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第1話 ②

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「こんゔぃーきゃすと……あ、これか」
アプリストアから、件のアプリを見つけ出す。
「convey cast」。伝えるという意味のconveyに配役という意味のcast。転じて、伝える役者という意味の造語らしい。
早々とパスワードを入力して、ダウンロードをする。
「憧れる」という感情のまま、何も考えずに衝動的に行動するというのはどうも自分だけではないということを今日知った。吹奏楽部の時だけではない。あれは中1の夏休み頃だろうか。ほんの一時だけ仲が良かった友人といったアニメショップ。受験が終わって、ランドセルとテキストの入ったリュックの重さから解放された在りし日の自分は、「合格祝いに」とそこそこの額が集まったお小遣いを、それはもう毎日のように散財していた。その日も例を見ず、あれもこれもと何も考えずにカゴに商品をぶち込んで周り、終わってみれば0が4つに最初の方の素数が並んでいた。我ながらバカバカしい思い出、いや黒歴史か。西野にオタクの気があるのは元々知っていたが、てっきり見る専のオタクだと思っていた。それだけに、「配信をやってみる」という彼の話を聞いた時はそれなりに驚いた。時刻が22時を回るころ、「そろそろやるぞ」と西野からメッセージが届いた。「りょーかい」と返信して、アプリを開いた。メールアドレスによるログインなどはないらしく、適当な名前が初めから入力されている。考えている時間もないので、わかりやすいように「キョウヘイ」とそのまま入力した。しばらく待つと、西野から、西野のアカウントのURLがメールに添付されてきた。そこからアプリへ移動して、彼のアカウントのホーム画面で待機する。名前は「kousei🌕」。初期アバターらしい黒髪に白いTシャツを着たシンプルな男キャラのアバターが手を振るエフェクトを繰り返している。しかし、人のことは言えないが、本名ってネットリテラシー的にどうなんだ。あと、航星と恒星をかけているらしいが、月は恒星じゃなくて衛生だぞ。とツッコミたくなったが、彼らしい程よい偏差値とはじめての配信なおかつ男の配信だということもあって、大した数の人は来ないだろうと思い、シラケることを言うのは控えて、フォローボタンを押す。0表示だったフォロワー欄が1に変わり、それからすぐにフォロー欄に彼の配信のサムネイルがでてきた。タップして入る。
『キョウヘイ さんが入室しました』
無機質な電子音声に名前を呼ばれてすこしびくりとするが、そういう仕組みだと理解するのに時間はかからなかった。「あっ、キョウヘイさんいらっしゃい」とほっとした声が黒髪のアバターから聞こえた。知り合いしか来ないといえど、やはり最初の配信で緊張してるのだろうか。冷やかし半分、『初見で~す』とか言ってみる。一応、こういう時に配信者の人にかける言葉は心得ているつもりだ。
「あ、初見さんありがとうございます」
やたら丁寧な言葉遣い。まだ誰も来てないしそんなかしこまらなくていいのに、とか思いながらも、次に配信主にかける言葉を探す。ひとつひとつ、言葉を精査するうちに時間だけが過ぎていき、画面を挟んだ西野との間には微妙な沈黙が残った。
こくこくと、秒針の音だけが沈黙した部屋に響く。
えーと……こういう時は……
『配信初めてなんですか?緊張してますよね』
ああ、焦るあまりに自分までかしこまった口調になってしまった。
「そ、そうなんですよ。ちょっと興味を持って早速やってみようと思ったんですけど、なかなかもう難しいですね」
苦笑気味にひねり出した声は震え気味で上ずっている。ここからなにか引き出すこともできず、また沈黙が画面を包む。
あーとかうーとかいう音がたまに聞こえるようになったが、こちらからもかける言葉が見つからず、画面越しに声にもならない声が見え隠れする。
…………
…………
長い沈黙が続く。えっと、なんて声かけよう。
…………
…………
「……なんか、話題ないかな?」
諦めるのか!でも、話題か……話題……
『なんかある?』
結局、自分も諦めてしまった。仕方ないじゃん、学校でも話してるし、わざわざ振る話題なんてないんだもん。
「ええ……そっか……うーん、どうしようかな」
唸る西野の声を遮るように、電子音が鳴った。
『ローテンション山田 さんが入室しました』
知らない人だ。ここに来て真の初見さんいらっしゃいだ。
「あ、えっと、ローテンション山田さん、いらっしゃい……」
『こんにちは~!初見です!』
「あ、ありがとうございます、僕今日がはじめての配信ですごい緊張してて、あの、ごめんなさい」
『え?どうして謝るんですか?最初はみんな緊張するもんですよ!』
「そ、そうなんですね、ありがとうございます」
西野の声色が少し緩んだだろうか。しかし、知らない人にこうまでも西野をフォローされてしまうと、友人として少し悔しい。でもそんなことを言ったって、自分には気の利いた事ひとつ言うことは出来ないので、山田さんに絡んでみよう。
『こんばんは、お互い初見ですね』
『あ、どうも!そうですね!短い間ですがよろしくお願いします』
お、しっかり返してくれた。
『こちらこそ、よろしくお願いします!』
こちらもならって、ビックリマークをつけてみた。しかしこの人、ローテンション山田なのにやたらハイテンションな山田だな。
「あの、あ、山田さんはいつからコンキャスやられてるんですか?」
お、西野が自分から話しを振ってる。知らない人だからこそ聞けることもあるのだろう。
『わたしは去年の夏頃からやってますよ!』
「結構長いんですね。わたしってことはやっぱり女性なんですか?」
『うーん、どうでしょう笑。想像におまかせしますけど、女性の方がなにかと便利ですからね笑』
うーん?自分も女性だと思っていたが、違うのか。
『自分も女性だと思ってましたよ笑』
『まだ、わたしは男だとは言ってませんよ!』
「じゃ、僕は女性だと思ってます!」
西野も慣れてきたみたいだ。口調がだんだん普通になってきたし、なんだか楽しそうな雰囲気さえ含んでいる。
3人でそんなくだらない話をしてるうちに、いつの間にか時計は12を指していた。
「あー、そろそろ時間ですね。今日は楽しかったです!おやすみなさい!」
『おやすみなさい!』
『おやすみ~』
各々(と言っても2人だが)、思い思いに挨拶をしていく。
『今日は楽しかったです!配信頑張ってくださいね!』
「あ、山田さん、ありがとうございます!またがんばりますね!」
『ローテンション山田 さんが退室しました』
電子音が鳴る。退室のお知らせもあるのか。
しばらく沈黙が流れて、西野が口を開いた。
「おお、楽しかったな……」
それはよかったじゃないか。見てるいるこっちも楽しかったし当人はそれ以上なんだろう。
『よかったな。俺も楽しかったよ。また行くわ。』
「うん、ありがとう」
しばらくすると、配信の終了を知らせる画面が表示された。時刻はもう0時30分。明日も学校だし、余韻に浸りながら眠りにつくとしよう。メールで西野におやすみ、と打ち込み布団を被った。うん、楽しかったな。
この時はまだ、自分で配信をしようとなんて思いもしなかったが。











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