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第12章『出張』
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第12章『出張』
高根と凛、二人の間に穏やかな時間が流れ始めて、明後日で二週間目。玄関の扉の開く音に凛が料理の手を止めてそちらへと向かえば、いつもよりも何処と無く浮かない面持ちの高根がそこに居た。
「高根さん、お帰りなさい。今日もお疲れ様でした」
「ああ、うん、ただいま」
「どうかしたんですか?何だか元気無いですけど」
「……ちょっとさ、話が有るんだけど」
「……はい」
いつもなら真っ直ぐに自分を見て笑いかけてくれる高根、その彼が今は何故か一瞬視線が合った後は直ぐにそれを逸らし、弁当の包みを凛へと手渡した後はさっさと二階の自室へと上がって行く。
終わりが突然やって来たのだと、そう思った。理由は分からないが、自分をここに置いておけない、若しくは置いておきたくない理由が高根には出来たのだろう。だから、荷物を纏めて出て行って欲しいと、きっとそう言うつもりなのだ。優しい彼の事だから、それを言い出すのは流石に気が重いのだろう、それであんな不自然な態度をとったに違い無い。
それでも、その事態をそこ迄悲しいとは思わなかった。いつかはその時がやって来る事は分かっていた、それが想定よりも早かっただけの事。そんな事に思いを巡らすよりも、これからは一人て生きて行かなければならないのだから、その事を考えなければと頭を切り替える。
高根から当座の金を渡されてはいるが、それはこの家のあれこれをする為の金であり、凛が持って出られるものではない。高根は給料は払うと言っていたから、それはこの金とは別に渡してくれるつもりだったのだろう。その扱いをどうするつもりなのかは分からないが、今迄良くしてくれていた事を考えればその約束を反故にするとは考え難いし、もし難色を示されたら、部屋を借りて生活を立て直す迄の資金として貸してくれる様に頼んでみよう。
色々と考えていると、十分程経って高根が上から降りて来る。やはり表情は硬いままで、無言で今のソファに腰を下ろした彼に倣い、凛もその向かいへと腰を下ろした。
「……あの、さ」
「……はい」
長い沈黙の後、漸くといった様子で言葉を絞り出す高根。凛はそれに相槌を打つものの、高根は続く言葉を探しているのか黙ったまま。
「……明後日から……出張、なんだ……一週間」
どれだけの時間が過ぎたのか、高根が口にした言葉の意味を、凛は暫くの間理解出来なかった。
「……はい?」
「だから、出張なの……一週間」
「えっと……いえ、それは分かるんですけど……何でそんなに深刻な様子なんです?」
「だってさ、凛ちゃん置いたまま長期間家を空けるから」
「あの……お仕事なら仕方無いのでは」
祖父も定期的に京都へと出張し統幕での会議や三軍省での会議をこなしていた。高根も祖父と同じ海兵隊総司令という立場なのだから、恐らくは出張先は京都だろう。距離も有るし海兵隊が拠点を博多にしか持っていない事も有り、京都へと出向く時には溜まった用事を一気に片付けるから、最短でも一週間程は博多を留守にする事も知っている。特に問題が有るとも思えないのだが、何故そんなに深刻そうな様子なのかと凛が困惑の表情を浮かべれば、その意味を勘違いしたのか高根が慌てて口を開く。
「ほら、な?凛ちゃんが家にいてくれるのに、俺がずっと帰って来ないっておかしいだろ?ここいらにもまだ慣れてないのに女一人で留守番とか、凛ちゃんだって不安だし嫌だろ?」
「あの……」
「うん、分かってるから」
「いえ、そうではなくて……別に何も問題は無いと思います」
「えっ」
凛の答えが意外だったのか固まる高根、凛の方も何故そんな結論になったのかと疑問に思いつつも言葉を続ける。
「お仕事なら仕方無いじゃないですか。高根さんが不在の間家にいないで欲しいって言われたら困っちゃいますけど、お留守番をして家の事をやっていれば問題は無いんですよね?」
