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俺たちの旅路は砂漠に入った。
行く時は術で一瞬だったから、海を越えて山を越える砂漠を越えるハメになるなんて思ってもみなかった。俺に分かるのは方角だけだから。
そのうえ、この人形の体はそこまで頑丈でもないらしく、熱砂の上を歩くうちにボロボロになってきた。
力が入らないのも続いている。
だけどそれより、ずっと凍土で暮らしていた皇がこの暑さで大丈夫か、心配だった。
明らかに辛そうなのに、ちっとも休まない。だけど声をかけようとすると睨まれる。
なんだか執念というよりは、憎悪に取り憑かれているように見えた。汗も枯れて目が浮き出るほどやつれているのに止まろうとしない。人形の俺でさえ、こんなに弱ってしまったのに。
こうなれば一刻も早くご主人さまたちの元へ辿り着いて、彼に休んで貰うほうがいいのかもしれない。
ところが砂漠の果てへ辿り着き、緑が見えた頃に俺の足が縺れて砂の上に沈むように体が落ちた。
案内の俺がそうなって、皇は静かな目でじっと俺を見ていた。疲労で何も考えられなくなっているようだ。俺が立つのを待って、俯いている。
「あの……申し訳ありませんが、もう動けないみたいです」
おそるおそる申告すると、皇は熱病に浮かされたように「そうか」と言って猫車のようなものを生み出した。それへ俺をつまんで中へ入れ(意外に丁寧に)、手押しで運び始めた。
「どちらへ行けばいい」
「ここから更に西です……」
言ったあと、俺の意識が途絶えた。眠ったというか、保てないという状態で、この旅と体の耐久度の終わりが近づいているのを感じる。
終わるのか。そうか終わるのか。終わるってどんな感じだろう。覚えがない気がしないでもないけど、やっぱりなんだか怖いものだ。寒いような、さびしいような、皇を心配するのとはまた別の不安がある。
「ここから北上します」
「もう少し西です」
そんな指示をしながら皇と手押し車の中の俺たちはゴトゴトと見知らぬ土地を進んでいった。
+++
奇妙だ、とは思っていた。
ただ何もかもが奇妙だったので、判断がつきかねた。
とにかく優先すべきは瑠璃神の魂。今も敵に囚われている彼を救い出さねばならない。
瑠璃神と共にあった時間は、本当に短かった。けれども皇は彼を真実愛したし、嘘でも愛してほしいと願われた。
嘘だと思ったまま、瑠璃神は死んだ状態にある。そんな悲しいことはない。
嘘などない、あの時間は本物であったと伝えたい。安心させて抱きしめたい。本当の笑顔を見たい。
その一心で、何処までも何処までも歩いた。
案内役の、人形。
異国の意匠で作られたその人形は、とても不気味に見えた。笑った顔で口がカクカクと動いて喋る。
何処となく悪意を感じる表情で、此方を嘲笑しているようにも思われた。製作者の底意地の悪さを感じる。
ただ、その人形の中身そのものは、実は無邪気なのではないかと薄々わかっていた。
船旅のさなか、船員に可愛がられて笑い声を上げる姿。
おそるおそると皇を振り返り、そろそろ休まないのかと尋ねる姿。
姿とは違い、声は明るく話しぶりや言葉選びに嫌味がない。
けれどもヒオウは自分を追い詰め、思いつめ、疲れ果て、敵の手先である人形にまで気を回していられなかった。
そもそも、瑠璃神のためとはいえ国の者たちを置いて来ている。ヒオウとそれを慕う者たちを凍土へ追放した中央の者どもは、シロイカネが凍土の山から発見され、それが有益と知るとシロイカネを狙うようになった。
今は瑠璃神の残してくれた竜たちだけが、国の者を守っている。人の子の侵攻ならまだしも、神を相手には国の者ではどうしようもない。ヒオウは一刻も早く帰らねばならないのだ。
「あの、これ……」
おずおずと差し出されたその大輪の青い花。
