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ボクの願いは――大辻 翔(享年11歳)

20. おかえりなさい 2

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「記憶はほとんどないんだ。俺が料理や旅行が好きなのは、記憶の深いところでそれを欲してたからなんだって、今ならわかる。それ以外の記憶は今はないけど」
「ほんとに記憶じゃないんだ」
「うん。精神的な繋がりっていうのかな。感覚でわかっただけなんだ」
「そっか」
納得できない表情ながらも、叶実はそれ以上の質問をしなかった。三人を信じようという結論に達したようだ。
「ねえ。今だったら、兄貴のこと訊いてもいいかな」
「そういえば、叶実にはちゃんと話したことなかったわね。翔のこと」
鼻声ながらも、里都子の涙は止まっていた。
「兄貴のこと訊くと、二人とも変な雰囲気になったから。訊けなかった」
「え? 変な雰囲気って?」
里都子と昇は揃って首を傾げる。
「小さいときのことだからあまり覚えてないけど、あたし一回だけ訊いてみたことがあるんだよ。『この男の子は誰?』って。そしたら二人とも変な顔したっていうか、何と言うか。仏壇見つめたまま黙りこくっちゃって。
今なら寂しいんだな、とかつらいことなんだなってわかるけど、当時はわかんなかったから。そんな顔させちゃうなら訊かないほうが良かったなって、思った記憶はあるんだよね」
叶実が記憶を探りながら話すうち、両親の肩が下がっていく。
「叶実は空気読むのうまいからね」
「もしかしてその時に培われたのかも?」
会話を続けていた叶実と裕樹は、両親の様子に気がつき、口を閉じた。
「叶実。お父さんたちが翔の話をしなかったのは、叶実まで悲しませたくなかったからなんだ。まだ死というものを理解できなかった子供を怖がらせるかもしれないとも思って。
でも話すべきだったのかもしれないな。すまなかった」
父親が頭を下げるとは思っていなかった叶実は、慌てて首を振る。
「やだ、お父さん。謝んないでよ。別に寂しかったとか恨んだりとかしてないし。
聞かなくて逆によかったよ。裕樹が兄貴の生まれ変わりなんだったら、なおさら。なんか兄貴を追っかけてるみたいだもん。
それに、裕樹とはなんの先入観もなしに出会いたかったし、ね」
最後の一言は、裕樹に向けられた。
気持ちは同じだったのだろう、テーブルの下で裕樹が叶実の手をぎゅっと握り締めた。
「だから、気にしないで」
叶実が父親に向き直りそう告げると、昇が何度か頷いた。
「かけ……裕樹くんも聞いてもらっていいのかしら」
思わず出てしまったのだろう、里都子は名前を言い直す。
裕樹は名前を間違われたことなど気にもかけず、深く頷いた。
「ぜひ、聞かせてください」
昇と里都子は顔を見合わせ、決心を固めたように何度か小さく頷いた。
「叶実が生まれる二年前のことよ」
里都子がぽつぽつと語り始めた。
昇は仏壇の引き出しを開け、中からアルバムを取り出す。やや退色しながらも、今でもしっかりと保存されている、大辻家の記録。
悲しい事と、その後に起きた不思議な出来事を。
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