エリート先輩はうかつな後輩に執着する

みつきみつか

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番外編10 おまけ5

2* ある遠い夏の記憶

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   一

 吐きそう……。
 東京は暑い……。親族がいるから時々来るけど、この辺りなのに家が見つけられない。いつもお母さんがいて助けてくれるのに、今日はいない。
 ひとりぼっち。困ったなぁ。
 東京は本当に暑い。なぜこんなに暑いの。
 ヒートアイランド現象。温暖化問題。温室効果ガス。平均気温は世界規模で年々上昇している。
 仙台は海洋性気候の傾向はあるが亜寒帯、東京は温帯湿潤気候。
 気温があがると湿度を感じやすくなる。空気が含むことのできる水蒸気量は温度が高くなるほど多くなる。
 湿度の求め方は、いまの水蒸気量÷飽和水蒸気量×100。単位はパーセント……。
 俺は住宅街にある緑の茂った小さな公園に入り、陰にあるベンチによろよろと寄っていって横たわった。
 暑いものの直射日光は避けられる。
 公園には誰もいない。
 蝉の声はうるさいけれど、人間のやかましい声よりはいいや。
 一安心。一休み。
 修学旅行の自由行動中に、親戚の家に顔を出すといって抜けてきた。
 男子には女みたいだといじめられてハブられて、女子にはきゃーきゃー叫ばれてつきまとわれて、学校なんてちっとも楽しくない。
 早く中学に進学したい……。あと半年で卒業だ。受験がんばって、太郎お兄ちゃんと次郎お兄ちゃんと同じ中学に行きたい。のんちゃんと同じ学校はなし。いじめられるに違いない。
 運動神経も良くて頭もいいのんちゃんと比べられるのはすごく嫌。のんちゃんはのんちゃんで、外見にコンプレックスがあるみたいで、学力でも運動神経でも劣っている俺をそれでも目の敵にしてくるし。
 陰でも暑いなぁ。
 どこかに自販機ないかな。意識が遠のいていく。もう少し休まないと。
 俺は目を閉じる。
 しんどい。
 ぼーっとしてくる……。

「おーい。大丈夫か!?」

 気づくと、誰かが顔を覗き込んできていた。
 そして、冷たいものを額に掛けられてびっくりする。なんだこれと思っていると、どうやら水に濡れたタオルらしい。
 額の熱が抜けていくみたい。
 まだくらくらする。いつの間に寝ていたんだろう。ひとなんていなかったのに。いつの間に。意識が途切れていたんだ。
 ベンチの前に立つ少年が、持っていた水筒を開けて、コップにお茶を注いだ。

「ほら、麦茶」

 他人の水筒、口つけたくないな……。おなか壊しそう……。
 でも水分が欲しい。
 水筒のコップを受け取って飲む。喉を通っていくと生き返るみたい。

「……ありがと」
「もう一杯飲む?」
「うん」

 楽になった。ひとの家の麦茶の味には違和感があるけど。背に腹は代えられない。
 俺は少年を見る。小学校中学年かな。何歳か年下だと思う。
 つんつんの短髪、少年野球のユニフォームを着ている。脇の下にグローブを挟んでいる。日焼けして真っ黒。このへんの子なんだろうな。ちっこくてちょこまかしてそう。
 二杯目を飲むと、ブレていた視界が戻ってきた。
 少年が心配そうに訊ねてくる。

「顔色悪いよ。大人のひとは?」
「近くに親戚の家が……」
「連れてってやるよ。どこ? 俺さいきんここに引っ越してきてさ。探検しまくってるから任せろ」

 地図を持っているので、俺は地図を開いて、このへん、と指をさした。

「ここってお屋敷のあるとこじゃん」
「?」
「行こう」

 手を引かれて直射日光の下に出ると、暑くて一気にくらくらしてくる。
 俺の頭に、彼は自分が被っていた野球帽を被せてきた。人の体温が残っていて汗っぽい。やだなぁ。
 だけど、目が陰になったおかげで、少しマシになる。

「濡れタオル、首にかけとくといーよ」
「ん……」

 親戚の家はすぐそこだった。

「うわっ、本当にお屋敷じゃん」
「?」

 インターフォンを鳴らして、名前を名乗ると、開けるねといわれて、玄関扉の施錠が解かれた。アプローチの向こうで、親戚のおばさんが手を振っている。
 そのとき、遠くで学校のチャイムの音が鳴りはじめた。
 少年が慌てて顔をあげる。

「あっやべっクラブ遅刻するっ、じゃあねっ」
「あ……」

 野球少年は、突然走り出した。
 俺は慌てて、かぼそい声で呼び止める。

「帽子……!」

 彼は振り返って手を振った。

「あげるよ!」

 あっという間に姿が見えなくなる。
 住宅街の路地に残っているのは、夏の終わりの午後の、真っ白な光だけ。

「お友達? よかったの?」
「公園で会った、知らない子……」
「そこの小学校の子よねぇ。少年野球の子」
「そうなんだ……」
「おうち入って。熱いわね。涼みましょ」

 俺はその後、熱が出てしまって帰れなくなり、俺の修学旅行はこれで終わりになった。
 残されたのは、野球帽と濡れタオル。


   二


「多紀、帽子どこやったの!」

 母さんが怒鳴っている。うるさいなぁ……。

「あげたー」
「はぁ? あげた? 誰に?」
「道に迷ってた女の子」

 肌が真っ白で、目が大きくて瞳の色が薄くて、細くてかよわそうで、めちゃめちゃ美少女だった。クラスにひとりもいないようなお嬢様。
 探検していたときに見つけた、このあたりで一番のお屋敷。あの家の親戚なのかー。
 また会えるのかな。名前、聞き取れなかった。なんて名前なんだろう。
 体調悪そうだった。元気になるといいな。

「どうせまたどこかに忘れてきたんでしょ!?」
「違うしー」
「まったくもー。ほら水筒出して」
「ほーい」
「タオルは?」
「あげた」
「はぁー!?」

 うるさいなぁ……。


   三


「三郎坊ちゃま、このお帽子、どうなさいます?」

 お手伝いの瑞穂さんが、野球帽を手にして首を傾げている。
 修学旅行から帰ってきて、洗濯したものがすべて乾いて、その中にあったもの。

「……んー? なんだっけ、これ」
「おばさまのおうちに連れていってくださった男の子がくれた、とお聞きしたような」
「そういえば、そうだったかも。朦朧としてて記憶がない……」

 暑くて熱くて、思い出そうとしてもおぼろげ。
 あのときは危なかったんだなぁ。気をつけないと。

「お熱がありましたもんねぇ」
「ん、あ、帽子、とっておいて」
「おばさまにお願いして、その子の小学校を教えてもらって、お返ししましょうか」
「うーん……なんか、もらったような……」
「では、被られます? ご趣味とは合わないですが」
「んー……」
「とりあえず仕舞っておきましょうか」
「うん」




 <ある夏の記憶 終わり>
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