頑張ったご褒美に神様になったので素敵な恋がしたい

いみじき

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 瑠璃神が眠りについてから、雪花は朝昼晩と様子を見に寝所へ伺っている。
 皇は「彼が目覚めた時に自分がいれば怖がらせてしまう」と瑠璃神の寝所に近づかなかった。本当は寝顔でもいいからお会いしたいのだろうに、一体なにがあったのか……

 ひとまずノックをしてから曇り硝子細工の扉を開け、雪花は目を見開いた。
「あなた……」
 思わず言葉を呑む。眠る瑠璃神に縋り付くようにして、自然に解けたはずの藤の子がいる。他の精ではない、間違いなく、あの子だ。
 しかし、一度自然に戻った精が自力で再顕現することは不可能だ。雪花にも、できない。

「瑠璃神さまが目覚めたの?」

 瑠璃神の体にかぶさるようにして背を向ける藤の子へ語りかけると、振り向かないまま首を振られた。
「わかんない。気がついたら此処にいた」
「じゃあ目覚めてすぐにあなたを呼んでまた眠ってしまわれたのかしら」
「瑠璃神さまは起きてないとおもう。起きたときに俺がいたほうがいいから呼ばれたんだ」
 誰に? とは思ったが、口を出せる雰囲気ではなかった。

 そのうちに、藤の子はもそもそと寝台へ上がり、瑠璃神の懐に潜り込んだ。すると、今まで寝返りもうたなかった瑠璃神が気配を察知したのか、眠ったまま藤の子のほうへ向いて小さな体を腕に包むように抱く。
 瑠璃神が何の恐れもなく安心して愛せるのは、あの子だけなのだろう。
 藤の子が帰ってきて、雪花も少し肩の力が抜けた。



 終わることが出来なかった。きっと大神さまが許さなかったんだと思う。
 このまま眠って、眠って、眠り続けて、そうして傷を癒やし、おつとめに戻りたかった。傷つきたい気分だった。厳しい罰がほしい。
 少なくともあの方に会わせる顔はない。

 でも懐に温かくてやわらかい塊があって、あの子だ、と思った。かわいいかわいい、藤の花から生まれたあの子。ちょっとしたお使いのために呼び出しただけなのに、とても俺を慕て、時には小さな体で守ろうとしてくれた。

 藤の子への愛しさを噛み締めていると、思ったより回復が早かったようで(と言っても傷が癒えるほどじゃなかったが)目が覚めてしまった。腕の中からころんと健やかな寝息をたてる藤の子が転がり落ちて、思わず笑ってしまった。なんだか泣きたい気分で。

「お、お目覚めになられましたか!」
「雪花さん……」

 ちょうど水差しの水を替えていた皇の眷属の少女が部屋にいて、俺はばつが悪く目を逸した。彼女にも、申し訳のないことをした。大事な主人を騙すような真似をして。
 俺はまだ眠る藤の子を抱き、立ち上がった。

「すぐにでもお暇します」
「まって、まってください!」

 文句のひとつも言いたいのだろう。甘んじて受けるべきだ。本当は聞きたくないけど、逃げる訳にはいかない。
 雪花は合わせた拳をもじもじさせ、泣きそうな顔で俺を見上げた。

「皇を怖がらないでください! 皇はずっと、あなたを心配しておりました」

 心配……
 そう。やさしい方だから。
 だけど、なぜか俺の脳裏には、下から見上げたあの方の冷たい視線が焼き付いていた。複雑そうな、苦々しげな、本当は許せないのだと、そういう目をした皇の顔が。
 この記憶がなんなのか、よく覚えていない。罪の意識が見せる幻なのかもしれない。
 妄想の中であんな顔をさせるのも、それはそれで罪深いな。
「―――俺は休暇で此処にいるんです。主に背いて悪魔と契約した以上、罰を受けなければなりません」
 どのみち此処にはもういられない。あの方のことを抜きにしても俺は禁を破った。自壊しようとした。大神さまを裏切った。

