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6.夏休みは終わった
それ以降、僕は夏休み中、川北に会えなかった。
母が一晩入院するのは検査の為だけだと思っていたら、腰の神経に異常が見つかり、手術の為に1週間入院する事になったのだ。僕を出産した時にも腰を痛め、父の仕事も忙しい時期が重なり、腰をかばいながら家事育児をしていた母に報いたいと考えた僕は、母のパート先で代わりに働く事にした。期間は夏休みいっぱいまで。工場でも、学生アルバイトを多数募集していた。高校にアルバイト許可の申請をすると、よほどウチが経済的に困窮していると思ったらしく、あっさり許可が下りた。倉木先生は「責任を感じるし、あの川に因縁も感じる」と言って水害に関係ないのに家庭教師まで買って出てくれた。バイトも家事もしなきゃいけないのに先生をまた自宅に招くなんて面倒な、と正直迷惑だったが、ウチはリモート授業なんか出来る環境でもなかった。しかし先生は有名国立大学出身で、先生に教わると難解だった数学の問題がすんなり解けてしまったのだ。感激していると、先生もようやく安堵してくれたようだった。
人生初のアルバイト・食品工場の弁当部門は、学生にはスピードを要求しているようで、僕には目の回るような忙しさだった。母のパート仲間のおばさま達がお弁当をたくさんくれるのはありがたかったが、父は「もう飽きた」「レンチンじゃない暖かいご飯が食べたい」と、母にも言わなかったようなわがままを言うので、一人分だけご飯を炊いたり少量のおかずを作ったりした。おかげで冷凍庫には惣菜が溜まる一方……
「といわけで!本日はお惣菜パーティーです!」
「お前、パーティーなんかするヤツだったっけ。」
ドン引きする川北とご機嫌な僕。しばらくSNSでさえやり取りしていなかった。
今日は夏休み明けの登校日で、早く帰れる日だ。ウチの冷蔵庫の大掃除に川北も協力してもらう事にした。大量の揚げ物はピリ辛に味付けしたり、さっぱり味の餡かけにしたりのアレンジをした。ツナやパプリカの具を足した手巻き寿司やポテトサラダを加工したヴィシソワーズを怪訝そうな顔で見下ろしている川北。
「なかなか豪華だけど、お母さん退院したんだろ、パーティーは家族ですれば…」
「それはもう先週すませたよ、今日はパート仲間と、リハビリ明け職場復帰パーティーをするんだって。」
「アットホームな職場だな。」
「もうね、川北には岩瀬に来るたびにひどい目に遭わせてるから、今回はごちそうするよ。」
「ああ…でも前回も料理の先生の手料理をごちそうになって、翌朝にはお隣の竹下さんにスコーンと紅茶をいただいたからね。そうひどくもないさ。」
そうだった、プロの塚本さんや高級志向の竹下さんの料理をいただいていたんだった。僕の自信作が突然貧相に見えてしまった。
「そ、そうだったね、僕、せっかくの塚本さんの料理も、気持ちが浮ついて何食べたかも覚えてないし、竹下さん家にも行ってないし…そうだ、通報のお礼もしてないな。父さんは次の日に、竹下さんと公民館にそれぞれごあいさつしに行ったそうだけど。」
「竹下さん、元気そうだったか?」
川北が竹下さんを心配している?あの日、朝食会で何があったのか。
「僕は直接会ってないんだ。母さんの搬送後に一旦家に帰ったんだけど、その時竹下さんはお家にいなかったし。父さんの話では、いつもと変わらないようだったけど。何かあったの?」
救急車の到着を待っていた時。スコーンの焼ける香りのする中、梅上さん親子3世代と川北は竹下さんの家へ招かれた。橋を渡って裏口から入ったが、豪華な家具のある応接間に通されたそうだ。ソファーの上で飛び跳ねるミー君をなだめるパパとママ。緊張していた、おじいさんの梅上さん。バラ模様のティーセットに、スコーンとクロテッドクリームとイチゴジャム。喫茶店顔負けのメニューにため息をもらす一同。川北は率直に「昨日おたくの庭に男性がいるのを見たが息子さんじゃないのか」と尋ねたが、東京に行ってそれきり帰ってないと言われた。「そちらのお兄さんはお元気ですか?」と話を梅上さんに振った竹下さん。梅上さんは「あの親不孝者は、音信不通ですよ」と答えたらしい。ミー君のパパは次男で、お兄さんもいたのだが、僕は顔も覚えていない。それから大人たちの身の上話になり、スコーンを食べ終えたミー君は部屋をウロウロしだした。
「大きなおうち!ペールブルーゴーバンのお家みたい!」
というミー君。好きなヒーロー番組に金持ち設定のキャラがいるらしい。
「そうだな、このお家にもバラがたくさんあるよ。」
なぜか子供番組に詳しい川北。竹下さんの方を向くと、お庭を探検していいとの許可をもらい、大人たちのおしゃべりが尽きるまで庭で遊んでいたそうだ。
「竹下さんはオレの事探偵だなんて言ってたけど全然ダメだったな。庭から正門の方にある玄関を覗いたら青いバラの混じった大きな花束を飾ってあるのが見えたが庭には青いバラは無かった。でもバラに詳しいわけじゃないから、花の終わった株については何とも言えない。息子が里帰り途中で、ご機嫌取りの為にどこかで花束を買ってプレゼントしたが、冷たくあしらわれ、腹いせにお前が帰ってくるのを見つけて橋の上にフィルムを敷いてお前を驚かせようと思ったけど、人数が増えたのを見て隠れてしまった、とオレは思ってたんだけどな。」
「いや、まさかそんな…」
と川北の推理を否定するが、言われてみればあのビニールは上流から流れてきたにしてはピッチリと橋に張り付いて不自然だったかもしれない。
「庭を一周してみたが、人の気配も無かったし、足跡も分からなかった。証拠も無いし竹下さんを詰められも出来なかったな。」
「そこまでしなくたっていいよ。本当にいたずらが原因で母さんが入院する羽目になったのなら腹は立つけど…そうだ、証拠となりそうなビニール、ウチの敷地の隅に置いてたんだけど、無くなってたんだ。誰か片付けたか知らない?」
川北はジャガイモスープをスプーンですくいながら首を横に振った。
「あのフィルムも見てないな。皆が帰る時にはオレもミー君を連れて庭から直接裏の橋から帰ったんだけどね。梅上さんは、竹下さんの旦那さん秘蔵のブランデーをもらったらしくて上機嫌だったよ。」
「ブランデーだって?朝から?」
僕が驚いて声をひっくり返すと、その場で飲んだわけではなく、飾り棚にあった未開封の瓶をそのままもらって帰っていたとの事だった。同じ日に梅上さんも救急搬送された話をすると、川北も顔を曇らせた。
「それは心配だな。急に倒れるほどの老人でもないだろう。もらったブランデーをすぐに開けて家族で乾杯したのかな。」
「家族…傍にいたのは息子さんだけだったから、ミー君とママは車で先に帰ってたんじゃないかな、セダンが無かったから。何で倒れたかは聞く暇が無かったよ。奥さんの籍に入った話なんかされたけど。」
「そうか、もしブランデー飲んで倒れたとしたら、近所に噂が広まって竹下さんが気にしても悪いと思うかもな。オレが詰めたのを怒ってないといいが…いや、忘れてもらっても困るな。ああいう老害は下手に出ていたらいつまでもこちらが悪いかのようにネチネチ言ってくるからな。」
いったい川北も梅上さんも今までどんな目に合ってきたのだろう。もう川北が気にする事ないよ、もう君と梅上さんとは余程の偶然が起こらない限り会わないだろうから、と言うと
「お前とももう会えないかもしれないぞ。幸か不幸か。」
と物騒な事を言われた。
「僕をかばってくれるのはありがたいんだけど、危ない真似をしないでくれよ。」
