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第46章『友人』
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第46章『友人』
「今日は会社の連中と呑んで来るからさ、夕飯は要らないよ」
「そうなんですか、分かりました」
「遅くなるかも知れねぇから、先に寝てて良いからな?」
「はい、そうします」
「んじゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
朝のいつもの遣り取り、その後に交わす口付け。名残惜しそうに数度凛の唇を啄み抱き締めていた身体を離し玄関を出て行く高根、凛は高根に続いて外へと出て角を曲がって消える迄見送り、ゆっくりと室内へと戻った。
夕飯は要らないと言っていたが、呑んで帰って来てからも何か軽くつまみ一杯程度は酒を口にするのが常だ。それを勘定して明日の朝と弁当用の煮物を少し多めに作っておこうか、そんな段取りをしつつ家事へと取り掛かる。
鳥栖が大規模曝露に見舞われ住民の殆どが活骸化するか活骸化した住民に食われるか、それを逃れたとしても大火災に見舞われて死亡した。幸運にも生き延びた極少数は住み慣れた街を捨てて他へと移住する事になるだろうと、ラジオはそんな事を伝えていた。民間に向けて発表されたそれ等の事実の発端、つまりは
『活骸は病変した人間であり、人為的な攻撃により飲み水が汚染されそこから感染が広がった』
という事実は、九州のみならず全国の大和人に対して計り知れない衝撃と恐怖を与えたであろう事は想像に難くない。本州以北の方はまだ平穏らしいという話も聞くが、九州、特に対馬区への玄関口となっているこの福岡は博多で暮らす者達はそうもいかず、安全な飲み水を求めて軍を始めとした行政施設へと殺到し、あちこちで小競り合いも起きているらしい。この辺りの区画は上水道が完備されているからその給水拠点施設さえ監視下に置けば安全は確保されるという事で、断水を免れている事は本当に幸運なのだろう。
陸軍が主体となった給水車による安全な飲料水の配給が全国規模で始まると知らされたのは昨日の事、ラジオから流れて来たその内容に胸を撫で下ろした。
そして、次に考えたのは高根の事。人間にしろ活骸にしろ死体に溢れた鳥栖の防疫処理や瓦礫の撤去には陸軍が当たっているが、既に行われている給水施設や水源の監視は陸軍だけでは足りずに海兵隊も人間を出しているとラジオは伝えていた。それなら、海兵隊の長たる高根の負担もいつも以上である事は間違い無い。そんな中、会社の人間――、恐らくは部下なのだろうが、そんな者達との時間は安らぎや慰めになるのだろう、その時間をゆっくり楽しんで来て欲しいと、そう思う。
空は抜ける様に晴れ渡り、雲一つ無いそれを見上げて目を細めながら、凛は洗濯物を干していく。この空の様に淀み一つ無い様な情勢なら、高根も随分と気が楽になるだろうに、考えても仕方の無い様なそんな事を考えつつ手早く干し終え、室内へと戻った。その後は掃除と料理に取り掛かり、午後は特段する事も無く、居間のソファに座って茶を飲みつつ読書をする。そして、時々微睡みへと落ちながら、時間はゆっくりと過ぎていった。
高根が帰って来たのは二十三時過ぎ、そろそろ帰って来るだろうと煮物を温めなおしていた凛の耳朶を玄関の扉が開く音が打ち、火を止めてそちらへと向かえば、そこにはやはり高根がいた。
「真吾さん、お帰りなさい」
「おお、悪い、色々と話が有ってな、遅くなった。こいつ等会社の奴なんだけどさ、軽く何か出してやってくれねぇか?こっちが清水、こっちのでけぇのが敦賀だ。それと、後からもう一人来るから」
普段と違う少し気まずそうな高根の面持ち、その彼が、す、と半歩脇へとずれれば、背後から現れたのは眼光鋭い二m近い偉丈夫の男が一人と、自分より少し背が高いだろうかという女性が一人。
「初めまして、夜分にすみません、お世話になります。清水、多佳子と言います」
「初めまして、凛です。どうぞ上がって下さい」
高根に目線で挨拶を促され、女が笑みを浮かべて一歩前へと出る。凛もそれに同じ様に返し、続いて無言のまま軽く頭を下げただけの男へと頭を下げた。
「後からもう一人って、お客様は全部で三人ですか?」
「ああ。予告無しで連れて来て悪かったな」
「大丈夫ですよ、明日の分も合わせて煮物作ってましたし、お酒も有りますから」
「有り難うな」
そんな遣り取りを高根と交わしながら客二人を居間へと案内し、料理を出そうと台所へと入る。食器棚から煮物用の深めの器と取り分け用の小皿と箸を出しながら、嬉しい、と、そう思った。
