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第36章『抜けない棘』
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第36章『抜けない棘』
防壁の鉄柵の前に立つ小さな背中、散弾銃の引き金を引く度に反動で上半身は僅かに揺れるものの下半身と地に付いた二つの足は微動だにせず、次々と銃身に込めた弾薬を撃ち出していく。見事なものだ――、仕事では指揮官としても兵士としても素晴らしい才能を持っているのに、個人としては何故問題しか無いのか、高根はそんな事を思いつつ手元のメモ帳へと試験の評価を書き込んで行く。
対馬区、第五防壁――、左右に続く目の前の鉄柵とコンクリートの基礎、自分達は嘗てこの向こうへと踏み出し、人類、大和人の手に主権を取り戻そうと多大な犠牲を払いながらも闘い続けていた。しかしそれも今は昔、海兵隊基地の飲料水が活骸の原因菌に汚染された事により基地内に曝露が齎され、兵員の八割近くを失う事になったあの日以降、態勢の立て直しの為に第五防壁第六防壁間の土地は放棄せざるを得ず、大和海兵隊、そして大和人は一つ後退する事となった。
しかし、今日は歩みを再び前へと進める為の最初の日、これから必要不可欠となるであろう技術の実地試験の日。大和にも小銃や散弾銃といった銃火器は無かったわけではないが、金属資源が決して潤沢とは言えない環境の中、撃ち放したらそれっきり戻って来ない弾薬とその発射装置の普及には何処も然程熱心ではなく、それよりも鉄を回さなければならない事は市井にも溢れている、それが一般的な意見だったろう。活骸との戦いは太刀とそれを持つ者の技量頼り、その『固定観念』は大和人の意識の根幹にあまねく浸透しきっていた、それもまた普及を阻害していた要因の一つなのかも知れない。
その大和人の意識へと一撃で罅を入れて見せたのが、今目の前にいる異国の軍隊の指揮官、タカコ・シミズ。高い知識と技能と寒気がする程の才能、そして、それを綺麗に覆い隠す目立たない外見と妙に人間臭い気質を持つ彼女は、大和人が持つ固定観念、先入観を持たない所為かそれをあっさり軽々と覆した。
人間性に多少どころか多大な問題が有ったとしても、それを補って余りある程の価値が彼女には有る。やはり彼女は何としてもどんな策を弄したとしても手の内に収めておくべきなのだと高根は認識を新たにし、装弾したものを全て撃ち尽くし筒先を下げる彼女の様子を黙って見詰めていた。
活骸と距離を取り接触する局面を可能な限り減らし、散弾銃を使用した銃撃により点ではなく面で制圧する――、タカコにより持ち込まれた全く新しい戦術、それは大和全軍が掲げる戦略にも大きな変換を齎す事になるだろう。それは恐らく喜ばしく心強い事なのだろうが、高根の胸には何故か抜けない棘が有った。それが何なのかは我が事ながら明確には把握出来ていない、黒川も似た様な心境なのか、試験が進めば進む程にいつもの振る舞いは鳴りを潜め、今では双方何とも重苦しい空気を纏っている。
何か、何か自分達は見落としている。タカコはそれに気付いているのだろうか、それとも、今のところ彼女から何の話も無いという事は、自分達の杞憂なのだろうか。
(何なのかね、こりゃ……あんまり良い気分じゃねぇのは確かなんだが、理由が分からんな……)
彼女と出会ってから二年と少し、その間にも多くの犠牲を払っては来たが、それ以上のものを得る事が出来たのもまた確か。そして上の承認を取り付け予算も確保し装備も揃い始め、それを核とした戦略が動き始めている。それ等を考えれば見通しは明るいと断言は出来ずとも暗くもない筈で、それなのに何故自分は今こんなにも嫌な心持ちになっているのか、それが分からない。