僕も惣菜を消費するために中身が何だったのか忘れた揚げ物を頬張りながら言うと
「危ない事に引き込んだのはオレの方だよ。川幽霊をお前に教えてしまった。世話になった神主様を紹介したかっただけなのに。」
と告白された。驚いてメンチカツを飲み込んでしまった。川北が僕に対して引け目を感じるなんて。
思えば初めて声をかけた時、川北が読んでいた小説は川端康成だった。僕が「真面目な小説読んでるんだね」と言ったら「試験対策だよ」と答えられただろうか。僕はラノベや漫画が好きな話をしたら苦笑いしながらうなずいていた。家に帰ってから、好きな小説を茶化されたと思われたかもしれない、本当は純文学を語り合える友が欲しかったのかも、と一人で反省したのだ。それからも、こんな成績優秀なヤツなら、付き合いもこの高校3年間だけで、後は別々の道へ進むだろう、一緒に遊びに行けるのなんか片手で数えるほどだろうと、勝手に思っていた。彼を“クール”だと思っていたのも僕の勝手だろうか。実際は近所の神主様を何らかの理由で頼りにしていて、川幽霊なるものを信じている少年だったのだ。
───そして自分でも川幽霊になれる“術使い”だか“霊能力者”になってしまうかもしれない。
友だちだったらどうすべきか。わけのわからない超自然の世界になんか行かないでくれと止めるか。彼の意志を尊重して賛成すべきか。でもどうして僕に川幽霊の事を教える気になったのか。漫画が好きだから、信じてくれそうだったからか。あの中学生の頃からの友達らしきリュウ君はまるで信じてないようだった。いや待て、川北だって「2度と川幽霊になんかならない」って言ったじゃないか。2度目に川幽霊になったのは、僕のせいじゃないか。思考が空転しだした。何か喋れよ、川北に何か言ってやるんだ。
「ええと、松ちゃん…神主様は、恩人なんだよね。紹介してくれて嬉しいよ。何か相談してもらってたの?あ、いや、立ち入った話が聞きたいわけじゃないんだ。」
深刻な話は苦手だ。川北が自分で解決できない事が、僕に話してもどうにも出来ないだろう。
「ホント、お前はバカな話しかしないな。」
川北の言葉が突き刺さる。やっぱり僕のバカに合わせてくれただけなのか。
「でもその馬鹿さに救われたんだ。」
次の言葉に飛び上がった。
「ぼ、僕なにか言った?」
「オレは、友達が出来ないのがコンプレックスだったんだ。今思うとバカバカしいけどな。リュウは中学2年から生徒会長で面倒見がいいけど、クラスも違うしいつもオレに構ってくれるわけじゃなかった。悩んでいる時に神主様と河原で出会った。悩みを打ち明けると『堂々としなさい、一人でも。そのうちに君を分かってくれる人が現れる』と言われたんだ。高校に進学しても一人でいるつもりだった。」
「確かに君は一人で堂々としていたね。なんか、カッコいいって思ってたよ。」
「中学では、オレは都会から来ていばってるとか、近寄りがたいとか言われてたのに、お前は何も空気読まずに話しかけてきた。」
「そ、そうかな?何か照れるな。」
「誉めてるんじゃないよ。それで神主様に紹介しようと思ってたんだけど、変な事になったな。オレも友達をウチに呼ぶのが久しぶりでテンパってたかもな。」
「そうかもね。川幽霊なんて、いきなり言うヤツだとは思わなかったよ。また、なりたい?」
「ゴメンだね。せいぜい危ない目に合わないでくれよ。」
「またナマコに襲われない限りはね、そうだ、乾燥ナマコ、料理の先生にあげてもいいかな。」
戸棚下の収納を探すがない。川北がスマホをいじっていると思ったら、何か検索したらしく画面を見せて来た。それはナチュラルでおしゃれなデザインのブログで、丸い枠には塚本さんの顔写真と名前がある。
<料理の講師をしていると、変わった食材をいただきます>
という見出しの下には、あの袋入り乾燥ナマコの写真があった。
「父さん、ナマコを塚本さんにあげてたんだ。」
「贈答品が人から人に渡るのを“泳ぐ”というらしいが、ナマコなのによく泳ぐな。」
「う~ん、僕はナマコ料理、チャレンジする気はあったんだけど、食べた事ないものを作るのはハードルが高いな、って思ってたんだ。」
ブログでは塚本さんも困惑しているようだったので、また僕らの顔を見ても困るかもしれないな、という話になり、これから余った料理をエガちゃん宮司様に持って行こう、という流れになった。料理を捨ててもいいプラ容器に詰め、ナマコを勝手に持って行ったお返しに、父さんの炭酸飲料を一本冷蔵庫から抜き取る。
3年くらい行かなかった場所に、この夏に何回も行く羽目になるとは思わなかった。
しゃべると体力を消耗するとばかりに、お土産片手に黙って坂道を登っていたが
「ミー君、この坂を何度も登ってたんだろうな。」
川北が突然口を開いた。
「どうして…そうか、ミー君の言ってた“赤い基地”は神社の事だろうな。でも、何度も行ったかどうか…」
「そうでないと、先日みたいな大雨の日に、宮司様に頼ろうとは思わないだろう。
梅上の爺さんは孫を連れてきても、すぐほったらかしにしてたんだろうな。ミー君は一人で川沿いを歩いて冒険してたんだ。そして好きな番組のキャラにそっくりな白髭の博士と出会った。」
「でも、あの宮司さん、髭なかったよね?」
「神主様の話では、昨年末までは顎髭があったそうだ。」
話しているうちに沼についた。葦に囲まれて何事もなかったかのように静かである。見回すと、駐車場の向かい側には竹林があり、遠くの下り坂に続いている。
「ミー君はあの小さな体で、結構な距離を歩いていたんだね。」
「そうだな、『勇気を出して立ち向かえ』はブルーゴーバンの主題歌だけどお前知らないか?」
「いや、そんなに何でもアニメ見てないよ、川北こそ、何で詳しいの?」
「近所の子供たちが、オレがあの番組に出てくるドラキュラの怪人に似てるって言うんだ。」
僕が思わず吹き出すと
「ついでに言っとくけど、リュウにブルーゴーバンの主人公に似てるって絶対に言うなよ、キレ散らかすからな。」
「ウソ、喜んでくれそうに見えるけど?怒るポイントが分からないな。」
二人で笑っていると、おーい!というしわがれた声が聞こえた。見ると、鳥居の下で宮司様が着物の袖をバサバサ揺らして手を振っていた。
「いい所に来てくれたね、ご馳走をたくさんいただいて困ってたんだ。ワシが先日の大雨で沼に水没していないか、近所の人たちが心配してくれてね。」
神社内の和室には、贈答品と思われる化粧箱や和紙に包まれた日本酒の瓶が山積みになっている。僕も座卓の上に持参したリメイク品の弁当を乗せたが完全に見劣りしている。
僕が黙っていると、
「君もワシを気遣ってくれたんだね。手作りのお弁当をくれるなんて…そうじゃ、料理の先生の手作りをいただいたんだ、一人じゃもったいない高級料理じゃ、君たちも食べてくれ!」
まさかと思っていると、隣の部屋から大皿を持ってきてくれた。見た目は中華風野菜炒めだが、黒い切り身が混じっている
「珍しいナマコのオイスターソース炒めじゃ。」
やっぱり、と思いながらも精一杯の作り笑いを浮かべ、塚本さんの腕前と、公民館でお世話になった事を褒めたたえる。そしてミー君の話にもなり、ご家族の情報を知ってる限り話してしまった。これでは近所の噂好きなオバサンのようではないか、と反省して川北の方を見ると、結構な量の僕の料理を食べたばかりなのに、箸を止めずに高校生男子にふさわしい食欲を発揮している。僕の方はもう食欲が無いのをおしゃべりでごまかしていたのに。
僕だって、宮司様には本当に訊きたい事があるのだ。意を決して質問する。
「ナマコを頂いたばかりで失礼かもしれませんが……」
「ああ、君にはナマコに見えたんだね、ハハハ!」