瑠璃神が好んで纏った色によくよく似ている。蝶の翅のように深く輝く色だ。
彼に見せてやりたい、と思った。見せてやりたいと思うと同時に、彼の眠った顔が浮かんで胸が絞られた。
「今は青い花など見たくない。まして彼奴らの手先からなど」
酷いことを言ったと思う。人形はただ、ヒオウを励ましたかっただけかもしれない。しかし、ヒオウにはもう何の余裕もなかった。
人形がどこまでわかっていて案内をしているのか、それも疑問だった。皇の恋神が奪った者の根城へと案内していると、分かっているのか。分かっていてこれなら性質が悪い。
ただ、どうも、皇を心配しようとする声音から察するに、分かっていないのではないか……何も知らされていないのではないか、と疑問が生じるようになった。
「あっ」
という声と共に、人形が崩れ落ちた。砂の上で関節があちこちに曲がって酷い有様だ。それでも笑うような顔をしているのが、やはり気味が悪い。
「あの……申し訳ありませんが、もう動けないみたいです」
それを聞いて、ずいぶんと人形に無理を強いたことを今さら知った。いや、知ったことではないと思っていたのだ。
この子は何も知らず、あの悪魔どもに使い捨てとして作られたのではないか。
そのように感じ、急に憐れになって猫車にそっと入れてやった。木肌はズタズタで球体はすり減り、部位をまとめる糸が千切れかけている。ひどい有様だった。
皇も人形もくたくたのよろよろになりながら、最後の旅を続けた。
旅の終わりにあったのは、巨大な黒ずんだ骨の城だった。見る限り、人の骨、獣の骨、巨大怪獣の骨と無節操に使用されている。壁や扉さえ、何かの骨を削り磨いたものなのだ。悪趣味極まる。
人形はすでに動かなくなっていた。もう口をきくこともない。少し前から意識が途切れがちだったが、事切れているようだった。
「疲れたな。ゆっくり休め……」
ざらざらになってしまった頭を撫で、労った。彼の意識があるうちに一言でも優しい言葉をかけてやればよかった。
このまま置いていく気にもなれず、くしゃくしゃになった人形を抱いて中へ入った。
城内は更に陰惨だった。大小様々な頭蓋のランプ、骨の額縁の中の地獄絵。
なぜこのような歪な存在があるのか、皇には理解出来ない。これらが彼らの趣味とするならば、腕の中の人形など特別愛らしいものにすら見えてくる。
案内の人形が壊れてしまったので、何処へ行けばいいのか、とにかく奥へ奥へと進み、ホールを見つけた。これもまあ禍々しい装飾のホールで、あまり観察はしたくなかった。その先に大きな扉を発見したこともある。
ヒオウはホールを抜け、その扉を開いた。
「よくぞ遠方はるばる参られました」
と、実験器具や制作器具らしき装置に囲まれた部屋で、例の悪魔が滑稽なほど優雅に礼をした。
ヒオウが驚いたのは、悪魔が二体いたことだ。この疲れ果てた体で、二体の悪魔と戦えるだろうか。
身構えるヒオウに、悪魔はカタカタと笑う。
「そう固くならないで頂きたい。まずはお茶でも?」
「御託はいい。瑠璃神の魂を返せ。それに……この子を直してやれ」
無体をしてしまった人形を差し出すと、悪魔たちがゲタゲタと不快な声で笑い出した。
「この子を直してやれ、ですって。ハハハ。いやあもうそれは直りません、ここへ来るまでの命でしたから。壊れたものはどうやっても戻らない」
「そうか……」
不愉快だったが、それがこの子の命だったというなら、仕方がない。せめて国に持ち帰り、可能な限り修復して、飾ってやろうと思う。
いたわしげに壊れた人形を撫でるヒオウを見て、悪魔たちがまたゲラゲラと笑う。のけぞり、腹を抱え、大仰な動作でヒオウを煽った。
「瑠璃神の魂をご所望でしたな」
ニヤニヤしながら片方の悪魔が腕を伸ばし、骨の指をクイと動かす。
