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ティッシュを拾う

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 昔は散々悪さもした。喧嘩に明け暮れていた。でも俺は心を入れ替えようと固く決心したのだ。その理由は、駅で出会った、一目ぼれした女だ。激マブの女に俺はホの字になっちまったのさ。そしてその時、聞いてしまったのさ。その一言を俺の人生を運命を変える一言を。
「悪い人嫌い。ポイ捨てする人とかも大っ嫌い」
 俺の心にショックの稲妻が走ったね。こんなにショックだったことは未だかつてない。なぜならばそれは俺の日常。空気を吸うのとほぼ同じで俺が当たり前に行っていたことだからだ。タバコのポイ捨て、唾の吐き捨て。不法投棄。それは俺にとって毎日歯磨きをするのと一緒だったんだ。だが、今までの習慣を簡単に変えることは出来ないことぐらい悪の俺だって承知している。それならば無理に相手に会わせる必要なんてない。俺に、自然体の俺に合った人がどこかにいるはずだ。そう葛藤もしたりした。しかしダメなんだ。あのマブ女が頭から離れない。告白して振られるのは別に構わない。怖いわけではない。しかしまずあの女に見合った男になろうと、そう思ったのだ。名前も何をしているのかすら分からないあの女。しかし猶予はあまりないだろう。会う機会は月に一度ぐらいの頻度だからだ。月に一度駅で見かける程度なのだ。だからいついなくなるかもわからない。だからその前に俺はあの女に見合った男になるんだ。そう決めたのだ。
 そして俺は決意新たに鼻をかみ、それを無意識の内に地面へとポイ捨てした。
「あっ」
 思考が走馬灯のようにゆっくりと流れる。
 おいおい、今しがた一秒前に誓った決意を破るつもりか?
 俺は急いで喧嘩仕込みで鍛えた僧帽筋から繰り出される高速パンチを繰り出した。そして手を開き、ティッシュを掴もうとした。
 刹那、何者かがそのティッシュを奪い去った。憎悪の視線をそいつへと向ける。そいつはカラスだった。
 カラスは光物を集める習性があるとかないとか聞いたことがあるけど、なぜ俺のティッシュを?もしやあのティッシュが予想以上に鼻水を吸い込んで、太陽の光で反射して光物となっていたのか?それをカラスがどこかの、例えば高層ビルの上や電柱の電線などから、狙っていて俺がポイ捨てした瞬間をチャンスと思って掴んだのか?だがこっちにだって意地はある。例え捨てたとしてもそれは元々捨てる予定のなかったティッシュだ。そのティッシュには俺の人生の今後の運命が濃縮されて詰まっているのだ。ここで諦める訳にはいかない。
「このカラス野郎。俺のティッシュを返しやがれ!」
 俺は、西の方向へ、カーカー、アホーアホーと鳴きながら飛んで行くカラスをダッシュで追いかけた。
「よーし。ようやく追いついたぜ」
 カラスが巣に俺のティッシュを置いたのを確認した俺はそこからティッシュを抜き取ろうとする。しかしその瞬間上空からそれに気づいたカラスの糞攻撃に遭った。具体的には俺の頭、肩、手、そしてティッシュにもカラスの糞が落ちた。直後カラスが上空から鷹よろしく、急降下してきて、攻撃を仕掛けて来た。俺はカウンターパンチで反撃を繰り出そうとしたが、「悪い人嫌い」というあのマブ女の声が頭の中に響いて、カウンターパンチを寸止めした。もしパンチを繰り出したのならそれは動物虐待とかいうやつになるかもしれないと思ったからだ。だが、そうこうしている内に、肝心のティッシュは何と、一陣の風によって巣から、ふわっと舞い、風に乗ってタンポポの綿毛みたいに飛んで行っているではないか。タンポポの綿毛は風情があるが、ティッシュの綿毛(と呼んでいいものかはなはだ疑問だが)は風情どころか、視覚的に不快感を与える害でしかないだろう。
「おいおい、待てよ。俺のティッシュよ!」
