論理で恋を解く男が、星のように揺れる夜

月下花音

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第10話 「僕らの不確定性」

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午後2時の古本屋。

透は物理学の棚を整理していた。

アインシュタイン、ハイゼンベルク、ホーキング。

不確定性原理を探求した学者たちの言葉が、静かに並んでいる。

「未来は、不確定だ」

透は小さくつぶやく。

でも、だからこそ、美しい。



五路交差点発、哲学者のほろにがログ。第10話。

店主の老人が、カウンターでラジオを聞いている。

「透くん、未来って不思議だよね」

「どうしてですか?」

「見えないのに、みんな信じてる」

透は少し考える。

「未来は、不確定だからこそ、希望があるんです」

老人は小さく笑った。

「そうだね。確定してたら、つまらないもんね」

夕方、透は公園のベンチに座っていた。

サンドイッチを頬張りながら、人々を眺める。

高校生のカップルが、並んで歩いている。

手を繋ぎたそうだが、繋げない。

未来が不確定だから、怖いのだろう。

「不確定性、か」

透は小さく笑う。

恋は、いつも不確定だ。



午後11時の相談所。

透は机に向かい、新しい手紙を開いた。

便箋には、丸い文字でこう書かれていた。

『文化祭で、好きな人に告白したいです。

でも、成功するか分かりません。

失敗したら、どうなるか分かりません。

未来が不確定で、怖いです。

僕らの不確定性を、どう受け入れればいいですか?

18歳・男性』

透はペンを取り、ノートに書き込む。

「告白成功率をP、失敗後の関係をR、不確定性の恐怖をFとする。

だが、この式には本質が欠けている。

不確定性は、恐怖ではない。希望だ」

透の手が止まる。

窓の外、星空が見える。

星の未来も、不確定だ。

いつか消えるかもしれない。

でも、今は輝いている。

「不確定性、か」

透は便箋に、丁寧な文字で書き始めた。

『あなたの悩みは、告白が成功するか分からないことではありません。

あなたの悩みは、未来が不確定なことです。

でも、それは正常です。

未来は、いつも不確定です。

告白が成功するか、分かりません。

失敗したら、どうなるか、分かりません。

でも、それが恋です。

不確定だからこそ、ドキドキします。

不確定だからこそ、勇気が必要です。

不確定だからこそ、美しいのです。

もし未来が確定していたら、どうでしょう?

告白が成功すると分かっていたら、ドキドキしません。

失敗すると分かっていたら、諦めます。

不確定だからこそ、挑戦できます。

不確定だからこそ、希望があります。

僕らの不確定性を、受け入れてください。

そして、その不確定性を、楽しんでください。

文化祭で、告白してください。

成功するかもしれません。

失敗するかもしれません。

でも、どちらでも、あなたは成長します。

不確定性は、恐怖ではありません。

不確定性は、可能性です。

その可能性を、信じてください。

藤原透』

透は手紙を封筒に入れ、棚に置いた。

棚には、少しずつ手紙が増えている。

不確定な未来に悩む人たちの、切ない想いが並んでいる。

「不確定性、か」

透は窓の外を見る。

美月との未来も、不確定だ。

いや、未来などない。

彼女は、ただの相談者だ。

「そうだ、ただの相談者だ」

透は自分に言い聞かせる。

でも、心拍は、嘘をつかない。

その時、ドアが軽くノックされた。

透は顔を上げる。

「どうぞ」

ドアがゆっくり開き、美月が入ってきた。

いつもの肩までの黒髪、少し疲れたような優しい目。

でも今夜は、瞳の奥に深い水底のような影が揺れている。

美月は椅子に座らず、机の前に立ったままだった。

「……今夜は、手紙じゃなくて。直接でいいですか?」

透さん」

透は無言で頷いた。

美月は一度深く息を吸い、吐いて、静かに口を開いた。

「私……八年前の11月18日に、大切な人を永遠に失くしました」

透の指が、ペンを握りしめたまま凍りつく。

「その人は、私に電話をくれたんです。最後に、どうしても話したいって。

でも私は……『明日、学校でね』って、笑いながら切っちゃった」

美月の声が、かすれる。

「それが、最後の会話でした」

透の胸の奥で、何かがひび割れる音がした。

美月は目を伏せたまま、続けた。

「それから毎日、自分を責めてます。

『明日』なんて、来なかったのに。

あの時、電話に出ていれば。

あの時、『今話そう』って言っていれば。

きっと、今も一緒に星を見上げてたのに」

透の喉が、熱い。

八年前の11月18日。

雪からの最後の電話。

「今忙しい、後でね」

美月はゆっくり顔を上げた。

涙は流していない。

でも瞳が、濡れて光っている。

「藤原さんも……同じですよね」

透は、言葉を失う。

美月は小さく、雪と同じ八重歯を見せて笑った。

「ごめんなさい。急に重い話して。

でも、なんとなく……藤原さんなら、分かってくれる気がしたんです。

11月18日が、特別な日だってことも。

誰かを救えなかった罪を抱えて、生きてるってことも」

部屋に、長い沈黙が落ちる。

透はようやく、掠れた声で答えた。

「……ああ」

美月は静かに頷いた。

美月は踵を返し、ドアノブに手をかける。その背中に、透は思わず声をかけた。

「高橋さん」

美月が振り返る。

「君は……悪くない」

美月の瞳が、わずかに揺れた。

「……ありがとうございます」

でも、その声は震えていた。

ドアが閉まる音が、静かに響く。

透は一人残され、自分の胸に手を当てた。

心拍が、八年ぶりに痛いほど速い。

「……ゆき」

透は立ち上がり、窓を開けた。

冷たい夜風が頰を打つ。

星空を見上げる。

「僕らの不確定性、か」

小さくつぶやく声は、誰にも届かない。

でも、今夜だけは、風に乗って、どこか遠くへ届くような気がした。

透は相談所を出て、交差点に立った。

五つの道。

どれも、八年前と同じ闇に続いている。

風が、八年前の匂いを運んでくる。

透は空を見上げた。

星が、静かに、静かに、泣いているように見えた。

(第10話完 次話へ続く)

次回、透は「君だけが知らない公式」について考える。
そして、美月の封筒の中身が——君の想像する「真実」が、少しずつ動き始める——。
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