すると、動かなくなったはずの人形の体がガタガタと動き出した。何事かと思わず押さえると、人形の胸元がシャツを破って開き、複雑な結界の張られた内部から真っ白い魂が……
「あ」
思わず手を伸ばす。けれども白い魂はひらりとヒオウの手を離れ、悪魔の手元のランプに収まった。
悪魔たちが更に声量を上げて大笑いする。
「いかがでした? 愛する瑠璃神との旅路は。おやずいぶん白くなって。知っていますか、彼の魂は周囲に溶け込むほどの透明なんですよ。白く見えるのは傷なんです。傷つけば傷つくほど白く見えるってことですね。一体何があったやら? ハハハハハ」
ヒオウは愕然と、腕の中の人形と悪魔の手の中にある魂とを見比べる。
頭が真っ白になった。
様々なことが過ぎりはするのだが、ろくに考えられず、様々な感情と今までの疲労がどっと押し寄せ、膝をつく。
その頭上に二体の悪魔の嘲笑が降る。頭の中を、笑い声で満たされた。
『―――流石に見過ごせんのお』
笑い声を割るように、何者かの声があった。
悪魔の笑いは「は」が最後になり、巨大な手が天から注いで二体の悪魔を押さえつけた。
『休暇中のことゆえ親が口出しするのも憚ったが、うちの子に何しとんじゃい己ら』
ぐり、ぐり。
掌底で悪魔どもを躙る。ヒオウはその手から転がった瑠璃紙の魂の入ったランプを、慌てて抱え上げた。
『お若いの』
謎の声に呼ばれ、ヒオウは天井を仰ぐ。そこには何もなかったが。
『どうかその子を頼む……だいぶ儂がむちゃをさせたもんだからの』
行け、と言われた気がした。
ヒオウはランプをかき抱き……そして一度取り落してしまった人形を抱える。
帰りは、場所が分かっているので一瞬だった。悪魔の城から凍土の城門前に。崩れた皇の姿を見て、門兵がどよめき、雪花が飛び出してきた。
あとのことは、記憶にない。意識を失ったらしい。
しかし、どうやら意地でも瑠璃神のことは離さなかったようで、寝台に運ばれて目覚めたときも、人形とランプを抱えていた。
「皇……」
大粒の涙をこぼす雪花に覗き込まれ、ああ、ともうう、ともつかぬうめき声を上げる。
乾いた唇をはく、とさせると水差しを口元に寄せられ、飲み込んで、咽る。
「皇!」
「……りは、は」
「お体は無事です……魂もここに」
言われてみて、ああ、と思った。ああ、とランプと人形を抱き、涙を零す。
そして同時に、おずおずと青い花を差し出した人形の姿を思い浮かべた。
るりは。ずっと人形の中で俺を心配し、声をかけようとして拒絶され、花を、気持ちを踏みにじられたのか。
動けなくなるまで歩かされて。道半ばで途絶えた。
どんな、気持ちで……どんな思いで。
ふいに、この魂を瑠璃神の体に戻すのがこわい、という気持ちがわいた。悪魔は言った、るりはの魂が白いのは傷のせいだと。旅の前よりずっと白さが増したと。
目覚めた瑠璃神は何を思うだろうか。ヒオウを怖がるのではないか。怯えるのではないか。傷つき苦しみ酷使され、道半ばで果て。
だが、それはヒオウの感傷に過ぎない。このままでは瑠璃神の為にならない。
たとえ嫌われようとも、怯えられようとも、せめて自分の愛が偽りではなかったことを知らせなくてはならない。悪魔の謀略であったことを教えなければならない。瑠璃神には知る権利がある。
また、あの強大な存在……何者かは分からぬが、瑠璃神よりもっとずっと高次の存在であった。頼むと言われた。放り出せる訳がない。
ヒオウは身を引きずり、寝台を降りて、城の中を歩く。自らの手で創り、何百年も住み馴染んだ棲家だというのに、見知らぬ場所のように感じた。
瑠璃神の空の体を安置した部屋の寝台に近づき、その寝顔をそっと覗き込む。
息吹はない。脈もない。だが柔らかさも色も失わず、生きているように見えた。だが、死んでいるのだ。この体は器に過ぎない。中身は、心は、この手の中にある。
彼の頬に触れ、ヒオウは涙を流した。
