道参人夜話

曽我部浩人

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第七夜   血塊

第2話 鬼の娘が抱きついてきた

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 大魔道師『白山はくさん神通坊じんつうぼう』の愛娘──。
 シラヤマ・ギガトリアームズ・T・ティアーナ・マイル。

 炎の魔道師『火車かしゃ』のじゃじゃ馬娘──。
 火野ひのあかね

 信一郎は進学を機に上京してきた彼女たちに、屋敷の一室を貸し与えて住まわせている。そしてもう一人、預かることになっている少女がいるのだ。

 魔道師『羅城門らじょうもん』の号を持つ朱雀院すざくいんハット。
 その妹──朱雀院アリス。

 鬼の名を冠する魔道師でも、『酒呑しゅてん童子どうじ』に並ぶ名家とのことだ。

 兄弟揃って外人みたいな名前だが日本人である。

 漢字に直すと兄のハットは『初人』で、妹のアリスは『亜理主』となるらしい。なんとなくルイス・キャロルの著作を連想させる。

 そのアリスを迎えるため、女性化した信一郎は東京駅にやって来ていた。

 女性になっているのには事情については、後ほど判明する。

 信一郎は新幹線のプラットホームで、やがて来るアリスを待っていた。

 そこまで念入りな理由──それはアリスがまだ幼いからだ。 
 万が一にも迷子にしないための、心配性な信一郎らしい対応だった。

 アリスは今年小学一年生。

 地元の小学校に進学すれば良いだけで、転校する必要性は全くない。それを押してアリスは「信一郎の屋敷で一緒に暮らす」というワガママを貫いてしまった。

 それほどまでにアリスは信一郎を懐いている。
 それがアリスを預かる理由にもなっていた。

「……まあ、懐かれている理由がアレ・・なんだけどね」

 信一郎にしてみれば諸手を挙げて喜べないのだが、アリスに文句を言えるはずもなく、渋々ながらも受け入れるしかなかった。

 思い悩んでいる内に、新幹線がその長い鼻をホームに滑り込ませてきた。
 乗車口が目の前で止まり、ドアがゆっくりとスライドする。

 ドアが開いた瞬間──可愛い子鬼が飛び出してきた。

「──母様カアサマ母さまかあさまぁっ!」

 精魂込めて造型された人形のように愛らしい童顔、ぷにぷにと柔らかそうな頬は喜びに叫ぶ小さな口に引き伸ばされ、その口からは牙と呼べそうなほど鋭い八重歯やえばを覗かせていた。華奢で小振りな身体の割にはしなやかに伸びた腕と脚を総動員させて、子鬼は信一郎に飛びかかってくる。