 何だか二度目のこの展開に今後更なる試練が俺に待ち受けようとしているのではないかという、悪い予感が的中しなければいいのだが。と思ったりした。
 そしてその飛ばされたティッシュが向かう先を俺は見据えて、俺の背筋が凍った。なぜならばその先は……。
「か、川じゃねえかよ。おいおい。もし川に落ちたらティッシュがバラバラに分解してしまうぞ」
 それはまずい。そうなれば完全にポイ捨てが成立してしまう。そしてそれをもう元に戻すことは出来ない。覆水盆に戻らず。ティッシュ一枚に戻らず、だ。くそが。何で更生しようと決意したその日にこんな不運に巻き込まれちまうんだろうな。幸いなことにまだティッシュは宙に浮いている。この時ばかりは風に感謝した。しかし、いつ風がやむとも限らないし、そうなれば、ポチャン。いやティッシュだからファサなのか?そればかりはティッシュを川に落としたことがないから分からないけれど、しかし願わくばこの吹いている風がたゆまなく吹き続け、川の向こう岸まであいつ、テッシュを運んで、キャリーウインドー(運ぶ風、今俺が名づけた必殺技の名前だ)してくれることを願わんことを。しかしことはやはりそう上手くは運びそうになかった。なぜならば風がやんだからだ。そしてその風に、パラグライダーティッシュしていたティッシュは地球に住んでいる以上誰もが、誰しもが支配される重力とかいう奴に、当然のごとく晒され、無情にも川へと向かってゆっくりとではあるが、しかし確実に降下して行ったのだった。
「待っていろよ、ティッシュ!そして負けるなティッシュ!今行くからな!」
 俺は川へ向かってダイブした。
「良かった。本当に良かった」
 ティッシュが掴めたわけではない。このままでは完全に川に落ちる所だった。しかしその寸前で小さなエンジン付き小型ボートの上に乗ったのだった。何とか首の皮一枚繋がった。もし、あのボートが偶然通りかからなかったら、ティッシュを川の分解の運命から救うことは出来なかっただろう。俺があのティッシュに追いつくには、重力はあまりにも無常かつ、無慈悲すぎた。それほどまでに俺のクロールは遅かったし、重力の前では、地球という、支配された空間の中では、俺には力がなさ過ぎた。しかし、俺には運があった。悪運とも呼べるのかもしれないが、運は運だ。その運のおかげでこうして、苦しみながらだが何とかぎりぎり耐え忍んでいる。そして、必ずこの逆境を乗り越え、俺の手から離れてしまった、離してしまった、我がティッシュを再びこの手の中、手中に収めることを誓いながら、俺はずぶぬれの体で岸に上がり、ティッシュに向けて、狙いを定めた。弓道で的の中心を必ず仕留めるような、確実な、しかし強烈で野性的で、更に冷静な心境で。
 ティッシュはボートの上に乗り、遠くへと進んでいる。だが道は川に沿ってまっすぐ一本道だ。今見失ってもたどり着くことは出来るだろう。しかしいつ何時、あの悪魔の風によって、川に再び戻されようとせんとも限らない。だから、一刻の猶予も俺にはない。俺は岸から上がると、そのボートの進む方角へと一直線へと川沿いの道を走り出した。
「はあ、はあっ。だめだ。全然追いつかない。くそが」
 今までの不摂生をこれほど憎んだ時は、今が初めてだ。
 たばこの吸い過ぎによる、肺機能の低下。そして運動不足。喧嘩はしてきたが、それは運動は運動なのだが、短期で決める短期集中型、更に喧嘩は肉体だけでなく、感やその場にしかない、環境状況の臨機応変さが問われたりするので、この単純に追いかけるだけの体力勝負では俺にその利点は期待できない。どうすれば。どうすればティッシュに追いつく。その時、目に付いたのは正に渡りに舟。いや渡りに自転車だった。
「おい、おい!その自転車貸してくれ」
「嫌だ。これ僕のだ」
「頼む、頼むから。一生のお願いだ」
 俺はここで自転車を借りることに一生のお願いを使用した。
「いやだ。この自転車高かったんだぞ」
「頼む」
「嫌だ」
