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三流調剤師と反抗期
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豪華な食事は文句なしに美味しかった。宿代が浮くのも嬉しい。けどずっと付きまとうこの違和感はなんだろう。
「イーリス、なるべく俺から離れるなよ」
割り当てられた部屋に入り、扉を閉めるなり飛び出した、この男前な台詞。これを宵闇の冴えた月(笑)に言われたら、ふらっときたのかもしれない。
しかし、ようやく私の顎の位置に頭がきたラグナルに言われると「そうかそうか。かわいいやつめ」と思うばかりだ。
ラグナルは二台あるベッドの隣を横切り、テラスに続く扉を開けた。
外に出ると、左右に目を走らせ、階下を覗き込み、不満げな顔で戻ってくる。ここは城の居住棟の中でも二階の東の端に位置する部屋だ。西隣の部屋にはウォーレス。そのまた隣はキーラン。ルツとノアとゼイヴィアは三階だ。
城代は当初一人に一部屋あてがおうとした。
ところがラグナルが私と一緒じゃないと嫌だと言い張った。それにも驚いたがノアが茶化すことなく、「今はイーリスが保護者だからねえ。二人部屋が妥当じゃない」と擁護したことにはもっと驚かされた。
今思えば、二人とも嫌なものを感じ取っていたのだろう。
「あいつ、気に入らない」
「マーレイ様のこと?」
そう言うと、ラグナルはベッドに腰掛けて頷いた。
「ノアとルツにしか興味がないふりをして、こっちの様子を伺ってた」
そうだ。気にならないはずがないのだ。
特徴的なエルフの耳が、髪で隠れてしまっているラグナルをダークエルフだと認識している人はまだ少ない。
確実に知っているのは、バートと、ロフォカレの人員に、アガレスのカーソン。討伐隊に参加していた他の人々にどれほど周知されているかはわからないが、おそらく知る人はそれほど多くないはずだ。そう推察する理由は、騒ぎになっていないから。
滅多に故郷の山を出ないダークエルフは、人間から見れば稀有な存在である。しかも美形で、人間にはない強大な魔力を操ることができるのだ。好戦的だとか、人間が嫌いだといったマイナス面を踏まえても、興味を惹かれる存在であるのは間違いない。
その証拠に、いく先々の街で、痛々しくも華々しい二つ名を送られてしまうほど衆目を集めている。
当然、マーレイはラグナルがダークエルフだと知っている。森で見つけた彼を保護したことを報告し、その処遇についての判断を仰ぐために、私たちは城を訪れることになったのだから。
なのにマーレイはラグナルに話しかけないどころか、話題にもしなかった。未知の存在が怖いとか、極度のダークエルフ嫌いで視界にも入れたくないってんなら、まあ、分からないこともない。
しかし、ラグナルの言うようにこっそり、こちらの様子を伺っていたのだとしたら、恐らくその理由は穏やかなものではないだろう。
だからノアはラグナルが一人にならないように、二人部屋に賛同したのだ。
ラグナルはギュッと眉間に皺を寄せた。
「気持ち悪い目でイーリスを見やがって」
――うん、違うと思うな。
イーの一族が、ある種の権力者に、ある意味でとても好かれやすいのは認識している。しかしイーにエルフのような一目でわかる隠せない特徴はなく、バレているとは思えない。
見ていたのは間違いなくラグナルのことだろう。ずっと私の隣にいたからね。
にしてもひどい勘違いだ。
「おい、イーリス聞いてんのか? なにニヤニヤしてんだよ!」
視線を上げて、私の顔を見たラグナルが眉を吊り上げて怒る。
「え、ニヤニヤしてた?」
それは自覚がなかった。ただちょっと、素直じゃない弟に案じられる姉の立場みたいなものが味わえて嬉しかったのだ。
「ごめんごめん。聞いてたよ。心配してくれてありがとう。でもラグナルのほうこそ気をつけてね」
心算を積もらせているとすればラグナルに対してだ。
「俺は自分でなんとかする。それよりイーリスこそもっと警戒心を持てよな」
「いや、だって私が狙われているわけじゃ……」
ないと思う。そう言い募ろうとした言葉をラグナルが遮る。
「真面目に聞けって!」
ベッドから立ち上がると、傍にやって来て私を見上げた。
「いいか! 勝手に俺から離れるなよ。約束だぞ!」
――は!?
