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36話 手紙
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両親の乗った馬車はゆっくりと敷地を後に王都アスターリアにある実家へ帰っていった。
その瞬間、屋敷全体に張り詰めていた空気がほぐれ、私の体もふと楽になった気がした。
窓から射す春の光が、どこか新しい季節の予感を運んできた。
しばらくは、何もせずに穏やかな時間が流れ、侍女たちが入れ替わり立ち替わり世話を焼いてくれるのを、ぼんやり眺めて過ごした。
その代わり、“接近禁止令”を解かれたガイウスが、まるで水を得た魚のように私の部屋に顔を出すようになった。
「体調はどうだ?ダルさはもう残ってないか?」
「この本、面白かったから読んでみたらどうだ?」
「花を替えた。気が向いたら窓辺に飾ればいい」
寝室は別のままだが、毎朝食の前や夕食後、理由を作ってはさりげなく部屋に顔を出す。
侍女やマーサが忙しく出入りするタイミングを見計らい、ガイウスは何でもない顔で私の側に座る。
私が黙っていても、ガイウスがぽつぽつと短い言葉や、最近見た風景、庭の花の話を続けていた。
私は手元の本をめくるふりをしながら、これが番の義務感というものなのか、それとも埋め合わせをしているつもりなのか私には分からなかったが少しだけ苛立ちは和らいでいるのが自分でもわかった。
ふたりきりの時間が増えても、ガイウスは必要以上に触れようとしたりはしてこなかった。
激情が一歩引いた日々は、少しずつ“穏やかな夫婦”らしい静けさに包まれ始める。
干渉もなく、ただ同じ空間を分け合う時間。
それがわたしが求めていた、穏やかな日々なのかもしれない。
この静けさなら、少しくらい歩み寄ってみてもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、侍女が「お届けものがございます」と小さな封筒を手渡してきた。
差出人は弟のオットー。寄宿舎からの青いインクの筆跡に、ハリエルは思わず息を飲む。
『姉さんへ
婚約破棄されて獣人と結婚って、どういうことだよ?!
父さんや母さんは何言っても平気な顔してるけど、俺は心配してる。
まあ、あのクズなドノバンと姉さんが結婚しなくて済んだのは本当に良かったけど……
でも大丈夫なの? 姉さんは本当に幸せなの?』
若干の皮肉と素直な疑問、そして強い不安の色。
しかし、その根っこには紛れもなく、姉への温かな心遣いが宿っているのが見えた。
ハリエルは手紙を握ったまま、ぽろりと涙を浮かべてしまう。
(オットー……私の家族はあなただけよ……)
涙をぬぐいながら、ハリエルは机に向き直り返事を書く。
『私も婚約破棄になったのは正直ほっとした。
あいつと一緒になったら、ただ苦しくなるだけだったから。
正直不安なことも多いけれどなんとかやってるわ。
あなたも元気でね。 あなたからの手紙が私にはいちばん嬉しいわ』
机に向かい返事を丁寧に書き終え、蝋を垂らして印を刻んだ封筒を侍女に預ける。
おそらく弟はわたしが無理やり番にさせられたことを知らないのだろう。
両親が都合の悪いことをわざわざ伝えるはずもない。
でもそれでいい。この結婚で一番良かったことは弟が継ぐであろう家の借金を減らせたことなのだから。
封筒を閉じ、静かに祈るような気持ちで窓辺に座る。
「……静かだわ」と心の中でつぶやく。
この春の静けさのなかで、私は少しだけ自分自身と向き合えそうな気がした。
その夜、ガイウスがまた用もないのに部屋へやってきた。
小さな箱に入った焼き菓子を持ち、「今日の間食用にどうだ」と無表情に差し出す。
(こんなのただのご機嫌伺いにしか思えないけど、拒んでばかりでも仕方ない)
私は一言「ありがとう」とだけ返し、箱を受け取る。
「……ああ無理はするなよ。何か困ったことすぐ言え」
ガイウスは少しだけ嬉しそうに尻尾を振りながら、静かに部屋を出ていった。
淡々と流れる異国での日常が、両親のいやらしさも、結婚のしがらみも、この部屋に朝が来るたびに少しずつ遠ざかっていく気がする。
