神の子のつくりかた

いみじき

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嬉しいって

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 ここは王都なのだが、正式に「王都」と呼ばれているのは西区の貴族街と王城のことで、この東区は多くの平民と市場に店舗、そして裏街が広がる大型都市である。

 この裏街には王侯貴族ですら手出しのしにくい……いや、王侯貴族が「お世話」になっている犯罪組織も少なくない。

 そんな場所で人探しをするとなると、剣聖ゼルバルトの兵団といえど容易いことではなかった。

 まず、大人数で出歩く事はできない。

 少数で探しまわる他ないのだが、それさえすぐに大物犯罪者の耳に入り、あるいは捕らえられる危険があるだろう。

 兵団員は皆、ゼルバルトに並々ならぬ恩がある。

 それこそこの街の出身でくすぶっていた者もおり、いいところ傭兵団に所属するか、犯罪組織の下端で終わるしかない者を、公認兵団に加えてくれた挙句、軍事縮小化の激しい昨今も誰一人見捨てようとはしない。

 だから、彼の望みは何でも叶えたいと思っているのだが、それにしても釈然としなかった。

「ボス。なんで長筒兵なんか救出しなけりゃならないんですかい?」

 ゼルバルトについて闇の裏街をゆくノルオルは、苦々しい思いで訴えた。

 長筒兵に苦しめられたのは、なにもアニムノイズ部隊だけではない。あの火力、あの視界阻害、地雷に長筒、長筒隊はラハト軍にとって恐怖の代名詞であった。

 そもそもゼルバルトが探している長筒兵がよく絡まれるのも、そのあたりの怨恨からくるものと思われる。このあたりのチンピラなど、しょせん戦を知らぬ腑抜けばかりではあるが、長筒隊の噂は子供でも知っている。

「うちの輩もかなり殺されてんですよ。あのとんでもねえ煙幕で視力が落ちた奴もいる。いくらボスの頼みでも、気乗りしませんね」

「………」

 怒気を撒き散らしながら、いかにも喧嘩を売りにきましたと言うふうに長い足で歩くゼルバルトは、不意に立ち止まった。

 そうしてノルオルをまじまじと見つめて、「本気で言ってんのか」と逆に問われる。

「いや、割り切れねえ感情があるのは、俺も分かるさ。お前が個人的にやられた仲間を悼んでそう言ってんなら、俺も何も言わねえよ。

 だがよ、ジプシーなんて人種が、本当に戦争やりたくて戦場にいたと思うか。十三、四のガキまで奴隷のように人狩りで徴兵されて、十年も十五年も戦わされてたのを」

「……妙に肩持ちますね」

「肩を持ってんじゃねえよ。理解した上で言ってんのか、そうじゃねえのか聞いてる。それによってお前の度量が決まるな」

 これは手厳しい。

 理解した上と言えば、それは「ヒステリックな女々しいバカ」であり、理解していないで文句を垂れたとなれば、それは「救いようのないバカ」ということになる。

「俺も正直、長筒隊は怖かったよ。剣届かねーもん。何も見えねえし。

 おまけに言ったろ、あの終戦の時に俺に銃口つきつけた、あいつだって。無茶苦茶つえーんだ、バカみてぇに。

 聞いたら最後らへんは仲間はとんずらこいた後で、暫くあいつ一人で応戦してたらしい。滅茶苦茶だよな。

 可愛がって育てた手下はボロボロ死ぬし、被害は半端じゃねえし、いろんな意味で泣きたかったよ実際。

 だがな、俺たちが長筒隊を引き受けたのは、名声を得るためだった。望んで長筒隊を討ちにいったんだよ。

 わかるか。俺たちは望んで戦場に出て、望んで長筒隊と対峙した。

 あいつらにそんな自由があったか。アニムノイズだろうが怪獣だろうが、あいつらは戦ったろう。そうしなけりゃ味方軍に殺されるからだ。俺たちがやったことは、無理やり戦争に連れて来られた民族の虐殺だったんだ。