「いやいや、ちょっと待って。約束は困るから」
その約束は守れない。
「……なんでだよ」
ラグナルの瞳が揺れる。この顔は見覚えがある。泣きそうで泣かない、何かを耐える顔だ。
「なんでって……」
私は言葉を探した。今のラグナルを傷つけず、それでいて約束を回避する魔法の言葉を。しかしそんな便利なものがあるはずもなく、口ごもる。
ラグナルはそんな私を、何も言わずただ静かに見上げていた。
言葉を尽くして責められるより、無言で懇願するように見つめられるほうが辛い。
「イーリス。ルツが風呂に行こうってー」
息苦しい沈黙を破ったのは、ノックもなしに扉を開けて入って来たノアだった。後ろにはキーランとルツの姿も見える。
「ほら、お風呂とか、一緒に入れないから。他にも色々あるの分かるでしょ?」
私はノアの助けを最大限に利用することにした。
ラグナルはそんな私を胡散臭げに見ている。
「なんの話? あ、ラグナルは僕らとね」
しかし、続くノアの言葉にギョッとして振り返る。
「俺は一人で入る!」
「残念。それは無理。ここにいる間は一人で行動は禁止だってー」
「そんなの知るかよ。勝手に決めるな」
「だってさ。どうする? キーラン」
ノアは部屋の外で待つキーランに話を振る。
「ラグナル。イーリスを困らせるな。もうそれほど子供ではないだろう」
さすがはチームを纏めるリーダーと言うべきか。
ラグナルはぐっと呻いて、窺うように私を見る。私はすかさず頷いた。
「キーラン達と入っておいでよ。せっかくのお風呂なんだしゆっくりどうぞ。私はルツと一緒だから大丈夫」
ラグナルの顔に迷いが浮かぶ。もうひと押しだ。
「そーそー。少なくともこの城にいる間は、自分の判断で黒魔法も使えない誰かさんより、僕かルツと居る方が安全だからねえ」
もう少し穏便なひと押しにしてほしかったと思うのは我侭だろうか。
「イーリス、なるべく俺から離れるなよ」
割り当てられた部屋に入り、扉を閉めるなり飛び出した、この男前な台詞。これを宵闇の冴えた月(笑)に言われたら、ふらっときたのかもしれない。
しかし、ようやく私の顎の位置に頭がきたラグナルに言われると「そうかそうか。かわいいやつめ」と思うばかりだ。
ラグナルは二台あるベッドの隣を横切り、テラスに続く扉を開けた。
外に出ると、左右に目を走らせ、階下を覗き込み、不満げな顔で戻ってくる。ここは城の居住棟の中でも二階の東の端に位置する部屋だ。西隣の部屋にはウォーレス。そのまた隣はキーラン。ルツとノアとゼイヴィアは三階だ。
城代は当初一人に一部屋あてがおうとした。
ところがラグナルが私と一緒じゃないと嫌だと言い張った。それにも驚いたがノアが茶化すことなく、「今はイーリスが保護者だからねえ。二人部屋が妥当じゃない」と擁護したことにはもっと驚かされた。
今思えば、二人とも嫌なものを感じ取っていたのだろう。
「あいつ、気に入らない」
「マーレイ様のこと?」
そう言うと、ラグナルはベッドに腰掛けて頷いた。
「ノアとルツにしか興味がないふりをして、こっちの様子を伺ってた」
そうだ。気にならないはずがないのだ。
特徴的なエルフの耳が、髪で隠れてしまっているラグナルをダークエルフだと認識している人はまだ少ない。
確実に知っているのは、バートと、ロフォカレの人員に、アガレスのカーソン。討伐隊に参加していた他の人々にどれほど周知されているかはわからないが、おそらく知る人はそれほど多くないはずだ。そう推察する理由は、騒ぎになっていないから。
滅多に故郷の山を出ないダークエルフは、人間から見れば稀有な存在である。しかも美形で、人間にはない強大な魔力を操ることができるのだ。好戦的だとか、人間が嫌いだといったマイナス面を踏まえても、興味を惹かれる存在であるのは間違いない。
その証拠に、いく先々の街で、痛々しくも華々しい二つ名を送られてしまうほど衆目を集めている。