今迄、高根は自分との生活の中で、仕事に関連するものを徹底的に排除してきた。それは人間に関しても同じで、どんな時間帯でも電話には出ないで良いと言われていたし、職場の人間を自宅へと連れ帰って来る事も無かった。それは自分の事を他には、特に海兵隊の人間には知られたくないと思っているからだと思っていたし、実際そうだったのだろう。しかし、今日は違う、酒を呑みに行く程度には仲が良く深い付き合いの人間が三人もこの家に招かれているのだ、高根の気持ちに変化が有ったのだと、抱き合いながら交わした約束を、彼が本気で考えてくれているのだと、そう思いたい。
「有り合わせですけど……お口に合えば良いんですが」
「いえいえ、急に押し掛けたのにここ迄して頂いてすみません」
「お酒は何か召し上がります?それともお茶の方が良いですか?」
「あ、私はお茶で。敦賀は?」
「それじゃ……俺は酒を」
「分かりました、先に料理の方どうぞ、今準備して来ますから」
多佳子と名乗った女が若干申し訳無さそうに言いつつ頭を下げ、最初と同じ様に笑みを浮かべて器や小皿を受け取り、敦賀と呼ばれた男へと小皿と箸を手渡す。男の方は元々無口な性分なのか言葉は少なく表情にも大きな動きは無く、酒をと言いながら揺れる程度に小さく頭を下げた。
酒と茶を用意して居間へと戻れば、外へと出ていた高根と合流したのか、男がもう一人と高根もその場へと加わっていて、凛はその顔を見て
(……あ、この人、知ってる)
と、内心で小さく呟く。
書店巡りをしていた時に手に取りぱらぱらと捲った週刊誌、その時の特集は確か現在の大和を取り巻く情勢についてで、軍事面から書かれた記事に、この男の写真が載っていた。
(陸軍西方旅団の黒川総監……真吾さんの友達だったんだ)
その黒川が身に着けているのは高根の私服、二階へと人が上がって行く気配がしていたし、恐らく彼は制服でここへと来て、高根が服を貸して着替えたのだろう。それは、恐らくは高根の発案で、理由は、きっと、軍事関係者である事を悟られたくないから。
友人を家に招き自分を紹介してくれはしたものの、やはり、高根は自らの立場を自分には知られたくないらしい。理由は分からないが、態々それを壊してしまう必要も無いだろう、凛はそんな事を思いながら、黒川へと向かい笑顔を浮かべつつ、ぺこり、頭を下げた。
「今日は会社の連中と呑んで来るからさ、夕飯は要らないよ」
「そうなんですか、分かりました」
「遅くなるかも知れねぇから、先に寝てて良いからな?」
「はい、そうします」
「んじゃ、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
朝のいつもの遣り取り、その後に交わす口付け。名残惜しそうに数度凛の唇を啄み抱き締めていた身体を離し玄関を出て行く高根、凛は高根に続いて外へと出て角を曲がって消える迄見送り、ゆっくりと室内へと戻った。
夕飯は要らないと言っていたが、呑んで帰って来てからも何か軽くつまみ一杯程度は酒を口にするのが常だ。それを勘定して明日の朝と弁当用の煮物を少し多めに作っておこうか、そんな段取りをしつつ家事へと取り掛かる。
鳥栖が大規模曝露に見舞われ住民の殆どが活骸化するか活骸化した住民に食われるか、それを逃れたとしても大火災に見舞われて死亡した。幸運にも生き延びた極少数は住み慣れた街を捨てて他へと移住する事になるだろうと、ラジオはそんな事を伝えていた。民間に向けて発表されたそれ等の事実の発端、つまりは
『活骸は病変した人間であり、人為的な攻撃により飲み水が汚染されそこから感染が広がった』
という事実は、九州のみならず全国の大和人に対して計り知れない衝撃と恐怖を与えたであろう事は想像に難くない。本州以北の方はまだ平穏らしいという話も聞くが、九州、特に対馬区への玄関口となっているこの福岡は博多で暮らす者達はそうもいかず、安全な飲み水を求めて軍を始めとした行政施設へと殺到し、あちこちで小競り合いも起きているらしい。この辺りの区画は上水道が完備されているからその給水拠点施設さえ監視下に置けば安全は確保されるという事で、断水を免れている事は本当に幸運なのだろう。
陸軍が主体となった給水車による安全な飲料水の配給が全国規模で始まると知らされたのは昨日の事、ラジオから流れて来たその内容に胸を撫で下ろした。
