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『若犬と子猫』

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『若犬と子猫』

 高根真吾、年齢、二十三歳、職業、大和海兵隊隊員、階級、少尉、恋人は、無し。

 春の暖かな陽気、空は晴天。海兵隊基地内の運動場の周囲には大勢の民間人が集まり、設立記念式典に際し催された観閲行進の様子を見詰めている。
 今日は年に一度の大和海兵隊博多基地設立記念式典、それに伴い基地の一部は民間人へと解放され、丁度桜の季節という事も有り、式典を見てその後は花見と洒落込もうという人間が大勢基地へと足を運んでいた。
 昨年任官したばかりの新米海兵である高根は、その人の群れを綺麗に揃った隊列の中からぼんやりと眺めていた。士官学校に入学した時から毎年見ているこの光景、両親と兄家族は初年度こそ息子であり弟である高根の姿を見に糸島から出て来たものの、今は家族も糸島の友人も訪れる事は無く、誰かに見られているという緊張も無ければ誰かに会えるという楽しみも無い。見物人の多くは海兵達の家族であり、この春の式典と夏の納涼祭は海兵と家族の触れ合いの機会であり海兵の多くが準備に忙殺されつつもこれ等を楽しみにしているという事は知ってはいるものの、高根自身は若干白けた気分になる、そんな日だった。
 行進を終え運動場の中央に整列した隊列、少しの時間を置いてその前に後部座席に立った島津義弘海兵隊総司令を乗せた偵察機動車がゆっくりと入って来る。隊列の前をゆっくりと横切った車両は端迄行くと折り返して来て、観閲台の後ろへと停止すると島津総司令はゆっくりと後部席を降り、階段をゆっくりと踏み締める様に上る。そして、観閲台の上にそのがっしりとした体躯が現れ、鋭い眼差しが眼前の隊列へと向けられた。
「総員、敬礼!!」
 かかる号令に合わせ一糸乱れぬ動きで掲げられる部隊旗と挙手敬礼、高根もまたその流れに合わせ右手をこめかみへと掲げながら
(総司令か、雲上人だよなぁ……士官学校の校長と違って話が冗長じゃねぇのは良いよな、この人)
 等とぼんやりと考える。これが小隊長や中隊長辺りの人間ならば普段から多少なりとも話はするし人柄もそこそこ知ってはいるが、所属組織の最高司令官ともなればそんな機会は殆ど無く、以前訓練後に声を掛けられ、
「若い力が頼りだ、頑張ってくれ、高根少尉」
 と、名前と併せて激励され肩を叩かれた事に心底驚いたのは今でもよく覚えている。後々知ったところによると島津は全海兵の氏名と階級と顔は頭に入っており、大雑把ながらも彼等の来歴もまた同じく。自分の部下達の事は少しでも多く知っているのが当たり前だと毎年任官して来る者達の名簿には全て目を通し、普段も執務室から出れば階級も役職も構わず積極的に話し掛けているらしい。そうした振る舞いは全海兵からの絶大な信頼を築き上げ強固なものにしており、稀代の人望を持つ総司令というのが島津の評価だった。
(俺もいつかあそこに……って、龍興と約束したけどよ、生半可じゃねぇよなぁ……)
 自分より四年早く陸軍に任官した幼馴染の黒川、彼の方はと言えば三月の異動で統合幕僚監部への配属となり京都へと転任して行った。それよりも少し前に大尉へと昇進した事を本人から聞かされ、海兵隊とは違い上がなかなかいなくならない為昇進が遅めの傾向が有る陸軍、その中では異例の早さだなと驚いたのは記憶にも新しい。損耗率の凄まじい海兵隊では階級だけ見れば確かに昇進は早いが、そんな環境の中で生き残っている面々は心身共に尋常ではない強さを誇り、自分はそんな環境の中で生き延び伸し上がって行かなければならないのだな、と、訓辞を述べる島津の姿を遠目に見ながら、高根は改めて思い至る。
 既に対馬区への出撃は経験し幸運にも生きて帰る事が出来てはいるものの、壇上の人間が纏う気迫と凄み、そしてそれ等を支えている覚悟は未だ自分には無い。しかし、それでもいつかあんな風に、そしてあそこへ、と、ぐ、と僅かに歯を食いしばりながらそんな事を考えた。

