『さよなら、彼に依存していた私―30日間の失恋回復ストーリー』

月下花音

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Day 22:さよなら、「重たい髪」と一緒にうつむいていた私

 走ることで身体に自信を取り戻した私は、次なる儀式のために、美容院の予約を入れた。

 彼が「長い方が好きだから」と言ったから、ずっと伸ばし続けていた髪。肩甲骨まで届くこの黒髪には、彼の指が何度も絡み、彼の好きなシャンプーの香りが染み付いていた。

 髪の一本一本に、彼の指の記憶が絡んでいる。

 重たいガラスのドアを開けると、「いらっしゃいませ」という明るい声と、パーマ液のツンとした匂いが迎えてくれた。シャンプー台に案内され、目を閉じる。アシスタントの若い女性の、少し不器用な指が、私の髪を優しく洗っていく。

 頭皮をマッサージされる心地よさに身を委ねながら、私はこの髪と共に過ごした2年間を思い出していた。幸せだった記憶も、辛かった記憶も、すべてこの髪の一本一本に記録されているような気がした。

「今日は、どうされますか?」

 カット席に座り、鏡の前に座る私に、担当の美容師が尋ねた。

 私は、一瞬も迷わずに答えた。

「ばっさりと、切ってください。ショートボブに」

 美容師は少し驚いた顔をしたが、すぐにプロの笑顔に戻り、「わかりました。何か、心境の変化でも?」と軽口を叩いた。

 私は鏡の中の自分を見つめながら、静かに答えた。

「ええ、まあ。新しい自分になりたくて」

 ハサミが、最初のひと束に、入る。

 ジョキリ、という乾いた、しかし決定的な音が、静かな店内に響いた。

 床に落ちていく、黒い髪の束。それは瞬間だった。身体から切り離されていくすべてが、私のいた過去の私、その思い出、彼に縛られてではなかった。彼との、ただの髪の毛

 ハサミの音が、リズミカルに続く。

 髪が短くなるにつれて、頭が、そして心が、どんどん軽くなっていくのがわかった。物理的な重さ以上の、見えない何かが、私から剥がれ落ちていく。

 鏡の中の女の輪郭が、少しずつ変わっていく。隠れていた首筋や耳の形が現れ、見慣れない、しかし紛れもない「私」の顔が、そこにあった。

「どうでしょう?」

 ブローを終え、美容師が鏡を見せてくれる。

 そこにいたのは、別人だった。

 軽やかで、少しだけボーイッシュで、でも意志の強さを感じさせる瞳を持った、知らない女。

 そして、その別人が、紛れもなく、これからの私なのだ。

「すごく、いいです。ありがとうございます」

 心からの感謝を伝えた。

 髪を切るという行為は、失恋した女の常套手段だと、どこかで馬鹿にしていた。でも、違った。これは、過去の自分と決別し、新しい自分として生まれ変わるための、最もパワフルな魔法だったのだ。

 店を出て、ショーウィンドウに映る自分の姿を見る。風が、短くなった髪を優しく揺らす。視界が、驚くほど広い。

 もう、うつむいて歩く必要はない。

 ◇

 軽やかな足取りで歩いていると、家電量販店の前を通りかかった。

 ふと、ポケットの中のスマートフォンに手が触れる。

 あの、ひび割れた保護フィルム。

 別れの日から、ずっとそのままだった。画面を見るたびに、あの日の痛みを思い出していた。

 立ち止まり、店の入り口を見つめる。

 髪を切った。新しい自分になった。

 なら、これも変えてしまおう。

 店内に入ると、明るい照明と、最新機種が並ぶディスプレイが目に飛び込んできた。

「何かお探しですか?」

 店員が声をかけてくる。

「スマートフォン、新しいのに変えたいんです」

 私は、迷わずそう答えた。

 古いスマホを取り出すと、店員は一瞬、ひび割れた画面に目を留めた。

「かなり使い込まれてますね。データ移行のお手伝いもできますよ」

 データ移行。

 彼とのメッセージ、写真、通話履歴。すべてが、この小さな端末の中に眠っている。

 でも、もういい。

「いえ、大丈夫です。必要なものだけ、自分で移します」

 新しいスマホは、驚くほど軽かった。

 傷一つない画面は、まるで鏡のように、新しい髪型の私を映し出していた。

 会計を済ませ、店を出る。

 手の中の新しいスマホと、ショーウィンドウに映る新しい髪型の私。

 すべてが、生まれ変わった。

 私は、この新しい髪で、この新しいスマホで、新しい人生を歩き出すのだ。
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