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第101章『投影』
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第101章『投影』
一度部屋に戻ってから着替えと入浴道具をとってから風呂へと戻り、深夜の静まり返った浴場で一人湯に身体を沈める。四十五時間程不眠不休で調整を続けた形だ、前傾姿勢で固まっていから肩も腰もパンパンに張っていて鈍く重い痛みすら感じる。夜が明ければ試射が始まると言うのにこの状態で上手くこなせるだろうか、出来るだけ湯で温めて解し、その後はさっさと寝台に潜り込んで寝てしまおう。
半分うとうとしながら数十分湯に浸かり続け、いい加減のぼせるなと外に出て身体を洗い、その後もう一度、今度は短時間湯に使って浴場を出た。
「……タツさん、こんな時間に何やってんの」
髪を拭きながら部屋へと戻れば、扉の脇の壁に背を預けてこちらを見る黒川の姿、
「よう、大変だったな、一先ずお疲れさん」
そう言って右手を上げて穏やかに笑う彼を見て、タカコは内心がひどくざわつくのを感じていた。
「いや、労りの言葉は有り難く受け取っておくけど……何でこんな時間にここにいるのさ、泊まったの?」
「ああ、試射は早朝から始まるって聞いてたし、調整終わった後のお前の顔も見たかったし?」
「こんなボロボロのツラ見てぇとかサイテー……私はもう寝るよ、試射の時間迄少しでも休んでおきたいから、じゃ、お休み」
何がしたいのか皆目見当がつかないがともかくもう放置して寝てしまおう、いい加減限界だ。そして、普段なら安心感を覚える黒川の穏やかさを、今は見ていたくなかった。
顔を背ける様にして扉を開けてその中へと身体を滑り込ませれば、何かを感じ取ったのか黒川が閉まる直前の扉に腕を差し込み、こじ開けて自らも中へと入って来る。それを受けて更に大きくなる気持ちのざわつきと苛立ち、それを何とか内心に押し留め、常夜灯の薄暗い明かりの下、タカコは自らを壁へと押し付ける黒川の足元を見詰めていた。
「……俺、何かしたか?」
「……別に、何もしてないよ」
「じゃあよ……何でお前俺の顔を見ねぇんだ?いつも真っ直ぐに相手の目を見据えてるお前が顔背けたりとか俯いたりとか……どう考えてもおかしいだろ、俺、何かしたか?」
「……タツさんが何かしたとかじゃないから、私の気持ちの問題……気に障ったなら謝るから、今はもう……一人にしてくれないかな」
俯いたままでそれだけ言えば、一度強く抱き締め黒川の身体が離れて行く。
「……お前も色々と考える事は有るよな、俺の気持ち押し付けて悪かった。少しでも休め、お休み」
「……うん、お休み。試射の成果、楽しみにしてて」
「ああ」
黒川が出て行き扉の閉まる音を聞きながらタカコはゆっくりと歩き出し、寝台に上がり布団の中へと潜り込む。
調整の中で思い起こしていた在りし日の夫の姿、身体、表情、その全てが生々しく蘇って来て、敦賀と黒川に対して自分が何を求めていたのかはっきりと自覚した。
求めていたのは彼等自身ではない、彼等の持つ夫との共通項、それを通して今は亡き、否、自分がこの手で殺してしまった夫を求めていた。
敦賀の体躯に、黒川の穏やかな優しさに、彼等自身ではなく、違う男を見、そして求めていた、今でも求めている。
彼等にしてみれば好い面の皮以外の何ものでもないだろう、自らの意思をこちらに合わせて押し殺し身体だけの関係というもので堪え、その挙句に自分自身が必要とされていたのではないのだと知ったら、自分自身を見てくれていたのではないのだと知ったら、一体どんな顔をするのだろうか。傷つくのは当然として、その発露の形は怒りなのか悲しみなのか、見限って興味を無くしてくれるのならそれが一番良いだろう。
