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3.妖よろず相談所

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 町屋の特徴は、狭い間口とウナギの寝床と呼ばれる縦に細長い造り。
 外には格子が設置されていて、中からはよく見えるけれど、外からは見えにくくなっている。
 奈良格子、法蓮格子ほうれんごうしと呼ばれ、シカから家を守るために作られたものらしい。同時にシカも守るものだった。

 軒先には大きさの違う赤いサルの飾り物が五体、一本の紐でつながってぶらさがっているのも、奈良ならでは。
 災いを代わりに引き受けてくれるから、身代わりざると呼ばれている。

 夏樹が格子の横手にある引き戸を開けると、芳ばしい匂いが鼻をくすぐった。店主が厨房で団子に火を通している香りだった。
 みたらし団子の注文が入ったんやなあと、夏樹の頭の中にみたらし団子が思い浮かぶ。

「いらっしゃいませ」
 着物姿の西洋人形が振り返る。

「あ、夏樹くん、おかえり」
「ただいま」
 夏樹は鈴のような声をかけてくれる彼女に笑いかけた。

 透き通った青い瞳、つんと尖った高い鼻。ぷっくりとした唇。肩の上でくると内巻きにカールさせた金髪。前髪は眉の上で短く切り揃えている。
 彼女はまるでドールのような可愛らしい顔立ちで、ふわりと柔らかい笑顔を見せる。

 甘味処の看板娘マリーは、明らかに西洋の顔立ちながらも、白地に赤い蝶の着物がよく似合っていた。フリルのついたエプロンが、ドールっぽさに拍車をかけている。

「旨そうやなあ」
 しかし、夏樹はマリーよりも、彼女が持つお盆に目を奪われた。
 桜餅と三色団子と善哉。美味しそうな和菓子に頬が緩む。

「ルイの作る和菓子は、全部美味しいのよね。あとで食べに来て」
「うん。そうする」

「冬樺くんだっけ。あなたも」
 マリーが夏樹の後ろにいる冬樺に目を向けて微笑んだ。

「僕は甘いものは苦手なので」
「ええ? 美味しいのに」
「うそだろ!?」
 マリーと夏樹の声が重なる。

 夏樹は振り返って、断っている冬樺の顔をまじまじと見る。
 表情が変わらないからわりにくいけど、冗談を言ったようには見えなかった。

「こら、マリー。無理強いはいけないよ」
 厨房からみたらし団子の皿をお盆にのせた店主が出てきた。

 マリーとよく似た顔立ちに、精悍さをプラスした彼は、甘味処の職人であり店主のルイ。
 彼は青と白の縦縞の着物で、袖が邪魔にならないようにたすきを掛けている。

「だって」
 マリーがリスのように、ぷくっと頬を膨らませる。
「お客様がお待ちだよ」
「はーい」
 マリーの持つお盆にみたらし団子も追加され、彼女は中庭に面したカウンター席に向かった。

「すみません。妹はあなたとも仲良くなりたいだけなんです」
 ルイが冬樺に対して軽く頭を下げる。

「仲良くと甘いものとの繋がりがわかりません」
「一緒に美味しいものを食べれば、仲良くなれると思っているんです。アレは人が好きなもので」

「そうですか。僕はあまり他者と関わるつもりがないので。失礼します」
 そっけない返しで、冬樺はすっと歩き出した。

 夏樹はルイと視線を交わし、肩をすくめた。
 町屋をリノベーションした甘味処の二階に、よろず相談所の事務所がある。
 店内にある箱階段を上がる冬樺の背に、夏樹は質問をした。

「マジで甘いもん苦手なん?」
「はい」

「大福もケーキもプリンも?」
「はい。食べません」

「旨いのに、人生損してへん?」
「してませんよ。食べると胃がムカムカするので、むしろ食べる方が損します」

「そんな人もおるんやなあ。旨いのになあ」
 お菓子を嫌いな人なんて世の中にはいない、ぐらいに思っていた夏樹には、胃が受けつけないという冬樺が気の毒に思えた。

 階段を上りきり、引き戸を開ける。
 所長の清水啓一郎しみずけいいちろうは、通りに面した窓の側にある事務机で新聞を読んでいた。

「おかえり。守備はどうだった?」
 目線は新聞に向いたまま、声だけがかかる。

「猫違い。模様はよく似てたけど、さくら猫やった」
 ソファーにどさっと腰掛けた夏樹が答えると、所長がぼさぼさの頭を上げた。

 伸びた髪は癖毛なのか寝癖なのか、いまいちわからない跳ね方をしている。
 後頭部で伸びた髪を無造作にゴムで束ねていて、自分のようにさっぱりショートにすればいいのにと夏樹はいつも思ってしまう。
 顎にちょろっと生やした無精髭も中途半端。
 剃ればいいのに、夏樹に「残念なイケメン」と揶揄られても、所長は不機嫌になったことがない。
 見た目通り、飄々とした人物だった。

「地域猫か。マイクロチップが入っていても、GPS機能はついてないから。何か手を考えないとねえ」
「シロさんに手伝ってもらうってどうですか」

「彼女は子育て中で、今は大変な時だから」
「そっか、だめか」
 良い案を思いついたと思ったけど、即却下された。子どもが生まれたばかりの家庭を巻き込んではだめだ。

 仔猫かあ。何匹生まれたんやろう。
 癒やされるやろなあ。かわいいなあ。
 小さな猫たちがよちよちしている姿を想像して、夏樹の心が和む。

「シロさんというのは?」
 立ったままの冬樺の問いに、所長が答えた。

「猫又のシロさん。近所に住んでる鍋島の化け猫タマさんの奥さん。タマさんが出産して付きっ切りで子育てしてるから、シロさんは育児休暇取得して、子育てに邁進中」

「やけに人間的ですね」
「猫又は長く人と暮らしてきているから、社会に馴染みやすいのかもね」

「他に猫の妖はいないんですか。猫同士なら情報を持っているかもしれませんし、匂いで追えないですか」
「俺の知り合いにはいないね。シロさんに相談して、知り合いに声だけでもかけてもらおうか」

「妖なら匂いで追えるけど、普通の猫は難しい。オレ、動物みたいな嗅覚ないしなあ」
 夏樹がどうやって探そうかと考えていると、
「ごめんくださいませ」
 引き戸の向こうから、若そうな、けれど落ち着いた女性の声がかかった。
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