宮司様が僕の質問に先回りして答えてくれたようだが、君には、が気になって聞き返す。すると、
「君のお父さんには、大蛇に見えたようだよ。同じ姿だったかは分からないけどね。」
「え?聞いた事ないんですけど!」
「多分、小さい君が影響を受けないように内緒にしてたんだろうね。」
父が小学生の頃の話。そのころはグラウンド全体が薮深い暗い沼で今のようにフェンスも無く、大人の腰ぐらいの高さの柵と“立ち入り禁止”の看板があるだけだった。江頭宮司の住む神社は、現在竹藪になっている所にあったそうだ。
山沿いに住む友達の家に遊びに行った帰り、藪から草のざわめく音がして振り向くと、柵の上に鎌首をもたげた、黒い大きな大蛇がいた。驚いて固まっていると、大蛇は大きな口を開けた。悲鳴を上げて夢中で坂を駆け下りウチに帰った、子供の頃の父。宮司が異変を感じ表に出たが、何事もなかったそうだ。
翌日小学校で大蛇に襲われそうになった話をしたら、前の日に一緒に遊んだ友達に
「沼のそばに住んでいるけど、大蛇なんか見た事ない、ウソをつくな!」
と怒られてしまい、先生からは
「臆病だから普通の蛇が怪物に見えたんだ。」
と馬鹿にされてしまう。
噂が広まり、近所のお年寄りからは
「お前のせいで竜神様が目覚めてしまった。」
となじられてしまった。
普段人の噂なんか気にしないおじいさんが、小さい父さんの手を引いて神社にやってきて
「この子は、この地から離した方がいいでしょうか。」
と尋ねたが、宮司様は
「よその地でも竜神様のような存在はいるが、よその地にワシのような霊能者はなかなか居ない。」
と答えた。
「ま、ワシも若かったからね、イキって答えたワケさ。」
と胸を張る宮司様。30数年前でも十分なお年だったでしょう、と言いそうになるのを堪えて
「僕の父さんも大蛇のような物を見てたんですね、全然知りませんでした。」
と言った。川北も箸を止めて言った。
「田中のお父さんが黙っていた事を、今話してもいいものでしょうか。」
「ワシは田中さんに内緒にしろとは言われてないがね。これも縁というか、竜神様のお導きじゃろう。」
「近所の人たちも噂好きのようですが、今まで息子の田中の耳に入ってないのも気になります。」
「それは、立川建設さんが大工事をしたからじゃ。」
大蛇の噂が広がった直後、地元の大手建設会社主導で沼の大工事が始まった。山間部の小さな集落に土木工事の車両や逞しい作業員たちが行き交うと、住民たちはピタリと噂話をしなくなった。皆、立川建設さんを尊敬していたのだ。沼の半分は埋め立てられ“町営グラウンド”が出来た。神社も封印力を強める為、沼の隅に移設され、高いフェンスに囲まれた。
「いまだにあのフェンスを越えるホームランを打ったヤツはおらんらしいよ。」
お祓いの棒をバットのように両手で振っておどける宮司様。
宮司様と川北が一生懸命しゃべってるのに、ポカンとしてしまっていた僕。やっと口が動いた。
「じゃあ…僕と同じような怪物を、父も見てたんですよね。幻覚じゃなくて…でも、川北の見た竜とは違うんですよね…」
「見た目に惑わされてはいかんよ。ワシの感じたところでは、どちらも竜神様じゃ。気まぐれなお方じゃから、人を助ける事もあれば、からかう事もある。人間と同じようにね。」
それでは、僕も父も親子でからかわれて、川北にはカッコいい役をさせて遊んでたって事だろうか。何だか面白くないし、釈然としない。顔に出ていたのか、宮司様は優しい声で僕に言う。
「竜神様はね、放っていても怒るし、構いすぎても怒る。ご機嫌をとるのがワシと松ちゃんの仕事じゃ。ここ数年おとなしいと思ったら、急にはしゃぎだした。どうやら君たちに構って欲しがってるようじゃ。」
「え、それは、何か困りますね、構ってあげないと、住民の皆さんが迷惑を被るんですか?」
「オレも困りますね、人生設計に影響します。」
僕らの抗議に動じる様子もない宮司様。
「まあね、設計図に変更は付き物じゃ。ワシも数十年前に、縄張りは狭いが強力な竜神様の噂を聞いてこの小さな町に来た時にゃ、残りの人生を費やすとは夢にも思わなかったよ。もっと全国で修行したかったんだけどね。ああ、田中さんが羨ましい。」
「その田中さんって、僕のおじいさんの事ですか?」
「お前のじいさん、田中大吉って名前か?」
「今名前はどうでも…あれ、おじいさんの名前教えたかな?」
川北が急に話をそらしたので、こちらも拍子抜けしてしまった。川北は表を指さして
「鳥居の脇の、寄進者の名前が掘られた石柱にあったよ。立川建設、ミライ設備、田中大吉。」
「おっと、川北君“たちかわ”じゃなくて“たつかわ”じゃよ。」
宮司様が社名の訂正をしている。
「また話それてる、名前の話やめてよ。母さんが怒るから。」
僕が叱ると、なんで?と同時に訊かれる。ここまで突っ込んだ話をする関係になったのなら、お二人にも知っておいてもらった方がいいかな、と思い気が進まないが、
「おじいさんが大吉、父さんの名前が吉男、母さんが京子って言うんだ。おじいさんがいらん事、『夫婦で名前がおみくじの吉と凶』なんて言ったから、母さんが怒って。母さんの両親はもっと怒って、結婚式以来会ってもくれないんだって。」
と話すと、川北が文字通り腹を抱えて笑いながら畳の上に倒れてしまった。
「お前の母さん、オレが神社に行くって言ったら、ゴミを見るような目をしたから、どんな深い事情があったのかと思ってたら、そんなしょうもない…ハハハ!」
「人の名前を笑うんじゃないよ、罰当たりじゃよ。」
と宮司さんがお祓いの棒で川北の頭をコツンと小突いた。ついでに僕のおでこも突かれた。
「何で僕までつつくんですか、もう~」
笑って流そうとする僕。僕も自分の名前があまり好きじゃないのだ。
「はい、お祓いをしてあげよう。」
と言いながら棒の先についているワサワサの紙の部分を川北の頭に被せる宮司様。謝りながら起き上がる川北。
「ワシはそこそこの能力者だという自負はある。しかし、田中君の時も、お父さんの時も、間に合わなかった。」
「何がです?竜神様の出現にですか?」
「しかし君は間に合った。」
「だから、それはオレの能力じゃありませんよ。竜に翻弄されただけです。」
「はは、また話は平行線じゃな。時がたてば状況が変わるかもしれん。」
川北と宮司様の会話はそこで途切れた。しばらくの沈黙に耐え切れず僕は言った。
「それで、僕たちはどうすればいいんですか?」
「毎日高校生らしく、元気に過ごすんじゃよ。周りの人たちも大切にな。」
「でもそれって、大人の理想論だよな。」
ふたりで坂道を下っていると、川北がまた急に話の続きを始めた。
「いいじゃないか、毎日精一杯生きれば報われるって事だろ。」
「お前は楽観的すぎる…あれ、竹下さんだよな?」
「また話を逸らす…ホントだ!竹下さ~ん!」
もうすぐ僕の家に着く川沿いに、大柄の花柄ワンピースを着て、同じ柄のトランクを引いた女性がアールヌーボー調の橋を渡っている。走って駆け寄る僕。
「あら坊や。お友達も一緒に。」
後ろからゆっくり来る川北を待たずにしゃべる。
「こないだはありがとうございました!今から旅行ですか?」
「ええ、前から行きたかったパリにね。もう、誰にも遠慮はしないの。」
そうですか、海外旅行いいですね、と気の利かない返事しか出来ないでいると
「本物のポンヌフを見に行くのよ。」
と言われた。僕が戸惑っていると川北が追いついて言った。
「ポンヌフはフランス語で新しい橋って意味だよ。パリの名所でもある。」
「物知りね。これが私のポンヌフだったのよ。」
ハイヒールで小さな橋をコンコンと踏みながら竹下さんが言った。