「家にいるななんて言うわけ無いだろ。俺の方は留守番してくれるなら大助かりだよ。その間は好きな事やって過ごしてもらってて全然構わないし。ただ、凛ちゃんが一人じゃ心細いんじゃないかと思ってさ、それで」
「子供じゃないんですから、大丈夫ですよ?勿論、ちょっと寂しいですけど」
「ちょっと?」
「はい、普段いてくれる人がいないんですから、寂しいと思いますよ?」
高根が何に引っ掛かったのかは気付かないままにっこりと笑って答える凛、高根も凛のその様子にそれ以上深刻ぶる必要も無いと思ったのか、ほっとした様に笑い立ち上がる。
「いやー、それなら良いんだけど、安心した」
「安心したのは私の方ですよ。随分深刻な様子だったから、もしかしたら出て行って欲しいって言われるんじゃないかなって」
「俺がそんな事言うわけ無いだろ?凛ちゃんが家の事やってくれて、居心地良くしてくれてるんだからさ。もうここ最近家に帰って来るの楽しみで楽しみで」
「でも、一昨日は職場に泊まりでしたよね?お仕事、忙しいんですか?」
「うん、まぁ、色々とね」
突っ込み過ぎた、凛がそう思った直後、高根は普段と変わらない調子で曖昧に誤魔化す。やはり仕事の事に関しては触れられたくないのだろう、そう思った凛は
「お仕事も大事ですけど、身体壊さない様にして下さいね」
そう言うに留め、食事の準備をしようと台所へと向かった。
高根の真意がどうであれ、家を出て行って欲しいと言われずに済んで良かった、そう思う。無論いつ迄も無制限にこの家にいられるものではない事は理解している、いつかは出て行かなければいけない事も分かっている。それでも、今直ぐでなくて良かった、奇妙ではあるけれどこの穏やかな気持ちと生活がもう少しだけ、そして出来るだけ長く続けば良い。
その為に、家を整えておく家政婦、高根から求められたその役割を忠実にこなし続けよう。
高根の為ではない、自分の為。凛は自らの狡さと高根の笑顔に後ろめたさを感じつつ、それを隠す様に笑顔を浮かべ、料理を盛りつけた器を手に振り返った。
「お待たせしました」
高根と凛、二人の間に穏やかな時間が流れ始めて、明後日で二週間目。玄関の扉の開く音に凛が料理の手を止めてそちらへと向かえば、いつもよりも何処と無く浮かない面持ちの高根がそこに居た。
「高根さん、お帰りなさい。今日もお疲れ様でした」
「ああ、うん、ただいま」
「どうかしたんですか?何だか元気無いですけど」
「……ちょっとさ、話が有るんだけど」
「……はい」
いつもなら真っ直ぐに自分を見て笑いかけてくれる高根、その彼が今は何故か一瞬視線が合った後は直ぐにそれを逸らし、弁当の包みを凛へと手渡した後はさっさと二階の自室へと上がって行く。
終わりが突然やって来たのだと、そう思った。理由は分からないが、自分をここに置いておけない、若しくは置いておきたくない理由が高根には出来たのだろう。だから、荷物を纏めて出て行って欲しいと、きっとそう言うつもりなのだ。優しい彼の事だから、それを言い出すのは流石に気が重いのだろう、それであんな不自然な態度をとったに違い無い。
それでも、その事態をそこ迄悲しいとは思わなかった。いつかはその時がやって来る事は分かっていた、それが想定よりも早かっただけの事。そんな事に思いを巡らすよりも、これからは一人て生きて行かなければならないのだから、その事を考えなければと頭を切り替える。
高根から当座の金を渡されてはいるが、それはこの家のあれこれをする為の金であり、凛が持って出られるものではない。高根は給料は払うと言っていたから、それはこの金とは別に渡してくれるつもりだったのだろう。その扱いをどうするつもりなのかは分からないが、今迄良くしてくれていた事を考えればその約束を反故にするとは考え難いし、もし難色を示されたら、部屋を借りて生活を立て直す迄の資金として貸してくれる様に頼んでみよう。
色々と考えていると、十分程経って高根が上から降りて来る。やはり表情は硬いままで、無言で今のソファに腰を下ろした彼に倣い、凛もその向かいへと腰を下ろした。
「……あの、さ」
「……はい」
長い沈黙の後、漸くといった様子で言葉を絞り出す高根。凛はそれに相槌を打つものの、高根は続く言葉を探しているのか黙ったまま。