そして、次に考えたのは高根の事。人間にしろ活骸にしろ死体に溢れた鳥栖の防疫処理や瓦礫の撤去には陸軍が当たっているが、既に行われている給水施設や水源の監視は陸軍だけでは足りずに海兵隊も人間を出しているとラジオは伝えていた。それなら、海兵隊の長たる高根の負担もいつも以上である事は間違い無い。そんな中、会社の人間――、恐らくは部下なのだろうが、そんな者達との時間は安らぎや慰めになるのだろう、その時間をゆっくり楽しんで来て欲しいと、そう思う。
空は抜ける様に晴れ渡り、雲一つ無いそれを見上げて目を細めながら、凛は洗濯物を干していく。この空の様に淀み一つ無い様な情勢なら、高根も随分と気が楽になるだろうに、考えても仕方の無い様なそんな事を考えつつ手早く干し終え、室内へと戻った。その後は掃除と料理に取り掛かり、午後は特段する事も無く、居間のソファに座って茶を飲みつつ読書をする。そして、時々微睡みへと落ちながら、時間はゆっくりと過ぎていった。
高根が帰って来たのは二十三時過ぎ、そろそろ帰って来るだろうと煮物を温めなおしていた凛の耳朶を玄関の扉が開く音が打ち、火を止めてそちらへと向かえば、そこにはやはり高根がいた。
「真吾さん、お帰りなさい」
「おお、悪い、色々と話が有ってな、遅くなった。こいつ等会社の奴なんだけどさ、軽く何か出してやってくれねぇか?こっちが清水、こっちのでけぇのが敦賀だ。それと、後からもう一人来るから」
普段と違う少し気まずそうな高根の面持ち、その彼が、す、と半歩脇へとずれれば、背後から現れたのは眼光鋭い二m近い偉丈夫の男が一人と、自分より少し背が高いだろうかという女性が一人。
「初めまして、夜分にすみません、お世話になります。清水、多佳子と言います」
「初めまして、凛です。どうぞ上がって下さい」
高根に目線で挨拶を促され、女が笑みを浮かべて一歩前へと出る。凛もそれに同じ様に返し、続いて無言のまま軽く頭を下げただけの男へと頭を下げた。
「後からもう一人って、お客様は全部で三人ですか?」
「ああ。予告無しで連れて来て悪かったな」
「大丈夫ですよ、明日の分も合わせて煮物作ってましたし、お酒も有りますから」
「有り難うな」
そんな遣り取りを高根と交わしながら客二人を居間へと案内し、料理を出そうと台所へと入る。食器棚から煮物用の深めの器と取り分け用の小皿と箸を出しながら、嬉しい、と、そう思った。
今迄、高根は自分との生活の中で、仕事に関連するものを徹底的に排除してきた。それは人間に関しても同じで、どんな時間帯でも電話には出ないで良いと言われていたし、職場の人間を自宅へと連れ帰って来る事も無かった。それは自分の事を他には、特に海兵隊の人間には知られたくないと思っているからだと思っていたし、実際そうだったのだろう。しかし、今日は違う、酒を呑みに行く程度には仲が良く深い付き合いの人間が三人もこの家に招かれているのだ、高根の気持ちに変化が有ったのだと、抱き合いながら交わした約束を、彼が本気で考えてくれているのだと、そう思いたい。
「有り合わせですけど……お口に合えば良いんですが」
「いえいえ、急に押し掛けたのにここ迄して頂いてすみません」
「お酒は何か召し上がります?それともお茶の方が良いですか?」
「あ、私はお茶で。敦賀は?」
「それじゃ……俺は酒を」
「分かりました、先に料理の方どうぞ、今準備して来ますから」
多佳子と名乗った女が若干申し訳無さそうに言いつつ頭を下げ、最初と同じ様に笑みを浮かべて器や小皿を受け取り、敦賀と呼ばれた男へと小皿と箸を手渡す。男の方は元々無口な性分なのか言葉は少なく表情にも大きな動きは無く、酒をと言いながら揺れる程度に小さく頭を下げた。
酒と茶を用意して居間へと戻れば、外へと出ていた高根と合流したのか、男がもう一人と高根もその場へと加わっていて、凛はその顔を見て
(……あ、この人、知ってる)
と、内心で小さく呟く。
書店巡りをしていた時に手に取りぱらぱらと捲った週刊誌、その時の特集は確か現在の大和を取り巻く情勢についてで、軍事面から書かれた記事に、この男の写真が載っていた。
(陸軍西方旅団の黒川総監……真吾さんの友達だったんだ)
その黒川が身に着けているのは高根の私服、二階へと人が上がって行く気配がしていたし、恐らく彼は制服でここへと来て、高根が服を貸して着替えたのだろう。それは、恐らくは高根の発案で、理由は、きっと、軍事関係者である事を悟られたくないから。
友人を家に招き自分を紹介してくれはしたものの、やはり、高根は自らの立場を自分には知られたくないらしい。理由は分からないが、態々それを壊してしまう必要も無いだろう、凛はそんな事を思いながら、黒川へと向かい笑顔を浮かべつつ、ぺこり、頭を下げた。
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