と、そんな事をつらつらと考えていた時、タカコが振り返り、視線を高根へと向けて来る。
「…………!」
鉄柵の向こう側、彼女の後ろに蠢く無数の活骸。生と死、そして、生が手にする銃――、その三つの要素が高根の脳裏で幾重にも重なって行く。
それを見て、自分の中の抜けない棘の正体が漸く分かった気がした。
乱戦になれば、銃は使えない。そうなれば兵士は従来通りに銃から太刀へと得物を持ち替え、再び戦いへと身を投じて行く。それは問題無い、自分も含めて全ての大和軍人にその覚悟は有る、国とそこに生きる人々の未来の礎となる事に迷いは、無い。
しかし、禍がこの対馬区ではなく、再び本土へと齎されたのだとしたら――、
『凛の事を、自分は護ってやれるのか』
人と活骸が入り乱れるという地獄絵図は、一昨年既に博多へと齎された。その時には銃は無く太刀のみが頼りだったが、これからは違う。対馬区であれば大陸側へと向けての前進のみになるから隊列の保持さえ確実にしておけば銃撃戦からの乱戦はそうそう起こらないだろう。しかし市街地ではそうはいかない、市民が逃げ惑い活骸は人々に襲い掛かり、自分達はその真っ只中で戦う事になる。その時に、自分はどうするのか。銃から太刀へと変更する見極めは、そして、太刀への変更が困難若しくは不可能と思われる戦況の時、救出不能と思われる少数を切り捨てるのか、それとも、全滅覚悟で全てを護ろうとするのか。
黒川の方を見れば、彼もまた同じ事に思い至ったのだろう、先程よりも顔つきは険しくなり、じっとタカコを見据えている。
彼女は気付いていなかったのではない、恐らくはこの戦術を進言して来る前からこの事について理解していた筈だ、銃を用いる戦術を基本とするワシントン軍がこの事について検討し方針を打ち立てていない筈が無い。それでも事前に何も言って来なかったのは、恐らくは自分達大和軍の立場を尊重しての事。部外者の自分が出しゃばるべきではないと、そう判断したのだろう。
『さぁ……どうする?』
と、そう問い掛けられた気がした。
防壁の鉄柵の前に立つ小さな背中、散弾銃の引き金を引く度に反動で上半身は僅かに揺れるものの下半身と地に付いた二つの足は微動だにせず、次々と銃身に込めた弾薬を撃ち出していく。見事なものだ――、仕事では指揮官としても兵士としても素晴らしい才能を持っているのに、個人としては何故問題しか無いのか、高根はそんな事を思いつつ手元のメモ帳へと試験の評価を書き込んで行く。
対馬区、第五防壁――、左右に続く目の前の鉄柵とコンクリートの基礎、自分達は嘗てこの向こうへと踏み出し、人類、大和人の手に主権を取り戻そうと多大な犠牲を払いながらも闘い続けていた。しかしそれも今は昔、海兵隊基地の飲料水が活骸の原因菌に汚染された事により基地内に曝露が齎され、兵員の八割近くを失う事になったあの日以降、態勢の立て直しの為に第五防壁第六防壁間の土地は放棄せざるを得ず、大和海兵隊、そして大和人は一つ後退する事となった。
しかし、今日は歩みを再び前へと進める為の最初の日、これから必要不可欠となるであろう技術の実地試験の日。大和にも小銃や散弾銃といった銃火器は無かったわけではないが、金属資源が決して潤沢とは言えない環境の中、撃ち放したらそれっきり戻って来ない弾薬とその発射装置の普及には何処も然程熱心ではなく、それよりも鉄を回さなければならない事は市井にも溢れている、それが一般的な意見だったろう。活骸との戦いは太刀とそれを持つ者の技量頼り、その『固定観念』は大和人の意識の根幹にあまねく浸透しきっていた、それもまた普及を阻害していた要因の一つなのかも知れない。
その大和人の意識へと一撃で罅を入れて見せたのが、今目の前にいる異国の軍隊の指揮官、タカコ・シミズ。高い知識と技能と寒気がする程の才能、そして、それを綺麗に覆い隠す目立たない外見と妙に人間臭い気質を持つ彼女は、大和人が持つ固定観念、先入観を持たない所為かそれをあっさり軽々と覆した。
