幕末女装パルクール

牧村燈

文字の大きさ
上 下
7 / 10

宗家登場

しおりを挟む
 ネオパルクールの訓練がスタートして、僕たちの訓練場は体育館では無くなった。今や日常的に公園を練習場にしている僕にとっては、それほどの違和感はなかったが、いつも体育館が練習場所だったきらりちゃんには、公園や空き地ばかりか、階段や廃工場までが練習場になることに順応するまでかなり時間を要したみたいだ。

「あああ、やっぱりわたし大会出るのやめようかな」

 という弱音を何度も聞いた。その理由のもうひとつには、ネオパルのトレーニングになって、明らかに僕の方が習得が早くなったというのもあるだろう。元々新体操をしていて、ずっと僕を教える立場だったきらりちゃんとしては、わずか半年でその立場が逆転してしまうとは思わなかったに違いない。というか、それは僕からみても同じこと。何故かネオパルクールの技はパルクールの技以上に身体にしっくりくるのだった。

「うそ。普通この技のマスターには早くても一年は掛かるのに」

 僕が高所から降りる時にその衝撃を限りなくゼロに打ち消すネオパルの奥義スルーダイブを教わって、その二週後に成功してみせた時には、リカ先生もかなり驚いたようだった。まあ、一度成功するのと実戦で使えるようにマスターするのでは全然違うのだが、僕はその後このスルーダイブを一度も失敗したことがない。

 このスルーダイブもそうだが、垂直以上の壁を登る時に使うゼロサムも、水面を走る技術レイニーステップも、いずれもかつて幕末に存在した忍者が使った忍術を基礎に応用発展させた技術なのだそうだ。つまりネオパルは日本で育ったパルクールの亜流なのだろう。その割にどうして技の名前が横文字なのかが不明だったが、その謎はすぐに解けた。

 僕たちがネオパルを習い始めて3ヶ月が過ぎたある日、リカ先生から、

「今日からコーチが変わります。私もみんなと一緒に訓練生として教えてもらう方に回るのでよろしくね。でも、遅いなあ先生。もう来ると思うんだけど」

 ええっ、初耳の僕ときらりちゃんが驚いていると、公園の入口から自転車で入ってきた奇妙な風体のオジサンがこちらに向かって手を振っているのが見えた。赤いジャージにブルーのライン。その青にラメが入っているらしく、太陽を反射してキラキラしている。黄色い縁の星型のサングラス。そして髪の毛は、ない。

「いやあ待たせたね、エブリボディー」

 ええっ、まさかこれが?

「先生、なんでその格好なんですか。外なんだからちゃんとしてきてくださいと言ったじゃないですか」

 リカ先生は、アメリカかぶれの異常者に向かって叱り口調でそう言った。

「せ、せんせい?」

 またまた驚いた僕ときらりちゃんの声がハモる。

「リカくん、相変わらずハードだね。今や時代はグローバルスタンダード、フォーミッションコンプリートだよ」

「もう、訳のわかんないこと言うのはやめてください。はぁーーっ。やっぱり先生を呼ぶのはやめた方が良かったかな」

 肩を落とすリカ先生。しかし自転車を降りたアメリカかぶれの先生はそれにはお構いなしに満面の笑みで挨拶を始める。

「私の名前は、ジョージヤマダJr.、ネオパルクールを世界に伝えるメッセンジャーね。今日からこのリカくんに頼まれてユーたちにネオパルを教えることになりました」

「ジョージはネオパルの開祖から数えて四代目の宗家なの。外見はこんなだけど、実力は宗家四代の中でも随一と言われているわ」

「人は見かけによらないっていうものね」

 と、きらりちゃん。それ今言うのはまずいよと思いつつ、実はこれもまたハモリそうになっていたのは事実だった。

 ネオパルクールが生まれて100年になる。初代宗家山田慈行ジアンは忍者の隠れ里に生まれたが、好奇心の塊のような人物であった。当時出回りはじめた舶来ものを求めて港町に移り住み、そこでパルクールと出会う。元より忍術の心得のあった慈行は、戦場における逃走技術だったパルクールを、少人数の戦闘においては一部逆襲的な攻撃技も加えた武術に進化させた。

 戦争が人と人の白兵戦から戦艦や戦闘機の時代に移り変わっていく中ではあったが、それでも兵士が相対して戦闘を行う場面が消えることはなく、その場面において、自然物を使ってまるでアクロバットのように縦横無尽に駆け回るネオパルクールのスピードと奇想天外な攻撃力は、当時最強の称号を得る格闘技として評価された。

 一時は道場も栄えたが、宗家が舶来ものに感化され過ぎていた為に、日本が国際社会から孤立していく中で表舞台からは消え、地に潜った。それから四代目の宗家ジョージがパルクールを流行を契機に、その一派を装いながら再びネオパルクールの組織を蘇らせたのだが、それはたった20年ほど前の話だという。
しおりを挟む

処理中です...