「ああ、この橋、おしゃれでカッコいいですよね、僕も好きです!」
僕が調子のいい事を言うと、竹下さんは笑ってくれた。
「トランク、大きいですね。オレも駅まで行きますので、持ちましょうか?」
川北が右手を差し出したが
「いいの。この川を見ながら去りたいから。あなたはお友達とゆっくりなさいな。」
竹下さんはキャスターの音を響かせながら坂を下りてゆく。小さな川の流れも竹下さんの歩調に合わせてゆっくり流れている。あまり見続けても悪いような気がして、僕らはウチのコンクリートの橋を渡った。
「バラが枯れている。」
川北がお隣の庭を見下ろしながら言う。言われてみれば、バラだけじゃなく常緑樹の生垣も葉先が茶色くなっている。
「確か、自動で水を撒いていたハズなんだけど…猛暑にやられたのかな。」
「庭の反対側に井戸があったぞ。水撒きしてやろうか?」
「随分親切だな、でも頼まれたわけじゃないし、勝手にお庭に入ってもいいものかどうか…母さんに相談してみるから、今日のとこはウチに入ろう。」
と言って川北を招く。
「僕も干上がりそうだよ。慣れてない人としゃべってノド乾いたよ。君もジュースいる?」
冷蔵庫からまた父さんの買った缶ジュースを出してグラスに注いでいたら、
「いや、オレはいらないよ。食いすぎたからな。」
そうなの、と言いながら自分だけグラスをあおる。
「ふう、美味しー、生き返ったな。」
ご満悦な僕の顔を頬杖をつきながら見ていた川北がボソリと言う。
「竹下さんのご主人と息子、井戸の中かもな。」
「何てこと言うの??ミステリーじゃないんだから。」
声をひっくり返して驚いたが、川北は平然としている。
「そうだな、真夏に御遺体を放置してたら、この辺エライ臭いになってるよな。元病院とは言っても、もう設備も置いてないようだったし。まるで断捨離してるように物が無かったな。」
「そうなんだ、梅上さんの家もずっと静かで、車も無いし、寂しくなったな。
そうだ、川が氾濫したのも、梅上さんところの橋が崩れたのが原因で、それより上流は静かだったんだって。だから、神社も無事だったんだ。何か、梅上さん、ウチのおじいさんに対抗心を持ってたらしくて、橋に車が止められるようにしたいなら、おじいさんが工事してあげるって言ったのに、梅上さんが自分でコンクリートを買って作ったらしいんだよ。
まだ橋は壊れたままだし、もう車も止めない方がいいかも。」
僕がしんみりしていると、また川北が話題を変えた。
川北の地元の自治会報。子供のコーナー“夏休みの思い出”は数人の競合だったそうで、僕が忙しい中、朦朧としながら書いた原稿は落選してしまったそうだ。入選したのは小学生が書いた作文でタイトルが“終戦記念日に寄せて”だそうだ。僕は額をテーブルの上について落胆した。
その夜。僕は食事の後に両親に話した。倉木先生が来た日。ナマコの化け物に襲われて倒れて、川北と宮司様に助けられた事を。今日も神社に行った事を。
父は慌てていたが、母は意外と冷静でこう言い放った。
「全く、あんたたちは小心者のくせにどうして何度も化け物の出る沼に行くのかね。」
「と、父さんはグラウンドの照明のメンテナンスがあるからね。あそこは僕担当になってしまったんだ。近いし…」
焦って言い訳をしている父の話にかぶせて僕も話す。
「そうだったの、宮司様から聞いたけど、その後大蛇は見た?」
「まさか、1回だけだよ。父さんも遠い日の幻だと思ってたのに、息子のお前まで見たとは…でもナマコって!ププッ!」
「笑わないでよ!でも、今まで黙っててゴメン、沼に行っちゃだめって言われてたのに…」
父には笑われたが、母にはまた無表情で言われた。
「小さいアンタが沼で溺れやしないかと心配してたからよ。父さんが言ってた、大蛇は大げさにしてもヘビは出るんだろうと思って。」
よかった、母はそんなに怒っていなかった。父の方を見ると
「父さん、宮司さんにお礼に行くからね。またヘビが出たら怖いけどね。カプ~~」
両腕を合わせてくねらせ、ヘビのように動かす父。
「やだなぁ、僕もう高校生なんだから、そんなので喜ばないよ。」
笑いながら言ってるうちに、原口さんの恵比寿顔が脳裏に浮かんだ。
「そうだ、駐車場の原口さんが、父さんに会いたがってたみたいなんだけど、何か話した?」
父に向けて言ったのに母が大声を出した。
「アーもう面倒くさい!引っ越しなんか絶対しないわよ!腰痛いしもう寝る!」
勢いよく立ち上がるとキッチンを出ていく母。
「今怒られるとは思わなかったよ、引っ越しって何?」
父が言うには、原口さんから、岩瀬商店街近くに新しく出来る公営アパートに引っ越しを勧められたそうだ。家族に災害のせいで腰が不自由になった者がいると言えば、優先的に入居できる、手続きも原口さんがしてくれる、パートも辞めれば収入の面で家賃も安くなるし、病院も近いからどうかと。
「ええっ!いい話じゃないか。僕引っ越したい!」
「こら!黙りなさい、母さんに聞こえる!母さんにしてみれば、身体障害者扱いになるのが嫌なんだよ。パート仲間と仲がいいし、離れたくないんだろう。母さんもここが好きなんだよ。遠く関西から嫁に来て、おじいさんの事は嫌いなのに、おじいさんが建てたこの家にずっと住んでるんだからね。」
そうなのか。母もここが好きなのか、この川沿いの、橋のある家が。
「うん、僕もここが好きだよ。橋のある家、同級生からもカッコいいって言われた事あるよ。」
そんな会話をしたけれども“川幽霊”の話は出来なかった。
川北にも簡単にSNSで報告したが、既読はついたが返事は無かった。
翌日放課後。僕たちは高校裏の雑木林にある川の傍にいた。谷中にある土地で、湧き水が流れる、一またぎ出来るほどの小さな川がある。
「本当にやる気なの?もう川幽霊にならないんじゃなかったの?」
僕が心配していると、川北はスニーカーのまま水に入りながら言う。
「本当はやりたくは無いさ。でも現にお前とお父上が同じような怪物を見ている。お互い内緒にしていたのに同じような幻覚を見たとは考えにくい。そして母上は手術がいる大怪我をした。宮司様の言うように竜神様が暴れているとすれば無視は出来ない。」
「僕としては複雑な気分だよ。悪天候は偶然かもしれないし、ウチの為に友達が無茶をするなんて。超高齢の宮司様が、後継者を欲しがっているとしても。」
徐々に濡れていく、友達のスニーカーを見ながらつぶやくと、友達はさらに足を踏み出して言う。
「後継者になれるか、素質があるかどうか、ハッキリさせたいんだ。それに、学校から霊体だけでもワープ出来たら便利だろ。」
「自分の利便性は考えちゃいけないんじゃない?川幽霊は、川と竜神様を見守る為のもんじゃないの?」
「そうだけどね、神主様が言うには、岩瀬の竜神様の縄張りは、岩瀬全域と杉川流域。蔦見川の竜神様には頭が上がらないんだって。綾森市にはなぜか興味がないそうなんだけど、ここから川移りの術が使えたら、オレも神主様たちに引けを取らないほどの能力者になれるかもしれない。出来なかったら諦めるさ。」
僕は成り行きを見守る。川北が宮司様たちを諦めさせるために、今までのキャパを超える術の実験をするのだろう、と思ったからだ。
「ではお願いします。」
川北がスマホ片手に高らかな声を上げた。松島神主が杉川で待機しているらしい。超常現象を起こす合図にスマホを使う時代なんだ。
目を閉じて息を吸う川北。きっと“気”を入れているのだろう。
小さな川の上に黒い虫が1匹飛んでいる。光ってはいないがホタルのような気がした。もう9月だけど、いつまで飛んでいるものだろう、とぼんやり考えた。
