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21話
しおりを挟む残された静けさの中で、私は考えていた。
今回の騒動が起きたのは、私の甘さだ。
公爵令嬢という肩書を持ちながら、私は何も選ばず、何も動かなかった。
父―――公爵の意向に従うだけの、操り人形。
私は、自分の身を守るために「侍女」という立場を選んだ。
目立たず、誰からも恨まれずに、静かに生きていける場所だと思っていた。
けれど、侍女は守られる存在ではない。
使われ、疑われ、切り捨てられる存在だ。
本来ならば―――守る側ですらない。
それでも私は、ルミナに守られてばかりいた。
だからこそ、彼女は狙われた。
私が守られる侍女でいる限り、同じことは、きっと何度でも起きる。
…ならば。
私が、公爵令嬢の立場に戻ればいい。
守るために、嫌われることを選ぶ。
正しさよりも、立場を使う。
「……私が〈悪魔の子〉と呼ばれるのなら」
そう呟き、私は扉へと向かった。
「その役目、引き受けましょう」
ルミナが光の中で生き続けるためなら、私は闇に堕ちて構わない。
―――それが、私の選択だ。
そうして私は決意を胸に、ある場所へと足を向けた。
――――――
公爵の執務室の前で、私は一度だけ足を止めた。
深く息を吸い、背筋を伸ばす。
もう、逃げない。
ノックの音が室内に響く。
「入れ」
低い声に応え、私は扉を開けた。
執務机の向こうに座る公爵は、書類から視線を上げると、私を一瞥しただけで再び目を落とした。
「…ここには来るなと言っているはずだ」
公爵の声は低く、感情を排したものだった。
私は一歩、前へ出る。
「サビーナ様からお聞きになっているはずです。あの事件に、私は無関係だと」
公爵の視線が、わずかに動いた。
「隔離されたのは、形式上の措置でしょう?証拠が出るまで、という理由で」
私は視線を逸らさない。
「ですので私は公爵様に、お願いがあり、こちらへ参りました」
言い切ってから、私は一歩も退かない。
公爵もまた、視線を逸らさなかった。
「……お願い、か」
低く呟くその声に、感情は乗らない。
「ええ」
私は静かに、けれどはっきりと告げる。
「公爵様。―――取引をいたしましょう」
公爵は、すぐには返事をしなかった。
一拍、二拍。
その沈黙の間に、私を値踏みするような視線が走る。
「……条件を聞こう」
ようやく落ちた声は、低く、感情がない。
「何を望み、何を差し出すつもりだ」
取引だと認めたわけではない。
ただ、話す価値があるかを見極めようとしているだけ。
私は、その視線から逃げずに答えた。
「私を、正式に公爵令嬢の立場へ戻してください」
一瞬、空気が張り詰める。
「名だけではありません。公の場に立つ権利、発言権、そして―――裁量を」
私は言葉を選びながらも、退かなかった。
「代わりに、私を汚れ役にしてください」
公爵の手が、机の上で止まった。
「…どういうことだ」
「簡単なことです」
私は静かに告げた。
「例えば、今回の騒動で"公爵令嬢"である私が問題を起こした、と公にすれば――外からは、身内を切ったようにも映るでしょう」
「それが何だ」
「聖女である彼女は、より一層"清らかな存在"として称えられます」
公爵は、しばらく黙っていた。
視線を外さず、私を値踏みするように。
「……で」
低く、重たい声。
「それで、私にどんな利益がある」
問いではない。条件提示を求める声だった。
私は、息を吸う。
「三つ、あります」
指を立てることはしない。
数を示すだけで十分だった。
「一つ。汚点はすべて私が引き受けます。その分、"聖女ルミナ"の純度が上がる。…教会にも王家にも、疑いの余地を残さない。結果として、彼女は"選ばれる側"になるでしょう」
公爵の眉が、わずかに動いた。
「二つ。今回の毒事件ですが―――侍女が独断で動いた、という形ではなく」
私は、言葉を区切る。
「立場を奪われた私が、侍女に命じた。そう公にすれば、処罰されたのは"侍女"ではなく"公爵令嬢"になります。身内であろうと切る。その姿勢を、内にも外にも示せます」
視線を逸らさない。
「最後に三つ。私に公爵様の"仕事"を任せていただきたいです」
「なんだと…!」
公爵が机を拳で叩く。
乾いた音が、部屋に響いた。
「失礼しました。言葉が足りませんでしたね」
一拍置いて、私は続ける。
「…表に出せない方の、仕事です」
公爵の動きが、止まった。
「今まで私に写させていた帳簿。あれが"二種類"ある理由も」
「―――それ以上、言うな」
低い声が、空気を切る。
しかし私は、退かなかった。
「領地に出向いた時、耳にしました」
――最近また税が上がった。
――食事の量を減らしている家が増えた。
「帳簿と、民の声が合わなかった」
だから、調べた。それだけのことだ。
「…知っている、ということか」
「ええ。だからこそ私ならもっと、上手くできます」
公爵の声に、怒りはもうなかった。
「…それを、黙っている保証はあるのか」
公爵の視線が、私を射抜いた。試すような、冷たい目。
私は、わずかに口角を上げた。
「あります」
そう言って、私は一歩前に出る。
「私を―――公爵令嬢として、正式にお戻しください」
一拍、置いてから続ける。
「そうしていただければ、私は言いません」
公爵は、しばらく黙って私を見ていた。
怒りでも困惑でもない―――値踏みする目。
「…一つだけ確認させろ」
低く、抑えた声だった。
「お前は、いつまで味方でいられる?」
試すような、冷たい目。
感情を測るというより、価値を量る視線だった。
「状況が変わっても、立場が逆転してもだ。お前自身が切り捨てられる側になっても―――それでも、こちらに立つと言えるか」
沈黙が落ちる。
この問いは、脅しでも忠告でもない。ただの確認だ。
"使えるかどうか"を見極めるための。
私は、視線を逸らさなかった。
「……公爵令嬢という立場でいる限り」
私は一度だけ息を吸い、言葉を続けた。
「私は公爵家に不利益となる行動は一切いたしません。世間から"悪女"と呼ばれようと、"失敗作"と切り捨てられようと―――
私は喜んで、泥を被ります」
そして、視線をまっすぐに向ける。
「ですから公爵様。私を使うか、黙らせるか……お選びください」
公爵は、しばらく私を見つめていた。
怒りでも、迷いでもない。ただ値踏みする視線。
やがて、ゆっくりと椅子にもたれかかる。
「…いいだろう」
その一言で、空気が変わった。
「ネメシア・ルーインハイト。本日付をもって、お前を正式に公爵令嬢として復帰させる」
淡々とした声。
けれど、それは撤回されることのない宣告だった。
「名のみではない。公の席への出席、発言権、社交への参加。すべて、公爵家の娘として扱われる」
私は、ただ黙って聞いていた。
「―――ただし」
公爵の声が、わずかに低くなる。
「お前は、表に立つ"清廉な娘"ではない。必要とあらば、嫌われ役を引き受ける存在だ」
その言葉に、私は一歩前に出た。
「承知しております」
即答だった。
公爵は、ほんの一瞬だけ口角を上げる。
「では、決まりだ」
机の引き出しから、一枚の書類が取り出される。
封蝋には、公爵家の紋章。
「これより、お前は―――侍女ネメシアではない。公爵令嬢ネメシアだ」
私は、静かに膝を折る。
「―――お受けいたします」
顔を上げたとき、もう迷いはなかった。
―――今度は私が、守る番よ。
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