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20話 ケーキ
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荷造りも途中のまま、ガイウスと並んでパティスリーのドアをくぐる。
馬車の中は静かで、道行く景色がどこか遠いものに思える。
パティスリーの扉が開いたとき、濃厚なバターと砂糖の香りにふーっと心が緩む。
カウンターには、色とりどりのケーキが並び、香ばしい甘い香りが漂う。
私はショーケースの前で一瞬だけ年齢も立場も忘れ、心の底から迷ってしまう。
「本当に、全部好きなもの選んでいいの?」
ガイウスはしっかり頷いた。
「ああ、今日はなんでも好きなだけ頼んでくれ。君がケーキを食べて満足そうにしてるのが何よりも見たい」
私はショーケースの前に立ったまま、目の前のケーキを黙ってじっと眺める。
ショートケーキ、タルト、チョコレートムース、季節のモンブラン——名前を口に出すのも惜しいほど、美しく並んだ甘い芸術品たち。
「……言われなくても選ぶわよ。誰の顔色も気にしないで、食べたいものぐらいは自分で決めたいから」
私は淡々と告げて、苺のタルトを指さした。それからモンブラン、チーズケーキ、シュークリーム、そしてシンプルなショートケーキ。
本当に自分の好きなものだけを選ぶ――そんなわがままが許される瞬間は、今くらいしかないかもしれない。
「……ショートケーキも。とにかく全部、私のものにして」
容赦のない選択に、店員の手が忙しく動く。
少しガイウスの方に目をやると私の横顔を静かに見つめている。
わたしの視線に気づくと微笑んだ。
「君のわがままなら、どこまでも付き合う。君が欲しいものは全部買うつもりだ。遠慮はいらない」
用意されたケーキがテーブルいっぱいに並び、私は躊躇なくフォークを手に取る。
真っ先に、苺のショートケーキをひと口。
甘酸っぱい果実、ふわふわのスポンジ、たっぷりのクリームが口の中でとろける。
「——なに。そんな顔して、私がケーキを食べるだけで幸せになったつもり?」
「君が、機嫌よくしてくれれば俺は幸せだ。君がどんな風にでも笑えば、どんな贅沢にも勝る」
この男がニヤニヤしているのが気に入らなくて私は目を伏せて黙り込む。
「ふん。ケーキくらいで懐柔できると思わないでほしいわね」
「君が自分を甘やかすのは、俺にとっても嬉しいことだからね。懐柔とかそんなつもりはないさ」
頬杖をつきながらこちらの顔を愛おしそうにみる姿はこちらをムズムズさせた。
「この量、全部食べきれないからあなたも食べなさい」
この甘ったるい雰囲気をどうにかしたくて悪態をつく。
「仰せのままに、僕のお姫様」
ケーキの甘さに包まれながらも、私はどこかで現実の味気なさを噛みしめていた。
ガイウスは隣で黙々とケーキを手伝いながら、ときどきこちらをうかがうように視線を送ってくる。
「……ちゃんと味わってるのか? さっきから静かすぎないか。女というのはこういう時よく喋るだろう」
私は無言でケーキの断面を眺め、フォークで苺の赤を切り分けながら応じる。
「人によるでしょう……わたしは一緒に食べて賑やかにしたいとか、そういう趣味はないの。静かな方が落ち着くし」
「そうか。……無理に話さなくていい。君のための時間だ」
場を盛り上げようとも、気まずさを解消しようともせず、ただ私の空気を壊さないように息をひそめている。
それが逆に息苦しい。
「……もう、十分。これ以上食べても後で気持ち悪くなるだけよ」
私はショートケーキの最後の一口を平然と口に含み、水で流し込む。
「包んでもらって持ち帰るか? せっかく頼んだものを余らせるのはもったいないだろう」
「そうして頂戴」
ガイウスが店員に小さく合図を送り、余ったケーキは丁寧に箱詰めされていく。
支払いをしているガイウスの背中を見ながら、私は思う。
どれだけ優しくされて、甘やかされても、この男への不信としこりはそう簡単に消えないのだと。
「……ねえ。」
帰りの馬車で、不意に口を開く。
「私は全部あなたの思い通りにはならないから。私が自分で選ぶ。甘いものも、苦い現実も、これからもずっと」
ガイウスはわずかに驚いた顔をし、それから小さく頷いた。
「……分かってる。君の気の強さはわかってるつもりだ。これ以上俺が何かを強制するつもりもない。でも、君のわがままに付き合うくらいはさせろよ」
「……そう。ならせいぜい私に使われてる間くらいは、存分に役に立ちなさい。無駄なく、徹底的に利用させてもらうから」
そう言い切り、私は窓の外を見つめた。
暮れなずむ王都の景色がにじんで見えた。
