神の力を隠して平穏に暮らしたいのに、俺がくしゃみしただけで伝説の竜が死ぬし、聖女や姫に勘違いで崇められて困る。

カインズ

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第2章:天才たちと盗賊団

第12話:純粋な瞳はごまかせない

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森の主が穏やかな眠りについてから一夜が明けた。森の街は、まるで長い悪夢から覚めたかのように、生き生きとした輝きを取り戻していた。街のいたるところにそびえ立つ、建物と見事に融合した巨大な木々の葉が、夜の間に溜め込んだ露をきらきらと光らせ、朝日を浴びて生まれたての宝石のように輝いている。ざわ、と風が吹くたびに、数え切れないほどの葉が一斉に揺れ、木漏れ日がまるで万華鏡のように地面で踊る。小鳥たちの甲高いさえずりが、澄み切った朝の空気に心地よく響き渡り、土と若葉、そしてどこかの家から漂ってくる焼きたてのパンの香りが混じり合った、生命力に満ちた匂いが街全体を包んでいた。

宿屋の窓を開けると、ひんやりと湿った空気が流れ込んできて、僕の眠たい頭をしゃっきりとさせてくれる。眼下では、街の人々が笑顔で行き交い、子供たちが元気に走り回っている。ああ、平和だ。実に平和だ。やっぱり世界はこうでなくちゃいけない。

「へっへっへ、朝っぱらから飲む酒は格別じゃのう」

食堂に降りていくと、剣豪の十兵衛がテーブルの席で既に一杯やっていた。その横では、戦士のサラがまたしても地図を逆さまに広げ、「うーん、この街の出口はどっちだ?」と真剣な顔で唸っている。出口は一つしかないし、目の前にある。

「まあ、サラ!朝から熱心ですのね!私も朝のお祈りをしませんと!」

そう言ってクルセイダーのセシリアが、パンをくわえたまま祈りのポーズを取ろうとして、盛大に椅子から転げ落ちた。ゴッと鈍い音がして、食堂の主人が「うちの床は頑丈で助かったぜ」と呟いている。うん、今日も僕の仲間たちは絶好調のようだ。

朝食を終え、僕たちは英雄として街の人々にもみくちゃにされながら、街を散策することになった。人々は口々に感謝の言葉を述べ、差し入れだと果物や干し肉を渡してくれる。その度に、サラやセシリアは「当然のことをしたまでですわ!」と胸を張るが、僕はどうにも居心地が悪くて仕方がない。僕がやったことと言えば、熟した木の実を指で弾いただけなのだから。

(まあ、その結果、森の主の制御装置がショートしたのは事実だけど……。でもそれは、あの木の実が、あのタイミングで、あの場所に、ああいう形で熟していたっていう偶然と、僕がたまたまそれを弾いたっていう偶然が重なっただけ。そう、全ては偶然。僕がすごいわけじゃない。断じて)

僕が心の中で必死に自己弁護をしていると、ふと、亜麻色の髪が隣に寄り添ってきた。神官のルナだった。彼女は僕の数歩後ろを、まるで影のように静かについてきていたが、いつの間にかすぐ隣に立っていた。

「リヒト様」

彼女が僕の名前を呼ぶ。その声は、森の朝の空気のように、清らかで、凛としていた。

「昨日は、ありがとうございました。リヒト様のおかげで、また一つ、世界が救われましたね」
「いやいやいや、だからあれは偶然だって。僕じゃなくて、みんなが頑張った結果だよ」
「いいえ」

ルナは、僕の言葉を遮るように、しかし穏やかに首を振った。そして、真っ直ぐに僕の瞳を見つめてくる。彼女の瞳は、森の奥にある泉のように澄んでいて、覗き込むと自分の心の奥底まで見透かされそうだ。

「リヒト様がいらっしゃったからです。リヒト様の周りでは、いつも素敵な奇跡が起こります。水の街の石碑の時もそうでした。私が文字を読めたのは、リヒト様がそばにいてくださったから。リヒト様が、眠っていた言葉たちを起こしてくださったのです」

……なんだって?眠っていた言葉を起こした?そんなファンタジーな話があるものか。あれは君が、古代語の文字をパターンとして認識する、特殊な才能を持っていただけだ。言語中枢ではなく、視覚野の、それも普通の人とは違う部分が異常に活性化する、一種の共感覚(シナスタジア)に近い現象だろう。文字を絵として、あるいは音楽として捉えるような。グラン爺の知識(論理)とは全く違う、全体を丸ごと掴む認識力。そう、それはまさに、無数の要素が相互作用して一つの大きなパターンを創り出す、この世界の仕組みそのものを、彼女が無意識に体現しているような……。

