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23. 座敷童子の奈良観光5 柿の葉寿司と大仏
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「他にも神社いっぱいあるんやな」
夏樹は春日大社でもらったパンフレットを見る。
春日大社周辺には水谷九社めぐり、若宮十五社めぐりという、パワースポットめぐりができる神社がたくさんあるらしい。
「全部参拝するのは、ちょっと大変そうね。午後からは大仏殿にも行くんでしょう」
「うん。大仏さんは見てもらわんとな」
というわけで、パワースポットめぐりは見送ることになった。
「昼飯食べてから、大仏さん観に行こうか。花子ちゃん、小太郎、足痛ない?」
「平気やで」
「大丈夫だよ」
二人とも元気そうな笑顔で頷く。まだまだ体力があるらしい。
「マリーちゃんも、大丈夫?」
「うん。大丈夫」
マリーがにっこりと微笑む。
「ほんなら、参道を歩いて大仏殿まで行こうか。鹿もおるしな」
「わーい。鹿さん」
花子がぴょんぴょんと飛び跳ねて、喜んだ。
階段は危ないからね、とマリーと花子は手を繋く。
なだらかな長い階段を下りて、二之鳥居まで戻り、真っ直ぐ続いている参道を歩く。森の中を切り開いた、自然が残る道を歩いていると気持ちが良かった。
鹿がのんびりと闊歩したり、座りこんでいたり、葉っぱを食んだり。ハート型の白いお尻や自由きままな姿に癒される。
バス通りを北上すると、交差点に出た。このまま真っ直ぐ進むと東大寺に出るが、
「昼飯、柿の葉寿司が食べられるお店にしようか」
奈良の名産品グルメのひとつ、柿の葉寿司。鯖寿司を柿の葉で包んだもので、食べる時に柿の葉の香りも楽しめる一品。
大仏殿に行く道から少しだけ外れたお店に入る。
夏樹は揚げたてさくさくの天ぷらと柿の葉寿司のセットを、三人は柿の葉寿司と小うどん・胡麻豆腐のセットを注文した。
一つひとつのお寿司が柿の葉に包まれていて、ほのかな香りがとてもいい。剥いてから食べる楽しみもあった。
お腹を見たして、いざ東大寺大仏殿へ。
左側に土産屋が並ぶ通りは、行き交う観光客であふれていた。春日大社は日本人が多かったけれど、ここは海外からの旅行者の方が多いように思えた。
「土産は帰りに見ような」と声をかけて、止まりがちな足を進めようと促す。
右手には公園と池があり、ここにも鹿がたくさんいた。木製のベンチでおやつを食べている人に鹿が近寄り、困っているような人。せんべいを持っていなくても、鹿が寄ってくるので、慌てて逃げている人もいた。東大寺周辺の鹿は、積極的な個体が多い気がした。
巨大な門、南大門に足を踏み入れると、筋骨隆々の金剛力士像が左右で睨みを利かせていた。
向かって右側には口を開けた阿形像、左側には口を閉じた吽形像。
その大きさと形相に迫力があるからか、小太郎はびくびくしながら急ぎ足で通って行った。花子は平気なようだ。マリーと手を繋いで、ゆっくり鑑賞していた。
道なりに真っ直ぐ進むと、右側の池の中央辺りに小さな池があり、朱塗りの鳥居が見えた。池には大きな鯉が泳いでいて、花子が鯉にも夢中になっていた。
朱色が鮮やかな中門に辿り着く。大仏殿はこの奥にある。中門は柵が立ててあり、立ち入ることはできない。左側に入り口があった。
拝観料を支払い、大仏殿の敷地内に入る。芝生の緑と真っ青な空の間に、大きくて立派な建物が姿を現す。
国宝・重要文化財に登録されている世界最大級の木造建築、東大寺金堂(大仏殿)。
近づけば近づくほど、その大きさに圧倒される。
大仏殿の正面に、古そうな灯籠があった。
春日大社でたくさん灯籠と釣灯籠を見たけれど、これはとても大きかった。
「八角灯籠っていうんだって。この灯籠も国宝だって」
観光客はスルーして通り過ぎていく。興味を惹かれた夏樹が立ち止まって見ていると、マリーが調べてくれた。
「国宝っていうことは、古いん?」
