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Day 1:さよなら、「彼の味」が世界のすべてだった私
午前6時ちょうど。アラームではなく、カーテンの隙間から差し込む一筋の鋭い光に刺されて、意識が浮上した。
1日目の朝。身体の芯が、まだ凍ったままだ。
枕に顔を埋めると、まだ彼の匂いが微かに残っている気がした。
嗅ごうとはしなかった。記憶に捕まりたくなかった。
「嫌いになりたくないから」
あの言葉が、また耳の奥で響く。
床に転がっていたスマートフォンを拾い上げる。ひび割れた保護フィルム越しに見る画面には、時刻と日付以外、私が期待するものは何もなかった。
優也からの不在着信も、取り消されたメッセージの痕跡も、ない。
当たり前だ。嫌いになる前に、捨てられたのだから。
◇
重たい身体を引きずって洗面所へ向かう。鏡に映ったのは、知らない女だった。
泣きすぎて瞼は昨夜のアイスの残骸のように腫れ上がり、目の下には青黒い影が滲んでいる。
まるでパンダだね、と乾いた唇の端を無理やり持ち上げてみる。
そこに映ったのは、笑顔とは呼べない、ただの筋肉の痙攣だった。
顔を洗う。冷たい水が、少しだけ現実を連れてくる。
◇
キッチンに立ち、いつものようにコーヒーを淹れる。
豆を計り、ミルで挽き、お湯を沸かす。身体が記憶している、無意味なほど正確なルーティン。
ドリッパーからサーバーへ、黒い雫が「ぽつ、ぽつ」と落ちる。
その音が、私の心臓の鼓動と重なる。
一滴、また一滴。時間が、液体になって落ちていくみたいだ。
マグカップを両手で包み込む。指先に伝わる熱だけが、私が生きている唯一の証拠だった。
一口、含む。
その瞬間、息が止まった。
苦い。
舌の付け根を焼く苦さ。いつもと同じ豆なのに、世界が変わった味。
たぶん、私の舌が変わったんじゃない。世界を知覚する、私の心が、根本から変質してしまったのだ。
◇
吐き気にも似た感覚に襲われ、冷蔵庫を開ける。
昨夜買ったストロベリーアイス。
冷凍庫の白い霜が、私の心みたいに凍りついている。
スプーンで一口すくって口に放り込むと、人工的な甘さが喉に張り付いた。それでも、罰のように、スプーンを運び続ける。
不意に、遠い記憶が蘇る。
本当は私、チョコミントが好きだったんじゃないだろうか。
優也が「歯磨き粉みたいで嫌い」と言ったから、いつの間にか私も、同じように思うフリをしていただけで。
やっとの思いでアイスを全部食べ終え、ソファに座ってスマホを開く。
指が、微かに震えた。
画面に映る自分の顔を避けるように、角度を変える。
優也のアカウントをブロックしようか一瞬迷ったけれど、まだその勇気はなかった。
◇
窓を開けると、涼しい朝の風が部屋に入り込んでくる。
テーブルの上の、優也のマグカップが目に入る。
洗わなければ。でも、まだ触れたくない。
そっと目を逸らして、窓の方を向いた。
スマホが震え、親友の美咲からのメッセージが表示される。
『こころ、おはよー!! 今日空いてる? ランチ行こ!』
本当は、全部話してしまいたかった。優也と別れたことも、一晩中泣き明かしたことも。
でも、今は誰にも会いたくなかった。惨めな顔を見せたくなかった。
『おはよー。ごめん、今日はちょっと…』
送信すると、すぐに既読がつき、返信が届く。
『そっか! また誘うね💕 無理しないでね』
その優しさが心に沁みて、また涙がこぼれた。
美咲は気づいているのかもしれない。私の「ちょっと」の意味を。
◇
窓の外を見ると、土曜の朝の公園では子どもたちの声が聞こえる。
顔は見えない。ただ、笑い声だけが風に乗って届く。
犬の散歩をする老人、自転車で駆け抜けていく学生。
空には、ちぎれ雲が流れている。
その雲は、形を変えながら、ゆっくりと東へ流れていく。
私の心も、あの雲みたいに、形を失って、どこかへ流されていくような気がした。
世界は、私が失恋したくらいでは何一つ変わらず、当たり前に動いている。
その揺るぎない日常の風景が、その絶対的な無関心さが、なぜか、ほんの少しだけ。
息をするための、小さな隙間をくれた気がした。