人間性に多少どころか多大な問題が有ったとしても、それを補って余りある程の価値が彼女には有る。やはり彼女は何としてもどんな策を弄したとしても手の内に収めておくべきなのだと高根は認識を新たにし、装弾したものを全て撃ち尽くし筒先を下げる彼女の様子を黙って見詰めていた。
活骸と距離を取り接触する局面を可能な限り減らし、散弾銃を使用した銃撃により点ではなく面で制圧する――、タカコにより持ち込まれた全く新しい戦術、それは大和全軍が掲げる戦略にも大きな変換を齎す事になるだろう。それは恐らく喜ばしく心強い事なのだろうが、高根の胸には何故か抜けない棘が有った。それが何なのかは我が事ながら明確には把握出来ていない、黒川も似た様な心境なのか、試験が進めば進む程にいつもの振る舞いは鳴りを潜め、今では双方何とも重苦しい空気を纏っている。
何か、何か自分達は見落としている。タカコはそれに気付いているのだろうか、それとも、今のところ彼女から何の話も無いという事は、自分達の杞憂なのだろうか。
(何なのかね、こりゃ……あんまり良い気分じゃねぇのは確かなんだが、理由が分からんな……)
彼女と出会ってから二年と少し、その間にも多くの犠牲を払っては来たが、それ以上のものを得る事が出来たのもまた確か。そして上の承認を取り付け予算も確保し装備も揃い始め、それを核とした戦略が動き始めている。それ等を考えれば見通しは明るいと断言は出来ずとも暗くもない筈で、それなのに何故自分は今こんなにも嫌な心持ちになっているのか、それが分からない。
と、そんな事をつらつらと考えていた時、タカコが振り返り、視線を高根へと向けて来る。
「…………!」
鉄柵の向こう側、彼女の後ろに蠢く無数の活骸。生と死、そして、生が手にする銃――、その三つの要素が高根の脳裏で幾重にも重なって行く。
それを見て、自分の中の抜けない棘の正体が漸く分かった気がした。
乱戦になれば、銃は使えない。そうなれば兵士は従来通りに銃から太刀へと得物を持ち替え、再び戦いへと身を投じて行く。それは問題無い、自分も含めて全ての大和軍人にその覚悟は有る、国とそこに生きる人々の未来の礎となる事に迷いは、無い。
しかし、禍がこの対馬区ではなく、再び本土へと齎されたのだとしたら――、
『凛の事を、自分は護ってやれるのか』
人と活骸が入り乱れるという地獄絵図は、一昨年既に博多へと齎された。その時には銃は無く太刀のみが頼りだったが、これからは違う。対馬区であれば大陸側へと向けての前進のみになるから隊列の保持さえ確実にしておけば銃撃戦からの乱戦はそうそう起こらないだろう。しかし市街地ではそうはいかない、市民が逃げ惑い活骸は人々に襲い掛かり、自分達はその真っ只中で戦う事になる。その時に、自分はどうするのか。銃から太刀へと変更する見極めは、そして、太刀への変更が困難若しくは不可能と思われる戦況の時、救出不能と思われる少数を切り捨てるのか、それとも、全滅覚悟で全てを護ろうとするのか。
黒川の方を見れば、彼もまた同じ事に思い至ったのだろう、先程よりも顔つきは険しくなり、じっとタカコを見据えている。
彼女は気付いていなかったのではない、恐らくはこの戦術を進言して来る前からこの事について理解していた筈だ、銃を用いる戦術を基本とするワシントン軍がこの事について検討し方針を打ち立てていない筈が無い。それでも事前に何も言って来なかったのは、恐らくは自分達大和軍の立場を尊重しての事。部外者の自分が出しゃばるべきではないと、そう判断したのだろう。
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