「龍王も冥界の王も手に負えない……そんな描写をしたかったんでしょうね」
「孫悟空に敵う者はいない、確かにそう印象づけたいんだろうな」

 そのイメージ戦略は――加速していく。



「これが孫悟空第2の罪――生死簿の改竄かいざんというある種の公文書偽造だな」

   ~~~~~~~~~~~~

 天界に御座おわす道教における最高神――天帝。

 玉帝ぎょくていとも呼ばれるこの神は、孫悟空誕生の時に報告を受けており、その存在を知っていた。しかし、この時は『怪しむには及ぶまい』と見逃していた。

『下界に生まれた者は天地の精気を受けて生じるものだ』

 悟空もその1人、いずれ大人しくなるだろうと思っていたらしい。

「しかし、ちょっと見ないうちに龍王からカツアゲするは、冥府の十王から生死簿を取り上げて書き換えるは……やりたい放題のし放題だ」

 龍王と冥府からの上奏文は天界に届けられた。

 これを目にした天帝は、悟空を捨て置けない危険因子と判断する。

『龍王と冥府に伝えよ。ただちに神将を派遣して捕らえさせるので案ずるなとな』

 有限実行──天帝は神将の選抜に取り掛かった。

『あの化け猿が生まれておよそ300年。いつの間にか仙術を学び、龍を降して虎を伏して、生死簿さえ削り取るとは……どの神将を遣わすべきか』

『──お待ちください玉帝陛下』

「ここで太白たいはく金星きんせいという神が天帝に進言する」
「名前からして金星を神格化したみたいな神様ですね」

 正しくは太白たいはく長庚星ちょうこうせい

 信乃の読み通り、金星を神格化したものとされている。

「三蔵法師一行が旅をする道中でも度々登場する神様だ。まだ悟空たちと出会う前に妖怪に捕らわれた三蔵を助けたり、苦難に見舞われた一行の前に現れて助言を与えたりと、アドバイザー的な役割をするキャラクターだな」

 初登場の仕事からして、天帝へのアドバイスである。

『恐れながら陛下、三界の中で九つのあなを持つ者(人間のこと)はすべて仙を収めることができます。聞けばこの猿、天地の精気より生まれ日月の霊気によって育まれ、天を頂き地を踏み、つゆを服みかすみみ、人間と変わることなく仙道を収めたとのこと……なにとぞ慈悲をもっていただくことにはなりませんか?』

「あれ? この太白金星という神様……悟空を庇ってくれるんですか?」
「いや、綺麗な言葉で取り繕ってるだけだぞ」

 太白金星の魂胆は、ズルい大人の考え方に似ている。

 もしくは──金持ち喧嘩せずだ。

『しかし、この化け猿の悪行を見逃すわけには行かぬ』
『そこでです。私めにひとつ、策がございます』

 太白金星はつらつらと前置きを並べ、ある提案をする。

『あの化け猿めに招安しょうあん聖旨せいしを降されて天界に呼び寄せるのです』

「招安……って何ですか?」

 後輩に負けず劣らずの知識量を持つ信乃も知らないらしい。聖旨というのは字面からして『天帝からの思し召し』と、なんとなく理解できたらしい。

 あまり使われない言葉なので仕方あるまい。

「簡単に言えば司法取引の一種だな」

 盗賊、山賊、海賊、謀反人……そういった反社会的な者たちを招き入れ、官位などを与える交換条件として帰順するように勧めることである。

 太白金星は招安の利点を挙げていく。

『招安に従って天帝にお仕えすると約束するならば恩賞を与えて家臣とし、もしも背くようなことあれば捕らえて罰すれば良いのです。さすれば神将を差し向けることも大軍を動かすこともなく、龍王や冥府も敵わなかった道術使いを天界の戦力として留め置くことと相成りましょうぞ』

 この策には天帝も納得してご満悦だった。

『ふむ、名案じゃな……では太白金星、そなたの申す通りにいたそう』

「……大人って汚いですねぇ」
 信乃は可愛い顔が台無しになるほど拗ねていた。

「そういえば先ぱ……先生も、 私の親戚な信一郎くんに、非常勤の仕事をあげたからって無理難題ばっか押し付けてますもんねぇ……」

 信乃の視線は女々しい後輩ばりに恨みがましかった。
 しかし、逆神の鉄面皮には通じない。

「正当な取引だ。非難される謂われはないな」

 優しい先輩として後輩を厳しく躾けているだけだ。

「昔から言うだろう? 獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすものだ」
「先ぱ……先生は谷の上からバンバン大岩を投げ込みますよね?」

 そこはそれ──スパルタ方式である。

「招安の聖旨は大人らしい上手いやり方さ。政治的な取引だよ」

 太白金星は招安の聖旨を携え、悟空の根城ともいうべき花果山を訪ねる。

 天界に招かれること、仙籍せんせきを授けられること(野良仙人から天界公認の仙人として登録される)、これらを聞いて悟空は有頂天で舞い上がってしまう。

「招安とか言われてもスルーしてそうですよね」
「実際、完全に聞き流しているしな」

 太白金星の導きにより、悟空は天帝へお目通りするため天界へと昇る。



「孫悟空の罪状が増えていくのは──これからだ」
しおりを挟む

処理中です...