「……明後日から……出張、なんだ……一週間」
どれだけの時間が過ぎたのか、高根が口にした言葉の意味を、凛は暫くの間理解出来なかった。
「……はい?」
「だから、出張なの……一週間」
「えっと……いえ、それは分かるんですけど……何でそんなに深刻な様子なんです?」
「だってさ、凛ちゃん置いたまま長期間家を空けるから」
「あの……お仕事なら仕方無いのでは」
祖父も定期的に京都へと出張し統幕での会議や三軍省での会議をこなしていた。高根も祖父と同じ海兵隊総司令という立場なのだから、恐らくは出張先は京都だろう。距離も有るし海兵隊が拠点を博多にしか持っていない事も有り、京都へと出向く時には溜まった用事を一気に片付けるから、最短でも一週間程は博多を留守にする事も知っている。特に問題が有るとも思えないのだが、何故そんなに深刻そうな様子なのかと凛が困惑の表情を浮かべれば、その意味を勘違いしたのか高根が慌てて口を開く。
「ほら、な?凛ちゃんが家にいてくれるのに、俺がずっと帰って来ないっておかしいだろ?ここいらにもまだ慣れてないのに女一人で留守番とか、凛ちゃんだって不安だし嫌だろ?」
「あの……」
「うん、分かってるから」
「いえ、そうではなくて……別に何も問題は無いと思います」
「えっ」
凛の答えが意外だったのか固まる高根、凛の方も何故そんな結論になったのかと疑問に思いつつも言葉を続ける。
「お仕事なら仕方無いじゃないですか。高根さんが不在の間家にいないで欲しいって言われたら困っちゃいますけど、お留守番をして家の事をやっていれば問題は無いんですよね?」
「家にいるななんて言うわけ無いだろ。俺の方は留守番してくれるなら大助かりだよ。その間は好きな事やって過ごしてもらってて全然構わないし。ただ、凛ちゃんが一人じゃ心細いんじゃないかと思ってさ、それで」
「子供じゃないんですから、大丈夫ですよ?勿論、ちょっと寂しいですけど」
「ちょっと?」
「はい、普段いてくれる人がいないんですから、寂しいと思いますよ?」
高根が何に引っ掛かったのかは気付かないままにっこりと笑って答える凛、高根も凛のその様子にそれ以上深刻ぶる必要も無いと思ったのか、ほっとした様に笑い立ち上がる。
「いやー、それなら良いんだけど、安心した」
「安心したのは私の方ですよ。随分深刻な様子だったから、もしかしたら出て行って欲しいって言われるんじゃないかなって」
「俺がそんな事言うわけ無いだろ?凛ちゃんが家の事やってくれて、居心地良くしてくれてるんだからさ。もうここ最近家に帰って来るの楽しみで楽しみで」
「でも、一昨日は職場に泊まりでしたよね?お仕事、忙しいんですか?」
「うん、まぁ、色々とね」
突っ込み過ぎた、凛がそう思った直後、高根は普段と変わらない調子で曖昧に誤魔化す。やはり仕事の事に関しては触れられたくないのだろう、そう思った凛は
「お仕事も大事ですけど、身体壊さない様にして下さいね」
そう言うに留め、食事の準備をしようと台所へと向かった。
高根の真意がどうであれ、家を出て行って欲しいと言われずに済んで良かった、そう思う。無論いつ迄も無制限にこの家にいられるものではない事は理解している、いつかは出て行かなければいけない事も分かっている。それでも、今直ぐでなくて良かった、奇妙ではあるけれどこの穏やかな気持ちと生活がもう少しだけ、そして出来るだけ長く続けば良い。
その為に、家を整えておく家政婦、高根から求められたその役割を忠実にこなし続けよう。
高根の為ではない、自分の為。凛は自らの狡さと高根の笑顔に後ろめたさを感じつつ、それを隠す様に笑顔を浮かべ、料理を盛りつけた器を手に振り返った。
「お待たせしました」
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どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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