外見がどうあれ、あれはるりはだったのだ。神として振る舞わないるりはは無邪気で、子供のようで、いじらしく健気だった。
怒りと憎悪に染まり、敵の手先と信じ込み、何もねぎらってやらなかった。労らなかった。顧みなかった。記憶がない様子だったから、案内が終わるまでの命と思っていたかもしれない。
その短い人形としての生を、彼はどのような思いで生きたのだろうか。
そっと、ランプの蓋を開ける。
だが瑠璃神の魂は底で、動くことはなかった。仕方なく逆さにして、するりと取り出す。両手にそっと傷ついた魂を持ち、空の体に沈めていった。
「………?」
程なくして、るりはは目覚めた。ぼんやりしているようで、視線を動かしている。ヒオウのことも、認識していない。
緩慢にゆっくりと手を持ち上げ、それを見つめ……
「………!?」
急に起き上がった。
「るりは、無理をするな」
「あっ、だ……なに、あ」
「落ち着いて。落ち着くんだ」
混乱して暴れようとする彼の肩を抱くようにして押さえ、とにかく、落ち着くまで待った。それでも、るりはの呼吸は荒かった。
「な、なんで……終わったはず……ど、どうし……これは何の記憶」
通常は体から離れた魂はその記憶を失う。強い未練や執着ならば残ることはあるが。ただ、彼のこの体も魂も普通とはだいぶ違うようで、記憶はあるらしい。ただ、どこからどこまでなのかは、ヒオウには分かりかねた。
「俺が、わかるか……るりは」
「ひお……、皇」
「ヒオウだ。あなたが、つけた名だ」
「………」
暴れないよう両手首をとっているので、るりはは顔を泣きそうに歪め、必死に顔を逸らす。
「悪魔からあなたの魂を取り戻した」
それを聞くと、るりはの表情はより一層、悲愴になった。こわばり、息を詰め、青ざめている。
ヒオウはぐっと腹に力を込めた。
「あの悪魔はあなたを騙した。自分の手で俺があなたを愛するよう暗示をかけたかのようにあなたに嘘を言った。だが、実際にはあの悪魔は何もしていない。俺はもともとあなたに惹かれていた。あの悪魔が余計なことをしなければ、俺たちはそのまま結ばれていた」
「………」
「なにも嘘はない。俺は、あなたを愛している」
「だとしても…っ」
るりはは堪らず嗚咽を漏らした。
「お、おれは、たとえ、愛されて、なくても……あなたの都合も感情も構わず、愛してもらおうとした。欺いたんだ」
「そこまで想ってもらえて、おれは、うれしい」
「よくない。そんなものに愛される資格はない。わかっていたから……! 終わりにしようと思ったんだ!!」
ゴッと神気が吹き荒れた。家具も調度品も吹き飛び旋回し、ヒオウも弾き飛ばされた。るりはは顔を覆っている。
「愛されるわけない……愛していいわけがない。だっ、だって、花……っ!」
嗚呼、と思った。あの、青い花。人形がおずおずと差し出した花。あれはるりはの心そのものだった。
記憶は混濁しているようだが、花を受け取って貰えなかった。そのことが瑕になっている。
「おれも、あなたに許されないと思っている」
ヒオウは項垂れた。
「あなただと分からず、わかろうともせず、姿で判断し、心を踏みにじった。知らなかったではすまない。あなたの不調に気づきもせず、懸命に使命を果たそうとするあなたを無視し続けた。どれほど俺は、あなたを傷つけたのだろう」
最初に見たるりはの魂は、確かに白かったが半透明だった。だが、人形から取り出された時、雪玉のように真っ白だったのだ。
るりはは言葉にならぬようで、顔を覆って泣きじゃくっている。近寄ろうとすると、吹き飛ばされ、拒絶された。
今は刺激しないほうがいいと、ヒオウは部屋を後にした。
「瑠璃神さま、眠ったようでございます」
夜になり、雪花からそのように報告を受けた。疲れてしまうと、るりはは十年も百年も眠ってしまうと藤の子は言っていた。次に見えるのは、いつになるのだろう。