──────────第一部・完──────────
母が一晩入院するのは検査の為だけだと思っていたら、腰の神経に異常が見つかり、手術の為に1週間入院する事になったのだ。僕を出産した時にも腰を痛め、父の仕事も忙しい時期が重なり、腰をかばいながら家事育児をしていた母に報いたいと考えた僕は、母のパート先で代わりに働く事にした。期間は夏休みいっぱいまで。工場でも、学生アルバイトを多数募集していた。高校にアルバイト許可の申請をすると、よほどウチが経済的に困窮していると思ったらしく、あっさり許可が下りた。倉木先生は「責任を感じるし、あの川に因縁も感じる」と言って水害に関係ないのに家庭教師まで買って出てくれた。バイトも家事もしなきゃいけないのに先生をまた自宅に招くなんて面倒な、と正直迷惑だったが、ウチはリモート授業なんか出来る環境でもなかった。しかし先生は有名国立大学出身で、先生に教わると難解だった数学の問題がすんなり解けてしまったのだ。感激していると、先生もようやく安堵してくれたようだった。
人生初のアルバイト・食品工場の弁当部門は、学生にはスピードを要求しているようで、僕には目の回るような忙しさだった。母のパート仲間のおばさま達がお弁当をたくさんくれるのはありがたかったが、父は「もう飽きた」「レンチンじゃない暖かいご飯が食べたい」と、母にも言わなかったようなわがままを言うので、一人分だけご飯を炊いたり少量のおかずを作ったりした。おかげで冷凍庫には惣菜が溜まる一方……
「といわけで!本日はお惣菜パーティーです!」
「お前、パーティーなんかするヤツだったっけ。」
ドン引きする川北とご機嫌な僕。しばらくSNSでさえやり取りしていなかった。
今日は夏休み明けの登校日で、早く帰れる日だ。ウチの冷蔵庫の大掃除に川北も協力してもらう事にした。大量の揚げ物はピリ辛に味付けしたり、さっぱり味の餡かけにしたりのアレンジをした。ツナやパプリカの具を足した手巻き寿司やポテトサラダを加工したヴィシソワーズを怪訝そうな顔で見下ろしている川北。
「なかなか豪華だけど、お母さん退院したんだろ、パーティーは家族ですれば…」
「それはもう先週すませたよ、今日はパート仲間と、リハビリ明け職場復帰パーティーをするんだって。」
「アットホームな職場だな。」
「もうね、川北には岩瀬に来るたびにひどい目に遭わせてるから、今回はごちそうするよ。」
「ああ…でも前回も料理の先生の手料理をごちそうになって、翌朝にはお隣の竹下さんにスコーンと紅茶をいただいたからね。そうひどくもないさ。」
そうだった、プロの塚本さんや高級志向の竹下さんの料理をいただいていたんだった。僕の自信作が突然貧相に見えてしまった。
「そ、そうだったね、僕、せっかくの塚本さんの料理も、気持ちが浮ついて何食べたかも覚えてないし、竹下さん家にも行ってないし…そうだ、通報のお礼もしてないな。父さんは次の日に、竹下さんと公民館にそれぞれごあいさつしに行ったそうだけど。」
「竹下さん、元気そうだったか?」
川北が竹下さんを心配している?あの日、朝食会で何があったのか。
「僕は直接会ってないんだ。母さんの搬送後に一旦家に帰ったんだけど、その時竹下さんはお家にいなかったし。父さんの話では、いつもと変わらないようだったけど。何かあったの?」
救急車の到着を待っていた時。スコーンの焼ける香りのする中、梅上さん親子3世代と川北は竹下さんの家へ招かれた。橋を渡って裏口から入ったが、豪華な家具のある応接間に通されたそうだ。ソファーの上で飛び跳ねるミー君をなだめるパパとママ。緊張していた、おじいさんの梅上さん。バラ模様のティーセットに、スコーンとクロテッドクリームとイチゴジャム。喫茶店顔負けのメニューにため息をもらす一同。川北は率直に「昨日おたくの庭に男性がいるのを見たが息子さんじゃないのか」と尋ねたが、東京に行ってそれきり帰ってないと言われた。「そちらのお兄さんはお元気ですか?」と話を梅上さんに振った竹下さん。梅上さんは「あの親不孝者は、音信不通ですよ」と答えたらしい。ミー君のパパは次男で、お兄さんもいたのだが、僕は顔も覚えていない。それから大人たちの身の上話になり、スコーンを食べ終えたミー君は部屋をウロウロしだした。
「大きなおうち!ペールブルーゴーバンのお家みたい!」
というミー君。好きなヒーロー番組に金持ち設定のキャラがいるらしい。
「そうだな、このお家にもバラがたくさんあるよ。」
なぜか子供番組に詳しい川北。竹下さんの方を向くと、お庭を探検していいとの許可をもらい、大人たちのおしゃべりが尽きるまで庭で遊んでいたそうだ。
「竹下さんはオレの事探偵だなんて言ってたけど全然ダメだったな。庭から正門の方にある玄関を覗いたら青いバラの混じった大きな花束を飾ってあるのが見えたが庭には青いバラは無かった。でもバラに詳しいわけじゃないから、花の終わった株については何とも言えない。息子が里帰り途中で、ご機嫌取りの為にどこかで花束を買ってプレゼントしたが、冷たくあしらわれ、腹いせにお前が帰ってくるのを見つけて橋の上にフィルムを敷いてお前を驚かせようと思ったけど、人数が増えたのを見て隠れてしまった、とオレは思ってたんだけどな。」
「いや、まさかそんな…」
と川北の推理を否定するが、言われてみればあのビニールは上流から流れてきたにしてはピッチリと橋に張り付いて不自然だったかもしれない。
「庭を一周してみたが、人の気配も無かったし、足跡も分からなかった。証拠も無いし竹下さんを詰められも出来なかったな。」
「そこまでしなくたっていいよ。本当にいたずらが原因で母さんが入院する羽目になったのなら腹は立つけど…そうだ、証拠となりそうなビニール、ウチの敷地の隅に置いてたんだけど、無くなってたんだ。誰か片付けたか知らない?」
川北はジャガイモスープをスプーンですくいながら首を横に振った。
「あのフィルムも見てないな。皆が帰る時にはオレもミー君を連れて庭から直接裏の橋から帰ったんだけどね。梅上さんは、竹下さんの旦那さん秘蔵のブランデーをもらったらしくて上機嫌だったよ。」
「ブランデーだって?朝から?」
僕が驚いて声をひっくり返すと、その場で飲んだわけではなく、飾り棚にあった未開封の瓶をそのままもらって帰っていたとの事だった。同じ日に梅上さんも救急搬送された話をすると、川北も顔を曇らせた。
「それは心配だな。急に倒れるほどの老人でもないだろう。もらったブランデーをすぐに開けて家族で乾杯したのかな。」
「家族…傍にいたのは息子さんだけだったから、ミー君とママは車で先に帰ってたんじゃないかな、セダンが無かったから。何で倒れたかは聞く暇が無かったよ。奥さんの籍に入った話なんかされたけど。」
「そうか、もしブランデー飲んで倒れたとしたら、近所に噂が広まって竹下さんが気にしても悪いと思うかもな。オレが詰めたのを怒ってないといいが…いや、忘れてもらっても困るな。ああいう老害は下手に出ていたらいつまでもこちらが悪いかのようにネチネチ言ってくるからな。」
いったい川北も梅上さんも今までどんな目に合ってきたのだろう。もう川北が気にする事ないよ、もう君と梅上さんとは余程の偶然が起こらない限り会わないだろうから、と言うと
「お前とももう会えないかもしれないぞ。幸か不幸か。」
と物騒な事を言われた。
「僕をかばってくれるのはありがたいんだけど、危ない真似をしないでくれよ。」
僕も惣菜を消費するために中身が何だったのか忘れた揚げ物を頬張りながら言うと
「危ない事に引き込んだのはオレの方だよ。川幽霊をお前に教えてしまった。世話になった神主様を紹介したかっただけなのに。」
