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Day 9:さよなら、「彼との部屋」に住んでいた私
泣かない朝が、二日続いた。
その事実は、私の中に小さな自信の芽を育て始めていた。
でも、まだこの部屋は危険な場所だった。至る所に、彼との記憶が地雷のように埋め込まれている。
ソファに座れば、隣で笑っていた彼を思い出す。
ベッドに横になれば、腕枕の温もりを肌が記憶している。
このままではいけない。私は、この部屋の呪いを解かなければならない。
◇
その日、私は一日かけて、部屋の模様替えをすることに決めた。
それは単なる気分転換ではなかった。過去の私と決別するための、神聖な儀式だった。
まず、窓という窓をすべて開け放ち、初夏の風を部屋いっぱいに招き入れた。
カーテンが大きく膨らみ、まるで部屋が深呼吸をしているようだ。淀んでいた空気が、一気に流れ出していく。
彼が好きだったジャズのプレイリストではなく、私が最近見つけた、歌詞のないアンビエントミュージックを静かに流す。
音の風景から、彼の痕跡を消していく。
◇
最初に手をつけたのは、一番の大物であるベッドだった。
二人で眠っていた頃は部屋の真ん中に鎮座していたそれを、壁際にぐっと押しやる。
軋む音を立てながら動くベッドは、まるで私の凝り固まった心が動く音のようだった。
位置が変わるだけで、部屋の重心が大きく動いた。
そこはもう、二人で眠るための場所ではなく、私一人が安らぐための、パーソナルな空間になった。
次に、ソファ。彼が定位置にしていた右側は、クッションが少しだけへたっている。
そのクッションをひっくり返し、向きを変え、窓から一番遠い壁際へと移動させた。
今までテレビを見るためにあったソファは、これからは窓の外を眺めながら本を読むための場所になる。
◇
本棚、デスク、小さなダイニングテーブル。
汗だくになりながら、すべての家具の位置を変えた。
見慣れたはずの1LDKが、全く知らない空間へと生まれ変わっていく。
壁に飾ってあった、二人で旅行した時に買ったポスターを外し、代わりに真っ白なキャンバスを飾った。
まだ何も描かれていない、未来のための余白。
最後に、クローゼットの奥に押し込んだ、彼のパーカーを取り出した。
まだ微かに、彼の柔軟剤の匂いがする。
一瞬、胸が詰まったけれど、もう泣かなかった。
私はそのパーカーを丁寧に畳み、段ボール箱に入れる。
いつか返せる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
でも、少なくとも、私の日常からは隔離する必要があった。
◇
日が暮れる頃、すべての作業を終えて部屋の真ん中に立つと、そこはもう「私たちの部屋」ではなかった。
彼の影はどこにもなく、そこにあるのは、これから始まる「私の場所」の気配だけだった。
壁に寄りかかり、床に座り込む。汗が首筋を伝う感覚が、心地よかった。
身体的な疲労が、精神的な痛みを上回った、久しぶりの感覚。
新しい配置になったソファから窓の外を見ると、今までとは違う角度で、月が見えた。
同じ月なのに、新しい部屋から見ると、全く違って見えた。
世界は変わらない。でも、視点を変えるだけで、見えるものはこんなにも変わるのだ。
その夜は、新しいベッドの位置で、深く、静かに眠ることができた。
その事実は、私の中に小さな自信の芽を育て始めていた。
でも、まだこの部屋は危険な場所だった。至る所に、彼との記憶が地雷のように埋め込まれている。
ソファに座れば、隣で笑っていた彼を思い出す。
ベッドに横になれば、腕枕の温もりを肌が記憶している。
このままではいけない。私は、この部屋の呪いを解かなければならない。
◇
その日、私は一日かけて、部屋の模様替えをすることに決めた。
それは単なる気分転換ではなかった。過去の私と決別するための、神聖な儀式だった。
まず、窓という窓をすべて開け放ち、初夏の風を部屋いっぱいに招き入れた。
カーテンが大きく膨らみ、まるで部屋が深呼吸をしているようだ。淀んでいた空気が、一気に流れ出していく。
彼が好きだったジャズのプレイリストではなく、私が最近見つけた、歌詞のないアンビエントミュージックを静かに流す。
音の風景から、彼の痕跡を消していく。
◇
最初に手をつけたのは、一番の大物であるベッドだった。
二人で眠っていた頃は部屋の真ん中に鎮座していたそれを、壁際にぐっと押しやる。
軋む音を立てながら動くベッドは、まるで私の凝り固まった心が動く音のようだった。
位置が変わるだけで、部屋の重心が大きく動いた。
そこはもう、二人で眠るための場所ではなく、私一人が安らぐための、パーソナルな空間になった。
次に、ソファ。彼が定位置にしていた右側は、クッションが少しだけへたっている。
そのクッションをひっくり返し、向きを変え、窓から一番遠い壁際へと移動させた。
今までテレビを見るためにあったソファは、これからは窓の外を眺めながら本を読むための場所になる。
◇
本棚、デスク、小さなダイニングテーブル。
汗だくになりながら、すべての家具の位置を変えた。
見慣れたはずの1LDKが、全く知らない空間へと生まれ変わっていく。
壁に飾ってあった、二人で旅行した時に買ったポスターを外し、代わりに真っ白なキャンバスを飾った。
まだ何も描かれていない、未来のための余白。
最後に、クローゼットの奥に押し込んだ、彼のパーカーを取り出した。
まだ微かに、彼の柔軟剤の匂いがする。
一瞬、胸が詰まったけれど、もう泣かなかった。
私はそのパーカーを丁寧に畳み、段ボール箱に入れる。
いつか返せる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
でも、少なくとも、私の日常からは隔離する必要があった。
◇
日が暮れる頃、すべての作業を終えて部屋の真ん中に立つと、そこはもう「私たちの部屋」ではなかった。
彼の影はどこにもなく、そこにあるのは、これから始まる「私の場所」の気配だけだった。
壁に寄りかかり、床に座り込む。汗が首筋を伝う感覚が、心地よかった。
身体的な疲労が、精神的な痛みを上回った、久しぶりの感覚。
新しい配置になったソファから窓の外を見ると、今までとは違う角度で、月が見えた。
同じ月なのに、新しい部屋から見ると、全く違って見えた。
世界は変わらない。でも、視点を変えるだけで、見えるものはこんなにも変わるのだ。
その夜は、新しいベッドの位置で、深く、静かに眠ることができた。
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