行く時は術で一瞬だったから、海を越えて山を越える砂漠を越えるハメになるなんて思ってもみなかった。俺に分かるのは方角だけだから。
そのうえ、この人形の体はそこまで頑丈でもないらしく、熱砂の上を歩くうちにボロボロになってきた。
力が入らないのも続いている。
だけどそれより、ずっと凍土で暮らしていた皇がこの暑さで大丈夫か、心配だった。
明らかに辛そうなのに、ちっとも休まない。だけど声をかけようとすると睨まれる。
なんだか執念というよりは、憎悪に取り憑かれているように見えた。汗も枯れて目が浮き出るほどやつれているのに止まろうとしない。人形の俺でさえ、こんなに弱ってしまったのに。
こうなれば一刻も早くご主人さまたちの元へ辿り着いて、彼に休んで貰うほうがいいのかもしれない。
ところが砂漠の果てへ辿り着き、緑が見えた頃に俺の足が縺れて砂の上に沈むように体が落ちた。
案内の俺がそうなって、皇は静かな目でじっと俺を見ていた。疲労で何も考えられなくなっているようだ。俺が立つのを待って、俯いている。
「あの……申し訳ありませんが、もう動けないみたいです」
おそるおそる申告すると、皇は熱病に浮かされたように「そうか」と言って猫車のようなものを生み出した。それへ俺をつまんで中へ入れ(意外に丁寧に)、手押しで運び始めた。
「どちらへ行けばいい」
「ここから更に西です……」
言ったあと、俺の意識が途絶えた。眠ったというか、保てないという状態で、この旅と体の耐久度の終わりが近づいているのを感じる。
終わるのか。そうか終わるのか。終わるってどんな感じだろう。覚えがない気がしないでもないけど、やっぱりなんだか怖いものだ。寒いような、さびしいような、皇を心配するのとはまた別の不安がある。
「ここから北上します」
「もう少し西です」
そんな指示をしながら皇と手押し車の中の俺たちはゴトゴトと見知らぬ土地を進んでいった。
+++
奇妙だ、とは思っていた。
ただ何もかもが奇妙だったので、判断がつきかねた。
とにかく優先すべきは瑠璃神の魂。今も敵に囚われている彼を救い出さねばならない。
瑠璃神と共にあった時間は、本当に短かった。けれども皇は彼を真実愛したし、嘘でも愛してほしいと願われた。
嘘だと思ったまま、瑠璃神は死んだ状態にある。そんな悲しいことはない。
嘘などない、あの時間は本物であったと伝えたい。安心させて抱きしめたい。本当の笑顔を見たい。
その一心で、何処までも何処までも歩いた。
案内役の、人形。
異国の意匠で作られたその人形は、とても不気味に見えた。笑った顔で口がカクカクと動いて喋る。
何処となく悪意を感じる表情で、此方を嘲笑しているようにも思われた。製作者の底意地の悪さを感じる。
ただ、その人形の中身そのものは、実は無邪気なのではないかと薄々わかっていた。
船旅のさなか、船員に可愛がられて笑い声を上げる姿。
おそるおそると皇を振り返り、そろそろ休まないのかと尋ねる姿。
姿とは違い、声は明るく話しぶりや言葉選びに嫌味がない。
けれどもヒオウは自分を追い詰め、思いつめ、疲れ果て、敵の手先である人形にまで気を回していられなかった。
そもそも、瑠璃神のためとはいえ国の者たちを置いて来ている。ヒオウとそれを慕う者たちを凍土へ追放した中央の者どもは、シロイカネが凍土の山から発見され、それが有益と知るとシロイカネを狙うようになった。
今は瑠璃神の残してくれた竜たちだけが、国の者を守っている。人の子の侵攻ならまだしも、神を相手には国の者ではどうしようもない。ヒオウは一刻も早く帰らねばならないのだ。
「あの、これ……」
おずおずと差し出されたその大輪の青い花。
瑠璃神が好んで纏った色によくよく似ている。蝶の翅のように深く輝く色だ。
彼に見せてやりたい、と思った。見せてやりたいと思うと同時に、彼の眠った顔が浮かんで胸が絞られた。