「そ、それは皇に会わずに去ってしまうということですか」
「……はい」
「そっそれは、それは! それはあんまりにも皇がお可哀想……いえ、えぇとそう、不義理ではありませんか!?」

 うっと俺は言葉に詰まった。皇に会わないのは、彼から逃げたいからだ。だが、彼には謝罪を受ける権利がある。彼が望むのならば制裁も受けなければならない。
「むー……」
 怯んで竦んでいるうちに、腕の中で藤の子がもぞもぞし始めた。俺の肩口にすりすりと甘えて、可愛い顔が俺を見る。
「藤……」
 苦く微笑むと、藤の子は大きな目に涙をため、俺の首にしがみついてきた。ああそうだ、俺は不義理だった。どうしてこんなに俺を慕う可愛い子を放っていなくなろうと思ったのだろう。

「藤、瑠璃神さまをちゃんと捕まえていて!」
「わかった!」

 雪花に言われて藤の子はますますぎゅうとしがみついてくる。捕まえていてと言っても、藤の子ごと逃げてしまえるような状況で、ふすふすと鼻息も荒く抱きつかれても……なんだか力が抜けて笑ってしまった。この子には敵わない。

 諦めて寝台に腰掛けなおすと、けっこうな勢いで皇が駆け込んできた。俺は思わず藤の子にすがるようにして身を硬くする。
「るり、は……」
「………」
 名付けられた名を呼ばれて、いたたまれなく視線を外す。皇も室内へ踏み込んだはいいが、言葉が見つからないようで、何もおっしゃらなかった。

「………」
「……………」
「……………………」
「話して! ちゃんと話してくださいまし!」

 雪花にせっつかれ、困ってしまった。謝罪の言葉が見つからない。ごめんなさいで済むような話じゃなかった。差し出せる代償もない。かといってお気の済むまで詰ってください、殺しても構いませんでは、皇を傷つけるのは目に見えていた。
 それに、それじゃ俺の気が済むだけだ。なじられたいだけだ。罰を受けて自分が精算したいだけになってしまう。
 だいたい、雪花と藤の子に聞かせられるような話でもない。
「…………っ」
 急に皇が動いたので、怒りに思い極まったのかと身構えたが、彼はその場に膝をついて項垂れただけだった。

「あなたに、なんとお詫びしてよいか、わからない」

 ………?
 少し意味が分からず、雪花を見た。皇に説明を求めても、口べたな彼はうまく離せないかもしれない。だが、雪花にもよく分からないようで、真顔でぶんぶん首を振られた。
 加害者は俺、だよな。そして被害者は彼、だよな。えぇと、皇は優しいから……俺が悪魔につけこまれるようなことになって気づかなかったことを悔やんでいる、とか。いや明らかに話に乗った俺が悪い。何の酌量の余地もない。

「お、皇。少し話を整理しましょう……お互いに、状況を呑めていないかもしれません」
「………」
「それに俺は、身の上を貴方に話していません。何か行き違いが生じているのかも」

 そうとしか思えなかった。
 そもそもだ。俺は悪魔の誘いに乗った。そして悪魔に魂を譲渡した。俺が今ここにいるということは、彼が取り返してくださったということだろう。
「皇は、何を何処まで把握してらっしゃいますか」
「………」
 彼は悲痛な面持ちで目を閉じる。それこそ処刑を待つ罪人のように。
 どうして貴方がそんな顔をするんだ。
 俺は困惑しながらも、彼に事情を話し、理解してもらわなければと決意した。

「皇、聞いてください。最初から……そう、俺が何者であるかということから」
「何者……と、いうの、は」
「俺はこの世界の者ではありません。別の世界で偉大な存在に仕えていた魂です。長いおつとめで魂が不安定になり、ここへは休暇で参りました。
 言い訳ではありませんが、今の俺は正常な精神状態、判断力があるとは言えません」

 大神さまを裏切って、利己心のために自壊しようだなどと、以前の俺なら思いつきもしなかった。
 いや、どうなんだろう。初めての休暇で気が緩んだのかもしれない。自分のために何かしていいのだと思ったら欲が溢れた。
 嘘でも愛されて、その腕の中で終わりを迎えたい。その思いはきっと、潜在的にずっと俺の中にあったんだ。