それでもそう上手く事は運ばないだろう、人の心がどれだけ読み難く扱い難いものなのか、今迄の人生の中で数え切れない程に体験し、身を以て知っているのだから。
取り敢えずは眠ろう、仰向けから横向きへと姿勢を変えれば首に提げた認識票二つがぶつかり合い軽い金属音を立てる、一つは自分のもの、もう一つは初陣の朝からずっと肌身離さずに身に付けている夫のもの。夫のものだけを摘まみ上げて目の前に翳し、そこに刻まれた夫の名前を人差し指でそっとなぞる。
ついさっき迄は暖かで幸せな記憶の中にいる事が出来たのに、完全に現実へと戻って来ればやはり一人きり。あの優しさも暖かさも甘さも、今はもう触れる事も見る事も出来ず、記憶の中にその欠片が残るだけ。
「……寒い」
そう気温は低くもない筈なのに急に全身を悪寒が襲い身体を震わせ、それから少しでも遠ざかるかの様に布団を頭から被りきつく目を閉じる。
敦賀も黒川も自分の様子がおかしい事には気が付いているだろう、それでも深くは突っ込んで来なかったのは彼等なりの精一杯の尊重と優しさ。今迄口外する事無く胸の内に留め続けている事はこれだけではないのに、それを知ってか知らずか踏み込んで来ないあの二人の優しさがそろそろ苦しくなって来た。
『お前は優し過ぎる、それはお前の致命的な欠点だ』
何度も言われて来た言葉を不意に思い出す、それを聞く度に夫は怒ってそれを否定していたけれど、今となってはあの言葉も一面正しかったのだろうなと思えるのだから始末が悪い。
とにかく今は眠ろう、目の前の試射を成功させなければ、そして、その先には実戦での試験が待っている。その責任が、大和の未来が自分の双肩に乗るのだ、こんな下らない事に煩わされている場合ではない。
それが終わって配備へ向けての流れがしっかりと出来上がったら、その頃には千日目がやって来る。その時にきっと訪れるであろう修羅場、それに直面してから改めて考えれば良いさ、タカコはそんな風に考えながら目を閉じた。
一度部屋に戻ってから着替えと入浴道具をとってから風呂へと戻り、深夜の静まり返った浴場で一人湯に身体を沈める。四十五時間程不眠不休で調整を続けた形だ、前傾姿勢で固まっていから肩も腰もパンパンに張っていて鈍く重い痛みすら感じる。夜が明ければ試射が始まると言うのにこの状態で上手くこなせるだろうか、出来るだけ湯で温めて解し、その後はさっさと寝台に潜り込んで寝てしまおう。
半分うとうとしながら数十分湯に浸かり続け、いい加減のぼせるなと外に出て身体を洗い、その後もう一度、今度は短時間湯に使って浴場を出た。
「……タツさん、こんな時間に何やってんの」
髪を拭きながら部屋へと戻れば、扉の脇の壁に背を預けてこちらを見る黒川の姿、
「よう、大変だったな、一先ずお疲れさん」
そう言って右手を上げて穏やかに笑う彼を見て、タカコは内心がひどくざわつくのを感じていた。
「いや、労りの言葉は有り難く受け取っておくけど……何でこんな時間にここにいるのさ、泊まったの?」
「ああ、試射は早朝から始まるって聞いてたし、調整終わった後のお前の顔も見たかったし?」
「こんなボロボロのツラ見てぇとかサイテー……私はもう寝るよ、試射の時間迄少しでも休んでおきたいから、じゃ、お休み」
何がしたいのか皆目見当がつかないがともかくもう放置して寝てしまおう、いい加減限界だ。そして、普段なら安心感を覚える黒川の穏やかさを、今は見ていたくなかった。
顔を背ける様にして扉を開けてその中へと身体を滑り込ませれば、何かを感じ取ったのか黒川が閉まる直前の扉に腕を差し込み、こじ開けて自らも中へと入って来る。それを受けて更に大きくなる気持ちのざわつきと苛立ち、それを何とか内心に押し留め、常夜灯の薄暗い明かりの下、タカコは自らを壁へと押し付ける黒川の足元を見詰めていた。