「今は青い花など見たくない。まして彼奴らの手先からなど」
酷いことを言ったと思う。人形はただ、ヒオウを励ましたかっただけかもしれない。しかし、ヒオウにはもう何の余裕もなかった。
人形がどこまでわかっていて案内をしているのか、それも疑問だった。皇の恋神が奪った者の根城へと案内していると、分かっているのか。分かっていてこれなら性質が悪い。
ただ、どうも、皇を心配しようとする声音から察するに、分かっていないのではないか……何も知らされていないのではないか、と疑問が生じるようになった。
「あっ」
という声と共に、人形が崩れ落ちた。砂の上で関節があちこちに曲がって酷い有様だ。それでも笑うような顔をしているのが、やはり気味が悪い。
「あの……申し訳ありませんが、もう動けないみたいです」
それを聞いて、ずいぶんと人形に無理を強いたことを今さら知った。いや、知ったことではないと思っていたのだ。
この子は何も知らず、あの悪魔どもに使い捨てとして作られたのではないか。
そのように感じ、急に憐れになって猫車にそっと入れてやった。木肌はズタズタで球体はすり減り、部位をまとめる糸が千切れかけている。ひどい有様だった。
皇も人形もくたくたのよろよろになりながら、最後の旅を続けた。
旅の終わりにあったのは、巨大な黒ずんだ骨の城だった。見る限り、人の骨、獣の骨、巨大怪獣の骨と無節操に使用されている。壁や扉さえ、何かの骨を削り磨いたものなのだ。悪趣味極まる。
人形はすでに動かなくなっていた。もう口をきくこともない。少し前から意識が途切れがちだったが、事切れているようだった。
「疲れたな。ゆっくり休め……」
ざらざらになってしまった頭を撫で、労った。彼の意識があるうちに一言でも優しい言葉をかけてやればよかった。
このまま置いていく気にもなれず、くしゃくしゃになった人形を抱いて中へ入った。
城内は更に陰惨だった。大小様々な頭蓋のランプ、骨の額縁の中の地獄絵。
なぜこのような歪な存在があるのか、皇には理解出来ない。これらが彼らの趣味とするならば、腕の中の人形など特別愛らしいものにすら見えてくる。
案内の人形が壊れてしまったので、何処へ行けばいいのか、とにかく奥へ奥へと進み、ホールを見つけた。これもまあ禍々しい装飾のホールで、あまり観察はしたくなかった。その先に大きな扉を発見したこともある。
ヒオウはホールを抜け、その扉を開いた。
「よくぞ遠方はるばる参られました」
と、実験器具や制作器具らしき装置に囲まれた部屋で、例の悪魔が滑稽なほど優雅に礼をした。
ヒオウが驚いたのは、悪魔が二体いたことだ。この疲れ果てた体で、二体の悪魔と戦えるだろうか。
身構えるヒオウに、悪魔はカタカタと笑う。
「そう固くならないで頂きたい。まずはお茶でも?」
「御託はいい。瑠璃神の魂を返せ。それに……この子を直してやれ」
無体をしてしまった人形を差し出すと、悪魔たちがゲタゲタと不快な声で笑い出した。
「この子を直してやれ、ですって。ハハハ。いやあもうそれは直りません、ここへ来るまでの命でしたから。壊れたものはどうやっても戻らない」
「そうか……」
不愉快だったが、それがこの子の命だったというなら、仕方がない。せめて国に持ち帰り、可能な限り修復して、飾ってやろうと思う。
いたわしげに壊れた人形を撫でるヒオウを見て、悪魔たちがまたゲラゲラと笑う。のけぞり、腹を抱え、大仰な動作でヒオウを煽った。
「瑠璃神の魂をご所望でしたな」
ニヤニヤしながら片方の悪魔が腕を伸ばし、骨の指をクイと動かす。
すると、動かなくなったはずの人形の体がガタガタと動き出した。何事かと思わず押さえると、人形の胸元がシャツを破って開き、複雑な結界の張られた内部から真っ白い魂が……
「あ」
