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36. カマ吉のお土産と牛鬼

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 夏樹が事務所で筋トレに励んでいると、窓がコツコツと鳴った。
 新聞を読んでいた所長が振り返り、がらっと窓を開ける。

「カマ吉! 久しぶりやな」
 ぴょこんと顔を出したのは、二カ月ほど遊びにこなかった、カマイタチのカマ吉だった。どこかで美味しい物にありつけて、気長に過ごしているだろうと、夏樹はあまり心配していなかった。でもこうして顔を見ると、やはり安心する。

「里に帰ってたんや。土産送ったんやけど着いてた?」
「この間受け取った。ありがとうな」
 所長がカマ吉の頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。

 数日前に幽世経由で届いた荷物。差出人がカマ吉と書かれていたので、開封すると吉野の羊羹とお酒が入っていた。
 吉野というと、山室からの依頼で、冬樺が行った所だったはず。妖しか泊まれない宿があって、朧車タクシーを手配してくれたと話していた。

「酒は俺が持ち帰った。羊羹はみんなでいただいてるよ。一階の二人にもお裾分けして」
「マリーもルイも喜んで食べてたで。ルイなんか、完全に職人の目やったな」

「熱い視線を注いでいたね」
「そっか。良かった。ここのこと話したら、母ちゃんが送らなあかんて準備してくれたんや」

「住所知ってたん?」
「ワシらは字書かれてへんし、読まれへんから、幽世の人に手伝ってもらった」

「せっかくだから、一緒に食べるか」
 所長が白い箱の蓋を開ける。羊羹は竿一本まるっと残っていた。

「あんちゃんらに送った物やから、ワシはええよ」
 珍しくカマ吉が遠慮する。

「オレらがもらったもんをカマ吉にあげるんやから、気にすんな。一緒に食おうや」
「え、うん。ありがとう」
 夏樹が誘うと、いつもの調子に戻ったカマ吉が、窓枠から飛び降りて、後をついてきた。

 冷蔵庫から作り置きのほうじ茶をグラスに注ぎ、所長が切り分けてくれた羊羹を食べる。
 桜餡とこし餡の二層に分かれているのがとてもきれいで、食べるのがもったいないと思ってしまうほど。甘さと香りのバランスも良い。もったいなと思うけれど、あっという間に食べ終えてしまう。

 隣に座るカマ吉を見ると、小さな手で羊羹を持って、ぱくついていた。口が小さいせいか二層を一気に食べるのは難しいようで、少しずつ噛んでいる。

「もうちょっと小さく切ったろか?」
 夏樹が提案すると、カマ吉は頷いた。
 二色の餡を一緒に食べられるように、縦方向に切ってやる。

「旨いか?」
 カマ吉はふんふんと頷きながら、懸命に口を動かしていた。

 かわいいなあと思って見つめているのは、夏樹だけでなく、向かいに座る所長は羊羹に手を出していないのに、頬を緩ませていた。

 カマ吉は食べ終わると、「あ、そやそや」と言った。夏樹たちに話があったらしい。

「吉野の近くで、妖狐と天狗が衝突したん知ってる?」
「衝突ってなんや?」

「ケンカやケンカ。ものすっごい音と風やってんで。地震と台風が一緒にきたんかと思ったわ」
「あやかし新聞で読んだよ。相当やり合ったらしいな。カマ吉は近くにいたのか?」

「そんなに近くやないけど、ねぐらにしてる家が揺れたもん。生まれたばっかりのチビどもがびびってしもて、ピーピー泣いとったわ」
「きょうだいおるんや」

「そやで。ワシ次男やねん。一番上のあんちゃんは、日本見たい言うて旅に出とる。ワシが帰ってる時で良かった。人間の社会で、あれどう伝わるん?」
 カマ吉の質問には、所長が答えた。

「震度計は感知したみたいだから、地震だと発表されたよ。記憶を操作するには、人が多いから、隠蔽と辻褄合わせをする幽世側は大変だったんじゃないかな」

 隠蔽と辻褄合わせというと悪いことをしているようだけど、妖が視えない人たちを無駄に混乱させる方がよろしくないだろうという判断で、幽世側が現世側に働きかけることがあるらしい。

「なんでケンカしてたんやろ?」
「あやかし新聞によると、吉野に妖狐が入り込んだらしい。修業中の天狗が見つけて追い払おうとして、衝突したんだそうだ。妖狐もよくやるよね。天狗がぞろぞろいる吉野に行くなんて」