 肩がどうのじゃねえ。それが戦争なんだ。望んで戦った俺たちが、戦いたくなかった敵を恨む自由なんかありゃしねえんだよ」















 などと格好つけて言ったゼルバルトだが、いや勿論本音でもあるのだが。

 もし、ユナ・ルーのことでさえなければ、自分で聞いてこれほど白々しくは聞こえなかったろう。

 ゼルバルトは他人の期待に応えようとする傾向がある。

 部下が思う「懐が深くて強い兵団長」でありたいし、人々が思う「強い剣聖」でありたい。

 そして、「やさしいゼル」でいたい、という欲求も。

 本日、雑務に追われながら少しずつ己の感情を整理していたのだが―――

 ユナ・ルーに「好き」と言われて、戸惑ったものの嫌ではない、むしろ嬉しいと思う自分がいた。

 といっても、やはりゼルバルトは同性愛者ではないし、ユナ・ルーを恋愛対象としては見られない。

 恋愛とは関係ないところで、ユナ・ルーは放っておけない奴で、ごくふつうの意味での好意を寄せていた。

 ユナ・ルーが「返事をくれ」だの、「こんなに愛しているのに」だのと言い出さないからだろう。

 あの言葉少なで見返りを求めぬユナ・ルーの「あなたが好き」と「ゼルはやさしい」という台詞は、けっこうな威力がある。

 媚びずに男を発奮させるのが上手い女というのがいるが、あれもその類だ。

 なまじ嘘をつけぬのがはっきりしているから、余計に、こう……

「……ボスは、判官贔屓なところがありまさあね」

 沈黙の後、言葉を選んだようにノルオルが言う。

「俺たちも可哀想な境遇だったから、拾ったんでしょ?」

「否定はできねえな。なんたって、俺自身が苦労したからよ。放っておけねえと思うのも人の縁じゃねえか」

「だけど、不幸な奴ってのは世の中たくさんいるんすよ」

 おっしゃる通りで。

「兵団員だけじゃなく、敵対してて手こずったジプシー長筒兵ですよ。そりゃ不幸な境遇でしたでしょうよ、あの外見じゃどんな扱い受けてたかも想像に硬くありませんや。

 あんたが優しくあれるのは、あんたが強いからだ。俺たちはあんたのそういうところに惚れている。

 だからこそ心配なんだ。可哀想なもんに心を砕いて、本当に砕け散っちまうんじゃねえかって。

 不幸な奴ってのは、不幸を撒き散らすんだ。本人がどんなにいいやつでも、ぽろっと身の上のことを零せば聞いたほうに負荷がかかる。

 そりゃ可哀想だけどもよ、いちいちそんな奴らの話を聞いてたら、誰も身が持たねえんだよ、ボス」

「あー」

 思い当たる節がありすぎる。

 常識では考えられないことでも、ユナ・ルーには何でもない事だから、当たり前のように語る。

 父と父の連れてくる男たちに暴行を受けていた幼少期。

 抵抗した末路。抵抗しない理由。

 ユナ・ルーが、明らかに正常者とは違うものに育ってしまった、その過程。

 ユナ・ルーは人の世で起きうる凡その不幸を背負っている。今後も一体、何が飛び出すやら知れたものではない。

「たださ……あいつは別に話そうと思って話したんじゃねえんだよな。俺が問い詰めて、答えるうちに出てきちまうだけで。

 尋ねさえしなけりゃ、まあ変な奴だけど普通に付き合えるよ。てか、アニムノイズに対抗する手段だから。得もねえのに流石に付き合ってねえって」

「まあ、お互い、いい年の大人ですから。あんまり干渉せず、契約だけ遂行してくだせえ」

「ありがとうよ。で、これが契約の内容なんだ。あいつが俺をアニムノイズから守る代わりに、俺があいつを変態から守る。だから探してくれ。秘宝の為とはいえ、バカなアニムノイズどもの相手はほとほと疲れてんだ」