と告白された。驚いてメンチカツを飲み込んでしまった。川北が僕に対して引け目を感じるなんて。
思えば初めて声をかけた時、川北が読んでいた小説は川端康成だった。僕が「真面目な小説読んでるんだね」と言ったら「試験対策だよ」と答えられただろうか。僕はラノベや漫画が好きな話をしたら苦笑いしながらうなずいていた。家に帰ってから、好きな小説を茶化されたと思われたかもしれない、本当は純文学を語り合える友が欲しかったのかも、と一人で反省したのだ。それからも、こんな成績優秀なヤツなら、付き合いもこの高校3年間だけで、後は別々の道へ進むだろう、一緒に遊びに行けるのなんか片手で数えるほどだろうと、勝手に思っていた。彼を“クール”だと思っていたのも僕の勝手だろうか。実際は近所の神主様を何らかの理由で頼りにしていて、川幽霊なるものを信じている少年だったのだ。
───そして自分でも川幽霊になれる“術使い”だか“霊能力者”になってしまうかもしれない。
友だちだったらどうすべきか。わけのわからない超自然の世界になんか行かないでくれと止めるか。彼の意志を尊重して賛成すべきか。でもどうして僕に川幽霊の事を教える気になったのか。漫画が好きだから、信じてくれそうだったからか。あの中学生の頃からの友達らしきリュウ君はまるで信じてないようだった。いや待て、川北だって「2度と川幽霊になんかならない」って言ったじゃないか。2度目に川幽霊になったのは、僕のせいじゃないか。思考が空転しだした。何か喋れよ、川北に何か言ってやるんだ。
「ええと、松ちゃん…神主様は、恩人なんだよね。紹介してくれて嬉しいよ。何か相談してもらってたの?あ、いや、立ち入った話が聞きたいわけじゃないんだ。」
深刻な話は苦手だ。川北が自分で解決できない事が、僕に話してもどうにも出来ないだろう。
「ホント、お前はバカな話しかしないな。」
川北の言葉が突き刺さる。やっぱり僕のバカに合わせてくれただけなのか。
「でもその馬鹿さに救われたんだ。」
次の言葉に飛び上がった。
「ぼ、僕なにか言った?」
「オレは、友達が出来ないのがコンプレックスだったんだ。今思うとバカバカしいけどな。リュウは中学2年から生徒会長で面倒見がいいけど、クラスも違うしいつもオレに構ってくれるわけじゃなかった。悩んでいる時に神主様と河原で出会った。悩みを打ち明けると『堂々としなさい、一人でも。そのうちに君を分かってくれる人が現れる』と言われたんだ。高校に進学しても一人でいるつもりだった。」
「確かに君は一人で堂々としていたね。なんか、カッコいいって思ってたよ。」
「中学では、オレは都会から来ていばってるとか、近寄りがたいとか言われてたのに、お前は何も空気読まずに話しかけてきた。」
「そ、そうかな?何か照れるな。」
「誉めてるんじゃないよ。それで神主様に紹介しようと思ってたんだけど、変な事になったな。オレも友達をウチに呼ぶのが久しぶりでテンパってたかもな。」
「そうかもね。川幽霊なんて、いきなり言うヤツだとは思わなかったよ。また、なりたい?」
「ゴメンだね。せいぜい危ない目に合わないでくれよ。」
「またナマコに襲われない限りはね、そうだ、乾燥ナマコ、料理の先生にあげてもいいかな。」
戸棚下の収納を探すがない。川北がスマホをいじっていると思ったら、何か検索したらしく画面を見せて来た。それはナチュラルでおしゃれなデザインのブログで、丸い枠には塚本さんの顔写真と名前がある。
<料理の講師をしていると、変わった食材をいただきます>
という見出しの下には、あの袋入り乾燥ナマコの写真があった。
「父さん、ナマコを塚本さんにあげてたんだ。」
「贈答品が人から人に渡るのを“泳ぐ”というらしいが、ナマコなのによく泳ぐな。」
「う~ん、僕はナマコ料理、チャレンジする気はあったんだけど、食べた事ないものを作るのはハードルが高いな、って思ってたんだ。」
ブログでは塚本さんも困惑しているようだったので、また僕らの顔を見ても困るかもしれないな、という話になり、これから余った料理をエガちゃん宮司様に持って行こう、という流れになった。料理を捨ててもいいプラ容器に詰め、ナマコを勝手に持って行ったお返しに、父さんの炭酸飲料を一本冷蔵庫から抜き取る。
3年くらい行かなかった場所に、この夏に何回も行く羽目になるとは思わなかった。
しゃべると体力を消耗するとばかりに、お土産片手に黙って坂道を登っていたが
「ミー君、この坂を何度も登ってたんだろうな。」
川北が突然口を開いた。
「どうして…そうか、ミー君の言ってた“赤い基地”は神社の事だろうな。でも、何度も行ったかどうか…」
「そうでないと、先日みたいな大雨の日に、宮司様に頼ろうとは思わないだろう。
梅上の爺さんは孫を連れてきても、すぐほったらかしにしてたんだろうな。ミー君は一人で川沿いを歩いて冒険してたんだ。そして好きな番組のキャラにそっくりな白髭の博士と出会った。」
「でも、あの宮司さん、髭なかったよね?」
「神主様の話では、昨年末までは顎髭があったそうだ。」
話しているうちに沼についた。葦に囲まれて何事もなかったかのように静かである。見回すと、駐車場の向かい側には竹林があり、遠くの下り坂に続いている。
「ミー君はあの小さな体で、結構な距離を歩いていたんだね。」
「そうだな、『勇気を出して立ち向かえ』はブルーゴーバンの主題歌だけどお前知らないか?」
「いや、そんなに何でもアニメ見てないよ、川北こそ、何で詳しいの?」
「近所の子供たちが、オレがあの番組に出てくるドラキュラの怪人に似てるって言うんだ。」
僕が思わず吹き出すと
「ついでに言っとくけど、リュウにブルーゴーバンの主人公に似てるって絶対に言うなよ、キレ散らかすからな。」
「ウソ、喜んでくれそうに見えるけど?怒るポイントが分からないな。」
二人で笑っていると、おーい!というしわがれた声が聞こえた。見ると、鳥居の下で宮司様が着物の袖をバサバサ揺らして手を振っていた。
「いい所に来てくれたね、ご馳走をたくさんいただいて困ってたんだ。ワシが先日の大雨で沼に水没していないか、近所の人たちが心配してくれてね。」
神社内の和室には、贈答品と思われる化粧箱や和紙に包まれた日本酒の瓶が山積みになっている。僕も座卓の上に持参したリメイク品の弁当を乗せたが完全に見劣りしている。
僕が黙っていると、
「君もワシを気遣ってくれたんだね。手作りのお弁当をくれるなんて…そうじゃ、料理の先生の手作りをいただいたんだ、一人じゃもったいない高級料理じゃ、君たちも食べてくれ!」
まさかと思っていると、隣の部屋から大皿を持ってきてくれた。見た目は中華風野菜炒めだが、黒い切り身が混じっている
「珍しいナマコのオイスターソース炒めじゃ。」
やっぱり、と思いながらも精一杯の作り笑いを浮かべ、塚本さんの腕前と、公民館でお世話になった事を褒めたたえる。そしてミー君の話にもなり、ご家族の情報を知ってる限り話してしまった。これでは近所の噂好きなオバサンのようではないか、と反省して川北の方を見ると、結構な量の僕の料理を食べたばかりなのに、箸を止めずに高校生男子にふさわしい食欲を発揮している。僕の方はもう食欲が無いのをおしゃべりでごまかしていたのに。
僕だって、宮司様には本当に訊きたい事があるのだ。意を決して質問する。
「ナマコを頂いたばかりで失礼かもしれませんが……」
「ああ、君にはナマコに見えたんだね、ハハハ!」
宮司様が僕の質問に先回りして答えてくれたようだが、君には、が気になって聞き返す。すると、
「君のお父さんには、大蛇に見えたようだよ。同じ姿だったかは分からないけどね。」