「奈良時代に大仏殿が作られた時のものなんだって」
「ええ? 何年前になるんやろ?」
「1200年ぐらい前? もっとかしら」
「それがそのまま残ってるん? 野ざらしで?」
「あはは。野ざらしって言い方、なんだかおもしろいね。でも、ほんとね。とてもしっかりした造りなのかしら」
夏樹とマリーが眺めていると、
「なあ、はよ行こうや」と小太郎にせかされた。
石段を登って、大仏殿の中に入る。目の前に、大きな大きな大仏像が鎮座していた。
右手を胸の前に上げ、左手は膝の上、大きな蓮の花弁に座り、優しいお顔で見下ろしている。
後光が射し、迫力があるお姿のわりには、ねじ伏せられるような圧倒的な力は感じない。
すべてを包みこんでくれるような、慈愛を感じられた。
大仏像以外にも仏像があり、一通り見て回ると、なにやら柱の下で修学旅行生がわいわいしていた。
近寄ると、柱に穴があいていて順番にくぐっていた。
「大仏さんの鼻の穴と同じ大きさなんやって。花子ちゃん、小太郎くぐるか?」
列ができているので少し待たないといけないが、急いでいるわけではない。
小太郎が「うん!」といきおいよく頷いた。
15分ほど待って、順番がやってきた。
夏樹が反対側で待っていると、小太郎がわくわくした顔でくぐってきた。
次の花子もすぐに来るかと思っていたけれど、少し時間がかかっていた。
夏樹が腰を下ろし、顔を覗かせて声をかける。
「花子ちゃん、くぐれるか?」
花子は少し難しそうな顔をして、それでもゆっくりとくぐってきた。
「がんばったな」
花子がすぐにくぐらなかった理由をマリーに訊ねると、少し怖がったらしい。反対側に夏樹の顔が見えたことで、安心してくぐったそうだ。
「ほんなら、お土産屋さん行こうか」
大仏殿の拝観を終えて、土産物屋の通りに戻ってくると、鹿せんべいが売られていたのを見つけた花子と小太郎。二人にお金を渡すと、わーと走って行った。
マリーと二人になり、夏樹は隣に並ぶ。
「疲れた?」
「ええ? ううん。まだ大丈夫よ」
「そっか。なんか元気にないように見えたから」
「疲れたんじゃなくてね、さっきの穴くぐりの柱に、らくがきを見つけたの。悲しくなっちゃって」
「らくがき? 気づかんかった」
「花子ちゃんを見送った後に立ち上がったら、目に入っちゃって。どうしてなのかなって。歴史的な、とても貴重な物なのに、彫られちゃったら直しようがないし、ペンで描いちゃうと、取ろうとしたら、柱が傷ついちゃう」
「誰かが描いてたら、やっていいって思ってしまうんかなあ。あと、待ってる時の暇つぶしとか? 描いた本人が忘れるくらい、軽い気持ちでやってしまうんやろうな。オレもあかんと思うわ」
「私、人が好きなのよ。大切に扱ってもらえたから、私もルイも、こうやって生きていられる。とっても感謝しているの。でも、そうじゃない人もいる。人それぞれって言われてしまえば、仕方がないんだけど。あんなに大きくて素晴らしい大仏様を見た直後に、あんな行為ができてしまうなんて。やるせなくなっちゃって」
「なんか、ごめん」
「ううん。夏樹くんのせいじゃないのに、ごめんね。気分下がっちゃうよね」
「下がった気分は、また上げたらいいねん。オレも鹿にせんべいあげてこようかな。マリーちゃんもどうや?」
「うん。私もあげる」
せんべいを買って、一枚ずつ鹿に食べさせる。お辞儀をしながらぐいぐい来るので、少しだけ怖い。
マリーは「きゃあ。待ってえ」と軽い悲鳴を上げながら、せんべいをあげていた。顔にはさっきまで落ちていた陰はなく、笑顔だった。
「もうないから。やめろー」
せんべいがなくなった小太郎が、鹿に襲われて逃げていた。
小太郎を見た花子が、きゃっきゃと笑っている。
「小太郎、もう一回あげるか?」
「あげる!」
逃げ回りながら夏樹からお金を受け取り、次のせんべいを買いに行く。
「花子ちゃんも」
満足していそうだった花子だけど、小太郎にあげたのなら公平にしてあげないといけない。
「ありがとう」