「高根ー、あっち少し手薄みたいだからよ、手伝いに行ってくれや」
「あっちって、どっちすか?」
「場内の案内と監視。ちびっ子共も大勢来てるからな、変なところに紛れ込んで怪我でもされちゃ大変だ」
「了解っす」
「頼むなー。あ、可愛い子いてもナンパなんかするんじゃねぇぞ」
「しませんよそんなん。面倒嫌なんで、素人は相手にしない事にしてますから」
「お前、本当に屑だな……ほれ、早く行け」
「うっす」
 観閲式が終わった後は基地内の多くが解放され、運動場周りの桜の下で酒盛りを始める者、家族を訪ねて建物の中へと入って来る者、そんな人々で賑わっていた。しかしそこはやはり軍事施設、解放されていない区画も当然多く残っており、その境界で間違って入って来る者がいないかを監視したり、場所の案内をしたり迷子や病人や拾得物を案内本部へと届けたりと、多くの海兵が忙しく動き回っている。高根もまたその中の一人で、休憩時間を利用して恋人や家族と仲睦まじく笑い合っている海兵達を横目に見ながら案内本部へと歩き出す。夕方には基地の解放は終わるが、その後には民間人が残っていないか内部の全体点検が待っているから、今日は営舎に戻るのも随分と遅くなりそうだ、その事に思い至り小さく溜息を吐いた時、不意に後ろから声を掛けられた。

「高根少尉、ちょっとこの子を見ててくれないか」

 誰だ、そう思って振り返れば、そこにいたのは総司令の島津、姿勢を正して挙手敬礼をすれば彼は笑って
「ああ、楽にしてくれ。この子をちょっと見ててくれないか、すぐに戻るから」
 そう言って、自分の制服のズボンにしがみついている小さな子供を指し示す。
「お孫さんですか?」
「そうなんだ、まだ一度も式典を見せた事が無くてな、息子が連れて来たんだが急に仕事がとか言い出して一人で帰ってしまってね。息子の嫁に迎えに来る様に連絡したからその内来るとは思うんだが、上の孫が便所に行きたいと言い出して、その間こっちのしがみついてる方を見ててくれないか」
 彼の言葉に視線を脇へとずらせば、そこにいたのは十歳を少し超えた程度の年齢に見える男の子が一人。目が合ったと思った直後に
「こんにちは、島津仁一です!」
 そう元気良く挨拶され、なるほど総司令の孫だけあって躾が行き届いている様だと思いつつ
「こんにちは、高根真吾です」
 と、笑顔を浮かべて挨拶を返した。
「上はこの通り物怖じしないんだが、下はまだ小さいのもあって人見知りでね、頼むよ」
 そうだ、面倒を見ろと言われたのはこっちではなくしがみついている方だったと思い至りそちらへと向き直れば、こちらは歳の頃はどの位なのか、少なくとも小学校には未だ上がっていない事だけは確実な小さな女の子。
「ほら、おじいちゃんはお兄ちゃんを手洗いに連れて行って来るから、その間このお兄さんと待ってなさい」
 祖父にそう促されて漸くズボンを手放した幼女、それでもまだどうしたら良いのか分からないのか祖父を見上げ、
「すぐ戻るから待ってなさい」
 という言葉に、漸く高根の方へと歩み寄って来た。
「すぐ戻るから頼む、悪いな」
 その言葉と共に孫と手を繋ぎ歩き出す島津、孫とのあまりの体格差に、制服を着ておらず立場も知らなければ幼児誘拐に見えるなと高根はそんな失礼な事を考えつつ遠ざかっていく背中を見送り、さて、自分の任務はこちらだと脇へと視線を落とす。
 その『任務』は高根の事が気になりつつもやはり怖いのか、目が合ったと思った瞬間にびくりと身体と表情を強張らせ俯いてしまい、そんな気は全く無かったが怖がらせてしまったかと高根は小さく舌を打つ。このままお互いに突っ立っていて島津の帰りを待っても良いのだが何とか少しでも『任務』の気持ちが和らげばと話題を探して彼女を見下ろしてみれば、上着の下から覗くブラウスに、白い猫の刺繍がされているのが目に入った。
「猫、好きなの?お兄さんの家にも猫いるんだよ、それと同じ真っ白な猫。もうだいぶ年寄りなんだけどな」
 糸島の実家に置いて来た、幼い頃に拾って飼っていた白猫。その事を思い出しながら話し掛けてみれば、糸口になったのか顔が上がり、視線が真っ直ぐに高根へと向けられる。
「……おにいちゃんもねこかってるの?」
「うん、今は基地に住んでるから飼えなくてお兄ちゃんのお父さんとお母さんが世話してくれてるよ」
「これね、うちのねこちゃんとそっくりなの、おみせでみたときにね、うちのねこちゃんだとおもったの、そしたら、おじいちゃんがこれかってくれたの」
「そっか、良かったな。その猫可愛いから、本物の猫もきっと可愛いんだろうな」
 子供の相手は特段得意なわけでもない、実家を出る迄は兄のところの甥っ子の世話を多少していた程度だし、士官学校へと進んでからはそんな機会は全く無くなった。実際のところこんな話題や扱いで良いのかも心許無いが、それでも状況をどうにか運ぼうという高根の腐心は無駄ではなかったのか、足元の幼女はにっこりと微笑んで口を開いた。