「え?聞いた事ないんですけど!」
「多分、小さい君が影響を受けないように内緒にしてたんだろうね。」
父が小学生の頃の話。そのころはグラウンド全体が薮深い暗い沼で今のようにフェンスも無く、大人の腰ぐらいの高さの柵と“立ち入り禁止”の看板があるだけだった。江頭宮司の住む神社は、現在竹藪になっている所にあったそうだ。
山沿いに住む友達の家に遊びに行った帰り、藪から草のざわめく音がして振り向くと、柵の上に鎌首をもたげた、黒い大きな大蛇がいた。驚いて固まっていると、大蛇は大きな口を開けた。悲鳴を上げて夢中で坂を駆け下りウチに帰った、子供の頃の父。宮司が異変を感じ表に出たが、何事もなかったそうだ。
翌日小学校で大蛇に襲われそうになった話をしたら、前の日に一緒に遊んだ友達に
「沼のそばに住んでいるけど、大蛇なんか見た事ない、ウソをつくな!」
と怒られてしまい、先生からは
「臆病だから普通の蛇が怪物に見えたんだ。」
と馬鹿にされてしまう。
噂が広まり、近所のお年寄りからは
「お前のせいで竜神様が目覚めてしまった。」
となじられてしまった。
普段人の噂なんか気にしないおじいさんが、小さい父さんの手を引いて神社にやってきて
「この子は、この地から離した方がいいでしょうか。」
と尋ねたが、宮司様は
「よその地でも竜神様のような存在はいるが、よその地にワシのような霊能者はなかなか居ない。」
と答えた。
「ま、ワシも若かったからね、イキって答えたワケさ。」
と胸を張る宮司様。30数年前でも十分なお年だったでしょう、と言いそうになるのを堪えて
「僕の父さんも大蛇のような物を見てたんですね、全然知りませんでした。」
と言った。川北も箸を止めて言った。
「田中のお父さんが黙っていた事を、今話してもいいものでしょうか。」
「ワシは田中さんに内緒にしろとは言われてないがね。これも縁というか、竜神様のお導きじゃろう。」
「近所の人たちも噂好きのようですが、今まで息子の田中の耳に入ってないのも気になります。」
「それは、立川建設さんが大工事をしたからじゃ。」
大蛇の噂が広がった直後、地元の大手建設会社主導で沼の大工事が始まった。山間部の小さな集落に土木工事の車両や逞しい作業員たちが行き交うと、住民たちはピタリと噂話をしなくなった。皆、立川建設さんを尊敬していたのだ。沼の半分は埋め立てられ“町営グラウンド”が出来た。神社も封印力を強める為、沼の隅に移設され、高いフェンスに囲まれた。
「いまだにあのフェンスを越えるホームランを打ったヤツはおらんらしいよ。」
お祓いの棒をバットのように両手で振っておどける宮司様。
宮司様と川北が一生懸命しゃべってるのに、ポカンとしてしまっていた僕。やっと口が動いた。
「じゃあ…僕と同じような怪物を、父も見てたんですよね。幻覚じゃなくて…でも、川北の見た竜とは違うんですよね…」
「見た目に惑わされてはいかんよ。ワシの感じたところでは、どちらも竜神様じゃ。気まぐれなお方じゃから、人を助ける事もあれば、からかう事もある。人間と同じようにね。」
それでは、僕も父も親子でからかわれて、川北にはカッコいい役をさせて遊んでたって事だろうか。何だか面白くないし、釈然としない。顔に出ていたのか、宮司様は優しい声で僕に言う。
「竜神様はね、放っていても怒るし、構いすぎても怒る。ご機嫌をとるのがワシと松ちゃんの仕事じゃ。ここ数年おとなしいと思ったら、急にはしゃぎだした。どうやら君たちに構って欲しがってるようじゃ。」
「え、それは、何か困りますね、構ってあげないと、住民の皆さんが迷惑を被るんですか?」
「オレも困りますね、人生設計に影響します。」
僕らの抗議に動じる様子もない宮司様。
「まあね、設計図に変更は付き物じゃ。ワシも数十年前に、縄張りは狭いが強力な竜神様の噂を聞いてこの小さな町に来た時にゃ、残りの人生を費やすとは夢にも思わなかったよ。もっと全国で修行したかったんだけどね。ああ、田中さんが羨ましい。」
「その田中さんって、僕のおじいさんの事ですか?」
「お前のじいさん、田中大吉って名前か?」
「今名前はどうでも…あれ、おじいさんの名前教えたかな?」
川北が急に話をそらしたので、こちらも拍子抜けしてしまった。川北は表を指さして
「鳥居の脇の、寄進者の名前が掘られた石柱にあったよ。立川建設、ミライ設備、田中大吉。」
「おっと、川北君“たちかわ”じゃなくて“たつかわ”じゃよ。」
宮司様が社名の訂正をしている。
「また話それてる、名前の話やめてよ。母さんが怒るから。」
僕が叱ると、なんで?と同時に訊かれる。ここまで突っ込んだ話をする関係になったのなら、お二人にも知っておいてもらった方がいいかな、と思い気が進まないが、
「おじいさんが大吉、父さんの名前が吉男、母さんが京子って言うんだ。おじいさんがいらん事、『夫婦で名前がおみくじの吉と凶』なんて言ったから、母さんが怒って。母さんの両親はもっと怒って、結婚式以来会ってもくれないんだって。」
と話すと、川北が文字通り腹を抱えて笑いながら畳の上に倒れてしまった。
「お前の母さん、オレが神社に行くって言ったら、ゴミを見るような目をしたから、どんな深い事情があったのかと思ってたら、そんなしょうもない…ハハハ!」
「人の名前を笑うんじゃないよ、罰当たりじゃよ。」
と宮司さんがお祓いの棒で川北の頭をコツンと小突いた。ついでに僕のおでこも突かれた。
「何で僕までつつくんですか、もう~」
笑って流そうとする僕。僕も自分の名前があまり好きじゃないのだ。
「はい、お祓いをしてあげよう。」
と言いながら棒の先についているワサワサの紙の部分を川北の頭に被せる宮司様。謝りながら起き上がる川北。
「ワシはそこそこの能力者だという自負はある。しかし、田中君の時も、お父さんの時も、間に合わなかった。」
「何がです?竜神様の出現にですか?」
「しかし君は間に合った。」
「だから、それはオレの能力じゃありませんよ。竜に翻弄されただけです。」
「はは、また話は平行線じゃな。時がたてば状況が変わるかもしれん。」
川北と宮司様の会話はそこで途切れた。しばらくの沈黙に耐え切れず僕は言った。
「それで、僕たちはどうすればいいんですか?」
「毎日高校生らしく、元気に過ごすんじゃよ。周りの人たちも大切にな。」
「でもそれって、大人の理想論だよな。」
ふたりで坂道を下っていると、川北がまた急に話の続きを始めた。
「いいじゃないか、毎日精一杯生きれば報われるって事だろ。」
「お前は楽観的すぎる…あれ、竹下さんだよな?」
「また話を逸らす…ホントだ!竹下さ~ん!」
もうすぐ僕の家に着く川沿いに、大柄の花柄ワンピースを着て、同じ柄のトランクを引いた女性がアールヌーボー調の橋を渡っている。走って駆け寄る僕。
「あら坊や。お友達も一緒に。」
後ろからゆっくり来る川北を待たずにしゃべる。
「こないだはありがとうございました!今から旅行ですか?」
「ええ、前から行きたかったパリにね。もう、誰にも遠慮はしないの。」
そうですか、海外旅行いいですね、と気の利かない返事しか出来ないでいると
「本物のポンヌフを見に行くのよ。」
と言われた。僕が戸惑っていると川北が追いついて言った。
「ポンヌフはフランス語で新しい橋って意味だよ。パリの名所でもある。」
「物知りね。これが私のポンヌフだったのよ。」
ハイヒールで小さな橋をコンコンと踏みながら竹下さんが言った。
「ああ、この橋、おしゃれでカッコいいですよね、僕も好きです!」
僕が調子のいい事を言うと、竹下さんは笑ってくれた。
