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第5章/緑の熱風 第4話『逆風の潜入部隊』

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   一

「一人ですか」
 余人には測りしれぬ了解事項なのだろうか、援軍一名の言葉にラビン准将はすぐに何かを了解して頷いた。
 なぜか、その表情が暗い。
「ウルクルの傭兵部隊には、かなり強力な妖力を持った〝境界に立つものニーム〟がいると報告を受けました。こちらも、それ相応の準備はせねばなりませんからな…」
 ラビンの言葉に、イクラース将軍はコクリと頷いた。
「その者の前で、太陽神の御名をうかつに口にするな。それと……神官シダット様の前ではな」
 将軍の言葉は静かだが、すべてを拒絶する重さがそこには含まれていた。
 ラビンもそれを全面的に受け入れていた。
「もっとも、我らがアル・シャルクに帰れるときがあれば、の話だがな」
 イクラース将軍はポソリと呟いた。しわと髭に囲まれたその顔に一瞬寂しそうな笑みが浮ぶ。

「風が出てきたな」
 天幕がかすかにきしむ音に、将軍は話題を変えた。
「はっ、今夜あたり東南の風が吹くかと」
 重苦しい雰囲気を変えるためか、ラビン准将は話題を切り替えた。
「では、全軍を北に移動させよ。今夜、夜襲をかける。兵に下知しておけ」
 飲みかけの麦酒をいっきに明けると、将軍は軽いため息をついた。
「作戦の詳細は、おって知らせる」
 それだけ言うと、将軍は席を立った。

 その夜。
 アル・シャルクの全軍がウルクルの城塞の北側から、砂漠を揺るがせて一斉攻撃を仕掛けた。
 夜の闇に紛れて部隊を移動させ、ウルクルの見張り番が交代する時間帯を狙っての夜襲であった。
「風が出てきたら一斉に火を放て。皆、種火は持ったな?」
「は! 炭火を筒の中に仕込んでおります。城内に入り次第、松明に点火できます」
「よし、城内に入った者から順に家々に放火していけ。風向きを間違えるな」
 ラビン准将の指令を受けたアル・シャルクの精鋭十人が、夜陰に紛れて城壁を登って行く。しんがりはラビン准将自身。

 そう、アル・シャルク全軍の一斉攻撃は単なる陽動であった。
 真の目的は、城内に潜入した部隊による内部撹乱にある。
 火攻め。
 このひと月、この地では雨が降らず乾燥しきっている。
 風上から城内の建物に一斉に火を放てば、延焼は必定。
 しかも、今のウルクルには消火のための水はほとんど無い。
 城内が一気に混乱したその隙に内側より城門を開き、外の兵を城内に突入させる…それがイクラース将軍の作戦だった。


   二

 バルート将軍指揮による最初の戦闘と、カレーズを押さえて水断ちをするための戦闘での兵の損失は予想外の大きさであった。
 戦力的に大きくそがれた今のアル・シャルク軍にとって、事実上これが最後の総力戦であった。副司令官であるラビン准将が内部撹乱の危険な任務を直接指揮していることが、はっきりとそれを示していた。
「ラビン准将、そろそろ頃合かと」
「まだだ。鬨の声が上がってからしばし待て。北門の見張りの兵がすべて南門に移動するまで待つのだ」
 城壁にへばりついた部下達にラビンは、可能な限り押さえた声で指示を出す。

 几帳面に積み上げられた日干し煉瓦の城壁には、ほとんど掴めるような出っ張りはない。煉瓦と煉瓦とのわずかな隙間に無理矢理指を引っかけるのだ。
 指の第一関節の半分ほどの長さの出っ張りさえあれば、そこに指をかける。
 指一本さえ引っかかれば自分の体重を支えられる。小指一本で自分の全体重を支えられる者達が、選ばれてこの壁に集結しているのだ。
 靴の爪先には薄い鉄片が装着してある。これを煉瓦と煉瓦の隙間に差し込み、できるだけ壁に密着した姿勢をとり、バランスを安定させる。

 風が壁を直撃する。
 この風が強ければ強いほど、城内焼き討ちの夜襲は成功する確率が高くなる。だが、いまこの壁を登る者にとっては恨めしい風だ。
 重力による下への力と、風が起こす横への力。この二つの力に耐えなくてはいけないのだ。
 誰か一人でも転落すれば…すべての計画は無に帰する。
 まさに決死隊。
 ラビン准将の耳に、大地を揺るがす鬨の声が聞こえた。