花子はにかあと、表情を大きく動かした。花子の笑顔はかわいらしい。
「服食うな! 放せー」
小太郎の悲鳴が聞こえる。Tシャツの裾を咥えられ、逃げようとしていた。
助けに行かないと。動こうとしたところで、マリーが傍に来た。
「小太郎くん、鹿に意地悪してたの。あげようとして引っ込めてを繰り返してたから、鹿が怒っちゃったのね」
「それはあかんわ。小太郎、意地悪したらあかん!」
夏樹が少しだけ語尾を強めると、小太郎は残っていたせんべいを手早くあげて、戻って来た。
「ジョークやったのに。服伸びた。気に入ってんのに」
「今小太郎がやったこと、誰かにされたらどう思う? ご飯食べようとしたのに取り上げて、食べさせてもらわれへんって、つらくない?」
「‥‥‥嫌や」
「そうやろ。意地悪を繰り返してたら、抵抗する。当たり前の事や。服の裾が伸びたんは、小太郎が悪い事したから、起きたんや。ジョークやからって軽い気持ちでも、やったらあかん」
「‥‥‥わかった」
小太郎は素直に聞き入れてくれた。
夏樹も他人様を叱れるほど、立派な生き方をしてきたわけではない。でもらくがきや意地悪のように、やってはいけない事を判断できる大人になりたいと心掛けている。
「鹿に謝っとこうか」
「小太郎兄ちゃま、仲直りしてきてね」
花子は自分の手に残っていた最後の一枚を小太郎に差し出した。
「花子さま、ありがとう」
小太郎はせんべいを受け取ると、鹿の元に向かった。でも、個体の区別がつかず、服を噛んだ鹿がわからなかった。
小太郎は近くにいた小ぶりな鹿に、せんべいをあげて戻ってきた。
夏樹は無言で、花子と小太郎の頭を撫でた。
数軒ある土産物屋を覗いて、小太郎は両親と祖母にお土産のお菓子と、自分用に鹿のお面を買った。
花子は見るだけで、何も買わなかった。昨日買った鹿があるから十分と、欲しがらなかった。
全員に事務所に戻り、所長にたくさん土産話をした。
小太郎も積極的に会話に加わった。
花子は頷きが多かったけど、にこにこしていたから、この旅行を楽しんでくれたようだった。
全員で一階に下りて、着物姿の冬樺に給仕をされておやつを食べてから、夏樹は花子を宿に、小太郎を家に送って行った。
夏樹は春日大社でもらったパンフレットを見る。
春日大社周辺には水谷九社めぐり、若宮十五社めぐりという、パワースポットめぐりができる神社がたくさんあるらしい。
「全部参拝するのは、ちょっと大変そうね。午後からは大仏殿にも行くんでしょう」
「うん。大仏さんは見てもらわんとな」
というわけで、パワースポットめぐりは見送ることになった。
「昼飯食べてから、大仏さん観に行こうか。花子ちゃん、小太郎、足痛ない?」
「平気やで」
「大丈夫だよ」
二人とも元気そうな笑顔で頷く。まだまだ体力があるらしい。
「マリーちゃんも、大丈夫?」
「うん。大丈夫」
マリーがにっこりと微笑む。
「ほんなら、参道を歩いて大仏殿まで行こうか。鹿もおるしな」
「わーい。鹿さん」
花子がぴょんぴょんと飛び跳ねて、喜んだ。
階段は危ないからね、とマリーと花子は手を繋く。
なだらかな長い階段を下りて、二之鳥居まで戻り、真っ直ぐ続いている参道を歩く。森の中を切り開いた、自然が残る道を歩いていると気持ちが良かった。
鹿がのんびりと闊歩したり、座りこんでいたり、葉っぱを食んだり。ハート型の白いお尻や自由きままな姿に癒される。
バス通りを北上すると、交差点に出た。このまま真っ直ぐ進むと東大寺に出るが、
「昼飯、柿の葉寿司が食べられるお店にしようか」
奈良の名産品グルメのひとつ、柿の葉寿司。鯖寿司を柿の葉で包んだもので、食べる時に柿の葉の香りも楽しめる一品。
大仏殿に行く道から少しだけ外れたお店に入る。
夏樹は揚げたてさくさくの天ぷらと柿の葉寿司のセットを、三人は柿の葉寿司と小うどん・胡麻豆腐のセットを注文した。
一つひとつのお寿司が柿の葉に包まれていて、ほのかな香りがとてもいい。剥いてから食べる楽しみもあった。
お腹を見たして、いざ東大寺大仏殿へ。