 それも嘘偽りのない本心である。

 ノルオルが呆れ混じりに口を開きかけた、その声は爆音にかき消された。

「ボス!」

 言われずとも。

 ゼルバルトは爆発のあった方角へ駈け出した。



















 ユナ・ルーは酒場の裏手に滑りこむと、横手にある窓からそっと中を覗う。

 自分をここに連れてきた三名の男、そしてかわるがわる輪姦した者が四名、カウンターに店主が一名。店員は他になし。

 彼らは笑い合いながら、ユナ・ルーから奪った戦利品で盛り上がっているようだ。

 足元に転がる酒瓶を拾い、裏口の扉に手をかける―――開いている。

 照明のない倉庫の中に身を潜め、武器になるようなものはないか、改める。

 中にいる者を殲滅するには、火炎瓶と粉塵爆発が手っ取り早いのだが、ユナ・ルーの装備のほとんどが爆薬ゆえにそれは使えない。

 グリル用の串の束を発見した。これで何とかなりそうだ。

 カウンター内部との通路には扉がない。

 息を詰めて忍び寄り―――店主の足を掴んで引きずり落とし、彼が驚愕で声を上げる前に、その喉首へ鉄串を突き刺した。

「なんだ!?」

 驚いてカウンターを覗いたスキンヘッドの男へ鉄串を投げた。うまく眼窩を貫き、よろめいて前のめりに倒れる。

 長筒隊は射撃と共に、投擲の腕がものをいう。どちらかと言えば、射撃より投擲のほうが頻度が高い。こうした武器を扱う訓練も多かったので、お手のものだ。

 しかし、何かがカウンター内に放物線を描いて投げ込まれた。

 それは倉庫のほうへ転がってゆき、ユナ・ルーはカウンター内の壁へ隠れる。

 ドンと小規模な爆発の後、瓶やら何やらが弾ける音と、燃える音がする。

 火薬の種類もよくわからないで投げたようだが、殺傷力の低いものでよかった。

「待て、安易に攻撃すんな!」

 とはユナ・ルーを連れてきたアッシュの男。

「全員落ち着け。ここに敵はいねえ、誰にとっても敵はいねえ、そうだろ」

 仲間を不意打ちで殺されて殺意が沸かぬ者はいない。

 ユナ・ルーは注意深く立ち上がった。頭を上げた途端、逆に投擲されることも危惧したが、その様子はない。

 アッシュの男は「下がってな」と余裕のない笑みで仲間を制す。

「どうしたの、お人形ちゃん。さっきはあんなにおとなしかったのに」

「装備を返せ」

 アッシュの男は舌打ちした。

 下手を打ったと気づいたのだろう。ユナ・ルーは彼の言うとおり、人の言うことに逆らえない人形だが、「敵」に対しては話が別だ。敵は人間ではない。軍で繰り返しそう教えられて、身に染み付いている。

「銃ね。ちょっと借りてただけさ。ここに置く。取りにおいで……俺は何もしないから」

 手近なテーブルに長筒と火薬を起き、男は手を後ろに組んだ。

 ユナ・ルーは警戒しつつも長筒と火薬をとり、ほっと息をつく。

 何について安堵したのか、自分でも分からない。それらがなくとも敵は殲滅できたし、逆にそれらを取り返したからといって、後はもういいという気分になる己も、不思議といえば不思議だった。

「気は済んだ?」

 にこにこするアッシュの男を見上げ、ただ、口を閉ざす。

 彼は冷や汗しながらも、おいで、とユナ・ルーに手を伸ばす。

 それを眺めていると腕を掴まれて引きこまれた。

「さて、どうしてくれようかなあ。犯り殺してくれようかなあ。ヤクで二度と覺めない夢の中にご招待しようかなあ。それともこのまま、何処かに売り飛ばそうかなあ」

「寝言は寝て言え」

 ユナ・ルーを抱いたアッシュの男の頭部が、綺麗に飛んで床に落ちる。

 噴水みたいに吹き上がった血がユナ・ルーの頭上から降りかかり、首なしのアッシュは無様に倒れた。

「あ、いけね。やっちまった」

「やっちまったじゃないでしょう、ボス!」

 いつの間にかアッシュの仲間は逃げていて、アッシュの背後で血の雨を避けているゼルバルトと、ずんぐりした小男が現れる。

「ユナ・ルー。何してんだ」

「ゼル」

 死体を回避して歩み寄ってくるゼルバルトの怒りの形相に、ユナ・ルーは目を伏せた。

「ていこう……」

「あ?」

「ていこう、しようと思った。ゼルが怒るから。でも、やり方を思い出せなかった。体が動かなくて」

 動かなくて。

 どうして足が竦むのか、怖くもないのに、ユナ・ルーのほうがずっと強いのに、もう殴られるのを恐れる子供でもないのに、逃げられなくて。

 ゼルの逆立っていた眉が下がり、ばか、と囁いた。

 その声はとても優しかった。

「帰るぞ、ユナ・ルー。お前、服は?」

「破られて、なくなった」

「その下は裸か。明日は服買いにいかねえとな……ノルオル、他の連中回収して撤退してくれ。後日、礼に酒おごるからよ」

 ノルオルという小男は、泣きたいのか怒りたいのか、けれども口元は笑っているという妙な表情で、

「ああ、こりゃボスが一番弱いタイプだぁ」

 ユナ・ルーを見、誰にともなく呟いた。



















 帰りすがら説明を求められて、ぽつぽつと出来事を語った。

 薬草品店を出て割りとすぐにアッシュの男に捕まったこと。

 ゼルバルトのこれ? と言われたこと。

 ゼルバルトの連れだから殴りたいと言われたこと、殴られはしなかったが輪姦されたこと。

「……俺のせいだったのか」

「ゼルのせいじゃない」

 沈むゼルバルトに、ユナ・ルーはすぐ否定した。

「そんなことがなくとも、ああいう目にはよく遭う」

「洒落になってねえだろ」

 別に洒落で言った訳でもない。

「装備をとられるのは初めてだった。驚いた」

「普通は取られるもんなんだよ。今までが運が良かったんだ。ま、金目のもん持ってねえから、今までは見逃されてたのかもな。お前が持ってんのは基本的に危険物だし、薬品は素人にゃ何だか分からねえしな」