 高校生と思われる男とのやりとり、しかしこうしている間にもティッシュはボートによってキャリーされてしまう。
「キャリーボート(ボートによって運ばれる)されてしまうんだ」
「そんなに言うなら、買ってよね」
「おお、その手があったか。これなら良いか?」
 俺はパチンコで儲けた金、今月の生活費にしようとしていたなけなしの7万円を高校生らしき男に手渡した。
「えっ、マジ?本当にこんなに金くれるの?この自転車一万円だったんだけど」
「いいから。これで良いのか悪いのか早く決めてくれ。俺には……俺には時間がねーんだよ」
「わ、分かった。この自転車七万円で売るよ。ラッキー。でもこの金、偽札じゃねえよな」
「んなわけ……ねーだろ!」
 俺は言い終わる前に、その自転車を高校生らしき男から奪うように取り、そして自転車ママチャリにまたがった。
「うぉおおおおお!」
 俺は叫び声を上げながら、ペダルを猛烈な勢いで競輪選手よろしく自身のこれ以上は不可能だろうというぐらいに、回転数を上げ、風を裂いた。
 そして、ようやく、ようやくボートが停車した。そしてティッシュはまだボートに乗っているのが確認できた。あれは見間違いようのない、俺のティッシュだ。他の誰のでもない、ピカピカの、今はカピカピのまごう事なき俺の大切なティッシュだ。
「迎えに来たぜ。俺のティッシュよ」
 俺はボートに乗ったティッシュを回収しようとする。とその時。
「何、わしさのボートに勝手に乗ろうとしとんね」
「い、いや。俺はあのティッシュを回収しようとしただけで。その為に街から俺は追いかけて来たんだ」
「何、わけの分からんことをぬかしとんねん。誰がティッシュを回収する為に街からここまで追いかけんねん。嘘をつくのもたいがいにしい。それにあんた身体びしょ濡ればい。なんだか不審な男ばいね。警察に通報してもよかけんね」
「や、やめろ。い、いややめてくれ。俺はただティッシュを回収したい。ただそれだけなんだ。それだけの事なんだ」
 とそんな悶着をしている間に……。
「あっ!くそ、くそがっ。てめえのせいでまたしても俺様のティッシュが風にデビルズウインドー(悪魔の風)に飲まれてしまったじゃないか!」
 俺はこの目の前にいるボートの持ち主を殴りたい衝動に駆られたがそれは何とか耐えた。ここで殴ってしまえば今までの全てが無になる。それによくよく考えればこの目の前の男は正しい男なのだ。俺の方が客観的に見ればおかしいのだ。しかし例え客観的に俺がおかしく見られようと、それは別に苦ではない。別に俺は悪いことをしているわけではないのだ。俺は俺の信念、ポリシーを貫き、このティッシュを回収しようと思っているだけなのだ。このティッシュを守れなくて何が男だ。何が告白だ。男ならやると言ったことはやり遂げるんだ。もしだめでも全力でやったことに意味はある。しかし今負けること、失敗することを考えて決断をためらうのはデメリットしかない。何度も言うが俺には。
「時間がねーんだよ!」
 俺は再び悪魔の風に巻き込まれたティッシュに向かって残り最後の力を、火事場の馬鹿力をプラスして加え、あの風に向かって、あの風の旋風に竜巻のように巻き込まれている風に向かってジャンプをして、手を伸ばした。
 そして……。
「掴んだ!!」
「やった。やったぞ。ようやくお前を取り戻す事が出来た」
 俺は言い、そして手のひらに掴んだそのティッシュを確認し、微笑み、そしてその後、俺は固まった。
「ば、馬鹿な。ティ、ティッシュが半分しかない……だと?」
 まさか強引に掴みに行ったことで、ティッシュが裂け、半分しか回収できなかったというのか?
 しかしそれじゃあ、それじゃあ残りの半分はどこかに飛ばされたということ、それはつまりこの俺のミッションは失敗、ポイ捨ては成立。そして俺の今までの行動全てが無になり、決意も告白もおじゃんになり、俺は今までと何一つ変わらず、運命を切り開くことは、変える事は出来なかったということなのか……?