「トランク、大きいですね。オレも駅まで行きますので、持ちましょうか?」
川北が右手を差し出したが
「いいの。この川を見ながら去りたいから。あなたはお友達とゆっくりなさいな。」
竹下さんはキャスターの音を響かせながら坂を下りてゆく。小さな川の流れも竹下さんの歩調に合わせてゆっくり流れている。あまり見続けても悪いような気がして、僕らはウチのコンクリートの橋を渡った。
「バラが枯れている。」
川北がお隣の庭を見下ろしながら言う。言われてみれば、バラだけじゃなく常緑樹の生垣も葉先が茶色くなっている。
「確か、自動で水を撒いていたハズなんだけど…猛暑にやられたのかな。」
「庭の反対側に井戸があったぞ。水撒きしてやろうか?」
「随分親切だな、でも頼まれたわけじゃないし、勝手にお庭に入ってもいいものかどうか…母さんに相談してみるから、今日のとこはウチに入ろう。」
と言って川北を招く。
「僕も干上がりそうだよ。慣れてない人としゃべってノド乾いたよ。君もジュースいる?」
冷蔵庫からまた父さんの買った缶ジュースを出してグラスに注いでいたら、
「いや、オレはいらないよ。食いすぎたからな。」
そうなの、と言いながら自分だけグラスをあおる。
「ふう、美味しー、生き返ったな。」
ご満悦な僕の顔を頬杖をつきながら見ていた川北がボソリと言う。
「竹下さんのご主人と息子、井戸の中かもな。」
「何てこと言うの??ミステリーじゃないんだから。」
声をひっくり返して驚いたが、川北は平然としている。
「そうだな、真夏に御遺体を放置してたら、この辺エライ臭いになってるよな。元病院とは言っても、もう設備も置いてないようだったし。まるで断捨離してるように物が無かったな。」
「そうなんだ、梅上さんの家もずっと静かで、車も無いし、寂しくなったな。
そうだ、川が氾濫したのも、梅上さんところの橋が崩れたのが原因で、それより上流は静かだったんだって。だから、神社も無事だったんだ。何か、梅上さん、ウチのおじいさんに対抗心を持ってたらしくて、橋に車が止められるようにしたいなら、おじいさんが工事してあげるって言ったのに、梅上さんが自分でコンクリートを買って作ったらしいんだよ。
まだ橋は壊れたままだし、もう車も止めない方がいいかも。」
僕がしんみりしていると、また川北が話題を変えた。
川北の地元の自治会報。子供のコーナー“夏休みの思い出”は数人の競合だったそうで、僕が忙しい中、朦朧としながら書いた原稿は落選してしまったそうだ。入選したのは小学生が書いた作文でタイトルが“終戦記念日に寄せて”だそうだ。僕は額をテーブルの上について落胆した。
その夜。僕は食事の後に両親に話した。倉木先生が来た日。ナマコの化け物に襲われて倒れて、川北と宮司様に助けられた事を。今日も神社に行った事を。
父は慌てていたが、母は意外と冷静でこう言い放った。
「全く、あんたたちは小心者のくせにどうして何度も化け物の出る沼に行くのかね。」
「と、父さんはグラウンドの照明のメンテナンスがあるからね。あそこは僕担当になってしまったんだ。近いし…」
焦って言い訳をしている父の話にかぶせて僕も話す。
「そうだったの、宮司様から聞いたけど、その後大蛇は見た?」
「まさか、1回だけだよ。父さんも遠い日の幻だと思ってたのに、息子のお前まで見たとは…でもナマコって!ププッ!」
「笑わないでよ!でも、今まで黙っててゴメン、沼に行っちゃだめって言われてたのに…」
父には笑われたが、母にはまた無表情で言われた。
「小さいアンタが沼で溺れやしないかと心配してたからよ。父さんが言ってた、大蛇は大げさにしてもヘビは出るんだろうと思って。」
よかった、母はそんなに怒っていなかった。父の方を見ると
「父さん、宮司さんにお礼に行くからね。またヘビが出たら怖いけどね。カプ~~」
両腕を合わせてくねらせ、ヘビのように動かす父。
「やだなぁ、僕もう高校生なんだから、そんなので喜ばないよ。」
笑いながら言ってるうちに、原口さんの恵比寿顔が脳裏に浮かんだ。
「そうだ、駐車場の原口さんが、父さんに会いたがってたみたいなんだけど、何か話した?」
父に向けて言ったのに母が大声を出した。
「アーもう面倒くさい!引っ越しなんか絶対しないわよ!腰痛いしもう寝る!」
勢いよく立ち上がるとキッチンを出ていく母。
「今怒られるとは思わなかったよ、引っ越しって何?」
父が言うには、原口さんから、岩瀬商店街近くに新しく出来る公営アパートに引っ越しを勧められたそうだ。家族に災害のせいで腰が不自由になった者がいると言えば、優先的に入居できる、手続きも原口さんがしてくれる、パートも辞めれば収入の面で家賃も安くなるし、病院も近いからどうかと。
「ええっ!いい話じゃないか。僕引っ越したい!」
「こら!黙りなさい、母さんに聞こえる!母さんにしてみれば、身体障害者扱いになるのが嫌なんだよ。パート仲間と仲がいいし、離れたくないんだろう。母さんもここが好きなんだよ。遠く関西から嫁に来て、おじいさんの事は嫌いなのに、おじいさんが建てたこの家にずっと住んでるんだからね。」
そうなのか。母もここが好きなのか、この川沿いの、橋のある家が。
「うん、僕もここが好きだよ。橋のある家、同級生からもカッコいいって言われた事あるよ。」
そんな会話をしたけれども“川幽霊”の話は出来なかった。
川北にも簡単にSNSで報告したが、既読はついたが返事は無かった。
翌日放課後。僕たちは高校裏の雑木林にある川の傍にいた。谷中にある土地で、湧き水が流れる、一またぎ出来るほどの小さな川がある。
「本当にやる気なの?もう川幽霊にならないんじゃなかったの?」
僕が心配していると、川北はスニーカーのまま水に入りながら言う。
「本当はやりたくは無いさ。でも現にお前とお父上が同じような怪物を見ている。お互い内緒にしていたのに同じような幻覚を見たとは考えにくい。そして母上は手術がいる大怪我をした。宮司様の言うように竜神様が暴れているとすれば無視は出来ない。」
「僕としては複雑な気分だよ。悪天候は偶然かもしれないし、ウチの為に友達が無茶をするなんて。超高齢の宮司様が、後継者を欲しがっているとしても。」
徐々に濡れていく、友達のスニーカーを見ながらつぶやくと、友達はさらに足を踏み出して言う。
「後継者になれるか、素質があるかどうか、ハッキリさせたいんだ。それに、学校から霊体だけでもワープ出来たら便利だろ。」
「自分の利便性は考えちゃいけないんじゃない?川幽霊は、川と竜神様を見守る為のもんじゃないの?」
「そうだけどね、神主様が言うには、岩瀬の竜神様の縄張りは、岩瀬全域と杉川流域。蔦見川の竜神様には頭が上がらないんだって。綾森市にはなぜか興味がないそうなんだけど、ここから川移りの術が使えたら、オレも神主様たちに引けを取らないほどの能力者になれるかもしれない。出来なかったら諦めるさ。」
僕は成り行きを見守る。川北が宮司様たちを諦めさせるために、今までのキャパを超える術の実験をするのだろう、と思ったからだ。
「ではお願いします。」
川北がスマホ片手に高らかな声を上げた。松島神主が杉川で待機しているらしい。超常現象を起こす合図にスマホを使う時代なんだ。
目を閉じて息を吸う川北。きっと“気”を入れているのだろう。
小さな川の上に黒い虫が1匹飛んでいる。光ってはいないがホタルのような気がした。もう9月だけど、いつまで飛んでいるものだろう、とぼんやり考えた。
──────────第一部・完──────────
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