 ツインテールにされた髪は陽光を浴びるとやや紫色を帯びており、身にまとうライトパープルな甘ロリ風のドレスと良くマッチしていた。

 彼女こそが『羅城門』の朱雀院ハットの妹──朱雀院アリス。

 獲物に襲いかかる肉食獣のようなアリスを、信一郎は待ち受けていたかのように抱き留めた。それでも後ろに数歩、たたらを踏まされる。

「ああぁ、母様のお胸だぁ……良い匂いぃ……」
 アリスは信一郎の豊満な乳房に顔を埋めて、しがみついたまま離れない。

「母様の大っきなお胸、母様の甘い匂い、母様の温もり……アリスは今日という日が来るのを待ち焦がれてたんです! ああ、母様カアサマ母さま~♪」

「ア、アリスちゃん!? 胸で顔動かすの止め……ひうっ!? ちょ、待っ……」
 不覚にも変な声を上げそうになるが、なんとか喉元で堪える。

「母様! 母様! 母様! 母様母様母様母様母様母様母様母様母様ーッ!」
 一方、アリスは自制心を吹っ飛ばすくらいトリップしていた。

 アリスは物心つく前に母親と死に別れている。
 信一郎はその母親に瓜二つらしいのだ。

 兄であるハットも初対面では「面食らいました……」と驚き、アリスは「母様が帰ってきた!」と勘違いして抱き着いてきたほどである。

 その後、アリスは信一郎と母親ではないと理解してくれた。

 だがしかし、アリスは母が恋しくて仕方なかったらしく、信一郎に母親の代わりを求めてきたのだ。それほどアリスは寂しい思いをしていたのだろう。

『あなたが本当の母様じゃないのはわかりました。それでも、ご迷惑じゃないなら……母様って呼んでもいいですか?』

 涙目の幼女に上目遣いで懇願こんがんされたら──断れるわけがない。

 以来、信一郎はアリスの母親になってしまった。
 女性になっているのは、アリスを迎えるために他ならない。

「ふう……久し振りに母様を堪能しました。よいしょっと」
 満足したアリスはホームに降り立つと、天使のような極上の笑顔を捧げてくる。

「今日からずーっと一緒に暮らせるんですよね、母様♪」
「え? あ、うん……そうだね」

 信一郎は曖昧な笑みを返すことしかできなかった。

 ハットとの約束では「アリスが満足するまで」というほぼ無期限な取り決めなので、アリスが言う「ずーっと」の期限に見当がつかないのだ。

「ようこそアリスちゃん、よく一人で来られたね。大丈夫だった?」
 信一郎は深呼吸で気持ちを切り替えると、笑顔でアリスを迎えてやった。

「はい母様、大丈夫でした。アリスだってもう八歳です。新幹線ぐらい一人で乗れます。でも、駅まではメイドの阿美あみ美吽みうんが送ってくれたし、切符も兄様が買ってくれたんですけど……」

「それでも一人で来られたんだろう? 凄いじゃないか」

 大袈裟にアリスを褒めると、その小さな頭を撫でてやる。
 アリスは嬉しそうに目を細めて頬を緩め、小さな胸を誇らしく張った。

「当然です! なんてったってアリスは母様の娘なんですから!」

 まさか子持ちの母親になるとは夢にも思わなかった。
 未婚で彼女もいなくて女性経験すらほとんどない自分が母親になるなんて、予見できるわけがない。

 だが、悪くない──母様と呼ばれる度、暖かい気持ちでこみ上げてくる。

 信一郎は「自分は男」という強い自覚を持っているが、アリスに会う度にそれが揺らいでいることも自覚していた。

 女扱いは嫌だけど、母親と呼ばれることには嫌悪感がないのだ。

 むしろアリスのためなら何でもしてやりたい、という積極性まで芽生えている。
 その気持ちを受け入れつつあることに、戸惑いを感じていた。

「マイルちゃんはもう家に来ているよ。アリスちゃんが来るのを待ってたね」
「姉様が!? そうだ、姉様とも一緒に暮らせるんですよね! わーい♪」

 信一郎は母として、マイルは姉として慕われていた。

 順番的には信一郎の次で、実兄のハットよりも愛されている。

 これに対してハットはノーコメントだったが、その背中が物悲しさを湛えていたのは言うまでもない。

「母様と一緒♪ 姉様と一緒♪ ずーっと一緒ー♪」
 小躍りするアリスに、他にもまだ同居人がいることを伝えておく。

「それとあかねちゃんも一緒だし、いてもいなくても同じだけど幽谷響やまびこもいるよ」

「幽谷響はどうでもいいです──茜は殺します」
 笑顔から一転、酔いから覚めた素面しらふのようにアリスは言い捨てた。

 アリスは人の好き嫌いが露骨で、嫌いな人間には「殺す」というのだ。

「聞いてください母様! 茜の奴ってばアリスん家に来るたんび『おみやげ寄越よこせー♪』ってアリスが大切にとっておいたお菓子をゴッソリ盗んでいくんですよ! あんな奴死ぬべきです! アリスが殺してやります! 叩いて潰してペッチャンコに……あ痛っ!?」

「こら、無闇に殺すって言葉を使ったら駄目だって言ってるだろう?」
 殺す殺すと連呼するアリスの額を、信一郎はそっと突っついた。

 どうにも──アリスと茜は仲が悪い。

 茜はあの通りちゃらんぽらんで人を茶化すのが上手いから、それが真正直で冗談の通じないアリスの怒りを買うのだ。

 マイル曰く、「喧嘩するほど仲が良いの見本です」とのこと。

「アリスちゃんも女の子なんだから言葉遣いは気をつけなきゃ駄目だよ。殺すなんて物騒な言葉、軽々しく使っちゃいけないんだ。わかったかい?」

「……はい、ごめんなさい母様」

 アリスは小突かれた額を押さえて、脅える子犬みたいに震えながら頷いた。
 信一郎はアリスの頭を撫で、その小さな手を柔らかく握った。

「それじゃあ行こう、今日は東京を案内してあげる約束だったね。アリスちゃんはどこに行きたい? リクエストがあるならどこにでも連れってあげるよ」

「は、はい! ありがとうございます母様!」
 華やいだ笑顔でアリスはリクエストを上げてくる。

「えーっと、池袋ナンジャタウンってとこに行ってみたいです! それと東京スカイツリーってのも見てみたいです! それから渋谷の109ってところでお洋服も買ってみたいです! あと秋葉原ってところでこっちのメイドも見てみたいです! あと、それからそれから……」

 指折り数えていたアリスから、キュルキュルと奇妙な音が響いた。
 アリスは顔を真っ赤に俯いてしまった──どうやらお腹の音だったらしい。

「まずはお昼にしようか……アリスちゃん、食べたいものある?」
「はい、母様! アリスは……お寿司! 回るお寿司が食べたいです!」


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