「……そろそろ」
 ───ウオオオオオオ…………
「来たっ!」
 夜の闇を切り裂く鬨の声に、夜警のウルクル兵は戦慄した。
「て……敵襲ぅっ!!」
「どこからだっ?」
「方角は南! 敵兵は…およそ八千!」
「ちっ! 総力戦か」


   三

 城壁の上からウルクル兵達の怒号が交差する。
 正面からの夜襲をほとんど予想していなかったのだろう、乱れた足音と声に激しい狼狽が伝わってくる。バタバタと激しい足音を残して、兵士達が南門へと移動して行く。
「准将!」
「よし、全員城内に潜入開始!」
 ラビンの号令に、内部撹乱の命を受けた遊軍はいっせいに壁を登り始めた。

 ほぼ同時に、全員が城壁の上に出た。
 見張りの兵は、いない。
 南門の周辺では激しい戦闘が始まっていた。
「将軍……ご武運を!」
 ほとんど自分にしか聞こえない声で、ラビンは呟いた。
 腰の鈎縄をはずす。
「脱出時を考え三人はここに残れ。残りは下に降りたらただちに火を放て! 種火は無事か?」
 ラビンの言葉に部下達は無言で懐中の陶器の筒を開ける。中には炭火が赤く仄かな光を発している。

 全員が頷くのを確認して、ラビンは素早く革手袋を両手にはめた。
 部下達も彼に倣う。
 ロバの皮を三重に張り合わせた分厚い手袋は親指以外の指は独立していない。縄を伝って一気に壁を降りるとき、手のひらを火傷しないためだけの物だ。
 この作戦は迅速さと正確さを何よりも要求される。
 手のひらの火傷などで時間を無駄にはできない。 

 ほとんど飛び降りているのと変わらぬ速さで、音もなくラビンが壁を降り部下達がそれに続く。
 地面に激突する直前、両手に力を込めて一気に減速する。
 摩擦熱で皮が焼けこげる匂いが、プンッと鼻をつく。
 ほとんど音も立てずに、ラビン達は着地した。
「ついに、ウルクルの城内の土を踏んだぞ」
 肩に掛けた弓をはずし矢筒から矢を取り出す。矢の長さは肘から指先程度しかない。四本ほどを懐中の陶器に突っ込み息を吹き込むと、たっぷりと油の塗られた鏃の根本に火がつく。


   四

「いくぞ!」
 ラビンの号令に、兵達はいっせいに矢をつがえた。
 射程の短い矢なのでそれほど広範囲に点火することはできない。多方向に矢を放ち、その後松明で放火していく。火矢はこちらの人数を多く思わせるための目眩ましである。
 短弓の弦が引き絞られ、キリキリと音を発する。
 ラビン達が矢を放とうとした瞬間──

「うわっつ! な…何だ、この水は?」
 ドォッッッと音を立ててラビン達の周りに、大量の水が降り懸かってきた。
『雨?莫迦な!』 
 いくら砂漠の雨が突然やって来るとはいえ、これでは桶の水をひっくり返したようではないか!
 空気には全く湿り気を感じなかったのに突然自分達を襲った大量の水に、ラビンは困惑した。
 ヂヂヂヂヂヂ…………矢の炎が一瞬にして消える。
「作戦は失敗だ。おとなしく投降しろ」
 闇の中に静かな声が響いた。

 いつのまにか、ラビン達はぐるりと敵に囲まれていた。
 人、人、人……
 まるで彼らの作戦が周知の事実であったかのように、十重二十重にウルクルの兵達がラビン達を包囲していた。
 不意に人垣が二つに割れ、その中を若い男が一人ゆっくりと歩を進めて来る。
 被り布の下から覗く、夜目にも見事な碧い眼。 
 全身から発散する、獣の気。

 この男が何者か、ラビンは一目で悟った。
「…おまえ…が」
「アサド、アサド・アマハル。傭兵部隊の指揮をまかされている」
「火を操る《境界に立つ者》がいるとは聞いていたが……きさま…水の族の妖魔も操るのか?」
「水妖はいない。もちろん《境界に立つ者》も一人だけだ」
「で…では、どこからこれほど大量の水を?」
 思わず問いただしてから、ラビンは自分のバカさ加減に苦笑した。
 その質問に答えるほど愚かな指揮官は、いない。自分達の一番有効な戦略物資の由来を語るはずがないではないか。



■第5章/緑の熱風 第4話『逆風の潜入部隊』/終■
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