思わず手を伸ばす。けれども白い魂はひらりとヒオウの手を離れ、悪魔の手元のランプに収まった。
悪魔たちが更に声量を上げて大笑いする。
「いかがでした? 愛する瑠璃神との旅路は。おやずいぶん白くなって。知っていますか、彼の魂は周囲に溶け込むほどの透明なんですよ。白く見えるのは傷なんです。傷つけば傷つくほど白く見えるってことですね。一体何があったやら? ハハハハハ」
ヒオウは愕然と、腕の中の人形と悪魔の手の中にある魂とを見比べる。
頭が真っ白になった。
様々なことが過ぎりはするのだが、ろくに考えられず、様々な感情と今までの疲労がどっと押し寄せ、膝をつく。
その頭上に二体の悪魔の嘲笑が降る。頭の中を、笑い声で満たされた。
『―――流石に見過ごせんのお』
笑い声を割るように、何者かの声があった。
悪魔の笑いは「は」が最後になり、巨大な手が天から注いで二体の悪魔を押さえつけた。
『休暇中のことゆえ親が口出しするのも憚ったが、うちの子に何しとんじゃい己ら』
ぐり、ぐり。
掌底で悪魔どもを躙る。ヒオウはその手から転がった瑠璃紙の魂の入ったランプを、慌てて抱え上げた。
『お若いの』
謎の声に呼ばれ、ヒオウは天井を仰ぐ。そこには何もなかったが。
『どうかその子を頼む……だいぶ儂がむちゃをさせたもんだからの』
行け、と言われた気がした。
ヒオウはランプをかき抱き……そして一度取り落してしまった人形を抱える。
帰りは、場所が分かっているので一瞬だった。悪魔の城から凍土の城門前に。崩れた皇の姿を見て、門兵がどよめき、雪花が飛び出してきた。
あとのことは、記憶にない。意識を失ったらしい。
しかし、どうやら意地でも瑠璃神のことは離さなかったようで、寝台に運ばれて目覚めたときも、人形とランプを抱えていた。
「皇……」
大粒の涙をこぼす雪花に覗き込まれ、ああ、ともうう、ともつかぬうめき声を上げる。
乾いた唇をはく、とさせると水差しを口元に寄せられ、飲み込んで、咽る。
「皇!」
「……りは、は」
「お体は無事です……魂もここに」
言われてみて、ああ、と思った。ああ、とランプと人形を抱き、涙を零す。
そして同時に、おずおずと青い花を差し出した人形の姿を思い浮かべた。
るりは。ずっと人形の中で俺を心配し、声をかけようとして拒絶され、花を、気持ちを踏みにじられたのか。
動けなくなるまで歩かされて。道半ばで途絶えた。
どんな、気持ちで……どんな思いで。
ふいに、この魂を瑠璃神の体に戻すのがこわい、という気持ちがわいた。悪魔は言った、るりはの魂が白いのは傷のせいだと。旅の前よりずっと白さが増したと。
目覚めた瑠璃神は何を思うだろうか。ヒオウを怖がるのではないか。怯えるのではないか。傷つき苦しみ酷使され、道半ばで果て。
だが、それはヒオウの感傷に過ぎない。このままでは瑠璃神の為にならない。
たとえ嫌われようとも、怯えられようとも、せめて自分の愛が偽りではなかったことを知らせなくてはならない。悪魔の謀略であったことを教えなければならない。瑠璃神には知る権利がある。
また、あの強大な存在……何者かは分からぬが、瑠璃神よりもっとずっと高次の存在であった。頼むと言われた。放り出せる訳がない。
ヒオウは身を引きずり、寝台を降りて、城の中を歩く。自らの手で創り、何百年も住み馴染んだ棲家だというのに、見知らぬ場所のように感じた。
瑠璃神の空の体を安置した部屋の寝台に近づき、その寝顔をそっと覗き込む。
息吹はない。脈もない。だが柔らかさも色も失わず、生きているように見えた。だが、死んでいるのだ。この体は器に過ぎない。中身は、心は、この手の中にある。
彼の頬に触れ、ヒオウは涙を流した。
外見がどうあれ、あれはるりはだったのだ。神として振る舞わないるりはは無邪気で、子供のようで、いじらしく健気だった。