「ありがとう、おにいちゃん」

 無垢、純粋、そんな言葉や概念の体現の様にすら思える満面の笑顔、それに、心臓が妙な鼓動を刻んだ、そんな気がした。



「……思い、出した……!!」
「は?何が?計画に何か漏れでも有ったのか?」
『ん?シンゴ?何か問題か?』
『何か思い出したらしいぞ、何かは知らん』
 大ワ合同教導団司令部本部棟、その会議室。長い長い会議の後、雑談九割意見の擦り合わせ一割で残っていた面々の中に海兵隊第三十代総司令高根真吾准将の姿も在り、その彼が煙草の煙と共に突然吐き出した言葉に全員が注目する。
「……いや、仕事じゃなくて、嫁との出会い……創立式典の話で思い出した……」
「は?凛ちゃん?式典関係無いだろうよ」
 高根の言葉に食い付いたのはタカコ、出会いは晩秋の博多の花街だった筈なのに何を言っているのかと思った彼女が眉根を寄せつつ脇でコーヒーを啜っていた夫を見上げてみれば、こちらも何の事か見当も付かないのか片眉を上げつつ小さく首を傾げて見せる。ワシントン側団長のテイラーは当然、古くからの付き合いである大和側団長の黒川にも全く何の事か分からないらしく、通訳としてテイラーに付いている沿岸警備隊の金子も注視する中、高根はゆっくりと口を開いた。
「任官して翌年の創立式典でよ、俺、場内の案内やってたんだけど、その時に当時の総司令だった島津中将に声かけられてさ、島津、あ、仁一な、島津を便所に連れて行くからこっちの面倒見といてくれって、凛の世話頼まれた……今思い出したわ」
博多の花街が出会いだったと思っていたら実は島津中将の葬儀で凛は高根を見かけていた顔も立場も知っていて、かと思えばそれよりも遥か以前、高根が新米海兵だった頃には二人は既に出会っていた――、お互いの立場や環境が多分に影響しての事ではあるのだろうがあまりの偶然に、室内は俄かに盛り上がり始める。
 高根の若い頃や先々代総司令の島津中将を知っている黒川がやはり一番驚いた様子で、
「物凄い人望の有る人だったって話は聞いてるけど、孫には普通のじいちゃんだったんだなぁ」
 等と言いつつ、当時の思い出を話し始めテイラーや金子はそれに聞き入り、貴之は貴之でやはり任官当初から島津の退官迄世話になった思い出も有るのか、珍しく黒川とあれやこれやを話し出す。そんな中高根は微妙な表情のまま固まっており、それを妙に思ったタカコが彼へと水を向けて来た。
「何、真吾、何そんな固まってんの」
「いや……俺自身まさかそんな昔に出会ってとは……な」
「確かにねぇ。で?幼気盛りの凛ちゃん可愛かった?」
「うん、めっちゃ可愛かった。話題探して猫の話振ったら食い付いて来てよ、もう満面の笑顔で笑いかけてくれたよ」
「……へぇ……運命だねぇ……」
 妙に低くなったタカコの声音、それに気付かずに
「あんなに小さかった子供が俺の嫁さんだもんなぁ、運命ってやつかねぇ」
 と高根が言えば耳聡く聞きつけた黒川が
「おーおー、言うねー」
 そう囃し立て、金子の通訳を聞きながらテイラーが笑い、金子も笑う。貴之は普段の通りに言葉は少なかったもののその輪の中に入っており、何故かタカコだけが静かだった。



 後日、
「高根総司令は嫁さんが年齢一桁の幼女だった頃から目をつけていた」
 という噂が基地内を駆け巡り、何故か海兵隊総司令とワシントン軍大佐の一日がかりの壮絶な鬼ごっこが繰り広げられたというのは、また別の話。
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みんなの感想(1件)

皆本マヤ
2017.11.20 皆本マヤ

いつも楽しく拝読しております。
『たった一つだけ残された希望』、タカコ・タカユキ・ヨシユキの幸せな日々(もしくは彼女の凄惨ないたずらの発祥)を垣間見られてとても嬉しいです…! 
これからも、更新いただけるのを楽しみにしております。

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