 俺のつとめは終わりがない。人間社会に問題がある限り、その渦中に飛び込まなければならない。今みたいに力を使うこともできず、ただびととして生きなければならない。
 大神さまのサポートが全くなかったわけじゃないが、傷ついていく自分の魂を感じずにはいられなかった。本当ならとうの昔に穢れて怪物になっているほどの経験をしながら、正気のまま狂っていくような恐怖があった。

「何度も転生を繰り返してきました。男であったことも女であったことも、結婚して子供を作ったこともあります。
 愛していると、言われたことはあるけれど、実感したことはありません。おつとめがおつとめだったので、相手のエゴであったり、俺じゃない何かに対しての愛だったり、そもそも自己愛だったり、暴力の伴う愛であったり。手ひどく裏切られたこともあります。
 心の通った人とは、結ばれる前におつとめの為に死に別れなければならないことが殆どでした。
 俺は嘘でも愛されてみたかった。ただの俺である時に。何も演じていない自分である時に。
 あなたは俺の、そういう自己愛のための、犠牲者だったんです」

 その事実はどう足掻いても揺らがない。俺は彼を犠牲にしてでも自分の目的を果たそうとした。それは果たして愛なんだろうか。今まで俺を踏みにじってきた者たちと何が違うんだろうか。
 自己嫌悪に陥っていると、皇は思いがけず、しっかりと俺を見つめてきた。膝をついたままだったが、その澄んだ青い瞳にぎくりとしてしまう。

「おつとめとは、どんな?」
「……お聞かせできるようなものでは」
「俺に、申し訳ないと、あなたが思っている、なら。教えてほしい。あなたのことを」

 しりたい、と皇は囁いた。

 実のところ、俺は話したくなかった。思い出したくもなかった。傷を抉る追憶になる。
 それと、とてもじゃないが藤と雪花には聞かせられなかったので、藤の子を雪花に託し、外へ出るよう頼んだ。苦境にあった皇を支えてきた雪花は聡い娘だ。真剣に頷き、藤の子を連れて、部屋を出た。

 俺は、ぽつぽつと語った。
 人と関わって生きたこれまでのこと。
 戦争。略奪。犯罪。軍。国。拷問。民族。その文化では当然になって疑われもしなかった惨すぎる習慣。無理解。差別。
 それらをまともに見聞きするのは精神を壊す。皇の魂が穢れてしまう。端折って、かいつまんで、説明した。

 具体例を挙げるなら、まあ、アンネとか。大粛清とか。想像のつく限りのことは経験した。想像以上のことも。
 前の世界で誰かが言った。最大の悲劇は善人の沈黙であると。
 大神さまは沈黙しなかった。人類に疑問を投げかけた。これでいいのか、それでいいのか。そのままでいるのか。
 問題は問題とされるまで認識されない。1+1という概念がなければ足し算すら発生しない。問題提起すること。それが俺のつとめだった。

「―――………」

 聞いていた皇の、神々しい白い睫毛に縁取られた瞳から、きれいな涙が溢れた。
 惨いことを聞かせたと思う。彼も差別されて生きた。苦渋も辛酸も舐めたろう。つらい記憶を刺激したかもしれない。
 本当は言いたくなかった。傷つけたくなかった。
 正常な神経ではとても直視出来ないことばかりだったから。

「どうして」
「ごめんなさい」
「どうして、あなた、だけ」
「!」

 どうして話した、という意味だとばかり思って反射的に謝った俺は、目を瞬いた。
「ああ……こういう魂を量産すると後が面倒なんです。汚れないということは染まらないという意味でもある。言い換えれば順応性がない。だから主は交代要員を創りませんでした」
「この世界にも、あなたのような、存在が?」
「―――さあ。少なくとも大神さまのような存在はいらっしゃらないみたいです。何処かでバランスはとっていると思いますが」
 俺のようなものがいなくても回るというなら、俺はなんだという話になる。あくまで早期解決を促す存在でしかなく、いつかは人間社会が発達して勝手に解消されることではあるんだが。