左側に土産屋が並ぶ通りは、行き交う観光客であふれていた。春日大社は日本人が多かったけれど、ここは海外からの旅行者の方が多いように思えた。
「土産は帰りに見ような」と声をかけて、止まりがちな足を進めようと促す。
右手には公園と池があり、ここにも鹿がたくさんいた。木製のベンチでおやつを食べている人に鹿が近寄り、困っているような人。せんべいを持っていなくても、鹿が寄ってくるので、慌てて逃げている人もいた。東大寺周辺の鹿は、積極的な個体が多い気がした。
巨大な門、南大門に足を踏み入れると、筋骨隆々の金剛力士像が左右で睨みを利かせていた。
向かって右側には口を開けた阿形像、左側には口を閉じた吽形像。
その大きさと形相に迫力があるからか、小太郎はびくびくしながら急ぎ足で通って行った。花子は平気なようだ。マリーと手を繋いで、ゆっくり鑑賞していた。
道なりに真っ直ぐ進むと、右側の池の中央辺りに小さな池があり、朱塗りの鳥居が見えた。池には大きな鯉が泳いでいて、花子が鯉にも夢中になっていた。
朱色が鮮やかな中門に辿り着く。大仏殿はこの奥にある。中門は柵が立ててあり、立ち入ることはできない。左側に入り口があった。
拝観料を支払い、大仏殿の敷地内に入る。芝生の緑と真っ青な空の間に、大きくて立派な建物が姿を現す。
国宝・重要文化財に登録されている世界最大級の木造建築、東大寺金堂(大仏殿)。
近づけば近づくほど、その大きさに圧倒される。
大仏殿の正面に、古そうな灯籠があった。
春日大社でたくさん灯籠と釣灯籠を見たけれど、これはとても大きかった。
「八角灯籠っていうんだって。この灯籠も国宝だって」
観光客はスルーして通り過ぎていく。興味を惹かれた夏樹が立ち止まって見ていると、マリーが調べてくれた。
「国宝っていうことは、古いん?」
「奈良時代に大仏殿が作られた時のものなんだって」
「ええ? 何年前になるんやろ?」
「1200年ぐらい前? もっとかしら」
「それがそのまま残ってるん? 野ざらしで?」
「あはは。野ざらしって言い方、なんだかおもしろいね。でも、ほんとね。とてもしっかりした造りなのかしら」
夏樹とマリーが眺めていると、
「なあ、はよ行こうや」と小太郎にせかされた。
石段を登って、大仏殿の中に入る。目の前に、大きな大きな大仏像が鎮座していた。
右手を胸の前に上げ、左手は膝の上、大きな蓮の花弁に座り、優しいお顔で見下ろしている。
後光が射し、迫力があるお姿のわりには、ねじ伏せられるような圧倒的な力は感じない。
すべてを包みこんでくれるような、慈愛を感じられた。
大仏像以外にも仏像があり、一通り見て回ると、なにやら柱の下で修学旅行生がわいわいしていた。
近寄ると、柱に穴があいていて順番にくぐっていた。
「大仏さんの鼻の穴と同じ大きさなんやって。花子ちゃん、小太郎くぐるか?」
列ができているので少し待たないといけないが、急いでいるわけではない。
小太郎が「うん!」といきおいよく頷いた。
15分ほど待って、順番がやってきた。
夏樹が反対側で待っていると、小太郎がわくわくした顔でくぐってきた。
次の花子もすぐに来るかと思っていたけれど、少し時間がかかっていた。
夏樹が腰を下ろし、顔を覗かせて声をかける。
「花子ちゃん、くぐれるか?」
花子は少し難しそうな顔をして、それでもゆっくりとくぐってきた。
「がんばったな」
花子がすぐにくぐらなかった理由をマリーに訊ねると、少し怖がったらしい。反対側に夏樹の顔が見えたことで、安心してくぐったそうだ。
「ほんなら、お土産屋さん行こうか」
大仏殿の拝観を終えて、土産物屋の通りに戻ってくると、鹿せんべいが売られていたのを見つけた花子と小太郎。二人にお金を渡すと、わーと走って行った。
マリーと二人になり、夏樹は隣に並ぶ。
「疲れた?」
「ええ? ううん。まだ大丈夫よ」
「そっか。なんか元気にないように見えたから」
「疲れたんじゃなくてね、さっきの穴くぐりの柱に、らくがきを見つけたの。悲しくなっちゃって」