「吉野って天狗が多いんや」
 質問したのは夏樹。

「そうだよ。修験道として名高い霊山がたくさんあるからね」
「天狗がおるってわかってて、入ったんかな」

「何があって侵入したのかはわからないね。逃げられたようだから」
「まるでヤンキ―のケンカやな」

 知らない声が聞こえた。夏樹と所長は、素早く立ち上がる。
「誰だい!」
 所長が緊張感を持った声で訊ねる。

 夏樹はいつでも動けるように、周囲の気配を伺う。
 窓から何かが侵入してきた気配を察知し、いつでも動けるように構えると、天井から黒い影のようなものがすっと落ち、それは人の形を取った。

「妖相手の探偵って、ここでいいっすよね。オレ頼みたいことがあるんすけど」
「あれ、大地!?」
「よっ、夏樹。ちょっと依頼に来た」
 そこに立っていたのは、夏樹の同級生、牛鬼の牛尾大地だった。

 *

 カマ吉を入れた時に閉め忘れていた窓から入って来た彼を、ソファーに案内する。
「なんで窓から入ってくるねん。下に入り口あるやろ」
「菓子屋なんて恥ずかしくて入れるか」
「なんで恥ずかしいねん。意味わからん」
 知人だということで、夏樹は仕事だと忘れて、つい軽い口をきいてしまう。

「二人は中2の時のクラスメイトだったんだね」
 食器を片付けて、座る位置を移動しながら、所長に大地のことを話した。
 夏樹はカマ吉を連れて所長の隣に移動して、依頼にきたという大地の対面に座る。

「大地、めっちゃ悪ガキやってん」
「やんちゃし過ぎて、校長から学校に来んなって何回も言われたんす。義務教育やのに」
 悪びれもせず、笑いながら大地は言った。

「どんだけ怒られても、毎日遅刻せんと学校来てたもんな」
「夏樹も、皆勤賞やったやんけ」

「オレら二人だけやったな。皆勤賞」
 卒業式の日、表彰されたわけでもないけれど、無遅刻無欠席を褒められた。

「卒業する時、やっと顔見んですむって、教師にほっとした顔されたんや」
「先生ら、晴れ晴れした顔しとったわ」
 夏樹も一年前の、中学校の卒業式を思い出す。

「牛のあんちゃん何をしたん?」
 カマ吉の質問に、大地はにやりと笑う。

「新人教師からかって泣かせたり、女子の着替え覗いたりとか」
「夏のあんちゃんもやってたん?」
 カマ吉が不安そうな顔をして、夏樹を見上げてくる。

「夏樹はやらへんよ。オレはこいつに怒られたんや」
 夏樹が答える前に、大地が否定してくれた。

「夏のあんちゃんが注意してたん?」
「そやで。体育祭のクラス対抗リレーで、こけた奴がおって、大地がイジメだしたから、とめたんや。クラスの雰囲気が悪くなってな」
「正義の味方やん」

 きらきらした目を向けてくるカマ吉に、夏樹は「そんなんやないよ」と首を振る。
「オレ、高校は行かへんってその頃から決めてたから、最後になる学生生活楽しみたかってん。それを大地にめちゃくちゃにされたなかっただけや」

「夏樹の顔、必死やったから、オレ笑いまくったわ」
 いろいろ思い出したのか、大地があははと笑い出す。
「そうや、大地、へらへら笑ってたんや。失礼な奴やった
わ」
「オレ、悪ガキで有名やったから、クラスメイトからは迷惑にしか思われてへんで、遠巻きにされてたんや。夏樹だけは違うくてさ。ほんで気に入ったんや」
「あれからイタズラはしても、人をイジメることはせんくなったもんな」

「夏樹が嫌がることはやらんとこうって決めたんや」
「改心しても、先生から嫌われたまんまやったけどな」

「そら、超問題児やったからな。オレが進学せえへんってわかったら、安心しきってたわ。推薦なんかできるかって」
「進学せんかったんも、オレらだけやからな」

「妖のオレに学歴は必要ない」
 意見が合って、わははと笑う。

「牛鬼って、どんな妖なん?」
 カマ吉は大地が怖いのか、夏樹にぴたりとくっついて、足に手を置いていた。

「そうやなあ。ご先祖は人喰ってたらしいけど、オレは人喰いたいとは思わん。でも人が作った飯は好きや」
「ワシも人が作るご飯とかお菓子好き」

「旨いもんなあ」
 意見が合って嬉しいのか、カマ吉がぴょこっと立ち上がった。
 うんうんと頷いて、わかりあっている妖たち。

 純人間の夏樹としては、人が作った食べ物を旨いと言ってもらえるのは、素直に嬉しい。食べ物がきっかけで人の社会に馴染もうとする妖は多いだろうなと思えた。

「それで、牛尾くんの依頼は?」
 所長に切り出されて、夏樹は気づいた。思い出話で盛り上がって、牛尾の目的を忘れていた。

「いけねえ。盛り上がって、忘れてたっす」
 本人もだった。

 大地が座り直し、依頼内容を口にした。
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