「俺は、あなたの助けが、できない?」

 気に病んでらっしゃるようなので、はっきり頷いた。神、というのも正直曖昧な呼称だ。世界によって何をもって神と呼ぶかも違う。だが、他の生物と魂構造からして違うものであるのは間違いない。
 皇のような魂が穢れて暴走すれば、人間社会の問題より手がつけられない。神と呼ばれる存在は、大概が穢れを嫌う。嫌うだけで俺のように完全に弾いたりはしない。堕ちたり、祟ったり、そういうものになる。

「なんにせよ、この世界には関わりのないこと。魂は世界を転々と流れていくけれど、神はその世界の地盤のようなもの。世界に縛られ別の世界に流転はしません。ただ、消滅があるだけ。混じって別のものになることはあるようですが」

 意味を失い忘れられ、消えていく。それが神と呼ばれるものの末期だ。あらゆる存在に終わりがある。
 俺にも、あるはずだ。人が別の存在になるか、滅びれば、あるいは。それまで消えることすら許されない。狂うことも堕ちることも。

「るりは」

 震えて涙を零していた皇が、しっかりと顔を上げる。
「貴方に契約を持ちかけた悪魔は貴方を騙した。俺は最初から、あなたがこの城に来る、その前、眠るあなたの屋敷へ訪れ……その前から、貴方の御姿を見るその前から、俺はあなたに惹かれていた。俺の想いを嘘だと思わないでほしい」
「………っ」
 俺は咄嗟に目を逸した。

「違うんです」
「なにが……」
「俺は向けられる感情が嘘でも本当でも、よかった。ただ確実性がほしかった。そのために悪魔に保険をかけたんです。皇が俺を愛していても愛していなくても、愛されるように仕向けた。そのうえで終わることを夢見た。どのみち貴方を利用したんです」
 許されることじゃない。何より自分を許せない。
 このまま再修復しようとしても、俺はずっと罪の意識に悩まされる。裁かれたい、詰られたいと願うだろう。
 怒りを滲ませて語ると、皇は困ったように首を傾げる。

「そうまで追い詰められるほど傷ついていた、のでは……」

 それは言い訳にならない。
 そう言おうと開いた口が震えて、奥歯を噛んだ。今度は俺の目から涙が溢れる。
 皇が立ち上がって近づいてくる。逃げたかったが、動けなかった。震えてしまって。
 堪えて泣く俺を、皇は抱きしめた。

「俺もあなたに許されないことをした。貴方の魂が封じられていた人形に冷たくあたった。知らなかったとはいえ、知らないからこそ、酷いことだったと、思う。
 あの人形がるりはでなければ、俺はただ可哀想なモノとして忘れ去った。その程度の存在として貴方を扱った。俺は今まで貴方を踏みにじった者たちと同じだ」

 人形?
 奪われた魂はそんなものに閉じ込められていたのか。どういう状態だったのか、ちょっと覚えていないが……

「俺が貴方を取り戻したとき、魂は倍ほども傷ついていた。今までの経験よりも、俺が傷つけた。償いたい。申し訳ないと、思うのならば……愛させてほしい。あなたを、支えたい」

 さまざま想いが去来したが、俺に拒否権はない、と思った。
 こんな方をこれ以上、苦しめられない。俺は彼から与えられるすべてを受け入れる必要がある。制裁でも、愛でも。
 なんだか俺に都合が良すぎる気もするが、彼を騙した罪悪感はこの先ずっと続くだろう。それこそが罰なのかもしれない。



 それから暫く、俺はこの部屋の中で藤の子と共に静かに過ごした。
 皇が日に一度おとずれては、側にいてくださる。何を言うでもなく、何をするでもなく……
 本当にやさしい方だと思うと同時に、一緒にいると罪悪感が胸を締め付けて、以前のように体が熱くなったりすることはなかった。俺は彼を愛していないのだろうか。