「……俺、何かしたか?」
「……別に、何もしてないよ」
「じゃあよ……何でお前俺の顔を見ねぇんだ?いつも真っ直ぐに相手の目を見据えてるお前が顔背けたりとか俯いたりとか……どう考えてもおかしいだろ、俺、何かしたか?」
「……タツさんが何かしたとかじゃないから、私の気持ちの問題……気に障ったなら謝るから、今はもう……一人にしてくれないかな」
俯いたままでそれだけ言えば、一度強く抱き締め黒川の身体が離れて行く。
「……お前も色々と考える事は有るよな、俺の気持ち押し付けて悪かった。少しでも休め、お休み」
「……うん、お休み。試射の成果、楽しみにしてて」
「ああ」
黒川が出て行き扉の閉まる音を聞きながらタカコはゆっくりと歩き出し、寝台に上がり布団の中へと潜り込む。
調整の中で思い起こしていた在りし日の夫の姿、身体、表情、その全てが生々しく蘇って来て、敦賀と黒川に対して自分が何を求めていたのかはっきりと自覚した。
求めていたのは彼等自身ではない、彼等の持つ夫との共通項、それを通して今は亡き、否、自分がこの手で殺してしまった夫を求めていた。
敦賀の体躯に、黒川の穏やかな優しさに、彼等自身ではなく、違う男を見、そして求めていた、今でも求めている。
彼等にしてみれば好い面の皮以外の何ものでもないだろう、自らの意思をこちらに合わせて押し殺し身体だけの関係というもので堪え、その挙句に自分自身が必要とされていたのではないのだと知ったら、自分自身を見てくれていたのではないのだと知ったら、一体どんな顔をするのだろうか。傷つくのは当然として、その発露の形は怒りなのか悲しみなのか、見限って興味を無くしてくれるのならそれが一番良いだろう。
それでもそう上手く事は運ばないだろう、人の心がどれだけ読み難く扱い難いものなのか、今迄の人生の中で数え切れない程に体験し、身を以て知っているのだから。
取り敢えずは眠ろう、仰向けから横向きへと姿勢を変えれば首に提げた認識票二つがぶつかり合い軽い金属音を立てる、一つは自分のもの、もう一つは初陣の朝からずっと肌身離さずに身に付けている夫のもの。夫のものだけを摘まみ上げて目の前に翳し、そこに刻まれた夫の名前を人差し指でそっとなぞる。
ついさっき迄は暖かで幸せな記憶の中にいる事が出来たのに、完全に現実へと戻って来ればやはり一人きり。あの優しさも暖かさも甘さも、今はもう触れる事も見る事も出来ず、記憶の中にその欠片が残るだけ。
「……寒い」
そう気温は低くもない筈なのに急に全身を悪寒が襲い身体を震わせ、それから少しでも遠ざかるかの様に布団を頭から被りきつく目を閉じる。
敦賀も黒川も自分の様子がおかしい事には気が付いているだろう、それでも深くは突っ込んで来なかったのは彼等なりの精一杯の尊重と優しさ。今迄口外する事無く胸の内に留め続けている事はこれだけではないのに、それを知ってか知らずか踏み込んで来ないあの二人の優しさがそろそろ苦しくなって来た。
『お前は優し過ぎる、それはお前の致命的な欠点だ』
何度も言われて来た言葉を不意に思い出す、それを聞く度に夫は怒ってそれを否定していたけれど、今となってはあの言葉も一面正しかったのだろうなと思えるのだから始末が悪い。
とにかく今は眠ろう、目の前の試射を成功させなければ、そして、その先には実戦での試験が待っている。その責任が、大和の未来が自分の双肩に乗るのだ、こんな下らない事に煩わされている場合ではない。
それが終わって配備へ向けての流れがしっかりと出来上がったら、その頃には千日目がやって来る。その時にきっと訪れるであろう修羅場、それに直面してから改めて考えれば良いさ、タカコはそんな風に考えながら目を閉じた。
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