 俺の体から力が抜け、俺はアスファルトに両膝をガクッとついた。その時だった。
「おいおい、お前が欲しいのはこれか?」
 俺はその声に反応し、顔を上げる。そこには俺に声を掛けた男とみられる人物のごつい手が見え、そしてその手には、俺が持っているティッシュの片割れ、まごうことなき俺の、ティッシュがその手には握られていた。
「そ、それは俺のだ。返してくれ」
「嫌だと言ったら?」
 その底意地の悪そうな声にようやく俺は何かがおかしいと思い、その男の顔を見るべく頭を上に向けて視線を上げた。
 そこにいたのは俺がヤンキーだった時に俺と対立していた俺の最強にして最悪のライバル、通称タイガーがいた。
「タイガー、何でお前こんな所に!」
「何でって、さっき街をぶらり途中かつあげの旅していたら、自転車ですごい勢いで駆けていく奴がいて、何だ?と思って見たら、まさかのお前で、後をつけてみたら、何かティッシュを返してほしいとか言っているじゃねえか。お前は純粋な所がある奴だというのは今まで闘ってきた俺にはよく分かる。つまりお前は嘘をついていない。何かしらの事情があってティッシュが必要なんだろ?」
「ああ、そうだ。だからそのティッシュを返してくれ」
「嫌だと言ったら?」
「そこを何とか」
「俺とタイマン張れよ。お前とはしばらく喧嘩やってねえからな。999勝999敗だったっけ?次勝った方が1000勝だったよな。今日それ決めようぜ」
「それは出来ない。俺はもう喧嘩はしないと決めたんだ」
「生言ってんじゃねえよ。そんなに人が簡単に足を洗えるわけがねえだろ。自転車にまたがったら勝手に足が動きバランスとるだろうが。それと同じでお前は俺と向き合ったら自然と喧嘩をする運命なんだよ。体が覚えているんだよ。それを覆すことは天地天明に誓って不可能なんだよ。鯉が滝を昇るぐらい不可能なんだよ」
「俺は喧嘩はしない。殴るなら殴れ。1000勝はお前に譲るよ。不戦勝って奴だ」
「情けねえ。まさかお前がこんなに腑抜けた奴だったとはな。お前とは今後一生関わることはねえだろう。あーあ、つまんねえ。お前を唯一ライバルと思っていた俺が馬鹿らしいわ。ふん。お前が俺と喧嘩をすることを決めるまでしょうがねえから待っといてやるよ。あーあつまんねえ。かつあげ自首して、交番でかつ丼でも食べるか。かつだけに」
 そう言って、俺のかつてのライバルはかつあげを自首しに交番へと向かって行った。そしてそいつの掌から落ちた、ティッシュの片割れを俺は回収した。後にそいつとは格闘技の世界で1000勝をかけて争うことは今の所誰も知らない。
「もうっ、もうお前を離さない!」
 俺は回収したティッシュと先ほどの半分のティッシュを丸め、一つに融合し、俺の任務はようやく終わった。
 そしてその時、目の前にまさかのあの激マブ女が……。これは神が俺に告白をしろと言っているようなものだ。その舞台を演出を調えてくれた。そう俺は思った。今しかない。俺は彼女に告白しようと決めた。その時、彼女が隣にいた友人らしき女にこう言った。
「私、最近ヤンキーっぽい人が好みなんだよね。前は大嫌いだったけどポイ捨てとか喧嘩とかする人、全然嫌じゃなくなった。ただ私に暴力振るう奴は絶対嫌だけどね。男ならちょっとぐらいやんちゃな方がいいかなって」
 ……衝撃だった。ショックもあったがそれよりも彼女への猛烈な熱が急に覚めていく感覚があった。
 だが、仕方がないことなのかもしれない。それが人間というやつなのだ。俺のように善に目覚める奴もいれば、当然のごとく反対の奴もいる、善の道があれば悪の道もあるそれは対になっていて、お互いにリンクし合っているのだ。そして彼女は悪の道とまでは行かないまでも俺とは違う道を辿り始めた。もう俺が彼女に告白する理由はなくなった。しかしこれで良かったのだ。俺には俺の、彼女には彼女の道がある。だが俺は再び悪の道に戻ろうとは思わない。今の俺、この俺自信を俺は大好きになっているからだ。
 そんことを清々しい思いで感じ、考えていたら、どこかの何か手に不思議な感覚があった。そして俺の目の前には小さな小学生ぐらいの少年がいた。
「坊、どうした? 何か悩み事か?」
「ううん。お兄さんが持っているこのティッシュ空に飛ばしたらどこに行くのかなって思って」
 言った少年を見ると、俺の握っているティッシュに風船をくくりつけていた。そして。
「カンチョー!」
 俺に浣腸をしてきた。そしてその拍子に俺の手からティッシュが落ち、そのティッシュは括り付けられた風船によって上空に舞い、そして再び虹のかかる青空へとデビルズウインドー(悪魔の風)によって飛ばされて行った。
「待ってろよ。レインボースカイ(虹の空)の彼方へと飛ばされた俺のティッシュよ。必ずすぐに見つけてやるからな」
 言いながら俺の胸はどこか冒険心と昂揚感で清々しいほど高鳴っていた。
 俺の冒険はまだ終わらない! 
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