 少しだけ不安になって、そっと寄り添ってみた。すると皇は驚いたように此方を見て、そうして柔らかく微笑んだ。あの春の日差しのような笑みだ。

 あ、やっぱりこのひとのことすきだ。

 そう自覚した途端、カーッと顔に血がのぼって。その反応に皇も目を見開いて、俺より白い肌を真っ赤に染めた。カットされた宝石のように輝く瞳がうるうるして……か、かわいい。

「…………」
「………………」
「…………………………」

 もじもじそわそわ、少し詰めた距離から離れることも近づく事も出来ず、お互いに落ち着かない状態が続いた。
 皇は俺に負い目があるらしい。俺にはよく分からないが。そして俺も皇に負い目がある。自分からは、触れられない。

「……るり、は」
 おずおずと切り出したのは、俺より口べたの皇のほうからだった。
「俺たちは、互いに、己が、ゆるせない……」
「そう、ですね」
「だから……その、お互いを罰する、ということで……手打ちに、できないか、と」

 罰? 俺が皇に罰を?
 納得はいかないが、お互いに罪悪感のある現状、落としどころとも言えた。皇の気が済むならば、それが一番かもしれない。
「どんな罰を与えればいいのですか」
「それは、るりは、の……おもう、とおりに」
「なら」
 俺は少し目を逸した。

「抱きしめて、くれませんか」

 隣で皇が動揺する気配がある。
 今に至って浅ましい、とも思うが、皇に酷い罰なんか考えられない。だったら彼に裏切り行為を働いた俺に触れるという罰が、その、一番穏便かな、と……
「それ、は……むしろ褒美、では」
「え?」
「いや! だ……、抱きしめれば、よろしいの、です、ね」
 確認というか念押しされて、俺は彼の顔を見れなかった。至近距離から少し乱れた呼吸と、喉が鳴る音が聞こえる。心拍数が上がってきた。
 もしかして俺は、とんでもないことを言ってしまったのでは……

 そっと、皇の身が傾ぐ。気配が、体温が、近くなって。呼吸の音が聞こえて。俺はぎゅっと目を瞑った。
 皇の長い腕に閉じ込められる。抱き寄せられて、首元に鼻筋が触れた。皇の髪が頬をくすぐる。
「すき、だ。るりは。すき……」
 朴訥に心情を吐露する皇が愛おしくて、涙が溢れた。
 おれも、貴方がすき、だ。

「皇……ヒオウ」
「なにか?」
「俺にも、罰を……とびきりの罰が欲しい」

 彼が非道な罰を与えられる訳がない。憎しみのまま八つ裂きにでもされれば少しは心が晴れるだろう。俺はそうまでのことをしたと。だけど、俺の満足の為に彼にそんなことはさせられない。
 案の定、ヒオウは吐息で笑った。すこし、いたずらっぽいような苦笑で。

「では、口づけがほしい。あなたから……」

 あっ、これは八つ裂きのほうがマシだったかもしれない!!
 実は俺からキスしたことはない、後ろめたかったから。それに恥ずかしかったし。
 言われてゆでダコになった俺をヒオウがますます笑うので、彼の肩口に顔を押し付けた。

 いそがなくていい、とヒオウは言った。
 何時までも待つ。いつまでも側にいたいから、と。

「あの……それはそうとして、です、ね。先にも言ったとおり、俺は主を裏切ってしまったので、主の罰も受けなければならない身で……」

 側を離れたいという意味ではなく、本当にいったん帰らなきゃいけないんだ。流石にあれだけのことを仕出かして報告なしとはいかない。
 大神さまに仕える者たちにも示しがつかないだろう。みんな、おつとめ前に大神さまの元にいるときはよく慕ってくれた。俺は彼らのことも蔑ろにしてしまったんだ。本当にどうかしていた……でも、あの時に戻ったらきっと同じことをするんだろうな。