「それに、ゼルが来て驚いた。誰かが助けに来たことも初めてだ」

 泣いても叫んでも助けを呼んでも、テレビで見たヒーローは現れなかった。いつもいつだって。

「ゼルは凄いな」

 前をゆくゼルバルトは、なぜか絞りだすような溜息をついている。疲れているのだろうか。帰ったら、疲労回復の薬香を……と思ったが、薬香のほうはあまり取り返せなかった。

 すっかり闇の中の宿に着き、ユナ・ルーは足を止めた。

「ゼル。俺が入ったら、汚してしまう」

「あ? ……ああ。桶に水でいい? てか今気づいたけど、お前裸足だったのかよ。足ケガしてねえの」

 石畳は足裏に食い込むようだったので、少しは怪我をしているかもしれない。

 ゼルが汲んできてくれたバケツの側で織物を脱ぎ、裸体になって水を少しずつ被る。

 咳払いして目を背けるゼルバルト、しかしふと此方を向いた。

「暗くてよく見えねえけど、お前傷多いなあ」

 言われて自分の体を見下ろす。

 だが、ゼルバルトから見えているのは腹ではなく背中のほうだろう。

「背中のものは、脱走の罰で打たれた鞭の後。確か百回」

「え、お前脱走したの」

「してない。ラハト軍に捕虜で捕まったとき、拷問を受けて、逃げたが傷が癒えるまで自分の足で軍に帰れなかった。そのとき、脱走とされて罰を受けた」

「壮絶だよねお前の人生。ほんと」

「これは松明を押し付けられたのと、治ってるが爪は全部剥がされたし、あと舌に針」

「いや事細かに言わなくていい!」

 ゼルバルトも負傷など日常茶飯事だろうに、耳を塞いでしゃがんでしまう。

 とはいえ昔からユナ・ルーは傷の治りが早く、一昨年に受けた拷問の痕もそれほど残っていない。やけど痕も多少引き痙れてはいるが、新しい皮膚が覆って、てかてかしている。

「よくさ。お前を強姦するやつって、お前の体見て抱こうって思うよね。俺だったら萎えるよ」

「汚いからか?」

「いや、そんな体の女見たら俺は泣く」

 そりゃあ、女性なら致命傷だろう。こんな体の傷は。

 けれど、相手の傷を思って泣けるのか。

「ゼルは優しいな」

 ユナ・ルーはもう涙も出ない。生理的な涙も、殆ど。自分のためにも誰かの為にも泣けはしない。

「………」

 しゃがんで頭を抱えていたゼルは、自分の丈の長い上着を脱ぐと、

「これ着とけ。風邪引くだろ」

 少し重たい上着は、濡れた素肌にはちょうど良く、そしてゼルバルトの体温を伝えてくる。

「ゼルの匂いがする」

「変態みたいなこと言うなよ」

「?」

「まあ、うん」

 ぽんと背を叩かれ、宿に入るよう促された。

 二階の部屋に上がってベッドに飛び込んだゼルバルトは、そのままうつぶせで動かない。

 ユナ・ルーは上着をするっと落とし、枕元に置いた軟膏の容器を手に取った。

「……もう今日は質問したくねえんだけど、あの何してるんですかマッパで」

「薬、塗らないと。膿むから」

「あ。ああ、そうね」

 足の間に手を伸ばす仕草に、ゼルバルトは慌てて目を逸らす。

 その晩、ユナ・ルーは眠れなかった。

 傷が痛んだからではなく、ゼルバルトが助けに来てくれたということが、頭の中をぐるぐる回って、とても寝付けなかったのだ。

(嬉しいって、こういう感じだったかな……)

 脳が興奮状態にあるようだが。

 それに、胸が、痛い。

「……?」

 痛い。

 自覚するときゅうっとした痛みが走る。内蔵が少し弱っているのだろうか?



 ベッドに立てかけられた剣尻に嵌る宝石が、ピシリと音を立てた。
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