私はまだ、誰も深くは信じられていない。
でも、少しづつ自分の一部が変わり始めているのを感じていた。
その瞬間、屋敷全体に張り詰めていた空気がほぐれ、私の体もふと楽になった気がした。
窓から射す春の光が、どこか新しい季節の予感を運んできた。
しばらくは、何もせずに穏やかな時間が流れ、侍女たちが入れ替わり立ち替わり世話を焼いてくれるのを、ぼんやり眺めて過ごした。
その代わり、“接近禁止令”を解かれたガイウスが、まるで水を得た魚のように私の部屋に顔を出すようになった。
「体調はどうだ?ダルさはもう残ってないか?」
「この本、面白かったから読んでみたらどうだ?」
「花を替えた。気が向いたら窓辺に飾ればいい」
寝室は別のままだが、毎朝食の前や夕食後、理由を作ってはさりげなく部屋に顔を出す。
侍女やマーサが忙しく出入りするタイミングを見計らい、ガイウスは何でもない顔で私の側に座る。
私が黙っていても、ガイウスがぽつぽつと短い言葉や、最近見た風景、庭の花の話を続けていた。
私は手元の本をめくるふりをしながら、これが番の義務感というものなのか、それとも埋め合わせをしているつもりなのか私には分からなかったが少しだけ苛立ちは和らいでいるのが自分でもわかった。
ふたりきりの時間が増えても、ガイウスは必要以上に触れようとしたりはしてこなかった。
激情が一歩引いた日々は、少しずつ“穏やかな夫婦”らしい静けさに包まれ始める。
干渉もなく、ただ同じ空間を分け合う時間。
それがわたしが求めていた、穏やかな日々なのかもしれない。
この静けさなら、少しくらい歩み寄ってみてもいいかもしれない。
そんなことを考えていると、侍女が「お届けものがございます」と小さな封筒を手渡してきた。
差出人は弟のオットー。寄宿舎からの青いインクの筆跡に、ハリエルは思わず息を飲む。
『姉さんへ
婚約破棄されて獣人と結婚って、どういうことだよ?!
父さんや母さんは何言っても平気な顔してるけど、俺は心配してる。
まあ、あのクズなドノバンと姉さんが結婚しなくて済んだのは本当に良かったけど……
でも大丈夫なの? 姉さんは本当に幸せなの?』
若干の皮肉と素直な疑問、そして強い不安の色。
しかし、その根っこには紛れもなく、姉への温かな心遣いが宿っているのが見えた。
ハリエルは手紙を握ったまま、ぽろりと涙を浮かべてしまう。
(オットー……私の家族はあなただけよ……)
涙をぬぐいながら、ハリエルは机に向き直り返事を書く。
『私も婚約破棄になったのは正直ほっとした。
あいつと一緒になったら、ただ苦しくなるだけだったから。
正直不安なことも多いけれどなんとかやってるわ。
あなたも元気でね。 あなたからの手紙が私にはいちばん嬉しいわ』
机に向かい返事を丁寧に書き終え、蝋を垂らして印を刻んだ封筒を侍女に預ける。
おそらく弟はわたしが無理やり番にさせられたことを知らないのだろう。
両親が都合の悪いことをわざわざ伝えるはずもない。
でもそれでいい。この結婚で一番良かったことは弟が継ぐであろう家の借金を減らせたことなのだから。
封筒を閉じ、静かに祈るような気持ちで窓辺に座る。
「……静かだわ」と心の中でつぶやく。
この春の静けさのなかで、私は少しだけ自分自身と向き合えそうな気がした。
その夜、ガイウスがまた用もないのに部屋へやってきた。
小さな箱に入った焼き菓子を持ち、「今日の間食用にどうだ」と無表情に差し出す。
(こんなのただのご機嫌伺いにしか思えないけど、拒んでばかりでも仕方ない)
私は一言「ありがとう」とだけ返し、箱を受け取る。
「……ああ無理はするなよ。何か困ったことすぐ言え」
ガイウスは少しだけ嬉しそうに尻尾を振りながら、静かに部屋を出ていった。
淡々と流れる異国での日常が、両親のいやらしさも、結婚のしがらみも、この部屋に朝が来るたびに少しずつ遠ざかっていく気がする。
私はまだ、誰も深くは信じられていない。
でも、少しづつ自分の一部が変わり始めているのを感じていた。
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