怒りと憎悪に染まり、敵の手先と信じ込み、何もねぎらってやらなかった。労らなかった。顧みなかった。記憶がない様子だったから、案内が終わるまでの命と思っていたかもしれない。
その短い人形としての生を、彼はどのような思いで生きたのだろうか。
そっと、ランプの蓋を開ける。
だが瑠璃神の魂は底で、動くことはなかった。仕方なく逆さにして、するりと取り出す。両手にそっと傷ついた魂を持ち、空の体に沈めていった。
「………?」
程なくして、るりはは目覚めた。ぼんやりしているようで、視線を動かしている。ヒオウのことも、認識していない。
緩慢にゆっくりと手を持ち上げ、それを見つめ……
「………!?」
急に起き上がった。
「るりは、無理をするな」
「あっ、だ……なに、あ」
「落ち着いて。落ち着くんだ」
混乱して暴れようとする彼の肩を抱くようにして押さえ、とにかく、落ち着くまで待った。それでも、るりはの呼吸は荒かった。
「な、なんで……終わったはず……ど、どうし……これは何の記憶」
通常は体から離れた魂はその記憶を失う。強い未練や執着ならば残ることはあるが。ただ、彼のこの体も魂も普通とはだいぶ違うようで、記憶はあるらしい。ただ、どこからどこまでなのかは、ヒオウには分かりかねた。
「俺が、わかるか……るりは」
「ひお……、皇」
「ヒオウだ。あなたが、つけた名だ」
「………」
暴れないよう両手首をとっているので、るりはは顔を泣きそうに歪め、必死に顔を逸らす。
「悪魔からあなたの魂を取り戻した」
それを聞くと、るりはの表情はより一層、悲愴になった。こわばり、息を詰め、青ざめている。
ヒオウはぐっと腹に力を込めた。
「あの悪魔はあなたを騙した。自分の手で俺があなたを愛するよう暗示をかけたかのようにあなたに嘘を言った。だが、実際にはあの悪魔は何もしていない。俺はもともとあなたに惹かれていた。あの悪魔が余計なことをしなければ、俺たちはそのまま結ばれていた」
「………」
「なにも嘘はない。俺は、あなたを愛している」
「だとしても…っ」
るりはは堪らず嗚咽を漏らした。
「お、おれは、たとえ、愛されて、なくても……あなたの都合も感情も構わず、愛してもらおうとした。欺いたんだ」
「そこまで想ってもらえて、おれは、うれしい」
「よくない。そんなものに愛される資格はない。わかっていたから……! 終わりにしようと思ったんだ!!」
ゴッと神気が吹き荒れた。家具も調度品も吹き飛び旋回し、ヒオウも弾き飛ばされた。るりはは顔を覆っている。
「愛されるわけない……愛していいわけがない。だっ、だって、花……っ!」
嗚呼、と思った。あの、青い花。人形がおずおずと差し出した花。あれはるりはの心そのものだった。
記憶は混濁しているようだが、花を受け取って貰えなかった。そのことが瑕になっている。
「おれも、あなたに許されないと思っている」
ヒオウは項垂れた。
「あなただと分からず、わかろうともせず、姿で判断し、心を踏みにじった。知らなかったではすまない。あなたの不調に気づきもせず、懸命に使命を果たそうとするあなたを無視し続けた。どれほど俺は、あなたを傷つけたのだろう」
最初に見たるりはの魂は、確かに白かったが半透明だった。だが、人形から取り出された時、雪玉のように真っ白だったのだ。
るりはは言葉にならぬようで、顔を覆って泣きじゃくっている。近寄ろうとすると、吹き飛ばされ、拒絶された。
今は刺激しないほうがいいと、ヒオウは部屋を後にした。
「瑠璃神さま、眠ったようでございます」
夜になり、雪花からそのように報告を受けた。疲れてしまうと、るりはは十年も百年も眠ってしまうと藤の子は言っていた。次に見えるのは、いつになるのだろう。
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