当然、マーレイはラグナルがダークエルフだと知っている。森で見つけた彼を保護したことを報告し、その処遇についての判断を仰ぐために、私たちは城を訪れることになったのだから。
なのにマーレイはラグナルに話しかけないどころか、話題にもしなかった。未知の存在が怖いとか、極度のダークエルフ嫌いで視界にも入れたくないってんなら、まあ、分からないこともない。
しかし、ラグナルの言うようにこっそり、こちらの様子を伺っていたのだとしたら、恐らくその理由は穏やかなものではないだろう。
だからノアはラグナルが一人にならないように、二人部屋に賛同したのだ。
ラグナルはギュッと眉間に皺を寄せた。
「気持ち悪い目でイーリスを見やがって」
――うん、違うと思うな。
イーの一族が、ある種の権力者に、ある意味でとても好かれやすいのは認識している。しかしイーにエルフのような一目でわかる隠せない特徴はなく、バレているとは思えない。
見ていたのは間違いなくラグナルのことだろう。ずっと私の隣にいたからね。
にしてもひどい勘違いだ。
「おい、イーリス聞いてんのか? なにニヤニヤしてんだよ!」
視線を上げて、私の顔を見たラグナルが眉を吊り上げて怒る。
「え、ニヤニヤしてた?」
それは自覚がなかった。ただちょっと、素直じゃない弟に案じられる姉の立場みたいなものが味わえて嬉しかったのだ。
「ごめんごめん。聞いてたよ。心配してくれてありがとう。でもラグナルのほうこそ気をつけてね」
心算を積もらせているとすればラグナルに対してだ。
「俺は自分でなんとかする。それよりイーリスこそもっと警戒心を持てよな」
「いや、だって私が狙われているわけじゃ……」
ないと思う。そう言い募ろうとした言葉をラグナルが遮る。
「真面目に聞けって!」
ベッドから立ち上がると、傍にやって来て私を見上げた。
「いいか! 勝手に俺から離れるなよ。約束だぞ!」
――は!?
「いやいや、ちょっと待って。約束は困るから」
その約束は守れない。
「……なんでだよ」
ラグナルの瞳が揺れる。この顔は見覚えがある。泣きそうで泣かない、何かを耐える顔だ。
「なんでって……」
私は言葉を探した。今のラグナルを傷つけず、それでいて約束を回避する魔法の言葉を。しかしそんな便利なものがあるはずもなく、口ごもる。
ラグナルはそんな私を、何も言わずただ静かに見上げていた。
言葉を尽くして責められるより、無言で懇願するように見つめられるほうが辛い。
「イーリス。ルツが風呂に行こうってー」
息苦しい沈黙を破ったのは、ノックもなしに扉を開けて入って来たノアだった。後ろにはキーランとルツの姿も見える。
「ほら、お風呂とか、一緒に入れないから。他にも色々あるの分かるでしょ?」
私はノアの助けを最大限に利用することにした。
ラグナルはそんな私を胡散臭げに見ている。
「なんの話? あ、ラグナルは僕らとね」
しかし、続くノアの言葉にギョッとして振り返る。
「俺は一人で入る!」
「残念。それは無理。ここにいる間は一人で行動は禁止だってー」
「そんなの知るかよ。勝手に決めるな」
「だってさ。どうする? キーラン」
ノアは部屋の外で待つキーランに話を振る。
「ラグナル。イーリスを困らせるな。もうそれほど子供ではないだろう」
さすがはチームを纏めるリーダーと言うべきか。
ラグナルはぐっと呻いて、窺うように私を見る。私はすかさず頷いた。
「キーラン達と入っておいでよ。せっかくのお風呂なんだしゆっくりどうぞ。私はルツと一緒だから大丈夫」
ラグナルの顔に迷いが浮かぶ。もうひと押しだ。
「そーそー。少なくともこの城にいる間は、自分の判断で黒魔法も使えない誰かさんより、僕かルツと居る方が安全だからねえ」
もう少し穏便なひと押しにしてほしかったと思うのは我侭だろうか。
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