【完結】婚約破棄されたら執着獣人閣下に無理やり番にされたので利用し尽くしつくします~運命の番といわれ溺愛されても信じられません~

たるとタタン

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5話 家族

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屋敷の扉を開けると、ひやりとした空気がハリエルを迎えた。

今日のささやかな幸運で温まっていた心が、瞬時に現実に引き戻される。食堂から漏れる光と、食器の触れ合う音。両親が夕食の席に着いているらしかった。

「お帰りなさい、お嬢様」

出迎えたマーサが、ハリエルの手にある市場の紙袋を見て、心配そうに眉をひそめる。

「……旦那様と奥様は、もうお食事を」

「そう。私は後でいただくわ」

ハリエルが自室へ向かおうとした、その時だった。食堂の扉が開き、継母が鋭い声で呼び止めた。

「ハリエル。どこへ行っていたの?そのみすぼらしい袋は何です?」

父親であるエヴァンス子爵も、不機嫌そうに顔をしかめている。かつての栄華を忘れられず、プライドだけが高い父。家の財産を湯水のように使い、贅沢をやめられない継母。

二人にとって、娘が市場へ出向くことなど、家の恥をさらす行為でしかない。

「ご覧の通り、市場で必要なものを。使用人も減りましたし、誰かがやらなければ、生活もままならないですから」

ハリエルの冷静な言葉に、継母は扇子で口元を隠し、侮蔑の視線を投げかける。

「まあ、はしたない。ファーガソン伯爵との婚約が破談になった途端、まるで平民のような真似を……。だからあなたは嫁にも行けないのよ」

「……原因は私の素行ではなく、この家の財政状況でしょう。それに、あちらの不貞が原因だということもお忘れなく」

継母が扇子をぱちんと閉じ、語気を強めて叫ぶ。

「口答えをするものではありません!」

その言葉とほぼ同時に、父親がいらだち混じりにテーブルを拳で叩いた。

「我々がどれだけお前のために心を砕いてきたか!それなのに、お前は家の名誉を汚すことばかり……。そうだ、お前がいつも身につけていた祖母のブローチはどうした?あれさえあれば、当座の金にはなるはずだ。どこへやった?」

父親の目が、金策のことしか考えていないギラついた光を放つ。

継母も「そうですわ、あれを売れば少しはマシなドレスも買えましょうに」と追い打ちをかける。

まさかそれが一度手元を離れ、見ず知らずの獣人の手によって戻ってきたなど、口が裂けても言えるはずがない。

ハリエルはコートのポケットに隠したブローチの硬質な感触を確かめながら、ゆっくりと顔を上げた。

その藍色の瞳には、もはや何の感情も浮かんでいなかった。ただ、氷のように冷たい決意だけが宿っている。

「人のものを売ろうとする前に自分のものを売ってくださいませ。わたくしは、わたくし自身のやり方で、この家と、わたくしの人生を立て直します。お二人のように、過去の幻影にすがって、現実から目を逸らすつもりは毛頭ございませんから」

それは、事実上の決別宣言だった。

「――失礼いたします」

静かに一礼し、ハリエルは踵を返す。背後で継母が何か叫んでいるのが聞こえたが、もう彼女の耳には届いていなかった。

自室に戻り、扉を閉めた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、ハリエルはその場に崩れるように座り込んだ。

涙は出なかった。ただ、どうしようもないほどの孤独と、それでも消えない反骨心が、胸の中で渦巻いていた。

(……私は、一人で生きていかなければならない)

ポケットの中で、硬質なブローチの感触が確かにある。そして、あの獣人の不器用な優しさが、ふと心をよぎる。

(あの人もまた、孤独なのだろうか)

冷たい部屋の中で、ハリエルは膝を抱え、来るべき朝を待った。それは、これまでの人生に別れを告げ、新たな運命へと歩き出すための、長い長い夜の始まりだった。

自室の扉を静かに閉めると、外の怒声も、食堂のざわめきも、一枚の木の板越しに遠ざかっていく。

ハリエルはそっと窓辺に歩み寄り、重いカーテンを少しだけ開けた。王都の夜は静かで、遠くの街灯がぼんやりと霞んでいた。

コートのポケットからサファイアのブローチを取り出す。その青い光を指先で確かめると、ふと、昼間の出来事が鮮明に蘇る。

「君の瞳と同じ色だ」――

ガイウスの言葉、灰色の瞳の印象が、妙に胸に残る。

(誰かに「似合う」と言われるのはこんなにも…ドキドキして私、馬鹿みたい…)

物思いに耽るうち、廊下からマーサの足音が近づいてきた。

「お嬢様……お湯を淹れてきました」

「ありがとう、マーサ。少しだけ落ち着いたわ」

ハリエルは微笑み、マーサの前でブローチを手のひらに乗せる。

マーサは小声でささやいた。

「その…質屋の話、もう少し詳しく聞かせていただけませんか?その、獣人に目をつけられているんじゃありませんか?お嬢様はお美しいですし、マーサは心配です」

「大丈夫よ。ただ手助けしてくれただけだし、確かに失礼なことをしたからって普通こんな高価なもの贈らないわよね。高位の冒険者みたいだったし稼いではいそうだけど……」

マーサはそれを聞いて余計不安げな顔を浮かべる。ハリエルは彼女の親心にじんわり感謝しながら、マグカップを持ち上げた。

「また会うかどうかもわからないし、問題が起きたらその時考えましょう。」

その晩はなかなか眠れずにいた。

外から、物音。細かな石畳を歩く足音。誰かが夜中に屋敷の門を確かめているような、不安な気配。

ハリエルはベッドに横たわりながら、サファイアの硬い感触を胸元で感じた。
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