それはケーキのせいなのか、それともほんの少しだけ、心が緩んだからなのか、自分でも分からなかった。
馬車の中は静かで、道行く景色がどこか遠いものに思える。
パティスリーの扉が開いたとき、濃厚なバターと砂糖の香りにふーっと心が緩む。
カウンターには、色とりどりのケーキが並び、香ばしい甘い香りが漂う。
私はショーケースの前で一瞬だけ年齢も立場も忘れ、心の底から迷ってしまう。
「本当に、全部好きなもの選んでいいの?」
ガイウスはしっかり頷いた。
「ああ、今日はなんでも好きなだけ頼んでくれ。君がケーキを食べて満足そうにしてるのが何よりも見たい」
私はショーケースの前に立ったまま、目の前のケーキを黙ってじっと眺める。
ショートケーキ、タルト、チョコレートムース、季節のモンブラン——名前を口に出すのも惜しいほど、美しく並んだ甘い芸術品たち。
「……言われなくても選ぶわよ。誰の顔色も気にしないで、食べたいものぐらいは自分で決めたいから」
私は淡々と告げて、苺のタルトを指さした。それからモンブラン、チーズケーキ、シュークリーム、そしてシンプルなショートケーキ。
本当に自分の好きなものだけを選ぶ――そんなわがままが許される瞬間は、今くらいしかないかもしれない。
「……ショートケーキも。とにかく全部、私のものにして」
容赦のない選択に、店員の手が忙しく動く。
少しガイウスの方に目をやると私の横顔を静かに見つめている。
わたしの視線に気づくと微笑んだ。
「君のわがままなら、どこまでも付き合う。君が欲しいものは全部買うつもりだ。遠慮はいらない」
用意されたケーキがテーブルいっぱいに並び、私は躊躇なくフォークを手に取る。
真っ先に、苺のショートケーキをひと口。
甘酸っぱい果実、ふわふわのスポンジ、たっぷりのクリームが口の中でとろける。
「——なに。そんな顔して、私がケーキを食べるだけで幸せになったつもり?」
「君が、機嫌よくしてくれれば俺は幸せだ。君がどんな風にでも笑えば、どんな贅沢にも勝る」
この男がニヤニヤしているのが気に入らなくて私は目を伏せて黙り込む。
「ふん。ケーキくらいで懐柔できると思わないでほしいわね」
「君が自分を甘やかすのは、俺にとっても嬉しいことだからね。懐柔とかそんなつもりはないさ」
頬杖をつきながらこちらの顔を愛おしそうにみる姿はこちらをムズムズさせた。
「この量、全部食べきれないからあなたも食べなさい」
この甘ったるい雰囲気をどうにかしたくて悪態をつく。
「仰せのままに、僕のお姫様」
ケーキの甘さに包まれながらも、私はどこかで現実の味気なさを噛みしめていた。
ガイウスは隣で黙々とケーキを手伝いながら、ときどきこちらをうかがうように視線を送ってくる。
「……ちゃんと味わってるのか? さっきから静かすぎないか。女というのはこういう時よく喋るだろう」
私は無言でケーキの断面を眺め、フォークで苺の赤を切り分けながら応じる。
「人によるでしょう……わたしは一緒に食べて賑やかにしたいとか、そういう趣味はないの。静かな方が落ち着くし」
「そうか。……無理に話さなくていい。君のための時間だ」
場を盛り上げようとも、気まずさを解消しようともせず、ただ私の空気を壊さないように息をひそめている。
それが逆に息苦しい。
「……もう、十分。これ以上食べても後で気持ち悪くなるだけよ」
私はショートケーキの最後の一口を平然と口に含み、水で流し込む。
「包んでもらって持ち帰るか? せっかく頼んだものを余らせるのはもったいないだろう」
「そうして頂戴」
ガイウスが店員に小さく合図を送り、余ったケーキは丁寧に箱詰めされていく。
支払いをしているガイウスの背中を見ながら、私は思う。
どれだけ優しくされて、甘やかされても、この男への不信としこりはそう簡単に消えないのだと。
「……ねえ。」
帰りの馬車で、不意に口を開く。
「私は全部あなたの思い通りにはならないから。私が自分で選ぶ。甘いものも、苦い現実も、これからもずっと」
ガイウスはわずかに驚いた顔をし、それから小さく頷いた。
「……分かってる。君の気の強さはわかってるつもりだ。これ以上俺が何かを強制するつもりもない。でも、君のわがままに付き合うくらいはさせろよ」
「……そう。ならせいぜい私に使われてる間くらいは、存分に役に立ちなさい。無駄なく、徹底的に利用させてもらうから」
そう言い切り、私は窓の外を見つめた。
暮れなずむ王都の景色がにじんで見えた。
それはケーキのせいなのか、それともほんの少しだけ、心が緩んだからなのか、自分でも分からなかった。
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