「らくがき? 気づかんかった」
「花子ちゃんを見送った後に立ち上がったら、目に入っちゃって。どうしてなのかなって。歴史的な、とても貴重な物なのに、彫られちゃったら直しようがないし、ペンで描いちゃうと、取ろうとしたら、柱が傷ついちゃう」
「誰かが描いてたら、やっていいって思ってしまうんかなあ。あと、待ってる時の暇つぶしとか? 描いた本人が忘れるくらい、軽い気持ちでやってしまうんやろうな。オレもあかんと思うわ」
「私、人が好きなのよ。大切に扱ってもらえたから、私もルイも、こうやって生きていられる。とっても感謝しているの。でも、そうじゃない人もいる。人それぞれって言われてしまえば、仕方がないんだけど。あんなに大きくて素晴らしい大仏様を見た直後に、あんな行為ができてしまうなんて。やるせなくなっちゃって」
「なんか、ごめん」
「ううん。夏樹くんのせいじゃないのに、ごめんね。気分下がっちゃうよね」
「下がった気分は、また上げたらいいねん。オレも鹿にせんべいあげてこようかな。マリーちゃんもどうや?」
「うん。私もあげる」
せんべいを買って、一枚ずつ鹿に食べさせる。お辞儀をしながらぐいぐい来るので、少しだけ怖い。
マリーは「きゃあ。待ってえ」と軽い悲鳴を上げながら、せんべいをあげていた。顔にはさっきまで落ちていた陰はなく、笑顔だった。
「もうないから。やめろー」
せんべいがなくなった小太郎が、鹿に襲われて逃げていた。
小太郎を見た花子が、きゃっきゃと笑っている。
「小太郎、もう一回あげるか?」
「あげる!」
逃げ回りながら夏樹からお金を受け取り、次のせんべいを買いに行く。
「花子ちゃんも」
満足していそうだった花子だけど、小太郎にあげたのなら公平にしてあげないといけない。
「ありがとう」
花子はにかあと、表情を大きく動かした。花子の笑顔はかわいらしい。
「服食うな! 放せー」
小太郎の悲鳴が聞こえる。Tシャツの裾を咥えられ、逃げようとしていた。
助けに行かないと。動こうとしたところで、マリーが傍に来た。
「小太郎くん、鹿に意地悪してたの。あげようとして引っ込めてを繰り返してたから、鹿が怒っちゃったのね」
「それはあかんわ。小太郎、意地悪したらあかん!」
夏樹が少しだけ語尾を強めると、小太郎は残っていたせんべいを手早くあげて、戻って来た。
「ジョークやったのに。服伸びた。気に入ってんのに」
「今小太郎がやったこと、誰かにされたらどう思う? ご飯食べようとしたのに取り上げて、食べさせてもらわれへんって、つらくない?」
「‥‥‥嫌や」
「そうやろ。意地悪を繰り返してたら、抵抗する。当たり前の事や。服の裾が伸びたんは、小太郎が悪い事したから、起きたんや。ジョークやからって軽い気持ちでも、やったらあかん」
「‥‥‥わかった」
小太郎は素直に聞き入れてくれた。
夏樹も他人様を叱れるほど、立派な生き方をしてきたわけではない。でもらくがきや意地悪のように、やってはいけない事を判断できる大人になりたいと心掛けている。
「鹿に謝っとこうか」
「小太郎兄ちゃま、仲直りしてきてね」
花子は自分の手に残っていた最後の一枚を小太郎に差し出した。
「花子さま、ありがとう」
小太郎はせんべいを受け取ると、鹿の元に向かった。でも、個体の区別がつかず、服を噛んだ鹿がわからなかった。
小太郎は近くにいた小ぶりな鹿に、せんべいをあげて戻ってきた。
夏樹は無言で、花子と小太郎の頭を撫でた。
数軒ある土産物屋を覗いて、小太郎は両親と祖母にお土産のお菓子と、自分用に鹿のお面を買った。
花子は見るだけで、何も買わなかった。昨日買った鹿があるから十分と、欲しがらなかった。
全員に事務所に戻り、所長にたくさん土産話をした。
小太郎も積極的に会話に加わった。
花子は頷きが多かったけど、にこにこしていたから、この旅行を楽しんでくれたようだった。
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