苦いコーヒーを飲み干す。
明日も、きっと苦いだろう。
それでも、淹れるんだろうな。
1日目の朝。身体の芯が、まだ凍ったままだ。
枕に顔を埋めると、まだ彼の匂いが微かに残っている気がした。
嗅ごうとはしなかった。記憶に捕まりたくなかった。
「嫌いになりたくないから」
あの言葉が、また耳の奥で響く。
床に転がっていたスマートフォンを拾い上げる。ひび割れた保護フィルム越しに見る画面には、時刻と日付以外、私が期待するものは何もなかった。
優也からの不在着信も、取り消されたメッセージの痕跡も、ない。
当たり前だ。嫌いになる前に、捨てられたのだから。
◇
重たい身体を引きずって洗面所へ向かう。鏡に映ったのは、知らない女だった。
泣きすぎて瞼は昨夜のアイスの残骸のように腫れ上がり、目の下には青黒い影が滲んでいる。
まるでパンダだね、と乾いた唇の端を無理やり持ち上げてみる。
そこに映ったのは、笑顔とは呼べない、ただの筋肉の痙攣だった。
顔を洗う。冷たい水が、少しだけ現実を連れてくる。
◇
キッチンに立ち、いつものようにコーヒーを淹れる。
豆を計り、ミルで挽き、お湯を沸かす。身体が記憶している、無意味なほど正確なルーティン。
ドリッパーからサーバーへ、黒い雫が「ぽつ、ぽつ」と落ちる。
その音が、私の心臓の鼓動と重なる。
一滴、また一滴。時間が、液体になって落ちていくみたいだ。
マグカップを両手で包み込む。指先に伝わる熱だけが、私が生きている唯一の証拠だった。
一口、含む。
その瞬間、息が止まった。
苦い。
舌の付け根を焼く苦さ。いつもと同じ豆なのに、世界が変わった味。
たぶん、私の舌が変わったんじゃない。世界を知覚する、私の心が、根本から変質してしまったのだ。
◇
吐き気にも似た感覚に襲われ、冷蔵庫を開ける。
昨夜買ったストロベリーアイス。
冷凍庫の白い霜が、私の心みたいに凍りついている。
スプーンで一口すくって口に放り込むと、人工的な甘さが喉に張り付いた。それでも、罰のように、スプーンを運び続ける。
不意に、遠い記憶が蘇る。
本当は私、チョコミントが好きだったんじゃないだろうか。
優也が「歯磨き粉みたいで嫌い」と言ったから、いつの間にか私も、同じように思うフリをしていただけで。
やっとの思いでアイスを全部食べ終え、ソファに座ってスマホを開く。
指が、微かに震えた。
画面に映る自分の顔を避けるように、角度を変える。
優也のアカウントをブロックしようか一瞬迷ったけれど、まだその勇気はなかった。
◇
窓を開けると、涼しい朝の風が部屋に入り込んでくる。
テーブルの上の、優也のマグカップが目に入る。
洗わなければ。でも、まだ触れたくない。
そっと目を逸らして、窓の方を向いた。
スマホが震え、親友の美咲からのメッセージが表示される。
『こころ、おはよー!! 今日空いてる? ランチ行こ!』
本当は、全部話してしまいたかった。優也と別れたことも、一晩中泣き明かしたことも。
でも、今は誰にも会いたくなかった。惨めな顔を見せたくなかった。
『おはよー。ごめん、今日はちょっと…』
送信すると、すぐに既読がつき、返信が届く。
『そっか! また誘うね💕 無理しないでね』
その優しさが心に沁みて、また涙がこぼれた。
美咲は気づいているのかもしれない。私の「ちょっと」の意味を。
◇
窓の外を見ると、土曜の朝の公園では子どもたちの声が聞こえる。
顔は見えない。ただ、笑い声だけが風に乗って届く。
犬の散歩をする老人、自転車で駆け抜けていく学生。
空には、ちぎれ雲が流れている。
その雲は、形を変えながら、ゆっくりと東へ流れていく。
私の心も、あの雲みたいに、形を失って、どこかへ流されていくような気がした。
世界は、私が失恋したくらいでは何一つ変わらず、当たり前に動いている。
その揺るぎない日常の風景が、その絶対的な無関心さが、なぜか、ほんの少しだけ。
息をするための、小さな隙間をくれた気がした。
苦いコーヒーを飲み干す。
明日も、きっと苦いだろう。
それでも、淹れるんだろうな。
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