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プロローグ

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 ストリートファッションの聖地――東京は原宿、竹下通り。
 原宿駅改札を出てすぐ目に入る、特徴的なアーチ。その下を若者が見る間に吸い込まれて行く。
 あのアーチの向こう側に「求めるナニカ」はきっとある――そう確信させるような空気がここにはあった。楽し気な笑い声、足音が人々を絶えず憧れへ導くのだ。

 ここに一人、うら若い芋女がいる。
 君和田芽菜子きみわだ めなこ。十九歳。
 この春で大学二年生になる、群馬県出身のおのぼりさんだ。

 山手線も初乗車の身。
 都内を循環する電車の中は、温くなってきた風が窓の隙間から吹き込み、当たり前になったマスク越しの呼吸を多少楽にさせる。

(ぅぐっ……土曜日だというのに、こんなに電車が混んでるなんて……! しかも、いつものクセで高校のジャージ着たまま家を出て、よりによって原宿の待ち合わせに来てしまうとは!)

 母校のジャージ、通称・芋ジャー。
 芽菜子の学年は、パステルイエロー。この鮮やかな色は地元でも目立つと評判高いが、都会で悪目立ちはしたくない。

(もう帰りたい……どう姿勢とっても誰かと何かがぶつかるし、隣の人のイヤホン音漏れしてるし、座席は絶対空かないし、もうクタクタだよぅ……)

 そこへ開放を告げる神の声――ならぬ、車内アナウンスが流れる。

『――次は、原宿――原宿――お出口は……――』
「おっ、降りますぅっ! 降ろしてくださいぃ~!」

 慌てて乗客の間に挟まれたままだった自分の通学用サブバッグを取り戻し、出口となるドアの方へにじり寄った。
 しかし、その努力は無意味であったと間もなく思い知らされる。意外にもあっけなく芽菜子は原宿駅ホームへ他の乗客と一緒に吐き出されたのだった。

「わっ、とと! ……な、なんだ……みんな降りるんだ……」

 同乗者だったはずの見知らぬ人々は、もはや何歩も先へ、人の波に乗って去っていた。
 自分も流れに乗らなければ、置いていかれる。ホームドアから離れ、芽菜子も改札目指して歩き出した。

 ここでは階段を下りる速さすら他人任せだ。慣れない移動速度に芽菜子は転びそうになる。転んだとて使い古しのジャージだ。一向構わないが、とにかく目立ちたくない一心で足を動かす。

「あっ、あ、えっと、ききき切符……! どこにしたっけ……ポッケかな……?」

 にわかに人山から改札が見え隠れし始めてから慌てる。
 もたついたが、運良くタッチ式以外の乗車券も受け入れられる改札機に辿たどり着けた。長方形の薄いオレンジ色を改札機に食べさせることに成功。投入口に切符を吸い取られたことで、群馬出身の君和田芽菜子という概念も奪われた気がした。

「や、やっと着いたあ!」

 そしてついに、芽菜子は原宿に降り立った。

 目の前に広がる光景は、何度もネット検索しては思いをせた、あの竹下通りの入口。
 振り返った駅舎には「原宿駅」の看板。

「えへへ……写真撮っちゃおう」

 初上陸記念にスマホでカメラ撮影する。

(本当は、自撮りで画像残したかったけど、この格好じゃあちょっと、ね……)

 芽菜子には夢があった。
 いつかロリィタファッションに身を包み、聖地である原宿の竹下通りを歩くのだ――。

(だから、今日は自撮りはお預け。いつか来る日のために。いつか……)

 スマホをサブバッグにしまい、芽菜子は小さくため息をいた。
 その「いつか」は、未だ予定はない。

「さてと、待ち合わせは原宿駅改札前だから、近くにトシさんがいるはず!」
「おい、君か?」

 そこへ芽菜子を呼び止める声があった。
 白いレースの日傘を差し、深いブルーのサーキュラースカートのワンピース。スタンドカラーからすっと伸びたうなじは気品があり、長く艶やかな黒髪は姫カット。大きなリボンのあしらわれたヒールのあるパンプスを履いているからか、芽菜子よりも三十センチ近く高いのでは、と思われる身長の貴婦人が後ろに立っていた。

「俺は沼尾俊ぬまお とし。マッチングアプリでのハンドルネームはトシ。君はメーナか?」
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