「そのことなら、言伝が」

 とヒオウが言い出したので俺は目を見開いた。
「え、大神さまが、あなたに?」
「大神さまと仰るのか。あなたの保護者、と名乗る……大きな存在が、悪魔からあなたを救った。あなたを弄んだ悪魔にとても、お怒りで……俺にあなたを頼む、と。それから、終わりたいと思うほどに苦しめたことを、悲しんで。気が済むまでここに、と……そして嫌だと思うなら、つとめには戻らなくていい、と」

 おかしいとは、まあ思っていた。
 消え損なったのに、大神さまからのコンタクトがない。本来なら強制帰還であるべき事態で、だ。あの余計なおせっかい焼きの大神さまが。
 つとめに戻らなくていいだなんて……どうして。

「愛情深い方だと、そう感じた」

 しってる。
 大神さまが俺を愛してくれていたこと、いつも 見てくれていたこと、ちゃんと分かってる。だから現世ですべてを忘れてひどい目に遭っているときも、世も神も呪わずにいられた。
 鼻をすすって泣き出すと、皇はあやすように背を撫でてくれた。
「きになっていたことが、ある」
「……なに、が?」
「悪魔があなたの魂を人形に入れ……道案内を、させ。人形の中にいたときの、あなたは、とても無邪気で、子供のようで、話しぶりも、ちがった。あちらが、本当のるりはなのでは」
 覚えてないから分からないけど、多分そうだと思う。脳内はこんなだし。ヒオウの前ではお上品ぶっていた。自分をよく見せようとしていた。

「ほんとうのあなたを、しりたい。おしえてほしい……」

 いやだって、それは。
 皇も大神さまが創ったこの姿のお上品な俺を好きになってくれたんだろう? その人形とやらの中に入った俺のことは忘れ去る程度の存在だったんだろう?
 それに、花。
 どうしてか頭の中に青く輝く大輪の花がちらつく。あの花のことを思い出すたび、とても苦しい。とても悲しい。
 大神さまに下駄を履かせて貰ったから、マシに見えるだけで。それさえない素の俺に何の価値があるだろう。
 るりは、と皇は囁いた。彼のつけた俺の魂の名。

「あの人形は、巧妙にるりはと分からないよう、細工がしてあった。もし、るりはが、本当の自分をおしえてくれていたら、俺はきっと、あなたを間違わなかった」

 た、たしかに……クセも変えて喋ってる。振る舞いも皇の前では変えている。そんなふうに自分を偽って、分かって貰えなかったと嘆くのはお門違いだ。
 おずおずと皇の胸に手をついて、顔を上げた。きっとまだ顔は涙でぐちゃぐちゃだ。鼻水は……垂れてないと思うが、湿っている。

「あ、呆れられたら、こわいって……」
「あきれない」
「ほ、ほんとの俺は、その……きっと皇が思うよりがさつで、いい加減で、大雑把で」

 皇が笑った。可笑しそうに。
「しっている。初めて貴方をみたとき、袴を抜いで、尻が見えるほど着物がはだけていたから」
 醜態どころの騒ぎじゃなかった。
 叫び出したいのをこらえて再び皇にしがみつく。まさかそこまで酷いとこを見られていたとは。別の意味で消えたくなってきた!

「でも、そんなふうに……無防備に眠るあなたに、恋を、した」

 また喉に嗚咽がこみあげた。
 思えば俺はおつとめの為に様々な人間を演じてきた。最後のなんて普通の性癖の男として生まれながら性同一性障害を演じた。名前はその人生ごとに違った。
 俺が俺でいいなんて言われたこともない。俺自身に名前もなかった。

「俺で、本当に、いい……?」

 つっかえながら尋ねると、皇は「あなたがいい」と囁いて抱きしめてくれた。
 彼がいいと言うなら、応えるべきだろう。

 俺はいつか、おつとめに戻ると思う。
 辛いは辛いが誰かがしなくてはならない役目だ。一人でも多く救われればいい。数多の人と苦しみを分かち合ってきたからこそ思う。
 俺は誇り高い役目を負っていた。

 だけど今は、この魂が正常につとめを果たせるようになるまでは、この腕の中にいたい。
 きっと永遠に忘れられない休暇になるだろう。

この作品は感想を受け付けておりません。

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