(……っと、いかんいかん。また僕の悪い癖が)

僕は思考の海に沈みかけた頭を、慌てて引き上げた。

「と、とにかく!あれはルナの力だって。僕は本当に何もしてないから!」
「ふふっ」

僕が必死に否定すればするほど、ルナは嬉しそうに微笑む。その笑顔は、まるで「リヒト様は、またご謙遜なさって」とでも言いたげだった。ダメだ、この子には全く通じていない。

僕たちは、街の中心にある、巨大な樹をそのまま利用して作られたカフェで休憩することにした。蔦の絡まる螺旋階段を上っていくと、そこには木々の枝葉の間に作られた、見晴らしのいいテラス席が広がっていた。吹き抜ける風が心地よく、遠くには森の向こうに連なる山々が見える。テーブルには、この森で採れたというハーブを使った、爽やかな香りの紅茶が運ばれてきた。

「はー、絶景ですわねー!」
「本当だな!ここからなら街全体が見渡せるぜ!」

セシリアとサラが、子供のようにはしゃいでいる。その隣で、十兵衛は紅茶ではなく、朝から頼んだ酒の入った瓢箪を傾けている。本当にこの親父はブレない。

僕がようやく一息つけるかと思った、その時だった。隣に座ったルナが、カップを両手で包み込むように持ちながら、またしても僕に純粋な瞳を向けてきた。

「リヒト様」
「……な、なんだい?」
「リヒト様は、なぜそんなにお優しいのですか?」

……きた。哲学的な質問、第二弾。
なぜ優しいか、と言われても困る。僕が優しくしているというより、僕の周りが勝手に面倒事を起こして、僕がそれを解決せざるを得ない状況に追い込まれているだけだ。僕はただ、僕の平穏を脅かす要素を、目立たないように、かつ迅速に排除しているに過ぎない。原因と結果の法則に基づいた、極めて合理的な自己防衛。それが、彼女の目には「優しさ」とやらフィルターを通して映っているらしい。

「いや、別に優しくなんかないよ。普通だよ、普通」
「いいえ、普通ではありません。始まりの街で、ゴブリンに襲われていたセシリアさんを助けた時も、水の街で、毒に苦しむ人々を救うために戦った時も、リヒト様はいつも、自分のことよりも他の誰かのために行動されています」

いや、ゴブリンの時は、あのままじゃ僕がセシリアのドジに巻き込まれて死ぬかと思ったからだし、水の街の時は、あのキメラを放置したら街が崩壊して僕の滞在先がなくなるからだ。全ては、巡り巡って僕自身の平穏のためだ。そう、僕の行動原理は、慈悲や利他行などという高尚なものではなく、極めて利己的な「平穏の追求」に集約される。

「それに、困っている人がいると、いつもどこからか助けがやってきます。不思議です」

それは、僕が裏でこっそり手を回しているからだ、とは口が裂けても言えない。僕が「偶然」見つけた抜け道。僕が「偶然」蹴飛ばした小石。僕が「偶然」弾いた木の実。その一つ一つが、この世界の複雑な因果の糸をほんの少しだけ手繰り寄せ、結果として「奇跡」という名の現象を創発させている。だが、そんなことを説明したところで、信じてもらえるはずもないし、何より面倒くさい。

「ぜ、全部、偶然だって!たまたま、運が良かっただけだよ!」

僕が額に汗を浮かべて否定した、その時だった。

「そうですわ!私もそう思いますの!」

どん、とテーブルを叩いて立ち上がったのは、セシリアだった。彼女は目をキラキラと輝かせ、まるで世紀の大発見でもしたかのように、僕を指差して叫んだ。

「ルナの言う通りですわ!リヒト様は、神様に愛された奇跡の人なのです!私が始まりの街で、たった一人でゴブリンの群れを壊滅させられたのも、今思えば、きっとリヒト様がそばにいて、私に神の御力をお与えくださったからに違いありませんわ!」

……違う。あの時、あんたは石につまずいて、雄叫びを上げながら明後日の方向に剣をぶん投げて、その剣が洞窟の天井に刺さって、崩落した岩がゴブリンを全部押し潰しただけだ。神の御力、微塵も関与していない。むしろ、ドジの神が憑いているとしか思えない。

「そ、そういえば……」サラも、顎に手を当てて考え込み始めた。「森で巨大な熊に遭遇した時も、セシリアが投げた武器が偶然急所に当たったけど、あれもリヒトがいてくれたから起きた奇跡だったのかもしれないな!」

だから違う。あんたが「こっちが近道だ!」って言って進んだ先が熊の巣で、セシリアが驚いて投げた盾が、綺麗に水面を跳ねて、対岸の木に当たって、跳ね返って、熊の後頭部にクリーンヒットしただけだ。奇跡というより、もはや物理法則を無視した珍プレーだ。

「うむ」と、グラン爺までもが腕を組んで頷いた。「水の街のキメラの時も、リヒト、お主が足を滑らせてぶつかった勢いで奴を湖に沈めた。あれが、結果的に我らを救ったのは紛れもない事実じゃからのう」

違うんだ、グラン爺!あれは僕が、キメラの足元の石畳の強度を計算して、最も脆い部分に、最小限の力で最大限の衝撃が加わるように、絶妙な角度とタイミングで「足を滑らせた」だけなんだ!断じて偶然などではない、緻密な計算に基づいた必然の結果なんだ!

……と、心の中で叫んでも、もちろん誰にも届かない。仲間たちは、それぞれが体験した「リヒトの周りで起きた奇跡」を披露しあい、「やっぱりリヒトさんはすごい!」「リヒト様は選ばれし方!」「うむ、リヒトは我らが幸運の女神ならぬ、幸運の男神じゃな!」と、僕の隠蔽工作を根底から覆す、とんでもない勘違いの上塗りを始めた。

僕の周りで、楽しそうな会話の輪が広がっていく。それはまるで、僕という一つの原因(エージェント)を中心に、仲間たちのそれぞれの思い込みや勘違い(相互作用)がフィードバック・ループを形成し、「リヒトはすごい」という、僕の意図とは全く異なる秩序が「自己組織化」されていく、複雑系の縮図のようだった。笑うしかない。いや、笑えない。

僕が顔を引きつらせながら「だーかーらー!」と否定の言葉を叫ぼうとした時、ふと、視線を感じた。
十兵衛だった。
彼は、仲間たちの騒ぎには一切加わらず、ただ黙って瓢箪の酒を呷りながら、じっと僕のことを見ていた。その目は、酔っ払いのそれではない。獲物の本質を見極めようとする、鋭い剣客の目だ。
彼だけは、分かっているのかもしれない。僕の振るった木刀の一撃が、ただの「豪運」などではないことを。森の主を止めた木の実の一撃が、ただの「偶然」では説明がつかない、異常な精度と威力を持っていたことを。
彼にとって僕は、奇跡の人などではない。正体不明の、底知れない力を持った、警戒すべき存在。そう、彼の瞳が物語っていた。

(……まずいな。一番厄介なタイプに目をつけられたかもしれない)

僕の背中を、嫌な汗がすっと流れた。
ごまかしのきかない相手は、何も純粋な心を持つ者だけではない。圧倒的な実力と経験に裏打ちされた、本質を見抜く目を持つ者もまた、僕にとっては天敵なのだ。

僕は、仲間たちの勘違いと賞賛の嵐から逃げるように、「そろそろ行こうか」と席を立った。そんな僕の後ろ姿を、ルナはやはり、キラキラと輝く、絶対的な信頼と尊敬に満ちた瞳で見つめていた。

「やっぱり、リヒト様はすごいです。どんなに否定なさっても、私には分かります」

その声が、背中に突き刺さる。
ダメだ。勝てない。
論理で説得しようとしても、彼女の「信じる」という純粋な力の前では、全てが無意味になる。力で脅すなど論外だし、嘘で騙そうものなら、この子の心を汚してしまうことになる。そんなことは、僕が許さない。
純粋さとは、何よりも強固な鎧であり、どんな攻撃も通さない、最強の盾なのかもしれない。

「俺の平穏なスローライフ……本格的に、終わったな……」

僕は、森の街のどこまでも青い空を見上げ、誰にも聞こえない声で、ぽつりと呟いた。
僕の嘆きとは裏腹に、世界は今日も、残酷なまでに美しかった。
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